本館 16室
2012年3月27日(火) ~ 2012年5月20日(日)
蜷川式胤(にながわのりたね、1835~82)は京都・東寺の公人(くにん、社寺に仕える職員)の家に生まれ、幕末は独自の文化財調査を行っていました。明治時代に入ると、政府に雇用されて上京し、制度局につとめた後に当館の創立に関わります。
蜷川は、明治5年(1872)3月、当館の創立と位置づけられる湯島聖堂博覧会を開きました。そして、その年の5月、町田久成(当館の初代館長)や内田正雄らと、社寺宝物調査に赴きます。それは、明治4年に太政官(だじょうかん)が発布した「古器旧物保存(こききゅうぶつほぞん)」の布告を受けた、文化財保護のための調査でした。その調査は、明治5年の干支から、「壬申検査(じんしんけんさ)」と呼ばれます。壬申検査は、文化財保護活動の先駆けとして高く評価されており、関連の資料は、重要文化財に指定されています。調査は、明治5年以降も続けられ、明治8年にも大規模な調査が行われました。その関連の資料で、蜷川が寄贈・制作した作品は、当館に300件以上残されています。
今回は、蜷川が幕末に行った文化財調査の資料や、壬申検査の資料、明治8年の文化財調査の資料を中心に、東京国立博物館の草創期の様子をご覧いただきます。