国宝 火焰型土器 新潟県十日町市 笹山遺跡出土 縄文時代(中期)・前3000~前2000年 新潟・十日町市蔵(十日町市博物館保管) 写真:小川忠博
1089ブログ「特別展『縄文―1万年の美の鼓動』」 展覧会の見どころなどを紹介しています。
東京国立博物館 資料館 特別展「縄文―1万年の美の鼓動」関連図書コーナー設置
縄文時代とは?
旧石器時代が終わったおよそ1万3000年前から約1万年間続いた時代を縄文時代と呼びます。その名称は、縄目の文様をもつ土器が使われたことに由来します。縄文時代の始まりに少し遅れて氷期(ひょうき)は終わりを迎え、日本列島は温暖で湿潤な気候に変わり、現在と同じ山や森、そして川や海といった景観が整います。当時の人びとは、この多様な自然環境を利用し、狩猟や漁撈そして植物の採集を基本的な生業として定住生活を行いました。また土器や石器といった実用的な道具に加え、装身具そして土偶や石棒といった儀礼の道具などを作り出しました。
縄文時代の人びとは、多様な自然環境を巧みに利用し、狩猟や漁撈、そして植物採集などを基本的な生業として竪穴(たてあな)住居に住まい、定住性の高い生活を送りました。 土器の出現は縄文時代の幕開けを告げるものです。土器は当初、煮炊(にた)きの道具として用いられましたが、のちに単なる容器としての機能を超えた役割を果たします。また、弓矢に鹿角製釣針(ろっかくせいつりばり)や銛(もり)というような狩猟具や漁撈具、磨石(すりいし)や石皿など、木の実や根菜類を磨潰(すりつぶ)す調理具の登場も、新たな自然環境に合わせて生み出されたものです。 当時の人びとの暮らしのなかで作られた、さまざまな道具に表現された美意識をご覧ください。
縄文土器は約1万年にわたって作り使われ続けますが、その造形美は絶え間ない変化の連続でした。時期や地域よって、器(うつわ)の組み合わせはもちろん、その形や文様にも大きな違いがあります。しばしば縄文土器の代表として紹介される火焰(かえん)型土器も、この造形美の大きなうねりのなかから誕生したものです。
この大きな美のうねりを、文様から追いかけてみましょう。縄文土器の文様は、土器の表面に爪や指頭(しとう)、縄(撚糸/よりいと)や貝に加え、木や竹で作られた棒や篦(へら)などの道具を使って描かれたり、粘土を貼り付けて表現されたりしたものです。草創期・早期・前期の縄文土器は、道具でつけられた表現に面白さを見出した美ともいえます。中期の火焰型土器に象徴されるような立体的な装飾は、器面に粘土を貼り付けることによって生まれた美です。後期・晩期の文様は、棒や篦などの描線(びょうせん)による構図の美に特徴があります。
縄文土器の形や文様の違いを通して、約1万年にわたる美の移り変わりをご紹介します。
東アジアの東端に位置する日本列島で花開いたのが縄文文化です。狩猟や漁撈、そして採集を生業とした縄文文化は、世界最古級の土器を生み出し、世界の先史土器のなかでも群を抜く造形美を誇る土器を作り出した文化ともいえます。時期や地域によって千姿万態な縄文土器の造形美は世界的にも著名で、火焰型土器はその代表ともいえます。
一方、縄文時代中期に相当する時期のユーラシアの各地では、すでに農耕や牧畜が行なわれ、金属器の生産も始まっていました。メソポタミアでは王や権力者が治める都市も生まれ、職人が工房の窯で焼いた土器が商品として多量に作られることもありました。これらの地域では、用途に応じて素直に形作られた土器に彩色で文様を描き、表面を磨いたものが一般でした。
本章では、日本列島と、アジアからヨーロッパの土器の美の競演を通して、各地の文化や社会が生み出した美の形を探ります。
約1万年も続いた縄文時代にはあまたの形が作られましたが、縄文時代の出土品として国宝に指定されているのは、わずか6件です。初めて国宝に指定されたのは土偶「縄文のビーナス」で、平成7年(1995)と歴史が浅く、縄文時代への社会的、文化的な関心や評価が近来になって高まってきたことを表わしています。
縄文土器の代名詞ともいえる火焰型土器は、器面から飛び出すかのような力強い装飾が持ち味で、縄文人の造形力の豊かさを教えてくれるものです。縄文時代中期は、何度か訪れる縄文社会の安定期のうちの一つで、国宝になった土偶「縄文のビーナス」や「縄文の女神」が登場したことは、当時の文化が成熟期を迎えたことを示しています。
土器や土偶に凝縮された「縄文の美」との出会いをお楽しみください。
