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1089ブログ

宝相華は謎の花

宝相華をご覧になったことはありますか。「ほうそうげ」あるいは「ほっそうげ」と読みます。読んで字の如く、宝物のような美しい花です。咲いているのはお寺とかですね。お花で有名なお寺もたくさんあります。桜とか、牡丹とか、紫陽花(あじさい)とか。今の時期は蓮がきれいですね。当館に近い不忍池辯天堂(しのばずのいけべんてんどう)も、蓮が美しく咲いていて、あたかも浄土のように思えます。

でも、この宝相華という花は、お庭や池ではなく、お堂の中に咲いています。そして今では、お寺の宝物館や、各地の博物館、美術館に咲いています。季節を問わず、枯れることなく。お堂の中や仏像を飾り、またかつてお堂や仏像を飾っていたものが、今では文化財となって、保管され、鑑賞されているのです。この花は、建造物の装飾や仏像を飾る光背(こうはい)・台座、仏具などに咲いています。仏を飾るために創造された、植物としては実在しない空想の花なのです。
 
それではどんな花かというと、実は決まったかたちがあるわけではありません。ちなみに現在開催中の特集「仏教の花―蓮と宝相華―」(本館4室、8月30日(日)まで)で展示している作品をいくつか並べてみると、こんな感じです。
 
鎌倉時代(13世紀)の金銅尾長鳥文華鬘(こんどうおながとりもんけまん)(図1)では、斜め上から見た8弁の大きな花が目を引きます(図2)。
中心部にも花弁のようなものがもこもこと重なり、八重(やえ)咲きの花を思わせます。
 
(図1)金銅尾長鳥文華鬘(こんどうおながどりもんけまん)
鎌倉時代・13世紀
 
(図2) 金銅尾長鳥文華鬘 斜め上から見た宝相華部分
 
横から見ると、縦に花を2つ重ねたようです(図3)。葉っぱも花弁のようです(図4)。
 
(図3) 金銅尾長鳥文華鬘 側面から見た宝相華部分
 
(図4) 金銅尾長鳥文華鬘 宝相華の葉部分
 
平安時代後期(12世紀)の金銅灌仏盤(こんどうかんぶつばん)(図5)では斜め上から見た6弁の大きな花が線刻で表されています(図6)。
中心にはやはり小さな花弁のようなものが見え、雄蘂(おしべ)のような円いものも表されています。
 
(図5) 重要文化財 金銅灌仏盤(こんどうかんぶつばん)
平安時代・12世紀
 
(図6) 重要文化財 金銅灌仏盤 斜め上から見た宝相華部分
 
それより1世紀ほど前の長元3年(1031)に製作された金銅宝相華唐草文経箱(こんどうほうそうげからくさもんきょうばこ)(ただし模造。原品:滋賀・延暦寺)(図7)を見ると、斜め上から見た均整の取れた6弁の花が線刻で表されており、中心部には蘂(しべ)や小さな花弁のようなものが表されているのがわかります(図8・9)。
 
(図7) 金銅宝相華唐草文経箱(模造)(こんどうほうそうげからくさもんきょうばこ もぞう)
山脇洋二模 昭和13年(1938)頃 原品:平安時代・長元3年(1031) 滋賀・延暦寺所蔵(叡山横川如法堂埋納)
 
(図8) 金銅宝相華唐草文経箱(模造) 蓋表 斜め上から見た宝相華部分(上下を反転) 
 
(図9) 金銅宝相華唐草文経箱(模造) 蓋表 斜め上から見た宝相華部分
 
側面から見た花は、やはり縦に花を重ねたようですが、基本的には斜め上から見た花と同じ作りで、下の中央の花弁を上にめくると、萼(がく)が現れてこのような花になるようです(図10)。葉っぱは花弁のように豊かなふくらみがあり、小さな葉を根元の左右につけ、中央から大きな葉が伸びています(図11)。花弁も葉も豊かな造形で、ともに中心部に杏仁形(きょうにんがた)の芯のようなものがあるので、一見同じように見えます。
 
(図10)金銅宝相華唐草文経箱(模造)  蓋表 側面から見た宝相華部分(上下を反転) 
 
(図11)金銅宝相華唐草文経箱(模造)  蓋表  宝相華の葉部分
 
整理すると、花は基本的には6弁(~8弁)の花だと考えられます。花弁は大振りで、それなりの大きな花だと思われます。葉が花弁と似ているのは、統一感を持たせようという意匠的な工夫かと思われますが、やはり豊かな量感を出したかったからではないかと推測されます。この中では金銅宝相華唐草文経箱(模造)が最も均整が取れていますので初発性があり、時代の下がる金銅尾長鳥文華鬘ではかたちが崩れ、側面花は斜め上から見た花の花弁をめくったようなかたちではなく、違う花のようになっています。
 
