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とある狸の栄枯盛衰ものがたり チェスター・ビーティーの物語絵 傑作選

特別企画「アイルランド チェスター・ビーティー・コレクション 絵巻と絵本のたからばこ」(会期:7月20日(月・祝)まで)も、後期展示では狩野山の「長恨歌絵巻」は巻下に、伝岩佐又兵衛筆の「村松物語絵巻」は後半部に場面替えとなりました。


長恨歌絵巻 巻下(部分)展示風景 狩野山雪筆 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー



村松物語絵巻(部分)展示風景 伝岩佐又兵衛筆 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵

チェスター・ビーティー卿がコレクションを形成したのは20世紀初頭のこと。この頃の日本は、江戸時代までの大名家などが多くのコレクションを手放し、今では国宝や重要文化財になってもおかしくない名品の数々が海を渡りました。ただ、この頃も16-17世紀の物語絵を積極的に収集するコレクターは少なく、ビーティーが多くの日本美術の中でもこの分野に目を付けたのはまさに慧眼だったと言えます。現在、日本の物語絵のコレクションでは、チェスター・ビーティーはヨーロッパ随一と言っていいでしょう。
 
チェスター・ビーティー卿 Images courtesy of the Trustees of the Chester Beatty Library, Dublin

今回、25点の作品をお借りして展覧会を開催することになりましたが、どれもこれもおもしろい作品ばかり。ここで全点を紹介したいところですが、そうもいきませんので、何回か本展のお話をさせていただく中で最も「ウケ」のよかった「十二類合戦絵巻」をご紹介したいと思います。
本展ではクライマックスの巻下を展示していますが、巻上、巻中のあらすじは以下のような感じです。ある時、十二支が歌合(うたあわせ)をすることになり鹿に判者を依頼します。評判も良かったのでもう一度鹿に依頼しますが、鹿は辞退。そこで狸が登場し、自分がやりますと申し出ますが、十二支から散々な目にあいます(以下、狸寄りの目線でストーリーを紹介していきます)。
 
 
ひどい仕打ちです。これでは十二支も恨まれて仕方ありません
十二類合戦絵巻 巻上(部分) 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵
(注)こちらの場面は展示されておりません。

怒ったは、十二支に入れてもらえない動物たち語らって、ひと戦しようと持ち掛けます。
 
 
狸軍評定(ひょうじょう)の様子。狐、熊、猫、鷲などが集結。その眼には、日頃から動物界でスポットライトのあたる十二支への怒りが見えます。画中に書かれたセリフでも、かなり辛らつに十二支を批判しています。
十二類合戦絵巻 巻上(部分) 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵
(注)こちらの場面は展示されておりません。
 
狸軍は十二支軍に奇襲をかけるなど、当初善戦しますが、愛宕山(あたごやま)の城に立てこもり、十二支軍を迎え撃つことになりました。その戦口上で興味深いのが、鼠と猫が言い合いをしているところです。
画面の上部、左から3番目にいるのが鼠です
 
猫はどちらかと言うと虎に見えます
いずれも十二類合戦絵巻 巻下(部分) 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵
(注)本場面は現在展示中です(7月20日まで)
 
実はこの「十二類合戦絵巻」、室町時代に第一弾が作られ、本作はそれに基づき描かれたものです。室町時代のバージョンでは、犬と猫の言い合いになっています。やはり猫の相手としては鼠が相応しいと、ストーリーを若干改変したのでしょう。その後、狸軍の城の背後から、龍が空から奇襲をかけ、狸軍はあっさり敗北します。
 

龍のこの攻撃は反則ですね

十二類合戦絵巻 巻下(部分) 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵
(注)本場面は現在展示中です(7月20日まで)
 
悔しい狸は鬼の姿に化け、十二支たちを脅かそうとするのですが、通りがかりの野良犬にすら正体を見破られる様です。
 
水鏡に映った鬼の姿を見て満足気な狸ですが、すぐに犬に吠えかけられます
十二類合戦絵巻 巻下(部分) 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵 
(注)こちらの場面は展示されておりません。

これ以上無茶をしても仕方ないと思った狸は妻子を捨て、出家するというお話です。
 
妻子を捨てるというイメージは、実は古い物語絵にネタ元があります
十二類合戦絵巻 巻下(部分) 
江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵
(注)こちらの場面は展示されておりません。
 

