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1089ブログ

運慶仏に囲まれる幸福

みなさまは、仏師運慶をご存じですか?

日本で最も名の知れた仏師ですので、名前はもちろんのこと、運慶の作品をご存じの方も少なくないでしょう。夏目漱石の『夢十夜』には、護国寺の仁王門で仁王像を彫る運慶を見物するという話も出てきますから、ご承知の方もいらっしゃるでしょう。また、東博では2017年に興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」を開催しておりますので、親しく運慶の作品をご覧いただいた方もいらっしゃることと思います。
今回ご紹介するのは、現在、本館 特別5室で開催中の特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」です。この展覧会に出品されているのは7軀(く)の仏像だけです。とは言え、この7軀が日本の彫刻の歴史を代表する名品揃いなのです。すべて国宝、しかも、すべて運慶の作品です(と言って良いと考えています)。
 
特別展「運慶」会場入口
 
修学旅行などで多くの方が一度は訪れたことがあるのではないかと思われる、奈良・興福寺。その境内の西北隅に建つ北円堂は、藤原不比等(ふじわらのふひと)の一周忌追善供養のために養老5年(721)に建立されたと伝えます。その後、平安時代に二度の火災に見舞われました。二度目の火災が、治承四年(1180)の平家による南都焼討です。
興福寺はこの未曾有の災害からすぐに復興を計画します。藤原氏と朝廷という強力な後ろ盾があったからこそなせる業です。ところが、北円堂の復興は遅れました。焼失から30年、創建から500年を経た承元4年(1210)頃、北円堂の再建はなりました。この3代目の北円堂が、現在私たちが目にする国宝・北円堂です。興福寺境内でもっとも古い建造物です。その外観が、本展の入口で皆様をお出迎えいたします。
 
会場入り口にある国宝・北円堂外観の展示パネル
 
この鎌倉復興時の北円堂の造仏を担当したのが運慶(生年未詳~1223)率いる一門の仏師たちでした。建暦2年(1212)頃に完成した9軀の仏像のうち、両脇侍菩薩像は行方が知れませんが、国宝 弥勒如来坐像(みろくにょらいざぞう)と国宝 無著(むじゃく)・世親(せしん)菩薩立像は、いまも北円堂に残ります。そして、現在中金堂に安置される国宝 四天王立像を運慶作の旧北円堂像と考える説が近年有力です。
本展は、この国宝仏像7軀で鎌倉復興期の北円堂を再現することを企図しています。運慶が構想した至高の祈りの空間を追体験していただけるのです。
では、会場にご案内いたしましょう。
 
(左から)世親菩薩立像、弥勒如来坐像、無著菩薩立像 すべて国宝 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
 
展示室中央に設けた八角のステージ((注)画像は展覧会開幕前に撮影したものです)に、国宝 弥勒如来坐像と、国宝 無著・世親菩薩立像を展示しています。この八角ステージは外周に結界が巡りますが、4本の柱が立つ八角形の内部空間は、北円堂の八角須弥壇の実際の平面規模とほぼ同寸です。今は行方の知れない脇侍菩薩像と今回は会場の四隅でにらみを利かす四天王像も、本来はこの八角形の空間の中に安置されていたことを想像しながらご鑑賞ください。
 
国宝 弥勒如来坐像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
 
中央の弥勒像は奈良時代の古典彫刻の姿を踏襲しながら、運慶の新しい感覚が加味された傑作です。まっすぐと厳しいまなざしを向ける姿は堂々としていますが、ややはつらつとした運慶らしさに欠けると思われるかもしれません。
 
国宝 弥勒如来坐像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
 
ところが、八角ステージを時計回りに進んでみてください。たっぷりとした奥行き感を持つ独特の立体感覚をご体感いただけるはずです。これぞ運慶作品の持つ量感表現。さらに側面に回ると、正面からは理解できなかった奥行きをさらに感じることができます。胸を張った堂々たる体軀と盛り上がった背筋に驚かされます。そして、やや猫背とすることで生まれる独特の奥行き感。斜め後ろから背中越しにのぞく頬は、ふっくらと赤ん坊のように膨らみます。ぐっと胸を張りつつ、首を前に出して猫背気味とする独特のスタイル越しにのぞく、かわいらしい頬のふくらみ。今回のおすすめ鑑賞ポイントのひとつです。
 