さて、実在する花に似たものを探してみると、牡丹や芙蓉、蓮、椿などが挙げられます。いずれも大振りで花弁が大きく、量感があるのが特徴で、これらを組み合わせて宝相華は創出されたと思われます。特に「百花の王」とも称される牡丹は、宝相華の成立に深く関わっていると考えられ、中国・盛唐期の牡丹の流行が、これを主たるモチーフとした花文様(はなもんよう)の成立を促したといえるでしょう。
 
中国・盛唐期の製作と思われる正倉院宝物の螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)(北倉29)の背面に表された唐花(からはな)文様(図12・写真は模造)や、唐・開元24年(736)銘の大智禅師碑(だいちぜんじひ)(原碑:中国・西安碑林博物館)の碑側(ひそく)に表された唐花文様(図13)には、牡丹を彷彿させる豊麗な花を見ることができ、こうした唐花文様が仏教美術に採り入れられ、宝相華が育まれていったと推測されます。
 
(図12) 模造 螺鈿紫檀五絃琵琶(もぞう らでんしたんのごげんびわ)(部分)
明治時代・19世紀 原品:奈良時代・8世紀 正倉院宝物(北倉29)
(注)本特集では展示していません
 
(図13)大智禅師碑(だいちぜんじひ)(部分)
史惟則筆 中国 唐時代・開元24年(736)
(注)本特集では展示していません
 
唐は世界帝国として君臨し、シルク・ロードを通じて東西交易を盛んに行い、ササン朝ペルシアや東ローマ帝国から様々な文物がもたらされました。その中に植物をモチーフにした生き生きとした文様があり、そうした新たなモチーフとの接触が盛唐の華やかな気分と合致し、豊麗な唐花文様が生み出されたと考えられます。そして中国伝統の雲気(うんき)の表現が、西方から伝わったパルメット唐草や葡萄唐草と融合して唐花唐草文様あるいは宝相華唐草文様となり、広がっていったと考えられるのです。
 
空想された花ですが、空想された花ゆえか、近代以降の美術史や建築学、考古学の研究では、その不思議な魅力に取り憑かれ、宝相華の名前が定着し、盛んに研究されました。もちろん中国の文献にも宝相華は登場しますが、現れるのは宋代以降で、唐代に何と呼ばれていたかは定かではありません。そして、文献に載る宝相華と現在我々が呼んでいる宝相華が一致するかも覚束なく、結局のところ宝相華が何者かというのはよくわからないのです。ちなみに、日本での初出は本草書の『大和本草(やまとほんぞう)』(貝原益軒著、1708年)「諸品図」との説がありますが、ここでは実在の植物「宝相花」として花の図のみが表されているに過ぎません。また、同書の巻十二「仏桑花(ぶっそうげ)」の項に、よく似た花として『三才図会(さんさいずえ)』(中国・明・王圻撰、1607年)に「宝相花」があると記され、『三才図会』には実際に絵入りで収録されていますが、当然ながら仏教美術に登場する宝相華とは違う花のようであり、『大和本草』に載る植物とも花弁の付き方などが違うようです。
 
『三才図会』によれば、花の色は赤と薄紅があったようですが、宝相華の花の色はどんな色だったのでしょうか。これも答えがないのですが、日本では赤や青、緑や紫で彩られることが多かったと思われます。
木製彩色迦陵頻伽文華鬘(もくせいさいしきかりょうびんがもんけまん)(図14)には、この色で描かれた宝相華が表されています(図15)。「紺丹緑紫(こんたんりょくし)」といって、紺(青)と丹(赤)、緑と紫が奈良時代以来組み合わせのよい色として配色されてきました。恐らく中国・唐の建築装飾などで考えられた配色で、それが日本に伝えられ、継承されていったのでしょう。花弁は中央から縁に向かって濃淡が色相のグラデーションで表された暈繝彩色(うんげんざいしき)という技法で彩られています。
これも中国・唐から奈良時代に伝えられた技法で、宝相華のかたちと同様に細部に変化はありましたが、基本的には時代を超えて継承されてきたのです。花の色はひとまず落ち着きましたが、こんな花は当然存在しないので、やはり謎の花ではあります。
 
