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1089ブログ

春日の神々に出会う

いま、本館の特別1室では、「春日権現験記絵模本Ⅱ―神々の姿―」と題する特集を行なっています(10月12日(月・祝)まで)。
この特集は、奈良市に鎮座する春日大社に祀られる神々の利益と霊験を描く春日権現験記絵模本の魅力とともに、春日信仰の諸相を様々な角度からご紹介する2回目の試みです。昨年は「美しき春日野の風景」をテーマに、描かれた聖地・春日野の風景や、美しい朱塗りの社殿などから、春日の神々への多様な信仰をご紹介しました。今回は「神々の姿」をテーマとしていますが、展示場面を見ていく前に、この絵巻模本についてご紹介しておきましょう。

今回展示している春日権現験記絵模本の原本=春日権現験記絵は、三の丸尚蔵館が所蔵する全20巻の絵巻です。鎌倉時代の後期、時の左大臣西園寺公衡の発願により、高階隆兼という宮廷絵所絵師によって描かれました。通常紙に描かれることの多い絵巻としては異例の絹に描かれおり、数ある絵巻作品の中でも最高峰の一つに数えられています。
江戸時代の半ば頃になると、こうした貴重な絵巻の模本を作ろうという動きが活発化してきます。今回展示しているのは、紀州(和歌山)藩主徳川治宝の発案により、林康足、原在明、浮田一蕙、冷泉為恭、岩瀬広隆といった復古やまと絵師たちによって写されました。模写にあたっては大変な苦労があったことが、附属の目録に記されています。

 春日権現験記絵(模本)目録 長澤伴雄筆
春日権現験記絵(模本) 目録 長澤伴雄筆 江戸時代・弘化2年(1845)
模写プロジェクトを任された長澤伴雄が、模写の経緯を記しています。様々な苦労を経て完成した際の興奮がほとばしります。


さて、話を今回のテーマ「神々の姿」に戻しましょう。
この絵巻では、春日の神々は様々な姿で人の前に姿を現わしています。とりわけ多いのが人の姿。春日社の主な祭神は、本殿に祀られる武甕槌命(たけみかづちのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)とともに、若宮(わかみや)をあわせた五柱の神です。武甕槌命、経津主命、天児屋根命は男神であるため束帯姿で、比売神は女神であるため女性の姿で、また若宮は御子神とされるため童子の姿で人びとの前に顕現しています。

春日権現験記絵(模本)巻第10
春日権現験記絵(模本)巻第十
樹上で舞を舞う束帯姿の春日明神。

春日権現験記絵(模本)巻第十
春日権現験記絵(模本)巻第十
雲に乗る女性姿の春日明神。

春日権現験記絵(模本)巻第十四  冷泉為恭他模  江戸時代・弘化2年(1845)
春日権現験記絵(模本)巻第十四

老僧の膝の上に乗る童形の春日明神。


こうした人の姿とともに、仏の姿でも顕現する場面もあります。日本の神とは、仏が仮の姿で現われたとする「本地垂迹説」という考え方がその背景にあります。

春日権現験記絵(模本)巻第十一
春日権現験記絵(模本)巻第十一
春日三宮が地蔵菩薩の姿で現われたところ。



さて、こうした様々な姿で人びとの前に現われる春日の神々ですが、場面を追っていくといくつか特徴的な点が見えてきます。その一つが、いくつかの例外を除き神の顔を描いていない点です。後ろ向きに描かれる場合はもとより、時に霞や樹木、建物を不自然なまでに配し、神の顔を描かないことに配慮しています。ここには、神の姿を顕わに描くことに対するはばかりがあったと考えられています。

春日権現験記絵(模本)巻第七
春日権現験記絵(模本)巻第七
画面には春日の二柱の神が描かれていますが、見つけられますか?樹木によってそのお顔が隠されています。



もう一つの特徴が、人が神に出会うタイミングが夢の中だということです。昼日中に堂々と、神が人の前にその姿を現わすことはほとんどありません。漆黒の夜の闇の中にこそ、人が神と出会う舞台が用意されていると言うことができます。

春日権現験記絵(模本)巻第十五
春日権現験記絵(模本)巻第十五
伊勢の斎宮の前に現われた春日明神。みなぐっすりと眠っています。


こうした夢以外の、神と出会う重要な場面は人が死に直面した時です。この絵巻では臨終の場面で神に出会う話や、いったん地獄に堕ちた人間が春日明神のおはからいによって救済された話なども描かれています。