国宝 弥勒如来坐像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
 
さらに進むと、本展の目玉のひとつともいえる、弥勒像と無著・世親像の背面3ショットが皆様を待ち構えます。
 
(左から)無著菩薩立像、弥勒如来坐像、世親菩薩立像 すべて国宝 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
 
興福寺北円堂は春と秋に特別公開を行っていますので、拝観された方もいらっしゃるかもしれません。ところが、弥勒像の背後には光背があるので、普段はここまで背面をご覧いただくことができないのです。
本来、仏像に光背はつきものなのですが、弥勒像の光背は江戸時代に補われたものですので、今回の運慶の構想した空間の再現というコンセプトから、光背は興福寺でお留守番となりました。実はこの弥勒像、昨年度一年かけて表面の剥落(はくらく)止めを中心とする保存修理が行われました。特に背面の傷みがひどかったため、今回の修理の成果を披露するためにも背面を是非ご覧いただきたく、このような展示となった次第です。弥勒像と無著・世親像の背中の対比を会場でお楽しみください。
 
国宝 無著菩薩立像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
 
無著・世親像はインド古代僧をモデルとした肖像彫刻ですが、写実を超えて崇高な精神性までを表現した姿と、圧倒的な存在感が見どころです。おそらく、モデルが誰かを知らなくとも、本像の魅力は普遍的に理解されることだろうと信じています。眼に水晶を嵌(は)める玉眼技法の最も成功した例の一つと申し上げても過言ではないでしょう。角度によっては、世親像の眼は涙をたたえているようにも見えます。無著像はキラッと、世親像はキラキラと、その眼光の違いは正面よりも少し斜めの、世親菩薩像側からご覧いただくと、よくわかるかもしれません。
 
ところで、この二人、実は兄弟です。無著が兄、世親が弟。無著は老僧にあらわし、一方の世親は壮年の姿です。この兄弟僧は、法相宗(ほっそうしゅう)の根本となる唯識教学(ゆいしききょうがく)を修めました。彼らの著作をインドから中国にもたらしたのが、かの玄奘三蔵です。その教えの系譜に、興福寺はつらなるのです。玄奘がもたらした情報によると、無著は、夜は兜率天(とそつてん:天界のひとつ)に昇って弥勒の教えを受け、昼間は人間界におりてその教えを広めたといいます。こうした説話は、日本でも『今昔物語集』に収められるほど知られていました。人間の姿を見事にとらえながらも、それでいて崇高な存在であることを感じさせる運慶の彫刻表現は、無著が人間界と天界とを往還できる特別な存在であったと説くこうした説話にも影響を受けているのかもしれません。
 
国宝 世親菩薩立像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
 
さて、本展の最大の見どころ、それは会場中央の現在も北円堂に安置される弥勒像、無著・世親像と、現在は中金堂に安置される四天王像が一堂に会したところをご覧いただける点です。
 
国宝 四天王立像(持国天) 鎌倉時代・13世紀 奈良・興福寺蔵 中金堂安置
 
特にご覧いただきたいのがこちらの持国天像です。奈良時代の古典彫刻を踏まえながら、写実を基本とした力強い鎌倉彫刻の特徴を示す持国天像は、弥勒像と全く同じ視線を来館者に向けているように見えます。このことに気づいたとき、中金堂四天王像は北円堂のもので間違いない、つまり、弥勒、無著・世親像とセットの運慶作とみて間違いないだろうと確信しました。四天王像の激しい動きを示すポーズは変化に富み、静寂な雰囲気を漂わせる弥勒、無著・世親像とは対極的です。ところが、それが不思議と調和しているように見えるのです。これは、展覧会担当者のひいき目でしょうか。是非皆さんの眼で、お確かめください。
 
この7軀による競演は、興福寺でもご覧になれない本展だけの企画です。運慶による日本彫刻の最高傑作が織りなす至高の空間を是非会場でご堪能ください。特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」は11月30日までです。どうぞお見逃しなく。金・土曜日は夜8時まで開館しています(入館は30分前まで)。比較的混雑を回避できる夜間開館も是非ご利用ください。
 
国宝 四天王立像(増長天) 鎌倉時代・13世紀 奈良・興福寺蔵 中金堂安置
 

カテゴリ:研究員のイチオシ彫刻「運慶」

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posted by 児島大輔(彫刻担当研究員) at 2025年10月23日 (木)