(図14)重要文化財 木製彩色迦陵頻伽文華鬘(もくせいさいしきかりょうびんがもんけまん)
和歌山・丹生都比売神社伝来 室町時代・16世紀
 
(図15)重要文化財 木製彩色迦陵頻伽文華鬘 宝相華部分
 
美しく魅力ある名前と豊麗な形姿によって宝相華は親しまれてきましたが、その実態は謎が多いのですね。時代や地域によってもかたちは変わっていきますし、ルーツも語源も定かでなく、見る人によって違う姿を見せるかのようです。決まったかたちがないので、工人によっては工夫して美しく整え、あるいはかたちの意味が理解できず崩れてしまうのですね。そんなところもこの花の魅力かもしれません。
本特集は、本館4室にて8月30日(日)まで開催しています。ぜひ、博物館に咲く宝相華を見に足をお運びください。
 
 
(図16)本館4室の展示風景
 
余談ですが、奈良国立博物館のミュージアムショップで販売しているオリジナル日本酒はその名も「宝相華」。仏教美術専門館らしいネーミングです。名称の公募があり、当時解説ボランティアをされていたKさんと私が提案してこの名前になり、2人で副館長室に呼ばれて、記念に1本ずついただきました。Kさんは、奈良の伝統校・奈良高校のご出身とかで、校章から着想したとうかがいました。梅に桜に菊、牡丹と、花の名前は日本酒に多く使われますが、いかにも奈良のお酒にふさわしい名前だと思いませんか。
(注)東京国立博物館では販売していません。
 
▼本特集関連ブログは以下よりご覧いただけます。

 

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posted by 清水健(東博コレクション展チーム主任研究員) at 2026年08月21日 (金)

 

博物館で蓮を観る

絵画史の勉強をしていた大学院生の頃、「どこにどんな研究のヒントやきっかけが落ちているかわからない」と思い、いろいろな展覧会を見て歩き、行ったからには一通りの展示品を見ることにしていました。
お経の本文はさすがに読みませんが(『大正新修大蔵経(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう)』に活字化されているので)、奥書を読んでみたり、くずし字の古文書を読んでみたり、展覧会で随分と勉強しました。
当時工芸品には然程(さほど)興味がなかったのですが、ある時密教法具の金剛鈴(こんごうれい)を眺めていて、把(つか)と呼ばれる持ち手の部分に蓮の装飾が施されていることに気付きました。
「意外と細かいところまで凝った細工がしてあるのだな」と思い、それからは大して時間をかけて見ていなかった工芸品も隅々まで見るようにしました。

その甲斐あってか(?)、工芸品の担当で奈良国立博物館に採用され、東京国立博物館でも金工品を中心に展示や調査研究、教育普及を行っています。
 
そんなことがきっかけだったので、賢明な皆様は既にお気付きなのだと思いますが、「どこを見たらいいのかわからない」「そもそも何だかわからない」という方にも仏教工芸の魅力を知っていただきたく、今回、特集「仏教の花―蓮と宝相華(ほうそうげ)―」(本館4室、8月30日(日)まで)という展示を企画しました(図1)。
 
(図1)「特集 仏教の花―蓮と宝相華―」の展示風景
 
仏教が生まれたインド以来、時空を超えて仏教美術とともに歩みを進めてきた蓮の造形を、日本の工芸品の中に探してみましょう。

まずはこちら、蓮の花を斜め上から見た様子をそのままかたどっています(図2)。
 
(図2)金銅蓮華形磬(こんどうれんげかたけい)
鎌倉時代・13世紀
 
磬(けい)という仏具で、法要の合間に合図のために撥(ばち)で打って鳴らす道具です。
ちょうど真ん中の花托(かたく)の部分(仏教美術では蓮肉といいます)を叩くのでしょうか。通常は磬架(けいか)と呼ばれる架台に掛けられますが、掛け紐を通すための孔(あな)が、飛び出した蓮の蕾(つぼみ)(蓮蕾)のところに開けられています。蓮でまとめたお洒落な意匠です。
 
同じく蓮でまとめたコーディネートはこちら(図3)。
 
(図3)銅蓮華形柄香炉(どうれんげがたえごうろ)
鎌倉時代・13世紀 香取秀治郎氏寄贈
 
柄香炉(えごうろ)という仏具で、法要の際に僧侶(そうりょ)が手に執って焼香するための道具です。
手に持ちやすいように長い柄が付いているのですね。よく見ると香を焼(く)べる火炉は蓮の花(蓮華)、柄は蓮の茎(蓮茎)、火炉の脇には蓮の葉(荷葉)があしらわれています。日本では鎌倉時代以降に見られる形式で、類品から、かつては蓮肉(れんにく)をあしらった蓋が付いていたと考えられます。香は灯火、花とともに仏を供養するのに最上とされましたので、一石二鳥を狙ったのかもしれません。
 
