2016年8月5日(金)、入場者が10万人に達しました。
1089ブログ「古代ギリシャ―時空を超えた旅―」 展覧会の見どころなどを紹介しています。
「オリンピックイヤー記念・ギリシャの古代オリンピック作品」 投票結果(投票期間:2016年7月20日(水)~8月31日(水))
東京国立博物館資料館 特別展「古代ギリシャ―時空を超えた旅―」関連図書コーナー設置
展覧会のみどころ
第1章 古代ギリシャ世界のはじまり(前6800年紀~前1100年頃)
第2章 ミノス文明(前3200年頃~前1100年頃)
第3章 ミュケナイ文明(前1600年頃~前1100年頃)
第4章 幾何学様式~アルカイック時代(前900年頃~前480年)
第5章 クラシック時代(前480年~前323年)
第6章 古代オリンピック
第7章 マケドニア王国
第8章 ヘレニズムとローマ(前323年~)
第1章 古代ギリシャ世界のはじまり(前6800年紀~前1100年頃)
古代ギリシャをめぐる旅は、ミノス文明よりも何千年も古い、新石器時代から始まります。紀元前7000年紀、ギリシャの人々は定住して農耕や牧畜を行うようになり、神々への祭祀や葬祭のために人の形の像をつくり、祈りを捧げました。その後、紀元前3200年近くになると、ギリシャは初期青銅器時代に入ります。エーゲ海の真ん中のキュクラデス諸島で花開いた、独特な大理石小像で知られるキュクラデス文明はとりわけ有名です。第1章では、人の形を抽象的に表す変化に富んだ小像から、ギリシャ世界の源泉を感じることができるでしょう。
スペドス型女性像
前2800~前2300年(初期キュクラデスII期)
クフォニシア群島より出土か
キュクラデス博物館蔵
(c)Nicholas and Dolly Goulandris Foundation - Museum of Cycladic Art, Athens, Greece
初期青銅器時代のキュクラデスに特有の大理石小像です。腕を胸の下で組み、両脚を閉じて伸ばすという典型的なポーズを取っています。胸とデルタ地帯がはっきりと表されています。白いのっぺらぼうが印象的ですが、当初は目や口や髪が顔料で描かれていました。この女性像は75cm近くという、キュクラデス小像としては例外的な大きさを誇ります。
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第2章 ミノス文明(前3200年頃~前1100年頃)
エーゲ海の南に浮かぶクレタ島に花開いた開放的な海洋文明は、伝説のミノス王の名前をとってミノス文明、あるいはクレタ文明と呼ばれています。紀元前2000年紀初頭にクノッソスなどクレタ島各地に建設された宮殿は、政治だけなく、宗教、経済、手工業の中心でした。聖なるモチーフである牡牛や双斧(そうふ)を表した祭具や、海のモチーフで装飾された土器、繊細で美しい装身具に加えて、大噴火で埋もれたテラ(サントリーニ)島アクロティリ遺跡で出土した色鮮やかなフレスコ画が、当時の美術や工芸技術の素晴らしさを伝えます。
牛頭形リュトン
前1450年頃(後期ミノスIB期)
クレタ島、ザクロス宮殿「神殿宝庫」より出土
イラクリオン考古学博物館蔵
黒い緑泥石を彫りぬいてつくられており、牛の毛並みや斑点模様が、浮彫りや毛彫りで丁寧に彫られています。クノッソスの小宮殿で出土した類例と同じように、おそらくこのリュトンにも首の上と顎の部分に小穴があり、顎から液体が流れ出るようにつくられていたのでしょう。宴会用の酒杯というよりは、宗教儀式用の祭具と考えられます。
漁夫のフレスコ画
前17世紀
テラ(サントリーニ島)、アクロティリの集落、「西の家」(第5室)より出土
テラ先史博物館蔵
たくさんの魚を両手にぶら下げる若者が、大きく生き生きと描かれています。彼は単なる漁師ではなく、神に豊漁を感謝するために捧げものを持ってきた少年なのでしょう。この絵が描かれてしばらくした頃、テラ島の火山は大爆発を起こし、アクロティリは灰に埋もれました。そのおかげでこうしたフレスコ画が現在にまで伝わったのです。
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第3章 ミュケナイ文明(前1600年頃~前1100年頃)
