本館 14室
2020年10月6日(火) ~ 2020年11月29日(日)
本特集は、17世紀、江戸時代初頭の茶陶を紹介するものです。「破格」とたとえられるように自由大胆な桃山茶陶の時代を経て、茶の湯のやきものはどのように変化したのでしょうか。
この時代、千利休(1522~91)の百回忌に向けて敬慕の風が興り、道統である孫の元伯宗旦とその子供たちによって、今日の三千家の礎が築かれました。
一方、利休の影響を受けつつ、王朝文化の古典に学んだ大名茶人 小堀遠州(1579~1647)の洗練された茶風は、「きれいさび」と称されて武家の茶をリードします。新しい江戸幕府のもと、大名たちは遠州を規範として、茶の湯を必須の教養と位置づけました。室町将軍家のコレクション「東山御物」を中心に唐物の再評価が進み、今日につながる名物の格付けが定まるなか、国産の茶陶への関心も高まりました。現在の福岡県直方市鷹取山麓に始まった高取窯は、遠州とのかかわりのなかで瀟洒な茶陶の生産を行なったことで知られています。
自らの好みの器を注文して焼かせることは、当時、皇家や公家堂上のあいだでも流行し、その貴人好みの茶陶は武家のあいだにも広まりました。彼らのニーズに巧みに応えた仁清の茶陶は、象徴的な存在です。
このようにみると、17世紀の茶陶は、新しい時代に複雑に絡み合う人びとの好みにうまく歩みをそろえた「調和」のやきものといえるでしょう。