春日権現験記絵(模本)巻第六
春日権現験記絵(模本)巻第六
春日明神のおかげで地獄行きを逃れた男。春日明神の案内でこれから地獄ツアーに向かいます。


そして、神々に出会うために何よりも重要なのは、春日の神々への深い崇敬の念です。この絵巻を見た人びとも、神との縁を結ぶため、敬神の思いを新たにしたことでしょう。
今回の展示では、春日の神々の描かれた場面を特に選んで展示するとともに、神と仏が一体化した信仰形態を示す画像も展示しています。

春日本地仏曼荼羅
春日本地仏曼荼羅 鎌倉時代・13世紀(2015年9月23日(水・祝)まで展示)
春日野の景観とともに、春日の神々の本来の姿であるとされる仏(本地仏)の姿を描きます。


神々の姿は本来目に見えないものとされます。ですが、どうしても「見たい」という人びとの強い思いによって「神々の姿」は画像として表わされました。
幕末やまと絵師たちの画技とあわせ、多様な「神々の姿」をご覧になりに、是非とも展示室にお運び下さい。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 土屋貴裕(平常展調整室主任研究員) at 2015年09月11日 (金)

 

「アート オブ ブルガリ  130年にわたるイタリアの美の至宝」開幕!

アート オブ ブルガリ  130年にわたるイタリアの美の至宝」が、いよいよ9月8日(火)に開幕しました!
開幕に先立ち、9月7日(月)には開会式・内覧会を行い、多くのお客様にご出席いただきました。


開会式の様子(左から吉見読売新聞社事業局長、ジャン-クリストフ・ババン ブルガリ グループ CEO、赤池文部科学大臣政務官、東京国立博物館銭谷館長)

本展覧会の会場は表慶館です。
明治末期の歴史ある建物とブルガリの美が見事に融合しています。


エントランスの天井を見上げると、プロジェクションマッピングにより、万華鏡のような景色が・・・

各展示室は時代ごとに分かれており、創業131年を迎えるブルガリの歴史を辿ることができます。
宝石の美しさはもちろんのこと、大胆な配色や、日本文化の影響を受けたユニークなモチーフなど、バラエティ豊かなジュエリーに驚かれることでしょう。


Room1 展示風景


Room4 展示風景

また、ブルガリをこよなく愛した名女優エリザベス・テイラーにまつわる展示も、本展の見どころです。
エリザベス・テイラーが俳優リチャード・バートンから婚約の証に贈られたブローチなど、ブルガリジュエリーが彼女の人生に寄り添ってきたことが感じられる空間となっています。


Room8 展示風景 映画「クレオパトラ」で実際に着用した衣装も飾られています


Room9 展示風景 本展チラシ掲載の「ソートワール」(プラチナ、サファイア、ダイヤモンド  1969年)

まさに「至宝」と呼ぶにふさわしいコレクションの数々。
会期は9月8日(火)~11月29日(日)です。
この秋、表慶館でブルガリの美をご堪能ください!

 

カテゴリ:2015年度の特別展

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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2015年09月10日 (木)

 

「クレオパトラとエジプトの王妃展」が20万人を突破!

大好評で連日たくさんのお客様においでいただいている「クレオパトラとエジプトの王妃展」ですが、9月9日(水)に20万人目のお客様をお迎えしました。
ご来場いただいた皆様に、心より御礼申し上げます。

さて、記念すべき20万人目のお客様は、横浜の堀内美里さんとお母様の真理子さん。
比較的空いていそうな雨の日を狙ってお越しいただいたそう。

美里さんには、東京国立博物館学芸企画部長 井上洋一より、記念品として特別展図録、展覧会オリジナルTシャツ、そしてマンガ『王家の紋章』とコラボした展覧会のミニガイドブックを贈呈しました。


「クレオパトラとエジプトの王妃展」20万人セレモニー
左から
堀内真理子さん、美里さん、井上洋一学芸企画部長
9月9日(水)東京国立博物館 平成館ラウンジにて

堀内さん親子は、今日は国立科学博物館の「生命大躍進」展から当館の「ブルガリ」展と2つの展覧会を回ってのご来館!
大学で国際関係の勉強をしている美里さんは、「エジプトといえば、まずピラミッドやナイル川が生んだ肥沃な大地など、ステレオタイプなイメージだが、展覧会を通して知識を広げられれば」と語ってくださいました。
また、この夏に中国を訪れたばかりで中国史にも特に興味があり、10月27日(火)から始まる特別展「始皇帝と大兵馬俑」にも是非来てみたいとのこと。
兵馬俑展以外にも、トーハクではこのあとも続々と注目の展覧会やイベントが目白押し。
館内には「あ、こんなこともやるんだ!」という情報がたくさんありますので、チラシや看板、ポスターのチェックもお忘れなく。