お坊さんに頭を剃ってもらう狸
十二類合戦絵巻 巻下(部分) 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵
(注)こちらの場面は展示されておりません。
 
踊念仏する狸。腹鼓で拍子をとっているようです。頭頂部のみ剃髪しています
十二類合戦絵巻 巻下(部分) 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵
(注)こちらの場面は展示されておりません。
 
いっぱしの修行者になった狸。「ドヤ顔」ですね
十二類合戦絵巻 巻下(部分) 江戸時代・17世紀 チェスター・ビーティー蔵
(注)こちらの場面は展示されておりません。
 
人間を主人公とした物語絵でも主題となる、歌合、合戦、出家など、様々な要素を盛り込んでこれを動物に置き換えた、まさにファンタジーあふれる作品です。「真面目にふざける」面白さというものが満ち満ちています。こうした昔の絵巻は話がよく分からない、難しいと敬遠されがちですが、この面白さは制作から400年近くたった現代の私たちにも共感されるものです。
このように楽しく、面白い物語絵がこの展覧会では会場にあふれています。日本では、1988年にチェスター・ビーティー・コレクションの展覧会が開かれて実に38年ぶりの大規模な展覧会です。残り少ない会期ですが、どうぞこの貴重な機会に、日本の豊かな物語絵の世界をご堪能ください。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ特別企画

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posted by 土屋 貴裕(美術部門絵画班) at 2026年07月09日 (木)

 

特別企画「ビフォー縄文 旧石器時代発見80周年」開幕!

6月16日(火)より平成館企画展示室にて、特別企画「ビフォー縄文 旧石器時代発見80周年」がはじまりました。

ところでみなさんは「旧石器時代」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
周りの人に聞いてみると、「マンモス?」「ヤリとか??」「きゅう…せっき?」…なんとなくクエスチョンマークつきで答えてくれました。
縄文時代といえば土偶、古墳時代といえば埴輪でおなじみですが、「旧石器時代ってどんな時代?」と聞かれてイメージできる人は実はあまりいないのです。

旧石器時代とは、ヒトが石器を使って暮らした時代。世界最古の石器はケニアで発見された約330万年前のものとされています。気の遠くなるような昔からヒトは石器をつくり、日常の道具として使ってきました。
そして、日本列島にヒトが移り住んだのは今から約4万年前。それ以降縄文時代の始まる約1万3,000年前までが日本の旧石器時代にあたります。
昭和21年(1946)に旧石器時代が発見されてから今年で80年。縄文時代より前はどんな時代だったのか?本展はそんな素朴な疑問に答える展覧会です。

本展の一番のみどころとして、まずは会場入口に展示している作品にご注目ください。


登録有形文化財 岩宿遺跡採集石器 槍先形尖頭器 
群馬県みどり市 岩宿遺跡採集(相澤忠洋資料) 後期旧石器時代・前2万3,000年 群馬・岩宿博物館蔵

「槍先形尖頭器」と呼ばれる槍の先端に装着した狩りの道具で、旧石器時代の人々がもっとも好んで使った「黒曜石」でつくられています。きらきらと光り輝く美しい石器に、つい見とれてしまいます。

今から80年前、昭和21年当時、「火山灰が降り積もった赤土(関東ローム層)には人間が住めるはずがない」ということが日本考古学の常識でした。相澤忠洋(あいざわただひろ)氏が岩宿(現群馬県みどり市)の崖から採集した石器は、まさにその赤土から発見されたもので、彼が書籍で学んだ旧石器時代の「細石器」によく似ていました。


登録有形文化財 岩宿遺跡採集石器 石刃
群馬県みどり市 岩宿遺跡採集(相澤忠洋資料) 後期旧石器時代・前3万5,000年~前1万6,000年 群馬・岩宿博物館蔵

以後、相澤氏は岩宿の崖に通うことになります。そしてついに昭和24年(1949)、槍先形尖頭器を発見するに至り、赤土の中から旧石器時代の石器が出土することを確信します。


相澤忠洋 群馬・岩宿博物館提供
行商のあいまに考古学に没頭し、岩宿遺跡を発見、その後も多くの遺跡の発見に尽力しました。


発掘当時の岩宿遺跡遠景 東京・明治大学博物館提供

「赤土の中から石器が出土する」。相澤氏が採集した石器を目にした明治大学の研究者・芹沢長介(せりざわちょうすけ)、杉原荘介(すぎはらそうすけ)は旧石器時代の存在を直観し、すぐさま岩宿の発掘を決断します。そのスピードたるや凄まじいもので、翌日には発掘の相談、その2日後には発掘調査の準備を済ませて、群馬県桐生市に乗り込んでいるということからも相当な意気込みが感じられます。そして発掘当日の昭和24年9月11日、ついに岩宿の地で赤土から石器が出土することを確認しました。