そして私が仏教工芸に興味を持つきっかけとなった金剛鈴がこちら(図4)。
 
(図4)金銅五鈷鈴(こんどうごこれい)
平安時代・12世紀
 
先が五叉(ごまた)に分かれた五鈷鈴(ごこれい)というタイプの鈴で、祈祷の際に振り鳴らして仏を呼び覚まし、歓喜させる役割の道具とされます。
その持ち手には蓮弁飾りと呼ばれる蓮の花弁を紐で束ねたかたちの装飾が施され、よく見ると花弁の先には雌蘂(めしべ)(蓮蘂)が表されています(図5)。
 
(図5)金銅五鈷鈴の部分図
 
仏を花で供養するために、仏教と深く関わる蓮が採り入れられたのでしょう。仏教美術では「荘厳(しょうごん)」ということばが使われますが、隅々まで飾り立てることで仏を敬い、供養するのです。
 
金剛鈴の持ち手を挟んで鈴とは反対側、鋭く尖った鈷と呼ばれる部位を両端に備えたのが金剛杵(こんごうしょ)です。
人間の煩悩(ぼんのう)を打ち砕き、邪悪な存在を阻む役割の道具で、古代インドの武器を原形にしています。どうりで厳(いか)めしいかたちをしています。こちらも金剛鈴と同じように、中央の持ち手のところに蓮弁が飾られています(図6・7)。
 
(図6)金銅五鈷杵(こんどうごこしょ)
平安時代・12世紀
 
(図7)金銅五鈷杵の部分図
 
密教の法具では、ほかにも羯磨(かつま)や輪宝(りんぽう)、六器(ろっき)など多くの品に蓮の意匠が採り入れられています。
六器は器の側面に蓮弁が見えますが(図8)、台も上から見た八弁(八葉)の蓮華形なのですね(図9)。
 
(図8)金銅六器(こんどうろっき)
鎌倉時代・13世紀
 
(図9)金銅六器の台
 
器の底裏に付く高台(こうだい)を受ける立ち上がりには蓮蘂(れんずい)を表す刻みが施されていて、細部まで凝っています。本物に似せようという職人の心意気、あるいは仏のために、人の目が届きにくいところをも飾り立てようとする「荘厳」の意識が発露しているのでしょう。
 
羯磨(図10)や輪宝(図11)は、会場に拡大写真を置いたりしていますので、是非ご自身で探してみて下さい。
ヒントは、真ん中、それから両方とも金剛杵と共通するかたちの部分があるということです。
 
(図10)金銅羯磨(こんどうかつま)
鎌倉時代・13世紀
 
(図11)金銅輪宝(こんどうりんぽう)
鎌倉時代・13世紀
 
会場には、金色や黒っぽいもののほかにも、赤い紅蓮華(ぐれんげ)をかたどった品もあります。
華籠(けこ)という、法要の際に場を清めるために撒(ま)く花(大抵は紙製の蓮弁)を入れる浅い容器です(図12)。
 
(図12)紙胎漆塗彩絵華籠(したいうるしぬりさいえけこ)
鎌倉時代・13世紀
 
こちらは八弁(八葉)の蓮華を表しており、蓮肉や蓮蘂も、実物のように表されています。
しかしながらよく見ると、花弁の間に金剛杵の一種である三鈷杵(さんこしょ)がのぞいているのがわかります。ただごとではない感じですね。
これは、密教の説く世界を絵に表した両界曼荼羅(りょうかいまんだら)のうち、胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅の中心にある中台八葉院(ちゅうだいはちよういん)(図13)を模したものであると考えられます。蓮弁の上に密教の中心的な八尊の仏を表した胎蔵界曼荼羅の中心部ですが、そのかたちを借りたのですね。
ほかにもまだ気付いていない、こうした秘密が隠されているかもしれません。
 
(図13)両界曼荼羅(りょうかいまんだら)のうち胎蔵界・中台八葉院(たいぞうかい ちゅうだいはちよういん)
鎌倉時代・14世紀
(注)現在は展示していません。
 
広い館内、時間も限られていますが、少し立ち止まって、目を凝らして見てみると、何か新しい気づきや発見があるかもしれません。
本特集は小さな展示ですが、国宝5件、重要文化財7件と選りすぐった構成ですので、お盆も近いことですし、涼みがてらご観覧いただければ幸いです。
 
ところで、この展示では蓮と仏教の繋がりをテーマにしていますが、何と蓮の意味はそれだけではないのですね。東洋館4階8室「中国の絵画」では「蓮―文人のこころ」という展示を行っています(7月26日(日)まで)。蓮は仏教を象徴する花であるだけではなく、東アジアでは清廉な君子(くんし)(理想の人物)の象徴でもあるのですね。
 