ギリシャ本土のミュケナイ(ミケーネ)を中心とするミュケナイ文明は、次第に力を増し、紀元前1450年頃にはクレタ島を征服します。その美術はミノス文明の影響を受けていますが、都市はクレタの宮殿とは異なり、ホメロスの『イリアス』(紀元前8世紀)にうたわれるような堅牢な城壁に守られていました。権力者は優れた戦士であることを誇り、死後は立派な武具や黄金の装身具で飾られて埋葬されました。本展では、今から140年前の1876年に、ハインリヒ・シュリーマンによってミュケナイの円形墓域Aと呼ばれる王家の墓で発掘された黄金製品も出品されます。
戦士の象牙浮彫り
前14~前13世紀
キプロスの工房
デロス島、アルテミス神域より出土
デロス考古学博物館蔵
猪の兜をかぶり、8の字の盾を持った戦士が浮彫りされています。ギリシャ最古の文学であるホメロスの『イリアス』は、ミュケナイ時代から何百年も語り継がれてきたトロイア戦争を詩文にして詠ったものですが、そこでは英雄オデュッセウスが猪の牙の兜をかぶり、まさにこの浮彫りのような姿で登場します。
円形飾り板
前16世紀後半(後期ヘラディックI期)
ミュケナイ、円形墓域A(3号墓)より出土
アテネ国立考古学博物館蔵
ハインリヒ・シュリーマンはトロイアに続き、1876年にミュケナイを発掘しました。円形墓域Aと呼ばれる王家の墓で、彼は《アガメムノンの黄金のマスク》(実際にはアガメムノンより早い時代のもの)とともに数々の黄金製品を発見しました。黄金の輝きは、ホメロスの『イリアス』に詠われた「黄金のミュケナイ」を彷彿とさせます。
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第4章 幾何学様式~アルカイック時代(前900年頃~前480年)
ミュケナイ文明崩壊後、長い暗黒時代を経て、紀元前1000年紀に入るとギリシャ世界は徐々に長い眠りから目覚めてゆきます。これが幾何学様式時代です。紀元前8世紀にはギリシャ各地でポリス(都市国家)が生まれ、ギリシャ文字もつくられました。続く紀元前7世紀の東方化様式時代には、幾何学文はオリエント由来の動物や植物のモチーフに変わり、神々や人間の表現も急増します。そして同世紀末から紀元前6世紀のアルカイック時代には、ついに等身大の大理石彫刻が登場します。えも言われぬ魅惑的な「アルカイック・スマイル」をご覧ください。
クーロス像
前520年頃
ボイオティア地方、プトイオン山のアポロン神域より出土
アテネ国立考古学博物館蔵
アルカイック時代の男性裸体立像をクーロスと呼びます。女性像にオリエントの影響が濃いのに対し、クーロスが両手を腿につけて直立し、片足を前に踏み出すポーズを取るのは、明らかにエジプトの影響です。この作品はアルカイック後期のもので、筋肉表現に自然さが増し、両腕も腿から離れて、動きと力強さが加わっています。
コレー像
前530年頃
アテネ、アクロポリス、エレクテイオンより出土
アテネ、アクロポリス博物館蔵
アルカイック時代の女性着衣立像をコレーと呼びます。彫刻技法の発達とともに、紀元前7世紀末にはギリシャで大理石彫刻が始まりました。このコレー像はキトンと呼ばれる衣の上に薄いマントをまとい、右手で衣の裾をつまんでいます。マントの縁には彩色の痕跡が残ります。細かく波打つ髪や上衣の美しい衣文に、彫刻家の技術の高さが窺えます。
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第5章 クラシック時代(前480年~前323年)
紀元前509年にアテネは民主政に移行し、2度のペルシャ軍の撃退の後、クラシック時代に入ります。アテネのアクロポリスにはパルテノン神殿が建設され、演劇や哲学が盛んになり、後の西洋美術に大きな影響を与えるような彫刻・絵画表現が生み出されました。人間の理想美を具現化した美術作品のほかに、オストラキスモス(陶片追放)の名が刻まれた陶片や、公職者を公平に選ぶくじ引きの道具が、民主政を証言します。また人々が神々にどのように祈りを捧げたのか、アポロン、アルテミス、デメテルとコレー、さらにアスクレピオスの信仰にもスポットを当てます。
テミストクレスの名前が書かれたオストラコン(陶片)
前472年のオストラシズム(陶片追放)
アテネのアゴラ(広場)より出土
アテネ、古代アゴラ博物館蔵
紀元前510年、アテネは僭主政(せんしゅせい)を排し、民主政に移行していきます。再び僭主が生まれないようにと彼らが導入したのが、陶片追放です。僭主となる恐れがある者の名を陶片に書いて投票し、6千票に達すると、1名が10年間アテネ外への追放となります。この陶片には、紀元前472年に陶片追放となったテミストクレスの名が書かれています。
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第6章 古代オリンピック