岩宿遺跡発掘の様子
昭和24年(1949)9月11日撮影 東京・明治大学博物館提供


重要文化財 岩宿遺跡出土石器(岩宿Ⅰ石器文化) 
群馬県みどり市 岩宿遺跡出土 後期旧石器時代・前3万5,000年 東京・明治大学博物館蔵 


あまりの感動に、明治大学の研究室宛てに「ハックツニセイコウ タダナミダノミ」という電報が打たれたことは、考古学の中では有名な話です。芹沢・杉原ともにまだ30代の若き研究者であり、当時の常識にとらわれず目の前の石器に向き合った結果が「旧石器時代」の証明につながったといえます。

今から80年前、一人の人間が岩宿で採集した小さな石器が、考古学史上に大きな足跡を残すきっかけとなりました。岩宿遺跡の発掘のあと、日本各地で次々と旧石器時代の遺跡が発見、発掘され、現在では1万箇所以上あることがわかっています。このブログを読んでいるみなさんの住んでいる近くにも、その場所で初めて人々が暮らし始めた旧石器時代の遺跡があるはずです。

また、旧石器時代は、縄文時代にはじまり現代に続く「定住生活(イエを立てて、ムラをつくり仲間とともに暮らす生活)」とは全く異なり、食料となる動物を追いかけ人々が移動しながら暮らしていました。本展では狩猟に使用されていたさまざまな石器などをご覧いただけます。


日本の旧石器時代の石器 展示の様子

展示の後半では、当館の所蔵する世界の旧石器時代の石器をご紹介します。
人類史の99パーセントを占める旧石器時代。世界各地から採集された石器がずらりと並び、その長い歴史の全体像を一望することができます。


世界の旧石器時代の石器 展示の様子

そのほか、旧石器時代の石器を復元したレプリカや景観を復元したジオラマなども展示しています。


狩猟具レプリカ、石器作りの道具
現代 群馬・岩宿博物館蔵


本展は、当館では初めて旧石器時代をテーマとした展示になります。書きたいことは山ほどあるのですが、まずはぜひこの機会に、展示室で実物をご覧ください。「縄文時代より前の時代ってどんな時代?」「旧石器時代って聞いたことあるかも」という旧石器時代ビギナーにうってつけの内容になっています。
旧石器時代にはじまる人類の長い歴史。人々がつくり続けた石器を実際に目にしていただくことで、少しでも「旧石器時代」が身近な存在になればと願っています。
本展は、8月23日(日)まで開催しています。

【東博でもっと楽しむ旧石器時代】
平成館1階考古展示室(本展向かい側の展示室)では日本の、東洋館地下1階12室(インド・東南アジアの考古)ではアジアの旧石器時代の石器を展示しています。本展とあわせてお楽しみください。
日本の旧石器時代の基本がわかる、以下の解説動画もぜひご覧ください。

 

(注)動画内の展示作品は展示替えのため、実際と異なる場合があります。

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古特別企画

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posted by 飯田茂雄(文化財活用センター研究員) at 2026年06月25日 (木)

 

ダブリンから作品をお迎えして:海外展ができるまで

東京国立博物館では、国外のミュージアムと協力して行う「海外展」をだいたい年2-3回程度行っています。現在開催中の特別企画「アイルランド チェスター・ビーティー・コレクション 絵巻と絵本のたからばこ」(会期:~7月20日(月・祝)まで)は、アイルランドの首都ダブリンにある国立文化施設チェスター・ビーティー所蔵の日本美術品をお借りした展覧会です。
 
チェスター・ビーティー・コレクション展 第1会場 展示風景(本館D室)
 
海外の美術館が所蔵する作品をお借りして展覧会をする場合、国内から作品をお借りする場合に加えて別の手続きが必要です。会期も後半にさしかかりますが、今回アイルランドから作品をお迎えして展覧会を行うにあたってどのような準備をしたか、主に実務についてご紹介します。
 
