特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」を見に行くべきかどうか、もし迷っている方がいらっしゃるなら、
倪瓚(げいさん)の漁荘秋霽図軸(ぎょそうしゅうせいずじく)(残念ながら10月27日で展示終了)と、
王蒙(おうもう)の青卞隠居図軸(せいべんいんきょずじく)(展示期間:11月24日(日)まで)をご覧になることをお薦めします。
(左)一級文物 漁荘秋霽図軸
倪瓚筆 元時代・1355年 上海博物館蔵
展示期間終了
(右)一級文物 青卞隠居図軸
王蒙筆 元時代・1366年 上海博物館蔵
展示期間:10月29日(火)~11月24日(日)
この2つの作品は日本人にとって、中国絵画を見慣れた方であったとしてもかなり違和感を覚える作品です。
あなたが「こんな絵のどこがいいのかわからない!」と言ったとしたら、本展担当者は怒り狂うかもしれませんが、私だったら「そうですよね」と相槌を打つことをためらいません。
けれども、これらは中国絵画史を語る上で欠くことのできない名作ですし、確実な作品が世界を見渡してもごくわずかしかないといわれる倪瓚、王蒙、それぞれの代表作として、きわめて貴重なものです。
どちらも少なくとも30分くらいは時間をかけて見ておくべきでしょう。
(漁荘秋霽図軸は現在は展示されておりません。)
さて、倪瓚の漁荘秋霽図軸ですが、こちらに描かれているのは、水辺の岩から伸びる数本の樹木と遠い岸辺という単純きわまりない、簡素な構成の作品です。
葉も落ちて、なんとも寂しい光景です。「この絵を好きですか?」と問われると、私も困って口ごもることになるでしょう。
また、樹木や岩の描写をよく見ると、筆がかすれていて、なんだかパサパサした、乾いた感じがしませんか。
このかすれたタッチは、擦筆(さっぴつ)とか渇筆(かっぴつ)と呼ばれる技法です。
しっとりとした潤いが感じられる水墨画を特に好んできた我々日本人にとっては見慣れないものですが、お隣の中国では、とくに元時代以降の文人画に多用されているテクニックです。
もしあなたが中国で類似した技法や構図を用いた絵画を見たときに、「上海博物館の倪瓚の漁荘秋霽図軸に比べると、この作品は~~ですね。」などと感想をもらせば、文人画の知識を持つ教養人としてきっと一目置かれることでしょう。
(見逃された方は図録をご参照ください。作品成立の背景について、85頁に塚本麿充研究員による詳細な解説もあります。)
次に、王蒙の青卞隠居図軸ですが、こちらは下から上へ、うねうねと大蛇がのたうつように山が続いていく不思議な迫力に満ちた作品です。
しかしどうも不自然といいますか、日本人にとって親しみのもてる風景ではありませんね。この絵をすぐ好きになれといっても、無理もないと思います。
しかしこの力強い画面構成法は、その後の中国文人画に強い影響を与えていますし、上海博物館の青卞隠居図は、迫力という点において王蒙の真価を最もよく物語る作品といえます。ぜひ、この構図と迫力を目に焼き付けてください。
「でも、結局、中国の文人画は、日本の絵画とは関係がないんでしょう?見に行かなくてもいいかな」
と思い始めているあなたには、室町時代の水墨山水画と元代文人画の知られざる深い関係を説明すべきですが、これについてはあらためて書くことにいたします。
カテゴリ:研究員のイチオシ、news、2013年度の特別展、展示環境・たてもの
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posted by 救仁郷秀明(登録室長) at 2013年11月06日 (水)
特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」担当研究員・塚本麿充が、2009年まで東京国立博物館の副館長をつとめた湊信幸氏に、中国絵画への想いについてお話を伺いました。