さて。あっという間に9月も第2週。
シルバーウィークのご予定はお決まりでしょうか?
今週から表慶館では、「アート オブ ブルガリ  130年にわたるイタリアの美の至宝」も開幕しました(観覧には別料金が必要)。
同展ではエリザベス・テイラーが映画「クレオパトラ」で使用した衣装も展示されており、クレオパトラに関するコラボレーションが期せずして実現しています。
1度の来訪で2つの展覧会と出会える、1粒で2度おいしいトーハクへどうぞお越しください。

皆様のご来館を心よりお待ちしております。

 

カテゴリ:news2015年度の特別展

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posted by 田村淳朗(広報室) at 2015年09月09日 (水)

 

「クレオパトラとエジプトの王妃展」天下分け目のアクティウム

「クレオパトラとエジプトの王妃展」のヒロイン、クレオパトラ。
彼女の人生を語るときに必ず登場するのが、アクティウムの海戦です。
今回の1089ブログは、特別編として、ギリシア・ローマ考古学が専門の青柳文化庁長官が、アクティウムの海戦を語ります。


紀元前31年9月2日、ギリシアのイオニア海側にある小さな町、アクティウムの沖でくり広げられた海戦は、ローマの命運を決した戦いでした。
カエサルが紀元前44年に暗殺されて以降、その名声と財産は二人の男に受け継がれました。
一人はカエサルの甥で弱冠19歳のオクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)。
もう一人はカエサルと戦場をともにし、輝かしい戦功を挙げた将軍マルクス・アントニウス。
二人はカエサルの暗殺者たちを成敗するまでは互いに協力しあったばかりか、オクタウィアヌスの姉の小オクタヴィアがアントニウスと結婚し、強い絆で結ばれます。
しかし、東方世界を統治するためにエジプトに赴いたアントニウスはクレオパトラ(7世)とともに暮らすようになり、その地からローマ世界全体の支配を目論むようになります。
オクタウィアヌスと覇権をかけた戦いが不可避となった紀元前32年、両者はギリシアに進軍し総力戦の時期を互いにうかがっていました。

決戦の準備を進めていたマルクス・アントニウスは、アテネに滞在中、パルテノンの東側に並ぶ彫像のなかからディオニュソス像だけが崖下の劇場に落ちました。
このことをひどく気にしたアントニウスは、敗戦の予兆であることを懸命に打ち消し、自ら広言していたディオニュソス再来説を否定するほどでした。
カエサルとともに輝かしい武勲をあげた武将も、オクタウィアヌスの影におびえたのか、冷静な判断に欠けていた。
圧倒的な兵力を擁していながらクレオパトラの主張によって海上での戦いを選択したアントニウスは、アクティウム沖の海戦で決着をつける決心をし、陸上と海上の兵力すべてをアクティウム周辺に集結させました。
一方のオクタウィアヌス軍は歴戦の将軍であるアグリッパが指揮をとり、アントニウスとクレオパトラの艦隊を封じ込めるような戦陣をとります。



9月2日朝から小さな海上戦がいくつか繰り広げられましたが、互いに譲ることなく膠着状態になっていました。
この時、クレオパトラは自らの艦隊を率いて突如戦線を離脱するという行為にでます。
浮き足立ったエジプト軍は戦陣をたてなおすこともできず、ついにアントニウスも戦陣を離れ、クレオパトラの後を追うことにしました。
この結果、雌雄を決した海戦はオクタウィアヌスの勝利に終わったのです。


アクティウムの海戦のレリーフ
ローマ時代 ユリウス・クラウディウス朝(前27~後68年)
カルドナ公爵コレクション


 
(左)オクタウィアヌスが乗る船/(右)アントニウスが乗る船


海戦で敗退し、アレクサンドリアでの篭城戦に場所を移したものの結末は明らかでした。
翌年、武将にふさわしくアントニウスは自らの命を絶ちました。
アントニウスの死後、オクタウィアヌスに捕らえられたクレオパトラも、毒蛇に身を噛ませ、女王としての威厳をたもちながら亡くなります。
ほぼ1世紀にもおよぶ内乱が終結し、地中海域で唯一のこされていたエジプトは、オクタウィアヌスによって併合が完了しました。

