絵画・彫刻室の田沢です。
日本絵画に関する作品の調査や展示、展覧会の企画などを主に行っています。
トーハクでは、所蔵している作品を展示するだけでなく、館外から作品を借用して展示を行うことがあります。その代表的なものが特別展です。
特別展では、展覧会のコンセプトやテーマを理解してもらうために作品を選定し、トーハクの所蔵品以外の作品も展示します。
私が担当している日本絵画の分野では、作品の傷み具合など保存状態を考慮し、作品を保護するために湿度や照度、展示期間に制限を設けているのが普通です。
そのため、当館が借用して展示をすると、作品の所蔵者でもその前後の期間を含んで展示が出来ないという制限が生じる場合があります。
それでも展覧会におけるそれぞれの作品の重要性を感じて作品を貸し出してくれるのです。
特別展の場合、それによって展覧会の質が、時には開催そのものすら左右されるのです。
2011年春、写楽の特別展がありました。3月10日、展覧会関係者全体が集まって会場構成や運営などの最終確認の会議が開催され、4月5日からの開催に向けての最終確認がなされました。
ところが、翌日東日本大震災が発生、そして福島第一原子力発電所事故が続きました。
幸い当館の施設には問題が生じなかったのですが、余震をはじめ、電力供給の不足と作品保護体制の確立、会場設営や印刷物制作等への影響、来館者のための無理のない展覧会開催といった様々な観点から検討が行われ、展覧会の開催は、5月1日からに変更になりました。
その間に、作品借用先への展覧会期間変更にともなうお願いを進めました。
国内は問題なく了承を取り付けたのですが、海外では、日本の状況、特に放射能の影響が心配され、一時作品の借用が棚上げされてしまいました。
この時期には欧米では日本への渡航自粛が要請され、東京は壊滅的状況だ、との噂すらあったのですから無理もありません。海外から個人と美術館あわせて23箇所、合計129点の出品が予定されていたのですが、それがすべて不出品の危機にあったのです。
いずれも展覧会に欠かすことの出来ないものばかり。
展覧会のキャッチコピーは「役者は揃った」。いかにも空々しく思えました…。
こんな状況の中、海外の研究者たちが連絡を取り合って日本の状況をしっかりと把握し、作品には問題が生じないことを確認し、関係当局への格別の配慮を働きかけてくれました。それが自分たちの今の日本の人々のために出来る職務であるとして。
まずは、大英博物館のティム・クラークさんが、自分が日本への輸送を担当するとして展覧会に出品することの重要性を大英博物館内で説き、輸出の承諾を得てくれたのです。
これにうながされるように各館の協力が進んでいきました。
日本への輸送のための職員派遣が出来ないところは、展覧会のゲスト・キュレーターでもあったライデン国立民族学博物館のマティ・フォラーさんが集荷と輸送を買って出てくれました。
海外の多くの学芸員の協力とネットワークの力によって、海外からも1点を除いて作品が会場に並びました。
日本美術を愛する所蔵者・美術館そして輸送にあたった学芸員の復興へのエールとして、写楽展に「役者は揃った」のです。
日本美術を愛する皆さん、ありがとうございました。
残念ながら、写楽展での海外クーリエ(美術品輸送者)の写真は、手もとにありませんでした。
かわりに、2000年大英博物館を調査で訪れた際の写真です。
左から、大英博物館のティム・クラークさん、私、ロンドン大学教授で近世文化に関する著述で日本でも良く知られるタイモン・スクリーチさん、そして書道史が専門で浮世絵の摺物研究でも知られるニューヨーク・メトロポリタン美術館のジョン・カーペンターさん(この当時はロンドン大学)。