今回はそのインタビューの模様をお伝えします。
左:湊信幸氏 右:塚本研究員
展示室に満ちる「清澄の気」
塚本(以下T):本日はお時間をいただき誠に有難うございます。どうぞ宜しくお願いいたします。
湊(以下M):こちらこそ、宜しくお願いします。
T:東京国立博物館では、毎年秋に特集陳列「中国書画精華」を行っています。
M:昔、台北の故宮博物院で毎年秋に「書画精華展」がおこなわれていたのですが、ちょうど、北京の故宮博物院でも秋は書画の名品展をしていましたので、これに合わせて東京でも「中国書画精華」をやろうということで始めたものです。
毎年秋に東京に来れば中国書画の名品がみられるということで、次第に知られるようになり、国内のみならず中国や欧米からも、たくさんの人がみえるようになりました。
特に日本に伝わった宋元画は、中国や欧米に伝わったものとはかなり異なる日本独特のものがありましたので、両故宮の書画精華をご覧になった多くの人は、その違いにお気づきになったかと思います。
T:そして今年の秋は「上海博物館展」を開催中です。まずは展示をご覧になった感想などをお聞かせください。
M:展示室に入ると、「文人の世界」というようなものを感じました。
特に倪瓚の「漁荘秋霽図」や多くの文人の跋をもつ銭選の「浮玉山居図巻」は、作品がその場を支配しているように感じますね。
作品は文人たちの生きた証であり、おのずと気を発しているようです。清澄の気、とでも言いましょうか。
おそらく、どなたでもその空気を感じることができるでしょう。そこには文人の追い求めた世界があるように思われます。
(左)一級文物 漁荘秋霽図軸(ぎょそうしゅうせいずじく)
倪瓚筆 元時代・1355年 上海博物館蔵
展示期間:10月27日(日)まで
(中央)一級文物 青卞隠居図軸(せいべんいんきょずじく)
王蒙筆 元時代・1366年 上海博物館蔵
展示期間:10月29日(火)~11月24日(日)
(右)展示風景
一級文物 浮玉山居図巻(ふぎょくさんきょずかん)(部分)
銭選(せんせん)筆 元時代・13世紀 上海博物館蔵
展示期間:10月27日(日)まで
東博の毎年秋の中国書画精華もそうですが、日本で中国絵画の名品展を開催すると、東山御物をはじめとする、李迪、馬遠、夏珪などの南宋の院体画、牧谿、梁楷、因陀羅などの水墨画や寧波あたりの宋元仏画などが中心になってしまいますが、今回はそれとは全く違います。
日本にはほとんど存在しなかった、しかし、中国できちんと伝来してきた元の倪瓚、王蒙や明の呉派を代表する文人たちの、中国絵画の「本流」といわれるものが来日していることです。これは誠に意義深いですね。
T:湊さんは20年前にも上海博物館展を担当され、今回も本展覧会の開催にご協力いただきました。
M:20年前の上海展は、中国の宋元の書画が初めて海外で公開されたことで大変話題になりました。
当時、上海博物館は10件の宋元画を出品する用意がありましたが、来日がかなったのは6件でした。
何が最後に残るかは分かりませんでしたので、その6件のなかに、一番来日を望んでいた倪瓚の漁荘秋霽図軸と王蒙の青卞隠居図軸が残っていたのは、本当にほっとしましたね。この2件は中国においてその後の文人画の規範となった作品で外せないものでしたから。
今回は、宋元だけで20件も来ていますね。大変感慨深いです。倪瓚と王蒙の2件は、その後、上海では会っていますが、20年をへて東京で再び会うことができたことも大変嬉しく思います。
上海と東京の、素敵な関係
T:湊さんの、中国絵画との出会いを教えてください。
M:私の通っていた大学には当時、山根有三、秋山光和、鈴木敬という大先生がおられ、それぞれの先生から実にいろいろなことを教わりましたが、中国絵画との出会いとなると、鈴木先生の元代絵画史研究という講義を聴いたことから始まります。