展示室で蓮の様々な側面にふれた後は、是非庭園の池の蓮(図14)も眺めてみて下さい。
 
(図14)本館北側庭園の池の蓮
 
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posted by 清水健(東博コレクション展チーム主任研究員) at 2026年07月14日 (火)

 

特集「古裂鑑賞のいろは―加賀藩前田家伝来 名物裂の世界―」のいろは

安土桃山時代に千利休が大成した「茶の湯」の文化の中で、特に貴重とされ、重んじられた茶道具を「名物」と呼びます。その後、江戸時代に入り、著名な寺院や位の高い僧侶、茶人などにゆかりを持つとされる裂(きれ)について、その由来にあわせた特別な名前をつけ、珍重する「名物裂(めいぶつぎれ)」の価値観が形成されました。

2026年6月7日(日)まで開催していた前田育徳会創立百周年記念 特別展「百万石!加賀前田家」では、さまざまな前田家の名宝を展示していました。その中に名物裂の展示コーナーがあった通り、前田家は言い尽くせないほど、多様な古裂を収集していたのです。
「名物裂(めいぶつぎれ)」という言葉、お茶を嗜まれている方、また東博に何度かお越しくださっている方は聞いたことがあるかもしれません。ただ、単語は知っていても、ニッチな世界すぎて、なかなか裂の面白さまでたどり着けない…!という方も多いのではないかと思っています。今回の特別展にあわせ、東京国立博物館所蔵の前田家伝来名物裂をピックアップし、古裂の味わい方をお伝えしたい!というのが、特集「古裂鑑賞のいろは―加賀藩前田家伝来 名物裂の世界―」(会期:7月12日(日)まで)です。

展示室の様子

今回の広報ビジュアルを務める「飛魚袍反物 紅雲文様緞子地縫取織(ひぎょほうたんもの べにくももんようどんすじぬいとりおり)」は、なんと1500.5cmもある大変長い反物です。どこかで断ち切られた痕もない、織り上げられたままの形で遺されている作品です。本特集を準備するにあたり、この作品をしっかり調査しました。
まず、この龍に見えるモチーフですが、四本の爪をもっています。ただ、後ろ足付近には魚の鰭(ひれ)のようなものがついています。


飛魚袍反物 紅雲文様緞子地縫取織(部分) 中国 前田家伝来 明時代・16世紀
赤丸の部分に鰭(ひれ)がみえます

 
この特徴から、これは龍ではなく「飛魚(ひぎょ)」と呼ばれる、別の空想上の生き物であることがわかります。中国・明時代の中では、このような龍に似ているけれども、龍ではないモチーフが用いられていました。この飛魚が表された衣装は、明時代の皇帝から臣下に下される、特別なものであったといわれています。
そして、この作品のさらに興味深い点が「袍(ほう)」と呼ばれる、ワンピースのような上着に仕立てられるということです。当方が東博に着任してから、そのように聞いていたものの、しっかりと検証したことはありませんでした。ということで、この機会にちゃんと一領の袍になるのか!?を、同時代の袍の形を調べつつ、ペーパークラフトを手作りして確認しました。
この作品を細かくみていくと、下の画像のように(1)飛魚が左右どちらかに走っているパーツが10個、

(2)すべてあわせると四葉形ができあがるパーツが3個

(3)山岳や波から、上空の雲に向かって立ち昇るような飛魚が表されたパーツが2個あることがわかりました。


これらを組み合わせると、各パーツをぴったり使い切って、一領の袍ができあがりそうなことがわかりました!袍はきもののように前で身頃を重ねて着用するため、下側に重なる部分も考慮して、反物が作られているようです。(3)の立ち昇る飛魚は、おそらく両肩にあてるのでしょう。また、左身頃については、背中から前まで、きれいに一枚つなげて仕立てることができそうです。夜な夜な工作していたのですが、これが明らかになった時はおお!と奮い立ちました。

検証のために作ったペーパークラフト(折り上げている部分が上前にあたります)
 
裂がひとつの衣装に仕立てられるということがわかると、ちょっとだけ、おもしろく感じませんか?会場では、完成イメージ図もお見せしながら、作品を長――――く展示しています。それでも展示ケースの中で1500.5cm、出し切ることはできませんでした。これを織るのに、どれだけの時間がかかったのだろうかと考えてしまいます。
加えて、作品に刷られていた人名や役職から、この反物の製作年代が推測できることも解説しています。配布しているリーフレットにも記載していますので、ご興味のある方は、お手に取っていただけますと幸いです。
(リーフレットには仕立てた際のイメージ図も掲載しています)
 