 
2025年大阪で行われた万博の東入口付近に設置されたアイルランドパビリオン
 
最初に具体的な展覧会企画について話をしたのは2024年3月のことです。アイルランド側から、万博の年に何か展覧会を行いたいというご提案があり、もろもろ検討の結果、チェスター・ビーティーのコレクションをお借りして当館で展覧会を実施する方向で検討することになりました。
チェスター・ビーティーが所蔵する日本美術品は、昨年10月時点で約1900点あり、その中におおよそ画巻及び画帖が140点、印刷された本、巻子類が115点、浮世絵版画や刷物は843枚あり、ほかに仏教経典や印籠・根付などが含まれます。今回の展覧会はこれらの中から、25点をお借りしました。これらはすべてビーティー卿が生前集めてアイルランドに寄贈したものです。その後、経費分担などの確認ができ、およそ1年後に開催が確定しました。
 
作品の入ったクレートの一つ
 
海外から美術作品を輸送して日本国内に運ぶことは、大きく言えば物品の「輸入」です。ただし、今回のように外国から一時的にお借りして広く文化を紹介するために公共施設である博物館が展覧会で一般公開する場合、個人やお店が商品を購入して輸入、販売する場合とは別の扱いとなります。
輸入する物品は、通常、空港で通関手続きをして所定の場所に運びます。しかし、文化財は通関手続きのために環境の悪い場所に長く置いておくことは作品の保全上できません。そのため、あらかじめ保税範囲(税金を払わずに一時的に物を置いておける場所・エリア)を博物館内の収蔵庫などにできるよう申請し、空港では通関せず、保税品(関税や消費税がかからない状態)として、認められた場所に輸送・保管してから、安全な場所で通関手続きに入ります。通関が済むまでその場所で保管して、通関が済み次第、点検・展示となります。
 
作品点検の様子・研究員の手の下にあるのが調書です
 
貸す側は作品を梱包して送り出す前に各作品の現状がわかる写真を撮り、その時の作品の状態を確認します。その際、取り扱いを注意しなければならない箇所など各作品についての特記事項を記した「点検調書」を作成します。当館で開梱する際、この調書を元に、輸送中に状態の変化がなかったか1点1点確認します。その際、何か変化や特記事項があれば調書に書き加えて、展示期間後の点検の際確認できるようにします。
 
また、外国の美術館など公的機関から公開目的でお借りする場合、お借りしている間に、誰かが不当に自分がもともとの持ち主だから、などと名乗り出て差押えようとすることができないよう、日本国内で訴訟対象とならない措置がとられています。文化庁のウェブサイトによれば「2009年4月24日に制定された「外国等に対する我が国の民事裁判権に関する法律」により,我が国において展示される外国等【外国政府(国,政府機関),自治体(州)等】の有する美術品等に対しては,日本の裁判所は,強制執行,仮差押さえ及び仮処分等をすることはできないこととなっています。」とあります。そのため、外国等が有する美術品を借り受ける場合については、特段の措置が無くても法律に基づいて差し押さえ等の措置は禁止されています。
 
一方、作品を選ぶ際に一つ気をつけなければならないことがあります。それは、輸出入禁止の物品が含まれていないか、ということです。日本の美術品で輸出入禁止の物品といってもぴんとこないかもしれませんが、取り扱いが難しいものがあります。象牙製品もその一つです。掛け軸や巻物の軸の部分で表に出ている部分に昔は象牙を使っている場合がよくあり、それらが「象牙製品」として輸出入禁止の対象となりうるのです。
 
 
牙軸(げじく)作品(赤矢印の部分が象牙でできている)
 
絶滅危惧種など国際的に保護の対象となっている動植物は、絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約、通称「ワシントン条約/CITES」により国際間の取引が厳しく制限されています。
ただし、この条約は1973年に施行されたものなので、それ以前に取引されたことが証明できれば、輸入することができます。本展にも5点対象となる作品がありましたが、幸い、アイルランド側、つまり輸出国はそれら象牙の軸首がついたものをすべて輸出して差し支えないという許可を速やかに出してくれました。国によっては、この審査に長い時間を要することもあるので、速やかに問題ないとの判断を出して許可書を出してくれたことは大変ありがたいことでした。
 
輸送は今回2便に分けて行い、各便にチェスター・ビーティーの保存担当の方あるいはレジストラー(作品登録)の方がクーリエとして随伴されました。ダブリンから1か所経由して、チェスター・ビーティーを出てから2日かけて東京に着きました。長旅の末、無事に到着したのを見たときは、心から安心しました。
 