卒論のテーマを決める時期になった頃、ある日、鈴木先生が、「これをやってみないか」と、台北の故宮博物院にある元時代を代表する文人画家で元末四大家の一人である黄公望の「富春山居図巻」のコロタイプの複製巻を持ってこられました。
宋画というものは、見ればそれなりに何か分かるような気がするものですが、元の黄公望の「富春山居図巻」という水墨の山水長巻は、なかなかつかみどころがないように思えました。
卒論を書いた翌年の1973年に鈴木先生の調査グループの一人として台北の故宮博物院を訪問して、初めて本物を見たのですが、その淡い水墨の表現の見事さは、想像をはるかに超えるもので感動しました。
鈴木先生が「これをやってみないか」とおっしゃった意味をようやく悟ったような気がしたものです。
T:湊さんが日中国交回復後の中国に初めて行かれたのはいつでしょうか。
M:1984年の秋です。島田修二郎先生、鈴木敬先生を中心とする中国絵画調査団の一人として北京故宮、遼寧省博物館、吉林省博物館、天津芸術博物館など北の方をまわりました。
そして、翌年、上海博物館をはじめ、南京、揚州、鎮江、蘇州、杭州、寧波などの南の方をまわりました。
寧波では大変な発見(?)がありました。
南宋時代の寧波の仏画師で陸信忠というのがいますが、その作品には「慶元府車橋石板巷 陸信忠」という落款があります。
(参考図版:重要文化財 仏涅槃図(陸信忠筆 南宋時代・13世紀 宝寿院旧蔵 奈良国立博物館蔵)
「千年丹青展」でも出品された作品です。落款部分は画像右下あたりにありますので、画像を拡大してご覧ください。)
慶元府は寧波のことです。調査団には鈴木先生と宋元仏画の総合調査を長くされていた戸田禎佑先生、海老根聰郎先生がいらっしゃったのですが、皆で、陸信忠の落款にある車橋の石板巷という場所を探そうということになり、苦労した末に、とうとう石板巷という地名にたどりつき、皆で大騒ぎしました。
この顛末については海老根先生が「國華」誌に報告を書いています。
また、杭州では牧谿がいたという西湖畔の六通寺址を訪ねたのですが、牧谿の水墨画のように霧の深い日でした。
牧谿の弟子に蘿窓というのがいて、東博に竹鶏図という有名な作品がありますが、その霧深い中に鶏がいたので、みんなで「あ、蘿窓のニワトリだ!」と、冗談を言ったりして、なかなか楽しい旅でした。
重要文化財 竹鶏図
蘿窓筆 南宋時代・13世紀 東京国立博物館蔵
この二度の中国訪問では、中国の博物館に所蔵されている作品もたくさん見せてもらうことができました。
中国に伝わっている作品を見ていくと、鎌倉時代以降、日本に伝わった中国絵画、日本でいわゆる「唐絵」といわれている日本趣味の中国絵画は、中国に伝わっているものとはかなり異なるものであることを、改めて感じましたね。
ですから、20年前の上海展では、日本には伝わらなかった中国絵画、特に文人の作品に重点をおいて選択して東京に持ってきたのです。
1993年開催の「上海博物館展」図録表紙
T:20年前は調査に関してもいろいろとご苦労があったと思います。
M:海外からの展覧会を開催する際、従来は先方の美術館側が選んだ作品をパッキングして持ってくる、ということが一般的でした。
しかし、当時の東洋課では、課長だった西岡康宏さんを中心に新しい展覧会の在り方というものを求めようという機運があり、先方が選んだ作品をそのまま持ってくるのではなく、自分の眼でちゃんと作品を見たうえで出品作品の選定をしようということになったのです。
ですから当時海外展ではまだ一般的ではなかった事前調査をしたのです。
今日は10月11日ですが、今からちょうど21年前の10月11日に事前調査の第一陣(絵画、書跡、彫刻)として上海入りし、それから1週間かけて、上海博の宋元の書画を富田さん(現・列品管理課長)と一緒に全部見せてもらいました。
T:全部ですか!?
