平成館 企画展示室
2010年12月7日(火) ~ 2011年3月6日(日)
平安時代の中ごろ、災害が頻発し、貴族社会が崩壊しはじめました。そしてこれらは、永承7年(1052)が 末法の初年に当たるためだと考えられました。末法とは、釈迦の死後2000年たつと訪れる、仏の教えが廃れ、世の中が乱れる時代のことです。その後、56 億7000万年後に弥勒如来が現れ、再び仏教が栄える時代がやってくると信じられていました。その時まで経典を保存するために、経典を容器に収め、地中に 埋納したのが経塚です。
現在わかっている最古の経塚は、藤原道長が寛弘4年(1007)に、奈良県金峯山に築いたものです。その後、経塚造営の風習は九州から東北まで全国に広 まっていきました。なかでも北部九州は、古代において、畿内同様、多数の経塚が築かれた地域としてよく知られています。今回は、九州の経塚の様相を、当館 所蔵の北部九州の経塚出土品を中心にご覧いただきます。
なお、この特集陳列は、考古資料相互活用促進事業の一環として行われるものです。