「古裂鑑賞のいろは」のいろは、今回のブログでは飛魚袍反物だけでいっぱいになってしまいましたが、もちろん、ほかにも前田家伝来のすばらしい名物裂を、注目してほしいポイントとともに展示しております!さまざま裂たちが、皆さまをお待ちしております。

 

リーフレット

古裂鑑賞のいろは―加賀藩前田家伝来 名物裂の世界―

編集:東京国立博物館

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カテゴリ:特集・特別公開工芸

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posted by 沼沢ゆかり(文化財活用センター研究員) at 2026年06月11日 (木)

 

石板で肉を焼き、ガラス玉を想う 特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」その3


まずは台湾南部の屏東県にある屋外博物館「臺灣原住民族文化園區」を訪問したとき、お知り合いになった猫君をご覧ください。
とくに意味があるわけではないですが、猫画像を見ると幸せな何かが分泌されるそうです(あと閲覧率が上がるかもしれない)。
癒しを得てから話を進めましょう。
 
この「臺灣原住民族文化園區」の大きな特徴として、原住民族の伝統家屋が再現展示されている点が挙げられます。
現在、台湾で公認されている16の原住民族は、その使用する道具や衣服、生活様式が明確に異なり、隣接する地域に居住している民族でもくっきりと区別することができます。
たとえばプユマ族、パイワン族、ルカイ族はいずれも台湾南部に居住しますが、プユマ族は竹に茅葺き屋根の家屋に住み、一方でパイワン族・ルカイ族は石板を積み重ねた家屋が特徴です。
プユマ族一般家屋(再現)と猫君(臺灣原住民族文化園區)

阿禮社(ルカイ族)頭目家屋(臺灣原住民族文化園區)
 
掲出の画像は一般家屋と頭目家屋なので公平な比較ではありませんが、これだけでも生活そのものに対する考え方が根本的に異なることがわかるかと思います。
三地門(パイワン族集落)の街並。左側の住居の塀や門に白黒の幾何学的模様の蛇があしらわれている
 
現在のパイワン族集落は石積み家屋ではありませんが、壁の装飾画や道路の文様など、そこかしこにパイワン族が祖霊とする百歩蛇の図像が見られます。
パイワン族、ルカイ族はよく似た文化を持ち、同じく家屋に用いる平たい石板を利用して烤肉(焼き肉)を食べます。画像は石板烤肉と伊那比拉(イナピラ 芋と猪肉の腸詰)、ニンニク。
 

 

左はカットした伊那比拉で、右は吉拿富(チナブ)と阿拜(アッバイ)。どちらも猪肉と粟を月桃の葉に包んで蒸したもので、阿拜は搗(つ)いてモチ状になっており、お祭りの際に食べるそうです。ほんのり甘く、口いっぱいにほおばると香気が鼻に抜けて美味しい。
上はカットした伊那比拉で、下は吉拿富(チナブ)と阿拜(アッバイ)。どちらも猪肉と粟を月桃の葉に包んで蒸したもので、阿拜は搗(つ)いてモチ状になっており、お祭りの際に食べるそうです。ほんのり甘く、口いっぱいにほおばると香気が鼻に抜けて美味しい。

 

ガラス首飾 パイワン族 台湾南部 19世紀後半~20世紀初頭 藤江志津氏寄贈 東京国立博物館蔵

トンボ玉部分拡大

 

さて、こちらは特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」―台湾の原住民族の資料―で展示中のパイワン族の首飾。橙色のガラス玉を二重に連ね、間に白や青、緑の管玉を挟んで、中央に模様のある玉(日本で言うトンボ玉)を配しています。

ガラスはもともと、天与の霊力をそなえた宝石を人工的に生み出すことのできる奇跡の素材です。自由に魔術的なシンボルを表すことのできるガラス製装身具は、色彩と輝きに満ちた理想郷と現実世界をつなぐものであり、身に着けることで強い霊力を引き寄せる護身的な役割を担っていました。パイワン族にとって、ガラス玉は結婚式において欠かせない贈り物であり、祝い事や祭礼に参加する際の必須の装飾品でもあります。
玉の色や模様には象徴性があり、たとえば白地に黄と赤で波を描く玉(本作では中央の玉から2個となりの一対)は「日光の玉」と呼ばれ、高い身分を示すものとして最も貴重視されました。緑地に目玉を描く「眼睛の玉」(本作では左右の端の一対)は災いを防ぎ、持ち主を守る意味を持ちます。富を示す橙玉を多く使用していることからも、高貴な人物が身に着けるべき組み合わせです。
 