M:そう、全部です。毎日たくさん調査するからフィルムが足りなくなって大変でした(笑)。
当時は中国で「中国書画古代図目」が出版されていましたので、その小さな白黒写真をもとにして作品をリクエストし、全部見た後で、何を東京にもってきて展示するかを決めたのです。
「中国古代書画図目」は資料館で閲覧できます。中面、右ページの上段左側に漁荘秋霽図軸が。
T:今では考えられない特別の待遇ですね。
M:そうですね。上海博がわれわれの気持ちをよく理解してくれた結果だと思います。
他の分野もすべて事前調査をさせていただきました。大変有難かったです。
上海博とは、この時以来、強い信頼関係が出来たように思います。
その後、2006年には「書の至宝―日本と中国」展を東京と上海で行いましたが、この時も、お互いがいろいろ困難な問題を乗り越えて誠意をつくしました。
その後2008年になって、上海博の陳克倫副館長から、上海万博の開催にあわせて日本所蔵の宋元絵画の展覧会を開催したいとのお話がありました。
T:それが「千年丹青-日本・中国珍蔵唐宋元絵画精品展-」ですね。ほとんどが国宝、重要文化財という破格の47件が初めて中国で公開された大展覧会でした。
M:日本にある宋元画は、中国の人は一部の研究者を除いて、ほとんど見たことがなかったのです。
日本に伝わった宋元画は中国にはほとんど伝わっておらず、中国に里帰りさせて、中国の人々に見ていただくのは大変意味のあることだと思いました。
「千年丹青展」は、日本にある宋元画と中国にある宋元画の名品を一堂に集めて展示するものとなり、初めて中国絵画史における宋元画の全体像がみえてくるという画期的な展覧会になったといえます。
日本と中国の多くの関係者の協力を得て、おかげさまで「千年丹青」展は実り多いものとなりました。
T:そのお返し展が今回の展覧会です。
図録ではそのために、展示作品のみならず、東博を中心として日本所蔵の中国絵画を挿図としてたくさん用い、中国絵画の全体像がわかるようにしました。
上海博物館と東京国立博物館は、本当に良い関係を築き上げてきましたね。
アジアの未来を、東洋館で
T:学生時代以来、中国絵画の研究はどのように変化したとお感じですか?
M:現在、この展覧会で展示されているような中国絵画の一級の名品が見られるようになったのは、つい最近のことで、戦前までは、そもそも、どこにどのくらい、いいものがあるのか、充分に分かっていなかったと思います。
鈴木先生が創めた中国絵画総合図録の調査と資料公開により、中国絵画のコレクションに関しては世界的に情報公開が進んできたと思います。
また鈴木先生が、これからの中国絵画研究は中国人と中国語で議論できるようでなければいけないとおっしゃっていましたが、日中国交回復後、中国に留学して勉強して帰ってきた人材も増え、中国、欧米とともに日本においても、ようやくいろいろな意味でインターナショナルな研究の環境が整ってきたように思います。
塚本さんもその一人ですね。
T:リニューアルなった東洋館の魅力や、これからのご研究についてお聞かせください。
M:東洋館は、今回のリニューアルによって、従来、充分展示できなかったものも展示されるようになり、また、各分野の展示もとても見やすくなり、作品一つ一つが実によくみえるようになったと思います。
中国書画の展示室に関していえば、文人の部屋を作り、その鑑賞空間を再現したいと思ってきましたが、今回のリニューアルで、文人の机や文房具などを展示するコーナーが出来て、展示室の雰囲気が随分よくなったと思います。
東洋館は、アジア諸地域の文物をまとめて総合的に見ることのできる日本最大の施設であり、日本が絶えず外国とつながっていることを、作品そのものを通して知ることができる場所だと思います。
日本文化を知るためにも、アジアの他の地域の文化を知り、相互に比較する視点は大事だと思います。
例えば、近年、東アジアの絵画とよくいわれますが、これについても、従来は、中国、朝鮮、日本についての相互交流が専らであったと思いますが、これからは東アジアの絵画の中に琉球の存在も意識してみていくことが必要と思っています。
中国からの文物は寧波のみでなく、中国の福建-琉球-薩摩を通して日本に伝わったこともあるはずで、そのことに注意する必要があると思っています。
東洋館においても、そのようなアジア世界の多様性を、特集陳列などで展示してほしいですね。
T:これからも東洋館の面白さを、多くのお客様に伝えていきたいと思います。湊さん、本日は貴重なお話を有難うございました!