縄文時代の祈りの美、祈りの形の代表が土偶(どぐう)です。土偶は人形(ひとがた)の土製品で、縄文時代の始まりとともに登場します。当初は頭や手足は省かれていますが、乳房が表現されているため女性像であることが明らかです。土偶が命を育(はぐく)む女性をかたどるのは縄文時代を通して変わらず、安産や豊穣(ほうじょう)を祈るために用いられたと考えられています。一方、男性を象徴する造形として、石棒(せきぼう)が前期後半に出現し展開します。石棒には男性器を写実的に表現した例もあることから、子孫繁栄や豊穣のために作られたと考えられています。
縄文土器は抽象的な文様で飾られることが一般的ですが、人や動物をあしらうものがあります。これらの土器は単なる容器としてだけでなく、縄文人の思いを伝える器とも呼べるものです。このほかに、親の子へ対する思いを表わした手形・足形付土製品、海や山の豊穣を祈り畏敬(いけい)の念を込めて作られた動物形土製品などがあります。
当時の人びとの心が強く映し出された、さまざまな形をご覧ください。
日本では明治時代になって、大森貝塚(おおもりかいづか)の発掘をきっかけにして近代的な考古学が始まり、「縄文」が発見されました。考古学の研究対象としての「縄文」とは異なる「縄文」の魅力を見出したのが作家や芸術家たちです。「芸術は爆発だ!」の名言で知られる岡本太郎(おかもとたろう、1911~96)に「思わず叫(さけ)びたくなる凄(すご)み」で迫り、彼が考える芸術の本質に強く揺さぶりをかけたのが、東京国立博物館で出会った縄文土器でした。
一方、岡本に先立って多くの作家が「縄文」を愛玩(あいがん)したこともよく知られています。民藝運動(みんげいうんどう)の創始者である柳宗悦(やなぎむねよし、1889~1961)は岩偶(がんぐう)のために専用の収納箱を作り、染織家 芹沢銈介(せりざわけいすけ、1895~1984)は愛蔵する土偶を挿絵に描くこともあったのです。また、陶芸家 濱田庄司(はまだしょうじ、1894~1978)が弟子である島岡達三(しまおかたつぞう、1919~2007)とともに、教材として縄文土器を作ったことはあまり知られていません。島岡はその経験と父である組紐(くみひも)師 島岡米吉の技を生かし、縄文象嵌(ぞうがん)という新たな美を生み出しました。
本章では、作家や芸術家たちが出会い愛玩した品々をもとに、「縄文」の魅力をあらためて見つめなおします。
開催概要 |
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会 期 | 2018年7月3日(火) ~9月2日(日) | ||||||||||||||
会 場 | 東京国立博物館 平成館(上野公園) | ||||||||||||||
開館時間 | 9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで) (ただし、金曜・土曜は21:00まで開館。日曜および7月16日(月・祝)は18:00まで開館) |
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休館日 | 月曜日(ただし7月16日(月・祝)、8月13日(月)は開館)、7月17日(火) | ||||||||||||||
観覧料金 | 一般1600円(1400円/1300円)、大学生1200円(1000円/900円)、高校生900円(700円/600円) 中学生以下無料
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交 通 | JR上野駅公園口・鶯谷駅南口より徒歩10分 東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、千代田線根津駅、京成電鉄京成上野駅より徒歩15分 |
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主 催 | 東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社 | ||||||||||||||
協 賛 | 凸版印刷 | ||||||||||||||
協 力 | 文化庁、国際交流基金、大塚オーミ陶業、大塚国際美術館、日本児童教育振興財団 | ||||||||||||||
カタログ・音声ガイド | 展覧会カタログ(2400円)は、平成館会場内、およびミュージアムショップにて販売しています。(カタログ正誤表 PDF(74 KB)) 音声ガイド(日本語、英語、中国語、韓国語)は520円でご利用いただけます。 |
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お問合せ | 03-5777-8600 (ハローダイヤル) | ||||||||||||||
展覧会公式サイト | ― |