紀元前8世紀、オリンピアのゼウス神域で4年に一度の競技祭が始まりました。最初は徒競走だけでしたが、5種競技(徒競走、円盤投げ、槍投げ、走り幅跳び、レスリング)や総合格闘技、競馬や戦車競走など、次第に競技の数も増え、全ギリシャから選手が集う大競技祭に発展しました。優勝者はこの上ない名誉を得、その彫像が神域に奉納されました。展覧会では競技種目を陶器画などでご紹介するとともに、競技者像が優勝者たちの姿を、神域に奉納された競技道具が優勝者たちの思いを伝えます。
赤像式パナテナイア小型アンフォラ ボクシング
前500年頃
アッティカ工房、「ピュトクレスの画家」
アイギナ島より出土
アテネ国立考古学博物館蔵
古代ギリシャのボクシングはこぶしに革ひもを巻き付け、どちらかが倒れるか降参するまで殴り合います。抱え込み、蹴り、急所へのパンチは禁止されていました。試合に時間制限はなく、決着がつかない時は、防御せずに交互に顔を殴り合い、長く耐えた方が勝者になったといいます。パナテナイア型アンフォラはアテネの競技祭での優勝者への賞品ですが、これはそれを模した小型版です。
競技者像
前2世紀後半
アッティカ地方、エレウシスより出土
アテネ国立考古学博物館蔵
古代オリンピックでは、各種目の優勝者はオリーヴ冠とこの上ない名誉を手に入れ、その姿は銅像として神域に奉納されました。この大理石像はクラシック時代の有名な競技者像に基づいた、ヘレニズム時代の自由闊達なコピーです。少年は上げた右手におそらく優勝者の冠を持ち、自分の頭に載せるところと考えられます。
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第7章 マケドニア王国
旧来のギリシャ世界とは異なり、ギリシャ北方のマケドニアは金を豊富に産出しました。マケドニア王国が成立する以前から、権力者の墓にはたくさんの黄金の品々が副葬されました。展覧会には、新石器時代というひじょうに古いものから、紀元前4世紀末のアレクサンドロス時代、さらにヘレニズム時代の墓に至るまでの、まばゆいばかりの冠や宝飾品が展示されます。またアテネのアクロポリスで発見されたアレクサンドロスの肖像は彼の生前に、それもおそらく20歳前後に彫られたもので、世界で唯一のたいへん貴重な作品です。
ギンバイカの金冠
前4世紀後半
デルヴェニ(古代レテ)の墓地(B墓)より出土
テッサロニキ考古学博物館蔵
マケドニアのテッサロニキ近郊にあるデルヴェニ墓地では、紀元前4世紀末の墓がいくつか見つかっています。B墓はその中でもっとも豪華なもので、中には壮年の男性と、それよりも若い女性の遺骨が納められていました。アフロディテの聖樹であるギンバイカの冠は女性の死者のためのものと思われます。
アレクサンドロス頭部
前340~前330年
アテネ、アクロポリスより出土
アテネ、アクロポリス博物館蔵
フィリッポス2世は紀元前338年にギリシャ連合軍を破った後、オリンピアに円堂を建てて自分の家族の肖像を奉納しました。一方、アテネ人たちは、王の機嫌を取ろうと、彼と息子のアレクサンドロスの肖像を自分たちのアゴラに立てたといいます。アクロポリス出土のこの肖像は、王子時代のアレクサンドロスではないかと考えられてます。
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第8章 ヘレニズムとローマ(前323年~)
アレクサンドロス大王の死後、その後継者たちが建てた諸王国が互いに争ったヘレニズム時代に、ギリシャ美術は広い世界へと広まり、多様性を獲得しました。その中でも、驚くほどリアルな肖像彫刻と、官能的で繊細優美な女性像は特筆すべきものでしょう。紀元前31年に、女王クレオパトラがローマに敗れた後、地中海はローマの内海となります。しかし征服者であるローマ人たちは逆に、ギリシャの美術や文化の魅力に捕われました。ローマ時代の肖像彫刻やモザイクは、ギリシャ美術がその後も長く生き続けたことを教えてくれます。
アルテミス像
前100年頃
デロス島、「ディアドゥメノスの家」より出土
アテネ国立考古学博物館蔵
小さな頭部と長い首と細い肩、小さな胸。装飾的な編み込みの髪。矢筒の痕跡があることから狩りの女神のアルテミスとわかりますが、勇ましさや力強さはなく、ヘレニズム後期に特有の優美でなよやかな女性像です。《ミロのヴィーナス》のどっしりとした体躯と雰囲気は異なりますが、同じ頃に、同じキュクラデス諸島でつくられたものです。
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