お二人の、中国絵画への熱き想いが感じられるインタビューでした。
ぜひ特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」を見て、文人気分を盛り上げていただければ幸いです。
湊信幸:1977年東京国立博物館東洋課研究員。中国美術室長、東洋課長、学芸部長、文化財部長などをへて副館長。2009年退職。現在は名誉館員・客員研究員。「米国二大美術館蔵 中国の絵画」、「上海博物館展」、「吉祥-中国美術にこめられた意味」、「千年丹青」展などの特別展を担当。
塚本麿充:東京国立博物館 東洋室研究員。特別展「北京故宮博物院200選」や、特別展「中国山水画の20世紀 中国美術館名品選」の絵画担当。
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posted by 塚本麿充(東洋室) at 2013年10月24日 (木)
【上海博物館展コラム】点描項元汴~史上最大の収蔵家は、渋ちんだった?~
巻物であれ、掛軸であれ、作品によっては画面いっぱいに様々な印が押してある場合があります。
これは所蔵者や鑑賞者だけに許された特権。今の我々にとっては、これらの印を整理することで、作品のおおまかな伝来をたどることができます。
作品に最も多い印を押したのは、おそらく乾隆皇帝でしょう。
画面はもとより、表具の上にまで実に堂々とした印を押し、画面に彩りを添えています(図1)。
(図1) 一級文物 浮玉山居図巻(部分)
銭選(せんせん)筆 元時代・13世紀 上海博物館蔵
展示期間:10月27日(日)まで
印も題識も乾隆皇帝。
では、民間人で最も多い印を押したのは誰でしょう?
答えは、明時代の項元汴(こうげんべん 1525~1590)。
特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」前期の作品であればNo.10の浮玉山居図巻(ふぎょくさんきょずかん)に、後期ならNo.17の青卞隠居図軸(せいべんいんきょずじく)に、乾隆皇帝と項元汴がその数を競うように印を押しています。
一級文物 青卞隠居図軸
王蒙筆 元時代・1366年 上海博物館蔵
展示期間:10月29日(火)~11月24日(日)
一級文物 浮玉山居図巻(部分)
項元汴は、中国の歴史上、民間人としては最も偉大な収蔵家だったと言えます。
現在伝えられる名品のほとんどに、項元汴の印が押されていると言っても過言ではありません。
項元汴は日本の「いろは歌」に相当する、「千字文」の字を整理記号として作品に書き込み(図2)、余白にはおびただしい数の印を押しました(図3)。
図2
一級文物 浮玉山居図巻(右下部分)
千字文の「其の祗植を勉む(そのししょくをつとむ)」の「祗」字を書きつけています。
図3
一級文物 浮玉山居図巻(部分)
たとえば画面の左上、二行にわたって数々の印を押しています。
自ら入手の経緯を記し、時には購入価格までをも明記する場合があります(浮玉山居図巻は30金!でした)。
そのため、項元汴の印があるだけで、作品の出来ばえが保証されたようなものですが、一方では美しい作品を汚したと非難されることもあります。
さて、この項元汴とは、どんな人物だったのでしょうか?
項元汴の父・項詮(こうせん)は官途につくことなく、嘉興(かこう 浙江省)で豊かな財産を築きました。
項詮には、3人の息子がいました。項詮の没後、家業を継いで巨万の財産としたのが、末っ子の項元汴だったのです。
項家はどうやら質屋を経営していたようで、項元汴はいながらにして天下の珍宝の多くを入手することができました。
また自らも書画に眼が利いたので、普段の生活は徹底して節約し、収蔵品を増やしていきました。
ただ、蓄財に専心するあまり、本来の価値より高く購入してしまうと、悔しさを顔ににじませ、食事も喉を通らなかったそうです。
そんな弟の性格を熟知していたのが、兄の項篤寿(こうとくじゅ)でした。
項篤寿は嘉靖41年(1562)に進士に及第し、温和な性格の持ち主でした。
項篤寿はあらかじめ小僧を偵察に出し、項元汴が書画を高く買って鬱々と日々を過ごしていることを知ると、項元汴の家を訪ね、最近入手した書画を見せてもらいます。
