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古代エジプトの頭飾り

ようやく秋らしくなりました。

東洋館では毎年恒例のイベント「博物館でアジアの旅」(11月10日(日)まで)が開催されております。
今年のテーマは「アジアのおしゃれ」。
東洋館1階のインフォメーションで配布中の「アジたびマップ2024」を片手に、おしゃれにまつわる展示物を探しながら、館内を巡ってみてくださいね。 
 
今回のブログでは2階3室に展示中の古代エジプトの頭飾をご紹介します。
東洋館3室「西アジア・エジプトの美術」 展示風景 
 
 
婦人頭飾断片  伝エジプト、テーベ出土
新王国時代(第18王朝)・前15世紀
 
金の板を加工して作ったU字形の飾りです。ロゼット(花文様)が組み込まれ、カラフルに象嵌されています。
展示品のとおり、複数をつづってリボンのようにして用いました。
 
このタイプのアクセサリーは、トトメス3世(治世:前1479~前1425年頃)の「3人の外国出身の王妃の墓」から大量に見つかっているもので、おそらく、展示作品もその一部です。
つまり、今から3500年前の古代エジプトの王族が身に着けていた装飾品とみることができます。
 
この墓は1916年に盗掘され、出土品が古美術市場に流出しました。
それらの多くはメトロポリタン美術館の所蔵となっています。
同美術館は1930年代に、このタイプの装飾品をウィッグカバーとして復元しました。 
▼メトロポリタン美術館ウェブサイト
 
現在、この復元は全面的に支持されているわけではありませんが、それでも、このイメージにやや近い(もっと短かったとされます)頭飾であったと考えられます。
その場合、1つのピースが1.5g前後なので、全体で1kg近い重さになると推測できます。
実用品としては重すぎるので、セレモニーなどの特別な機会に着用したか、死者のための副葬用のアクセサリーであったのかもしれません。
 
墓に埋葬された3人の王妃、マヌワァイ、マンハタ、マルタはその名前から、もとはシリア方面の都市国家の王女で、若きトトメス3世に嫁いできたと考えられています。
当時のエジプトはハトシェプスト女王が実権を握っていた時代で、3人は、おそらく女王の存命中(前1474~前1457年の間)に亡くなり、一緒に埋葬されました。
疫病によって同時期に亡くなった、後宮での争いに巻き込まれて命を落とした、といった説がありますが、なぜ3人が一緒に埋葬されたのかは謎です。
 
展示室でこのカラフルな頭飾を見つけたら、ぜひ、青緑色や水色のガラスの象嵌材を探してみてください。 
 
色ガラスによる象嵌(ぞうがん)
 
風化していることもあり、美しく見えない?かもしれませんが、実はここが「おしゃれポイント」です!
当時のエジプトではガラスは最先端の素材で、このようなアクセサリーに使われ始めたばかりでした。
ちなみに、ガラス細工は王妃たちの故郷とされるシリアや北メソポタミアで発達していた技術で、3人にとっては馴染みの素材だったと想像できます。
 
この王妃たちが亡くなった後、単独の王となったトトメス3世はシリア方面へ軍事遠征を繰り返し、エジプトの版図をアジアへと拡大させていきます。
この過程でシリアのガラス生産技術がエジプトに伝わり、王室工房で高品質なガラス器が生産されるようになったとされます。
特に、エジプトで作られるコバルトによる青色ガラスは高級なアクセサリーの素材として地中海・西アジアで取引されました。
 
その一例が、同じ展示ケースに並ぶ青色ガラスのアクセサリーです。
頭飾・首飾 ギリシャ本土 後期ヘラディック時代III期・前14~13世紀頃 個人蔵
 
こちらはギリシャのミケーネ文明の王侯貴族が身に着けた「頭飾・首飾」です。材料の一部はエジプトからもたらされた青色ガラスだと目されます。
 
 

カテゴリ:博物館でアジアの旅

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posted by 小野塚拓造(ボランティア室長) at 2024年10月25日 (金)