本展覧会の最後の部屋に展示されている浮彫りは、このアクティウムの海戦を表すとされています。
100年もの長い内戦の末の決戦、アクティウムの海戦の様子を見ながら、エジプトを守るために身を犠牲にして活躍したクレオパトラにぜひ思いを寄せていただきたいと思います。

カテゴリ:2015年度の特別展

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posted by 青柳正規(文化庁長官) at 2015年09月09日 (水)

 

「クレオパトラとエジプトの王妃展」研究員のおすすめ作品(3)

「クレオパトラとエジプトの王妃展」で開催したキッズデーでは、何人かの子どもたちから古代エジプトのレリーフについての質問がありました。
レリーフとは、浮彫りとも呼ばれる平面を彫り込んで図像や装飾を表わしたものです。

今回の特別展では、数多くのレリーフが出品されていますが、「アメンヘテプ3世の王妃ティイのレリーフ」(No.140)はその代表。
これらのレリーフは本来、王宮や神殿などの壁を飾り、彩り与えていました。
古代エジプトのレリーフは、いずれも目が魅力的。
王妃ティイの瞳もまるでこちらを見つめているようです。


アメンヘテプ3世の王妃ティイのレリーフ
テーベ西岸、ウセルハト墓(TT47)出土
新王国・第18王朝時代 アメンヘテプ3世治世(前1388~前1350年頃)
ブリュッセル、王立美術歴史博物館蔵
(C)RMAH



さて、子どもたちからの質問はというと「どうしてレリーフのなかの人物はみんな横向きなの?」というものでした。
子どもたちの素直な発見にうれしくなり、一緒にレリーフのなかの登場人物のまねてみますが、うまくできません。
そこで初めて、子どもたちに古代エジプトのレリーフの表現方法のルールを説明しました。
古代エジプトのレリーフに表わされた人物は、顔や腕や足は横向き、目や肩は正面から表現されています。つまり、視点が一定ではなく、表現された人物の特徴が最もよく表された部分を組み合わせて描かれているのです。
さらに頭、胴、足の大きさの比にも規則があることで、レリーフのなかにたくさんの人物が登場しても整然とした印象を与えるのです。
さまざまな場面や物語をレリーフに表わすために、このような方法が古代エジプト美術では発展しました。

たくさんの人物が登場するレリーフの例として「王の養育係の長メリラーと王子のレリーフ」(No.68)を見てみましょう。


 
王の養育係の長メリラーと王子のレリーフ
(写真下左:レリーフ上段/写真下右:レリーフ下段)
サッカラ出土
新王国・第18王朝時代 アメンヘテプ3世治世(前1388~前1350年頃)
ウィーン美術史美術館蔵
Kunsthistorisches Museum Vienna


上下に2段に、ふたつの場面を表すレリーフ。
上段ではメリラーが妻と神に捧げものをする場面、下段には王子を育む場面が表現されています。


本展で皆さんを最初にお迎えするレリーフが「ラメセス2世のレリーフ」(No.9)です。

ラメセス2世のレリーフ
新王国・第19王朝時代 ラメセス2世治世(前1279~前1213年頃)
滋賀・MIHO MUSEUM蔵


地にはレリーフの表面を整えた際のノミ痕がうっすらと残る一方で、弓をひくラメセス(ラムセス)2世の姿が丁寧に彫られています。
ラメセス2世は王権を守護するウアジェト女神を象徴するコブラのついた青冠を被り、頭上には聖蛇ウラエウスがついた日輪が表現されています。
この日輪と青冠には当時の赤と青の彩色が残されています。

ラメセス2世は、ラメセス大王とも呼ばれる古代エジプトを代表するファラオです。
世界史の教科書では、ヒクソスとのカデシュの戦いの後、世界最古の国際条約である講和条約を結んだ王として登場することから、みなさんもご存知かと思います。
60年を超える長い治世の間に多くの神殿や記念物そして彫像を作った王としても著名です。
なかでも、よく知られるのがアブ・シンベル大神殿です。
そして愛する王妃ネフェルトイリのためにアブ・シンベル小神殿もつくりました。

本展では、古代エジプトのレリーフが数多く出品されています。
子どもたちの発見を参考に、ご覧になってみてください。

カテゴリ:研究員のイチオシ2015年度の特別展

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posted by 品川欣也(特別展室主任研究員) at 2015年09月04日 (金)