皆ほぼ同じ年代で、日本留学中に知り合った20年以上の既知。
近年は、会うと顔よりも頭に目が動くのですが、その少し前(?)の写真です。
カテゴリ:2013年2月
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posted by 田沢裕賀(絵画・彫刻室長) at 2013年02月26日 (火)
お客様サービスセンター室で副長を務めております菊地と申します。
冬の寒い時期になると、思い出す事があります。
私が東京国立博物館に採用されたのは、昭和51年の1月。
これからここで一生働くことになるんだと、本館を見上げながら漠然と感じたものでした。
それから早いもので36年。
「衛士」としての仕事の内容を先輩がたに教えていただき、何事も上手くいって当たり前の精神(東京国立博物館のクオリティ。特に、お客様の安全対策は絶対ミスが許されない)で日々働いております。
「衛士」と言うのは私どもの名称でありますが、「えじ」と読まずに「えいし」と読みます。
(辞書で調べたら、護衛の兵士という意味。ちなみに、「えじ」は伊勢神宮などの警備の職員のこと。律令制の官職名や新撰組絡み「御陵衛士」の方が有名ですが。)
私たち「衛士」には制服があります。黒の上着に黒のスラックス。そして、黒の制帽です。
その制帽を脱いだ状態でも、礼服と見紛うばかりの制服で(ネクタイは季節で異なります)、それを身にまとうたび今でも身の引き締まる思いがいたしますが、
私たちの心の拠り所は、制帽の額に頂く帽章にあります。
民間の警備会社の場合、鷲や鍵のモチーフが用いられる事が多いものです(施設の所有者から建物の管理を委託されて、その鍵を守るというニュアンスがあるのだと思います)。
しかし、私どもの制帽には由緒のある「五七の桐」という帽章が付いています。
日本では、「桐」は鳳凰が止まる木として神聖視されており、特に「五七の桐」は嵯峨天皇の頃より天皇の衣類の刺繍や染め抜きに用いられる等、「菊の御紋」に次ぐ高貴な紋章とされてきました。
現在も総理大臣の演台や官邸の備品には使われています。
時々、この帽章を気にかけて下さるお客様もいらっしゃいます。
本館16室に私たちの先輩の守衛長の日誌(※)が展示された際、巡回のたび拝見させて頂いておりましたが、私たちもこの業務を引き継いでいることを強く実感いたしました。
※「昭和十九年 日誌 守衛長室」
(「東京国立博物館140周年特集陳列 昭和の博物館―戦争と復興―」 2012年11月6日(火)~2013年1月6日(日))
私も誇りを胸に。
「五七の桐」の帽章に恥じぬ品格を常に意識し、連綿と続く歴史の中で先輩たちが築き上げてきた矜持を胸に、お客様の御来館を心よりお待ちしております。
誇りを守ってきた先輩たち、そして今の私を取り巻く全てに、ありがとう。
カテゴリ:2013年2月
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posted by 菊地豊(警備・お客様サービスセンター副長) at 2013年02月23日 (土)
こんにちは。
広報室長の小林牧と申します。
今流行りの山ガールを、かれこれ20年くらい前に始め、いまだに看板を降ろさずに頑張っております。
休日にはなるべく山を歩きたいので、ついつい他館さんの展覧会に行きそびれます。
もちろん美術は大好きです!
