展覧会のみどころ
この展示では、チェスター・ビーティーが所蔵する絵巻や絵本を、日本の物語に関する6つのテーマごとにご紹介します。同館珠玉の名品「長恨歌絵巻」をはじめ、おなじみの昔話を描いた絵本などの物語絵を、様々な角度から楽しんでいただける内容です。(以下、作品画像はすべて部分。)
画像:Images courtesy of the Trustees of the Chester Beatty Library, Dublin.
チェスター・ビーティーの至宝 狩野山雪筆「長恨歌絵巻」

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狩野山雪筆 長恨歌絵巻 巻上
江戸時代・17世紀
巻上:4月27日~6月7日展示
巻下:6月9日~7月20日展示
数あるチェスター・ビーティーの絵巻・絵本の中で、最も著名な作品。玄宗皇帝(げんそうこうてい)と楊貴妃(ようきひ)の悲恋を、上質の絵の具を惜しげもなく用いて描いた豪華な絵巻で、1954年、ビーティー卿がロンドンで購入した記録が残されている。筆者の狩野山雪(かのうさんせつ)(1590-1651)は江戸時代前期に京都で活躍した絵師である。
王朝貴族のラブロマンス
王朝物語は、天皇や貴族を主人公として、和歌の贈答を踏まえた恋愛模様がストーリーの軸となっている。その発展には、平安時代における仮名の成立が大きく寄与しており、以後の日本文学、美術に多大な影響を与えた。チェスター・ビーティー所蔵の王朝物語絵は、著名な物語を網羅するとともに、質・量ともに極めて充実したコレクションとして名高い。

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源氏物語絵巻 巻一
江戸時代・元禄元年(1688)頃
『源氏物語』54帖の詞と絵を収めた大型の絵巻で、金砂子をふんだんに散らした画面に、各帖の場面が鮮やかに描かれている。詞書は能書27名の手によるもので、霊元(れいげん)天皇(1654-1732)と縁の深い貴顕が名を連ねることから、この絵巻がきわめて格式高い場で制作され、愛好されたことがうかがえる。
過去の物語に学ぶ
チェスター・ビーティーは、日本では類例の確認されていない説話絵巻や軍記絵巻を多く所蔵している。日本の物語絵のなかでも、説話や軍記に取材した作品はとても多く、平安時代末以降、それらはしばしば絵画化された。説話や軍記を視覚化したメディアは、過去に学び、その教訓を今に活かす上で、大きな役割を果たしていたのである。

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武蔵坊縁起絵巻 巻中
室町時代・16世紀
源義経に仕えた武蔵坊弁慶の物語。弁慶は顔を浅黒く、義経は白く塗り、二人は一目で分かるように描かれている。人物や景観描写も丁寧になされており、室町時代末期の制作と考えられる。義経物の流行に伴って制作された作品である。
異類に出会い、異界をめぐる
御伽草子は、室町時代後期以降に成立した短編の物語のことである。浦島太郎やものぐさ太郎など庶民が主人公のお話も多く、なかでも動物や鬼などの異類と交流し、地獄や外国などの異界を往来するなど、奇想天外なストーリーが好まれた。アイルランドは、動物、聖人、妖精などが登場する神話でも知られ、チェスター・ビーティー卿が日本の異類・異界の物語絵に興味を持ったのも、彼のルーツからかもしれない。

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酒呑童子絵巻 巻下
江戸時代・17世紀
平安時代の武将・源頼光が、その臣下を従え、酒呑童子と呼ばれる鬼を退治するというお話。チェスター・ビーティー所蔵の作品は、繰り返し描き継がれてきたお馴染みの物語を、型にはまらない独創的な表現で描いている。
芸能のイマジネーション
室町時代以降、幸若舞(こうわかまい)や古浄瑠璃(こじょうるり)といった新たな芸能が誕生し愛好された。これらは語り物と呼ばれ、物語に節をつけて読み上げ、音楽を伴って舞う芸能である。中世後期に誕生、流行したこれらの芸能は、この時代に語られている物語内容そのものが好んで絵画化された。芸能の場で語られる物語を視覚化することで、その世界観をリアルに想起させ、さらにその物語世界に引き込むような絵画が描かれたのである。チェスター・ビーティーは、「義経地獄破り」「松村物語絵巻」をはじめ、幸若舞や古浄瑠璃にかかわる優れた絵画コレクションで知られている。
義経地獄破り 上
江戸時代・17世紀
修羅道(しゅらどう)に堕ち、苦しみを受ける源義経主従が地獄を征服するが、日に三度身を焼く苦を受けたため、閻魔王の教えにより阿弥陀如来にすがったところ極楽往生したという物語。閻魔王は明らかに天皇という存在をなぞらえており、義経には天皇に奉仕する理想の武士像が重ねられている。当時の天皇と武家のあいだに生じていたせめぎ合いの様子が映し出された作品である。

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伝岩佐又兵衛筆 村松物語絵巻 巻一
江戸時代・17世紀
(会期中場面替えがあります)
相模の国司となった中納言兼家は、地元の豪族村松氏の姫を妻とするが、国司の任期が過ぎても帰京しないため帝の怒りに触れ、隠岐に流される。この間、村松一族は姫に横恋慕した曽我四郎に襲われ、姫は息子を連れて流浪し、奥州で下仕えを強いられる。山王権現の導きで赦免された兼家は姫と息子を探し出し、曽我四郎を滅ぼすという復讐譚。岩佐又兵衛工房で制作された絵巻群の一つと考えられ、海の見える杜美術館にチェスター・ビーティー本と一連の十二巻が所蔵されている。
人と自然を愛でる
日本の絵巻・絵本の中には、一見して物語を描いていないように見えながらも、その表現の向こう側に豊かな物語世界が広がっている作品も多い。春夏秋冬、あるいは月ごとに移ろう自然の姿とそれに伴う人びとの姿に心動かされることで和歌が詠まれ、そこから様々な絵画が誕生してきたのである。

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伊藤若冲筆 乗興舟
江戸時代・明和4年(1767)頃
若冲が相国寺の禅僧とともに京都から大坂まで淀川下りをした経験をもとに制作された版画巻。
拓版画(たくはんが)と呼ばれる技法を用いたどこか幻想的な画面は、観る者を異次元に誘うかのような趣を漂わせている。
「乗興舟」は、作品ごとに彫や摺に微妙な差異がある。
チェスター・ビーティー本は紙継ぎ周辺の処理や文字の位置などが改良され、若冲の目指した完成形に近づいた段階の摺ではないだろうか。さらに原題箋が遺る点でも、貴重な作例といえる。
チェスター・ビーティーについて

チェスター・ビーティー外観
アイルランドの首都・ダブリンの中心地にある国立の文化施設。ニューヨーク出身のアイルランド系実業家チェスター・ビーティー卿が世界から集めた文化財2万5千点余のコレクションを所蔵する。もともとは彼の私設図書館として設立され、その後展示ギャラリーを加えて美術館としての機能も備えるようになった。2005年に現在あるダブリン城の敷地内に移設となり、一層「世界の窓」としての性格を強めた。
ヨーロッパ、中東、北アフリカ、アジアの多岐にわたる地域の写本や稀覯本(きこうぼん)など貴重な文化財を所蔵し、これらのコレクションを通じて、世界文化の理解促進と普及につとめている。
日本の美術品は合計1,900点余りで、今回展示される絵本や絵巻のほか、江戸時代の摺物や印籠・根付なども所蔵、ヨーロッパにおける日本文化研究・普及の拠点として一役買っている。