東洋館 第10室
2006年4月25日(火) ~ 2006年7月17日(月・祝)
紀元前7世紀、ローマがまだ小さな都市国家だったころ、中部イタリアではエトルリア人が活躍していました。12の有力な都市国家が連合を作り、その影響力は北イタリアのポー川流域、南イタリアのカンパニア地方にまで及びました。肥沃な土地でワインと油を生産し、鉱物資源にも恵まれたエトルリア人は、ギリシャなどの東方の文化を愛好し、地中海ではフェニキア人のカルタゴとも交渉しました。
一時はローマをも支配したエトルリア人ですが、徐々にローマに逆転され、ローマがカルタゴやケルト人と戦争するときにはローマの側で参戦するようになり ました。しかし、紀元前3世紀にローマに攻撃されて政治的な独立を失ってからも、エトルリアの独自の文化は紀元前1世紀ごろまで輝きを失いませんでした。
今回展示する陶器は、昭和39年(1964)にイタリア国立東洋美術館から寄贈されたものです。エトルリア人の文化の基盤となったヴィッラノーヴァ文化 の骨壺から、ギリシャの影響を受けた陶器、独自に開発したブッケロという黒光りする陶器、そしてエトルリア人の死生観を示す奉納品や蔵骨器まで、陶器に表現されたエトルリア文化をご覧ください。