こうした台湾のトンボ玉について、日本で早い時期から関心を示し、精力的に蒐集・分類をはじめた人物がいます。
加賀百万石の主から侯爵へと転身した、加賀前田家の16代当主・前田利為(としなり)(1885~1942)です。
利為は「蒐集」と「整理」をこよなく愛していたようで、前田家伝来の文化財にさらに光彩を加えています。
トンボ玉蒐集もその一つで、大正15年(1926)の台湾旅行中、台湾総督府の宮原敦・服部武彦からトンボ玉についての講話を聞いたことがきっかけだったようです。
その後、利為は死没する直前まで世界各地のトンボ玉の蒐集・整理を続けました。
利為のトンボ玉標本は一点ずつ糸を通して区画された箱に収め、産地などの情報とともに保存するもので、工芸資料集としての体裁が整っています。先に見た「ガラス首飾」と同じ玉もある一方、当館所蔵品にはない多彩な玉も収められており、蒐集時期も含めて重要な情報を提供しています。
同じく前田家の重宝、重要文化財「百工比照」をご覧になった方ならピンとくるかもしれませんが、江戸時代の工芸資料集である「百工比照」の几帳面な整理方法と通じるものを感じます。
 
利為の蒐集した「トンボ玉」は、本特集と同じ平成館で開催中の特別展「百万石!加賀前田家」で展示中です。
特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」―台湾の原住民族の資料―をご覧になった際は、こちらにもぜひお立ち寄り下さい。 
 
パンフレット
特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」
―台湾の原住民族の資料―


編集:東京国立博物館

パンフレットでは、本展にかかる調査研究について解説しています。
フォルモサの世界を知る機会となれば幸いです。
本特集ページよりPDFをダウンロードしていただけます。

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本特集の担当研究員によるリレーブログ

 

カテゴリ:特集・特別公開工芸調査・研究

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posted by 福島修(貸与特別観覧室長) at 2026年05月15日 (金)

 

タイヤル族の織物探訪 特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」その2

「フォルモサ Formosa」という言葉を耳にしたことがある方もいらっしゃるかもしれません。美しき島、麗しの島、という意味の台湾島の美称で、大交易時代のポルトガル人が形容したのがはじまりといわれています。台湾には、現在に至るまで多様な民族が暮らしています。そのなかでも、古くから住んでいたオーストロネシア系語族の人々は、現在では社会運動を通してみずからを「原住民族」と総称しています。(日本語では「先住民族」ということもありますが、字義がやや異なりますので、本特集では台湾での表記に倣っています。)

特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」―台湾の原住民族の資料―に関するリレーブログその1でお伝えしたように、台湾原住民族の資料をご紹介するべく、当館では少しずつ準備をしてきました。2023年と翌24年に台湾を訪れる機会を得た我々は、ざっくりとまとめた当館資料の情報を片手に、各地をめぐりました。どうしても広く浅くの調査となることは承知の上で、実際に資料が使われていた土地を訪れて風土や生活を知ること、いまを生きる原住民族の方々のお話を聞くことを念頭に出発しました。現地の皆様には深い寛容とご協力をいただき、無事に第一歩の調査としては充実したものとなり、ありがたい限りです。
当然、この旅については書ききれないほどですが、今回のブログでは、当館でこれまであまり展示する機会のなかった、タイヤル族の織物と調査の旅について記したいと思います。

遡って2021年、館内で日々の資料整理をしていたある日、中が刳(く)り抜かれた不思議な丸太のようなものを見つけました。これをよくよく調べてみると、タイヤル族の女性たちが衣服を織り出すときに用いる、織機(織器)の一部だということがわかりました(現地ではクォングー〈qo-ngu、織布箱〉といいます)。ぎっしりと密に織っているのに柔らかい、タイヤル族の苧麻(ちょま:カラムシともよばれる麻の一種)の衣服をこれでどうやって織っているのか、とても気になっていました。

織器(TK-3594)19世紀後半~20世紀初頭 台湾、新北市烏来区
 
そこで最初の調査では、台湾北部にある烏来(ウライ)という集落に向かいました。台北から1時間ほどの烏来は、山地ながら有名な観光地で、行楽のため人出の多い場所です。雨のなかでキラキラ光る、温泉の看板の誘惑に惹かれながら、まずは烏来泰雅(タイヤル)民族博物館へ。

烏来市街。あいにくの大雨。
 
博物館では、×と○を交互に表した文様の織物が、烏来の集落を表わすものとして象徴的に紹介されていました。実は同じ文様の肩掛を東博で所蔵しており、思いがけないつながりに嬉しくなりました。(いま考えれば、もとの収集地が近いので当然なのですが!)
タイヤル族の衣服は、日本の着物や洋服とは構造がかなり異なり、各部分を別に展示すると分かりにくいので、本展では思い切ってマネキンに着せつけています。悩みどころだったのはその着こなし。現代の写真では肩掛を袈裟懸けにすることが多いようなのですが、昔の写真を見ると本当にさまざま。本展会場では、古写真の一つに倣って、試みに首に懸けて前に展示しています。どちらもカッコいいのですが、いかがでしょう。
 