空港にクレートが着いた時の写真
 
様々な手続きを経て日本に到着した作品は、博物館に運んですぐに展示するわけではありません。ダブリンは、日本に比べて気温も湿度も低い地域です。いきなり気候(温湿度)のちがう環境にさらしてしまうと作品に悪い影響を与えかねないので、展示する博物館内の環境に慣らすため、箱を開けないまま通常48時間以上は収蔵庫の中で保管します。温度も湿度も大きく変動させないことが一番重要なので、急速に上下することにならないようにしなければなりません。
 
ケース内に設置した温湿度測定のロガー。数値は保存修復課がリアルタイムでチェックできる
 
今回当館ではケース内温度22-24℃(±2℃)、相対湿度50-55%(±5%)の設定としています。ちなみに、近年サステナビリティの観点から、機械的に大きく環境を変えることはよしとされなくなりましたので、温湿度設定や振れ幅の許容範囲の基準値も徐々に変わってくるかもしれません。
 
展示室天井に取り付けた照明は、来館者が読みやすいよう原則はパネルにあてられる
 
また、今回のように作品が紙や絹に描かれたものである場合、照明が強すぎると作品が変色してしまいます。一方、暗すぎると展示室内を見て回るのに支障が出てしまい、解説の文字も読みづらい。そこで今回の会場では、通常チェスター・ビーティーで設定している照度よりだいぶ高めに設定することを許可いただきました。もちろん作品に有害な光線、紫外線や熱はカットしており、原則壁付ケースの外からの照明は、キャプションやパネルにしっかりあててパネルを読みやすくしています。部屋全体が暗く感じるかもしれないですが、作品保護のためご理解いただけるとありがたいです。
 
先に述べた展示の際の諸条件をはじめ、お互いの役割分担や経費の分担、出版物に関する取り決めなど展覧会の開催に関わる基本条件は、主催館同士で展覧会契約を結んであらかじめ決めておきます。チェスター・ビーティーも東博も国の機関で、美術館として大体の慣例は大きな違いはなく、著しく意見の異なることはありませんでした。
 
チェスター・ビーティー外観
 
最近は、緊迫した中東情勢の影響で、ヨーロッパ方面に物を送るのが難しくなっています。本展の準備でも、たとえば、郵便局からアイルランドへ郵送しようとした書類が、数日国内で留め置かれ、結局戻ってきてしまったことがありました。
 
輸送費や保険料、あるいは資材費の高騰もあり、国際的にモノを動かすのは難しい時代に入ってしまったと言わざるを得ません。しかし、こういう時だからこそ、他国との交流を重ね、ともに一つの事業に取り組むことにより相互理解を深め、ひいては争いの種を減らせるのではないでしょうか。
今後とも、国外の博物館・美術館と協力して展覧会などの事業を行い、世界の様々な国の方々との交流を通じて友情をはぐくむ取り組みができればと思います。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ特別企画

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posted by 鬼頭 智美(学芸企画部海外展室) at 2026年06月05日 (金)

 

伊藤若冲「乗興舟」 版画で楽しむ淀川の旅

現在、本館2階のD・E室(旧特別1室・2室)では特別企画「アイルランド チェスター・ビーティー・コレクション 絵巻と絵本のたからばこ」を開催しています(会期:~7月20日(月・祝)まで)。

アイルランドの首都ダブリンにあるチェスター・ビーティーが所蔵する、珠玉の絵巻・絵本コレクションを紹介するこの展示。みどころはたくさんありますが、今回はE室に展示している伊藤若冲「乗興舟(じょうきょうしゅう)」をご紹介します。

 「乗興舟」は、「奇想の画家」として知られる伊藤若冲(1716~1800)が制作した版画巻で、京都から大坂まで、淀川を下る船旅の景色が描かれています。明和4年(1767)の春、若冲は相国寺の禅僧、大典(だいてん)(梅荘顕常(ばいそうけんじょう)1719~1801)とともに淀川を下りました。本作は、その経験をもとに制作されたものです。
 
大きな特徴は、「拓版画」という技法でつくられていること。木版正面摺とも呼ばれ、図や文字を彫った木版のうえに湿らせた紙を押し当て、凸部分にのみ墨を載せていく版画の技法です。たとえば、十円玉に紙を載せて、鉛筆でこすると図柄が浮かび上がってきます。それとよく似た仕組みといえばイメージしやすいでしょうか。「乗興舟」では、墨一色で川や山、舟や人々が表されています。ところどころにグラデーションが施され、幻想的で奥行きのある画面が展開されます。
それでは画巻をみていきましょう。船は京都の伏見から出発します。
 
 
乗興舟(部分) 伊藤若冲筆 江戸時代・明和4年(1767)頃 チェスター・ビーティー蔵
Images courtesy of the Trustees of the Chester Beatty Library, Dublin.
 