特に日本の美術が好き。
そこにはいつも山や草や木があり、季節のうつろいがあります。
週末の山歩きと美術鑑賞。実は、このふたつがつながる瞬間が、私にとって至福のときです。
たとえば5月の始め頃、ほんわり笑ったようなやさしい山に向かうとき、私はある一枚の絵を思います。与謝蕪村の「新緑杜鵑図」(しんりょくとけんず 文化庁蔵)です。2008年の特別展「対決―巨匠たちの日本美術」でこの絵に出合いました。木々が芽ぶき、山桜が淡いピンクの彩りを添える山、私が大好きなその色がそのまま絵の中にあったので、びっくりしました。そして、蕪村もこんな色を見たのかなあ、としみじみうれしくなりました。
たとえば、本館の19室で観山の「白狐」の前に立つとき、私は上越国境の秋の森を思います。
あるある! この色、この空気。私は知ってる。
自分の肺のなかまで黄色く染まりそうな森のなかで、生き物のひそかな気配を感じたあの瞬間を思うのです。
白狐 下村観山筆 大正3年(1914)(現在、展示の予定はありません)
まだまだあります。永徳の屏風の中で、小さな鳥たちが目配せをしたり、なにかささやきあったりしているのを見つけたとき、私は、里山で出会う愛らしい鳥たちを思うのです。
そうそう、あるある! こんなこと。これは夫婦。こっちは親子かしら。
それぞれの絵がもっている文化史的なテーマや技法を超えて、画家の自然への共感が私の体感と重なるとき、私は思わず「ありがとう」と言いたくなります。
この国の美しい自然と、それをすばらしい作品に昇華してきた文化に、心からのありがとうを。
おーい!
赤く染まった地元・奥多摩の森で
カテゴリ:2013年2月
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posted by 小林牧(広報室長) at 2013年02月20日 (水)
環境整備室の柴田と申します。
私の業務は主に電気設備の維持管理や、工事発注などを担当しています。
私のトーハクとの出会いは中学生の時に両親に連れられて来た「日本国宝展」でした。
以来トーハクファンになり社会人になってからも “いつかはトーハクで働いてみたい” という思いでいたところ、ご縁を頂き現在に至っています。
日々至福の思いで仕事をさせて頂いております。
私の “ありがとう” は、そんなトーハクを支えてきてくれた電気技術者の皆さんです。
ひとえに電気と言っても、建築物にあるのは照明だけではありません。
これまで新旧複雑難解に構築されてきたさまざまな電気設備の監視・運営を
縁の下の力持ちとして絶えず365日間業務に当っておられる中央監視室の皆さん。
年1回の電気設備点検を行なう方々。
2日間で延べ160人以上の方が携わってくれています。
メンテナンスや改修工事など博物館を運営する中、作品やお客様へのサービスを損な
わないよう知恵を絞って難しい工事を引き受けて下さる施工業者さん。
22,000ボルト特高受電室で技術者の方々と(筆者右側)。
夏場は最大で1日当たり一般家庭550軒分の電力を消費しています。
どんな仕事をしていてもプロの技術者としての誇りはあるでしょうが、やはり
“東京国立博物館” という威厳ある建物に携わる上で責任や重圧を感じながらも仕事を遂行して下さる方々は私の財産です。
この場を借りて“ありがとう”ございます。
カテゴリ:2013年2月
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posted by 柴田元治(環境整備室) at 2013年02月17日 (日)
総務企画課 武田と申します。
現在は人事の仕事をしています。
私がトーハクで働き始めたのは今から11年前の平成14年4月。
その前年の平成13年に東京、京都、奈良の国立博物館がひとつの法人になりました。
その年、大学4年生だった私は、京都国立博物館(キョーハク?)での職員募集を知り、すぐに応募をしました。
その後、晴れて採用となったのですが、いただいた辞令は採用日同日付でのトーハクへの異動でした。
地元関西以外で生活したこともなく、また初めての社会人ということもあり、最初はとても不安でした。
しかし、トーハクの素晴らしい環境、優しく時に厳しい上司、面倒見の良い先輩、気の合う同僚、後輩にも恵まれ、
今まで楽しく色々な仕事をしてまいりました。
近所に住んでいるトーハクの仲間との定期飲み会にて。
毎回地図上で次回の会場を決定します。
また私事で恐縮ですが、トーハクで今の奥さんと出会い、子宝にも恵まれました。
現在は、仕事、プライベートともに充実した毎日を過ごしています。
トーハクなしには今の状況はあり得ませんでした。感謝してもしきれません、
本当にありがとう、トーハク。
平成館3階の事務所にて。
カテゴリ:2013年2月
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posted by 武田卓(総務企画課) at 2013年02月14日 (木)