TOP
 >> 館の歴史
 >> 9.関東大震災と博物館 大正から昭和へ

9.関東大震災と博物館 大正から昭和へ

関東大震災で崩壊した帝室博物館本館 

関東大震災で崩壊した帝室博物館本館 

大正12年(1923)9月1日の関東大震災は京浜地方に壊滅的な被害をもたらしたが、帝室博物館でも陳列館として使用していた建物のうち表慶館を除く第1号館(コンドル設計の旧本館)、第2号館(第1回内国勧業博覧会の美術館)、第3号館(第3回内国勧業博覧会の参考館)が大きな損害を受け、使用に耐えなくなった。幸い陳列品の被害は軽少であったため、翌年4月には表慶館での展示が再開された。この時の陳列内容をみると法隆寺献納宝物を中心に雪舟筆破墨山水図、光悦作舟橋蒔絵硯箱、興福寺十二神将像、浄瑠璃寺吉祥天像、明月院上杉重房像などを展示している。狭い陳列スペースにできるだけ多くの作品を陳列し、しかも名品を含めて内容の充実を期したことが窺われる。このような内容の維持を平常陳列の基盤として表慶館の展観事業は昭和13年(1938)の復興本館開館まで継続されたのである。

大正13年2月、皇太子殿下御成婚を記念して上野公園および動物園は東京市へ、京都帝室博物館は京都市へそれぞれ下賜されることとなり、東京帝室博物館の管轄は東京・奈良の2館と正倉院だけとなった。

翌14年には長年の懸案であった動・植・鉱物標本を主とする天産部関係資料の東京博物館(現国立科学博物館)等への譲渡が実現し、これに伴って8月15 日天産課は廃された。この結果東京帝室博物館は美術・歴史の2課制をとることになり、美術博物館としての性格を鮮明にした。

この時期の活動で注目されるのは、陳列案内や目録をはじめ図録・講演集・学報・資料覆刻など刊行物が相次いで発行されている点で、博物館の基本的業務報告である年報も大正14年より刊行されている。

また昭和3年以降は復興本館の建設が具体化し、同7年着工、11年には骨組完了および別館建設工事の開始と順調に進む一方、経済的不況や満州事変の勃発など社会情勢は不安定となって博物館観覧者は大正14年の25万人を頂点に年々減少し、復興本館開館直前の昭和12年はわずか8万人であった。

関東大震災で被害を受けた帝室博物館陳列室

関東大震災で被害を受けた帝室博物館陳列室

8.奉献美術館       10.復興本館