そして高く買った作品が出ると、項篤寿はその書画を絶賛しまくり、項元汴が買った値段で引き取って帰るのでした(朱彝尊『曝書亭集』巻53)。
もっとも、項元汴の名誉のために一言。
徹底した吝嗇家であった項元汴ですが、万暦16年(1588)、干ばつに見舞われた江南が大飢饉となった時、項元汴は私財をなげうって多くの郷土の人々を助けたこともあります(図4)。
(図4)
行書項墨林墓誌銘巻(ぎょうしょこうぼくりんぼしめいかん)
董其昌筆 明時代・崇禎8年(1635) 高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵
項元汴と親交した董其昌が書いた、項元汴の墓誌銘です。
項元汴の集めた数々の名品は、兄の項篤寿が亡くなり、政界へのつてもなくなってしまうと、貪欲な官僚たちの餌食となり、さらに明末の動乱によって散逸してしまったのでした。
項元汴の偉大な収蔵品は、厚徳の兄・項篤寿に支えられていたと言えるかも知れません。
追記:
嘉興(浙江省)の出身であった朱彝尊は、項家と姻戚関係にありました。
項元汴の没後39年目に生まれた朱彝尊は、幼い頃に項元汴の築いた天籟閣(てんらいかく)に登ったことがあったそうです。
項元汴の所蔵していた青卞隠居図軸は、その後、北京の旧家が入手するところとなりました。
朱彝尊は初め清朝に仕えず、各地を遍歴して学問を積んでいましたが、康煕18年(1679)、51歳の時に博学鴻詞科(はくがくこうしか)に挙げられ、北京で『明史』の編修に従事するようになります。
これは朱彝尊が北京にいた頃のお話。
北京の旧家では、後に青卞隠居図軸をお針子に持たせて、この名画を市に売りに出しました。
たまさかこれを見かけた朱彝尊は、銭30緡(びん)の手付金を支払い、書斎に掛けること10日間、ためつすがめつ天下の傑作を堪能します。
ちなみに当時の青卞隠居図軸には、玉のように堅い薄緑色の官窯の軸がついていたそうです。
しかし朱彝尊は手元不如意、どうしても残金が支払えません。その頃、にわかに戸部尚書(こぶしょうしょ)の高い地位にあった梁清標(りょうせいひょう)が名乗り出て、白金5鎰(いつ)で購得しました。
晩年に宰相を務めた梁清標は、やがて郷里に帰り、その没後、愛蔵の書画は散逸してしまったそうです。
青卞隠居図軸の余白には、項元汴や乾隆皇帝の印とともに、梁清標の印も押されていますが、10日間の所有者、朱彝尊の印が押されることはありませんでした。
乾隆皇帝や項元汴を魅了した天下の名品・青卞隠居図軸は、10月29日(火)からの公開となります(イチオシ)。
全ての宋元作品と一部の明清作品も展示替え!!特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」後期展示もお楽しみに。
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posted by 富田淳(列品管理課長) at 2013年10月23日 (水)
ほっほーい!ぼくトーハクくん。
今日は、トーハクのルーシーリューこと、特別展室の高木結美ちゃんといっしょに、特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」の会場に来ているんだほ。高木ちゃん、よろしくだほ。
高木(以下T):宜しくお願いします!
くはぁーっ!やっぱり女子と一緒だとテンションあがるほぉーっ!
さて高木ちゃん、この展覧会について教えてくださいだほ。上海博物館ってどんなところなんだほ?
T:上海博物館は、北京市の故宮博物院とならんで、中国美術の殿堂として名高い博物館です。
その秘蔵の名画のなかから、一級文物18件を含む40件もの名画が、いまトーハクに来日しています。
一級ブンブツ、ってなんだほ?
T:文字どおり、とても優れた作品のことです。日本でいう「国宝」にあたります。
これだけ質の高い絵画作品は、所蔵している上海博物館でも滅多に展示されるものではなく、
それが日本で、上野で見られる、またとない機会なんです。
それは豪華だほ!大事な絵画がたくさん見られるんだほ!
でも中国絵画ってちょっと渋いんだよね。実はぼく…、見方がよく分からないんだほ…。
T:あら~。でも、そんなトーハクくんにぴったりの、この展覧会をもっともっと楽しむ方法をご案内しますね!
おおー!よろしくだほ!
