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1089ブログ「中国近代絵画の巨匠 斉白石」展覧会の見どころなどを紹介しています。
展覧会のみどころ
会期中展示替を行います。
前期:2018年10月30日(火)~11月25日(日)
後期:2018年11月27日(火)~12月25日(火)
花木(かぼく):白石画の華麗なる出発点
職人として働いていた斉白石は、梅・蘭・竹・菊などの伝統的な文様に新しい図柄を考案し、顧客の賞賛を浴びました。その後も、絵画教本の学習や古い時代の絵画の模写、実物の写生など、たゆまぬ努力を続けた結果、彼の描く花や木々は、華やかな彩色やみずみずしい墨面、闊達な筆線といった魅力を獲得していきます。
延年酒図
斉白石筆 中国
20世紀
北京画院蔵
[後期展示]
菊花酒には寿命を延ばす効能があるとされます。白石は、酒壺に重そうにもたれる紅色の菊花をあでやかに表します。自題には、一度同主題を制作したが、興が尽きないのでもう1幅作ったとあり、老齢の画家の旺盛な意欲を伝えています。
鳥獣(ちょうじゅう):愛くるしいまなざし
斉白石は、花木を大胆にあしらった後、鴨・鶏・鷹などの鳥を加えて、画面に彩りを添えました。特に印象的なのは、この鳥たちの表情豊かな目つきではないでしょうか。白石は、師の胡沁園(こしんえん)から鳥の描写には「活(躍動感)」が大切と教わりました。人間くさいまなざしには、その教えが反映されているようです。
菊花群鶏図
斉白石筆 中国
20世紀
北京画院蔵
[後期展示]
雄鶏と5羽のヒヨコは、鶏冠の「冠」と「官」が中国語で音通することから、「五子登科(5人の子供がみな高級官僚試験に及第する)」を寓意する吉祥文様として知られます。白石も職人時代から親しんでいた主題でしょう。鶏の人間くさい目つきが魅力的です。
昆虫(こんちゅう):超絶技巧を誇る精密描写
斉白石は虫の姿をよく観察し、写しとるのを楽しんでいたといいます。白石には簡略な描写の作品が多いと思われがちですが、触角や脚、羽の文様など、細かな特徴を正確に把握した昆虫の精密描写は驚嘆するばかりです。小さな虫を画面に配置するにあたっての、余白の取り方にも画家の感性が光っています。
工虫画冊(第一図:白花と鳳蛾)
斉白石筆 中国
1949年
北京画院蔵
[前期展示]
絵具のにじみを活かして墨色豊かに仕上げた植物と、繊細に描きこんだ昆虫を組み合わせた画冊。アゲハモドキ、コオロギ、バッタ、オケラ、カミキリムシ、カマキリ、クモ、ミズスマシ、アメンボなど、斉白石にとってなじみ深い虫たちが並びます。
魚蝦(ぎょか):慣れ親しんだ得意の画題
斉白石は、透明感のある水墨を用いて、魚や蝦、蟹などの群れを数多く描きました。農村生まれの白石は幼いころから、水中で離合集散を繰り返す、これらの生き物に親しんでいたといいます。その作品は、絶えず動き続ける水の生き物たちの活力をよく伝えています。
蝦図
斉白石筆 中国
20世紀
北京画院蔵
[前期展示]
腰を自在に湾曲させる蝦は、物事が順調に進むことの寓意であり、指物職人出身の斉白石にとってはなじみ深い画題でした。一方で、絶えず動き続ける蝦の生命力に満ちた姿を見事にとらえたこの作品は、農村出身で、身近に生きた蝦と接してきた白石の実感に満ちています。
山水(さんすい):全国を旅して描いた造形美
斉白石は、40歳を過ぎてから各地を旅行する機会が多くなり、絵画教本や古い絵画から学んだ伝統的な山水表現と、実際の景観を比較しながら、独自の様式を確立していきました。その山水画に見られる、個性的な構図、朴訥として力強い筆づかい、そして明るく華やかな彩色は、高く評価されています。
借山図(第三図)
斉白石筆 中国
1910年
北京画院蔵
[前期展示]
白石の山水図のなかで代表的な作品の一つ。「五出五帰」と呼ばれる5回の大旅行で眼にした中国各地の景勝を描いています。大きな余白がある構図に簡潔な描線、豊かな色彩は当時、斬新なものでした。「借山」は故郷の湖南省湘潭にかまえた書斎号にちなみます。
神仏(しんぶつ)と人物:白石画の独創的な到達点
若いころは、写実的な肖像画や細密な美人画なども手がけていた斉白石ですが、後には、勢いのある線描を活かした、単純な造形を好むようになります。熟練した筆先から生み出される、デフォルメされた、どこかユーモラスな身体の形も見どころの一つです。
清平福来図
斉白石筆 中国
20世紀
北京画院蔵
[後期展示]
青い瓶を高く掲げる仙人に赤い蝙蝠。一見不思議な図像ですが、実はおめでたい意味が隠されています。中国語で「青瓶」は「清平」と、「福」は「蝠(こうもり)」と発音が同じです。謎解きで、太平の世に幸福がやってくる「清平福来」を表わしているのです。
書と印:凝縮された美意識と感性
斉白石は若い頃から篆刻(てんこく)に興味を持ち、その基礎となる書も愛好しました。浙派(せっぱ、西泠印派)や趙之謙(ちょうしけん)を学び、後には、秦から三国時代の篆書(てんしょ)を研究して、独自の字体・刀法を確立しました。その篆刻の特徴は、肥痩のめりはりのついた剛直な刻線や、素朴な字形、朱白の対比を強調した印面の構成にあります。大工と指物師の経験を活かした、力強く大胆な刻刀の用い方も魅力的です。
篆書四言聯
斉白石筆 中国
1951年
北京画院蔵
[後期展示]
篆書で「月円天宝」「華好年豊」の四言句を記した対聯。月が満ちて天が宝のように輝き、花が咲いて豊作の年になるとの意味で、中秋節(日本でいうお彼岸)のころをいいます。91歳という長寿の白石が揮毫したことでめでたさも倍増したことでしょう。
「三百石印富翁」朱文印
斉白石刻 中国
1919年
北京画院蔵
[前期展示]
斉白石は30歳の頃に、300ほどの印材を収蔵していたことから、自嘲して三百石印斎と号しました。この朱文印は、57歳時、北京・西磚胡同の法源寺の廟内に住んでいた折に刻したものです。同年、白石は胡宝珠と結婚して正式に北京に居を移しました。
書斎(しょさい):創作の源
斉白石は、若く貧しい時期には、人から画譜を借り、薄い紙を重ねて全ての頁を細い輪郭線でなぞり、複写したといいます。その後も、古い時代の絵画を丁寧に模写したり、旅先で風景を写生したりして、画稿を蓄えていきました。これらは、白石の創作の源といえます。
白石が生まれたのは知識人の家ではありませんが、作品に記す画賛のために、詩の制作も学び始めます。後に、詩作は楽しみの一つとなりました。詩集の原稿や、日々の感興を書き留めた日記からは、画家の息づかいが伝わってきます。
書斎の斉白石
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