 
左:袈裟懸けスタイル、右:前懸けスタイル この胸掛や方衣は男性の衣服で、肩掛には細かい×○紋がある。
胸掛(TK-585)、方衣(TK-583)、袖套(TK-586)、肩掛(TK-582)19世紀後半~20世紀初頭 台湾、新北市烏来区

烏来をはじめタイヤル族ではこの数十年来、日本統治時代より高機の奨励や現代化の波により下火になっていた、伝統的な織物技術の復興運動が進んでいるそうです。いくつかの工房を訪れると、それぞれに古い織物に学んで図案を起こし、織物を織り出しており、これまで積み重ねてきた取り組みについて貴重なお話をうかがうことができました。しかし残念ながら、台風による大雨でこれ以上の見学はできず、翌年に再来を期すことになりました。 

 
達卡(タカ)工作坊の高林美鳳(Taka Tana)氏に、基本的な織り方を教わる。足の微妙な伸ばし方で経糸の張力を変えるので、普段使わない筋肉が刺激されて筋肉痛に。

満を持して翌年秋、カラッと晴れた烏来に再来できました。
前回と異なりにぎやかな商店街。マグリ(Mageli、磨格力)というタイヤル族の伝統料理が店頭にありました。説明文によれば、もち米と焼いた猪肉をマーガオ(Makauy、馬告)という香辛料と合わせて蒸したもののようです。この場では食べなかったのが悔しいところ、その後昼食で食べた鶏のスープにも、このマーガオが使われていました。台湾の山麓地帯にのみ自生する植物で、タイヤル族が大切にしてきた香辛料だそうです。レモンのような爽やかな強い香りと、若干の痺れがクセになるおいしさでした。

重要伝統工芸保存者(日本でいう人間国宝)でありタイヤル族の織物を復元しているユマ・ダル(Yuma Taru)氏と、タイヤル文化を研究している鄭光博氏による講義を博物館で拝聴したのち、午後は、さらに南の桃園市の山麓地帯である角板山(かくはんざん)に向かいました。
 
烏来の渓谷
 
店頭に並ぶ伝統料理

鶏のスープ。黒く浮かんでいる粒がマーガオ

角板山では、今年、それぞれ伝統工芸保存者にも認定された、ユリ・アバウ(Yuri Abaw、宗貞嫻)氏の工房、ウパ・タリ(Upah Tali、王碧珠)氏の工房を訪れ、織りや苧麻の糸の作り方などを見学することができました。以下に、その様子を写真で順に紹介します。

 
ユリ・アバウ氏の工房にて。これまでの研究の成果である織図の記録と、完成した織物

苧麻を刈り取る

茎から余分な葉を落とすウパ・タリ氏

 
苧麻の外皮を、竹を割った道具で剥いで繊維を取り出す(日本でいう苧引き)。剥いだばかりの中の繊維(青苧)は光沢があり美しい

 
天日で乾燥したのち、束にまとめる
 

処理した苧麻の糸に紡錘で撚りをかけていく(撮影:鄭光博氏)

整経したのちに織機にかけて織り出す。


以上、2年にわたり、現代のタイヤル族の織物について見学する機会をいただきました。それぞれの制作者による、自らの文化を守り継承するための真摯な取り組みと熱意には、胸を打たれました。当館の所蔵品を保存し、調査と公開の機会を重ねることは、台湾と日本に生きる現代の人びとにとって大事なことと、再確認する機会にもなりました。
本特集では、19世紀後半に作られたとみられるタイヤル族の衣服を、帽子や耳飾り、刀などの服飾品とともに展示しています。また、本ブログでは字数の都合で紹介できなかった他の民族の衣服と見比べてみてもきっと楽しいと思います。
特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」―台湾の原住民族の資料―は5月31日(日)までの開催となっております。お近くの際には、ぜひお立ち寄りください。
 

パンフレット

特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」
―台湾の原住民族の資料―


編集:東京国立博物館

パンフレットでは、本展にかかる調査研究について解説しています。
フォルモサの世界を知る機会となれば幸いです。
本特集ページよりPDFをダウンロードしていただけます。

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カテゴリ:特集・特別公開工芸調査・研究

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posted by 廣谷妃夏(東洋室研究員) at 2026年05月13日 (水)

 

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