(でも、高木ちゃんと一緒というだけですでに楽しいんだほ。ほっほ。)
その1!<詩書画一致の音声ガイド>
出品作品のうち、特に厳選した作品は音声ガイドでもお楽しみいただけます。
前期後期の展示替に合わせて音声ガイドの内容も変わります。
特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」音声ガイド 300円/1台(税込)
前回のブログにありますとおり、中国絵画の魅力は、絵と書、それに詩があってこそのもの。
この音声ガイドは、作品を見ながら「詩を耳で楽しむ」ところが大きな魅力です。
ほんの少しですが中身をご紹介しますと…
一級文物 煙江畳嶂図巻(えんこうじょうしょうずかん)
王詵(おうしん)筆 北宋時代・11~12世紀 上海博物館蔵
10月27日(日)まで展示
王詵の友人であった蘇軾は、この作品を見て、次のような詩をつくりました。
「はるかに広がる川面を眺めれば、限りない愁いの心がわき起こる。
深い山には泉の水が、山道には小さな橋や店が、水面には小さな漁船があって、
まさに人と天とが一体になったかのようだ。(中略)
ああ、絵の中の人々よ、どうか私をこの絵の中に招き入れ、理想の世界に遊ばせてください。」
T:この絵を見た文人たちの心には、こうした詩が流れていたのでしょう。
浮玉山居図巻の題跋(矢印のある部分)では、元時代の黄公望が次のように書いています。
『知詩者乃知其畫矣(その詩を知れば、自然とその画もわかるようになる)』
(図録 62~63ページより)
一級文物 浮玉山居図巻(ふぎょくさんきょずかん)
銭選(せんせん)筆 元時代・13世紀 10月27日(日)まで展示
一緒に書かれている詩の意味がわかると、その絵がなにを言いたいのかがはっきり見えてくるんだほ。
ん~しかし、ナレーターのボイスがまろやかでたまらんほ。
T:そうでしょ?こうした情感豊かな詩を静かに優しく読み上げるのはナレーターの藤村紀子さん。
そしてここぞ!というところでは本展担当研究員、塚本麿充も解説します。
塚本研究員が、音声ガイドのナレーションに初挑戦しました!
すこし緊張の面持ちですが、気合いを入れて収録に臨みました。
作品を前にして、目で楽しみ、耳で楽しむ、
画中の詩、そして文人たちの生き様に思いを馳せる音声ガイドです。
その2!<渾身の図録―上海博+東博 中国絵画の決定版!>
中国絵画をもっと知りたい!と思ったらぜひ図録を読んでみてください。
宋元から明清に至るまでの名品がずらりと並ぶ、まさに中国絵画の教科書のような図録です。
特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」図録 1600円(税込)
全187頁、もちろん作品図版はオールカラー。
さらに詳しく知りたい方のために、出品作品に書き込まれた詩や跋文の書き起こし
別冊「釈文・印章編」(図録とセット購入で100円)もあります。
本展図録そのものが中国絵画史の入門書になりました。
およそ1000年の中国絵画史が語られます。
ほ~、とってもきれいで、絵も見やすいほ。
この図録の一番のおすすめポイントはどんなところだほ?
T:なによりも美しい図版が豊富に掲載されているところです!
全40件の出品作品の全図はもちろん、細かな部分の拡大写真も充実しています。
さらに解説文ではトーハク所蔵品を中心とした約100点の挿図が使われ、
中国絵画になじみのない方から、もっと知りたい方まで、みなさんが楽しめる「わかりやすい」1冊です。
いや~高木ちゃん、展覧会が100倍楽しくなるアイテムのご紹介、どうも有難うございましただほ!
広報室担当者:(トーハクくんになにやら耳打ち)
えっ?人をちゃん付けで呼ぶのはNGだって?むー、広報の人はカタイことを言うほ…。ごめんね高木ちゃん、許してほ?
T:うふふ、ずるいなあトーハクくんは(笑)。
上海博物館と東京国立博物館の奇跡のコラボレーションをどうぞお楽しみくださいね。
特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」
11月24日(日)まで(期間中、展示替えがあります。)
東京国立博物館 東洋館8室
※総合文化展観覧料でご覧いただけます
いよいよ10月11日(金)からリレートークが始まります。10月12日(土)には講演会もあります。お聞きのがしなく!
高木さんと2ショットで浮かれるトーハクくん。言動がすっかりオヤジですが、永遠の5才です。
カテゴリ:研究員のイチオシ、news、2013年度の特別展、展示環境・たてもの
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posted by トーハクくん at 2013年10月10日 (木)
こんにちは。展覧会担当研究員の塚本です。今日は特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」にようこそお越しくださいました。
いや~中国絵画って、ほんとうにいいですね!作品をずっと見ていると、理想の世界に引き込まれてしまって、現実に戻ってくるのを忘れてしまいそうになります。
えっ、良さがいまいち分からないって?そ、そんな…(泣)!