左下には淀城が見えます。
 
 
 
京都の橋本付近。空に一羽の鳥が飛んでいます。
 
 
 
枚方(ひらかた)を過ぎたあたり。川はどこまでもつづいていくようです。
 
 
 
河畔に家々が立ち並びます。画面右手には一杯やれる店を探しているらしい旅人の姿も。
 
 
 
最後に、船は大坂の八軒家に到着します。天満橋が架かり、その下に多くの船が停泊しています。
 

この作品は、絵の部分だけで10枚の紙をつないで構成されています。その全長は1150.0センチメートル。当館の展示ケースに合わせてつくられたかのようなサイズで、実際、展示作業中に展示台へぴたりと収まったときには、担当者一同、思わずにんまりとしてしまいました。


展示風景
 
さて、江戸時代、淀川には京都と大坂を結ぶ三十石船が昼夜運行していました。この船に乗って人々が行き交う淀川の風景は、当時の浮世絵にもたびたび描かれています。現在、本館20室「日本美術の流れ 浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)」では、淀川をはじめとする川の風景をテーマとした作品を展示しています。 

こちらは歌川広重が描いた三十石船です。老若男女が乗り合わせた船に、飲食物を売る「くらわんか舟」が近づく様子が描かれています。

京都名所之内 淀川 歌川広重筆 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵
展示期間:2026年5月12日(火) ~ 2026年6月14日(日)
 
こちらは葛飾北斎が描いた淀川風景です。淀城のそばを三十石船が進み、岸辺では上り船を人力で曳く様子もみられます。
 
雪月花・淀川 葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵
展示期間:2026年5月12日(火) ~ 2026年6月14日(日)
 
チェスター・ビーティー展をご堪能いただいたあとは、ぜひ本館2階の20室にもお立ち寄りください。若冲、そして広重や北斎、さまざまな絵師がとらえた淀川の表情を、版画作品を通してお楽しみいただければ幸いです。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ特別企画

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posted by 村瀬 可奈(日本絵画) at 2026年05月27日 (水)

 

特別企画「韓国美術の玉手箱」その3 祈りの造形が伝える、高麗王妃の生きた証

4月5日まで開催中の日韓国交正常化60周年記念 特別企画「韓国美術の玉手箱―国立中央博物館の所蔵品をむかえて―」では、東京国立博物館と韓国国立中央博物館が所蔵する選りすぐりの美術作品を一堂に展示しています。
ここでは高麗時代と朝鮮時代をテーマとしたふたつの章で構成される本展のなかから、第1章「高麗―美と信仰」の韓国国立中央博物館蔵「銅製銀象嵌香炉」をご紹介します。
香炉といえば、香を薫ずるための器として知られ、特に仏教においては華瓶、燭台と並んで仏前の供養具である三具足の1つとされています。


第1章「高麗―美と信仰」展示風景

高麗時代の香炉は、銅だけでなく高級品の青磁や庶民が用いる陶器など、制作する素材のバリエーションが複数存在し、幅広い層に需要があったことが窺えます。形のバリエーションも非常に豊富で、本展にも展示されている韓国国立中央博物館蔵「青磁陽刻饕餮文香炉」のほか、香炉の上部に瑞獣を象ったものなど、形の種類もさまざまです。
 
 
銅製銀象嵌香炉 韓国国立中央博物館蔵 高麗時代・13世紀

そのなかで、本作のように縁の広い鉢の下にラッパ型の台座が付く形態のものを、韓国では「香垸(こうわん)」と呼んでいます。本展示の解説では、解説に日本でもなじみのある「香炉」という名称を用いていますが、「香垸」という名は高麗時代の史料や器物に刻まれた銘文のなかに確認することのできる、当時の人びとの実際の呼び方です。ここでは韓国での用例に倣い、「香垸」という名称を用いて作品をご紹介します。「香垸」の名が確認される作品は、本作も例外ではありません。どこかに、その名を伝える銘文が刻まれています。いろんな角度から作品を観察してみてください。いったい、どこにあるでしょう…。

