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博物館でお花見を(刀装に咲く桜)

こんにちは。
花見の時期、毎年上野公園では多くの方々で賑わいます。
花見は江戸時代には行楽として定着したといい、江戸時代の前期には、博物館のある上野や京都の醍醐などが名所として知られていたといいます。

さて、今回ご紹介する合口はまさにこうした花見の季節にぴったりな作品です。

銀包桜樹文合口(ぎんづつみおうじゅもんのあいくち) 後藤一乗 江戸時代・19世紀(~2012年5月6日(日)まで本館5室に展示)

鞘は銀の板で包み、満開に咲き誇る桜の木を片切彫(かたきりぼり)であらわしています。
また、目貫(めぬき)と目釘(めくぎ)、それに笄(こうがい)と小柄(こづか)にも桜がみられますが、こちらは金を用いています。
金と銀を巧みに使い分けることでみやびな春の世界が広がっています。

ところで、この金具を制作したのは幕末の京都で活躍した後藤一乗という人物です。
後藤家は室町時代から続く刀装具の一家で、本家はおもに江戸で栄えましたが、京都にも分家があり、一乗はこの末流の人です。

この作品には、そうした京都で活躍した職人らしい表現と思われる箇所があります。
それは梢の綱にわたされた「鈴」です。

銀包桜樹文合口の部分拡大

先ほど記したように、京都の桜の名所は醍醐が有名です。
醍醐寺では、安土桃山時代、豊臣秀吉による大規模な花見(醍醐の花見)が行われました。
『太閤記』によれば、この花見には桜を散らせてしまう鳥を追い払うため、木に鈴をつけたといいます。
この鈴を護花鈴(ごかれい)といいます。
醍醐の花見を描いた絵画には、今村紫紅の「護花鈴」(霊友会妙一記念館)や安田靫彦の「花の酔」(宮城県美術館)のように、桜に縄をわたして鈴がつけられています。
制作された時期は少し異なりますが、どうやら醍醐の花見と鈴には、密接な関係があるようです。

あくまで推測の域を出ませんが、京都人であった一乗は、この作品を制作する際、醍醐の花見で鈴をつけたことが知られていたため、この桜を思い描きながら鈴をあらわしたのかもしれません。
もしそうだとすれば、この春、博物館では上野の桜と醍醐の桜が一度に楽しめることになります。
是非ご覧いただければ幸いです。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館でお花見を

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posted by 酒井元樹(平常展調整室) at 2012年03月31日 (土)

 

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