でもたしかに少しとっつきにくいかも知れません。
それでは、中国絵画をもっと楽しんでいただけるように、読み解くキーワードとなる「七つ道具」をご紹介します。
展覧会を10倍(くらい)楽しめること間違いなしです!
その1
「山水・花鳥・人物」
→中国絵画はだいたいこの三つの分野に分かれます。見ている作品が、そのうちのどれに当たるか分類してみてください。
その2
「文人の画(え)」
→中国絵画では上手い絵よりも、高い人格を持った文人(素人)が描いた絵が尊重されます。絵画は人格の表現と考えられたからです。
一級文物 青卞隠居図軸(せいべんいんきょずじく)
王蒙(おうもう)筆 元時代・1366年 上海博物館蔵
展示期間:10月29日(火)~11月24日(日)
その3
「職業画家の画」
→でも、やっぱり絵は上手いほうがいいよね。そんなあなたのために、超絶技巧の作品もあります。
滕王閣図頁(とうおうかくずけつ)(部分)
夏永(かえい)筆 元時代・14世紀 上海博物館蔵
展示期間:10月1日(火)~10月27日(日)
この部分で、縦が5センチほどの小ささ。絵が描かれている絹地の糸目と同じくらい細く緻密な線が描かれています。
その4
「詩書画一致(ししょがいっち)」
→画のなかに、作者や鑑賞した人の詩や感想が書き込まれます。それらを読んで、味わうのも、醍醐味の一つです。
一級文物 浮玉山居図巻(ふぎょくさんきょずかん)(部分)
銭選(せんせん)筆 元時代・13世紀 上海博物館蔵
展示期間:10月1日(火)~10月27日(日)
「この山水に暮らせば、世に出ることはないのだ」
元朝に仕えることを拒否した銭選の自己表明とも受け取れる詩が、右上に書かれています。
その5
清(せい)と雅(が)
→俗世間を離れた文人たちが追い求めた境地のこと。これです、私の追い求めるものは。
一級文物 石湖清勝図巻(せっこせいしょうずかん)
文徴明(ぶんちょうめい)筆 明時代・1532年 上海博物館蔵
なんて素晴らしい景色だろう。
その6
奇(き)と狂(きょう)
→でも、清いだけじゃつまらないですよね。個性を爆発させるタイプの画家の作品はこう呼ばれます。
山陰道上図巻(部分)
呉彬(ごひん)筆 明時代・万暦36年(1608) 上海博物館蔵
目がまわりそうになります。
その7
筆墨の美(ひつぼくのび)
→中国絵画では「形(似ていること)」を重視しません。
いや、正確にいえば、元時代以降、「似ていること」が悪いことになりました。
では何を描いているのでしょうか?
一級文物 漁荘秋霽図軸(ぎょそうしゅうせいずじく)
倪瓚(げいさん)筆 元時代・1355年 上海博物館蔵
展示期間:10月1日(火)~10月27日(日)
それは「筆墨」です。筆墨とは、毛筆で描いた時のかすれやこすれのことです。
人によってそれぞれ書く字が違うのは、書いた字の線も違うからです。中国人は、この線によって、無限の感情表現ができることに気が付きました。
一級文物 漁荘秋霽図軸(ぎょそうしゅうせいずじく)(左下部分)
カミソリで削ぎ落としたような、孤高を感じる筆墨。ときめきます。
一級文物 青卞隠居図軸(せいべんいんきょずじく)(中央部分)
わだかまるような複雑な感情を表す筆墨。たまらない。
このように、多種多様な「筆墨の美」にご注目ください。
どうですか?この「七つ道具」をもっていけば、もっと展覧会を楽しめそうでしょう?
西洋画とも日本画ともちょっと違う中国絵画の世界。
名品でめぐる贅沢な中国絵画の旅へ、行ってらっしゃい!
カテゴリ:研究員のイチオシ、2013年度の特別展、展示環境・たてもの
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posted by 塚本麿充(東洋室) at 2013年10月04日 (金)