答えは、水平に折れた口縁部の裏。下から覗き込んで見てください。
 

香炉を下から見た際に見える銘文(展示では香炉の底面はご覧いただけません)

すると、「咸平宮主房以造上華嚴經蔵排靑銅香垸一副」という銘文が、口縁の形に沿って反時計回りにぐるりと縦書きで刻まれていることが確認できます。
「銘文を見逃してしまった!」という方がいれば、会期中にもう一度見にいらしていただければ嬉しいです。
そしてこの銘文の中には「香垸」の文字を確かに確認することが出来ます。


銘文のうち「香垸」部分拡大
 
さて、この文を読んでみると、「咸平宮主の居所にて、華厳経蔵に供えるため、青銅を鋳造して香垸一副を造る」と解釈することができます。この香垸を作った目的が、華厳経の経典を納めた蔵、つまり経蔵に奉安するためだった、というわけです。仏殿だけではなく、経蔵でも香を供える慣習があったこと、そして高麗時代の人びとが経典に対して熱心に信仰を捧げていたことを知ることができる貴重な記録といえるでしょう。
ところで、銘文に残される咸平宮主とはいったい誰でしょうか。「宮主」という称号がヒントになりそうです。これは高麗時代に王妃や王の後宮、王女などを冊立していた別称の1つで、宮殿の主人を意味する言葉です。このことから、この香垸を造らせ、発願した人物は、王室に属する女性――王妃、あるいは高位の後宮や王女であることがわかります。
さらに、咸平宮主という人物を史料から辿っていくと、この人物が高麗第21代国王・熙宗(1204~1211)の妃、成平王后を指すことがわかります。彼女は1211年に咸平宮主として正式に冊立されました。しかしその同年、熙宗が退位に追い込まれます。当時、王を凌ぐ実権を握っていた武臣政権の最高権力者・崔忠献の排除を試みて失敗したためです。熙宗と太子は流刑に処され、成平王后のみが宮殿に残されました。その後も、モンゴル侵攻による江華島への遷都など激動の時代を生きることとなり、決して順風満帆とはいえない生涯を歩んだ人物でした。こうした背景を踏まえると、この香垸は彼女が咸平宮主に冊立された1211年から没する1247年までの間、王権の失墜と外敵の脅威という不安定な時代状況のなかで制作されたものと推測されます。
香垸の鉢の部分に注目すると、前後左右に4字の梵字が配置されています。これらは、それぞれオン(om)、マ(ma)、二(ni)、パド(pad)と読む仏教の真言です。真言とは、仏の力や救いを音に託した神聖な言葉(マントラ)のことです。本作にあらわされる4字は、オン(om)、マ(ma)、二(ni)、パド(pad)、メ(me)、フム(hūm)の6字から成る「六字真言」の一部にあたります。
  
オン(om)

 

二(ni)

それぞれの音には象徴的な意味が込められ、その解釈には諸説ありますが、全体として「蓮のなかの宝珠よ、清め、救いたまえ」という救済の祈りをあらわす言葉と理解されています。本作のように梵字を配する香垸の多くは、その梵字一字一字を際立たせるように美しい銀象嵌の装飾文様で囲み、荘厳な趣が与えられています。このような香垸の意匠は、梵字や真言に宿る神聖な力を尊び、その功徳を重んじる信仰の意識を視覚化させたものと考えられます。苦難の時代を過ごした成平皇后もまた、この真言に救いを求め、立ち上る香煙とともに祈りを捧げたことでしょう。祈るという行為は時代や地域も関係なく行われる人間の普遍的な営みです。遠い過去に作られたこの香垸も、その背景を知り、そこに生きた人物が直面した苦難に思いを寄せると、作品に込められた思いは時代と地域を超えて私たちにも通じるものとして受けとめられるのではないでしょうか。
本展は、韓国美術の美を紹介することを軸としていますが、それだけにとどまらず、作品の制作背景や当時の社会状況、信仰や人びとの営みに目を向けることで、モノの意味がより立体的に浮かび上がり、モノに対する理解と共感が一層深まります。この機会に韓国美術の美しさを楽しむと同時に、その背後に広がる歴史にも思いを巡らせ、韓国美術を生み出した文化への理解を深める契機となることを願います。
 

カテゴリ:特別企画

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posted by 玉城真紀子(海外展室研究員) at 2026年04月02日 (木)

 

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