平成館 考古展示室
2017年3月7日(火) ~ 2017年9月24日(日)
古墳時代の土器には、弥生土器の伝統をひきついだ、野焼きで赤褐色の土師器とともに、新たな技術で作られた須恵器があります。いずれも平安時代の土器の名称にちなんだ用語です。
須恵器の器形は、貯蔵用の甕(かめ)・壺・提瓶(ていへい)、供膳用の坏(つき)、高坏(たかつき)、はそう、脚付壺などのほか、装飾須恵器などの特殊な器種も作られました。
須恵器は斜面に設けた窖窯(あながま)で、1000度以上の高温で焼かれ、窯を密閉することによって硬く青灰色に焼き上げられました。その技術は中国の灰陶(かいとう)に由来し、朝鮮では三国時代に陶質土器(とうしつどき)として発達しました。4世紀の末以降、朝鮮と日本の交流によって陶質土器がもたらされ、5世紀には日本でも製作されるようになりました。特に大阪府の陶邑窯跡群(すえむらかまあとぐん)では平安時代まで数多くの窯が営まれました。5世紀末以降、日本の各地に須恵器の窯が設けられ、古墳の副葬品として盛んに用いられました。
古墳が造られなくなっても、須恵器(すえき)は奈良・平安時代の役所や寺院で用いられ、須恵器の技術を基にして灰釉陶器も作られました。その後、須恵器の技術は中世陶器へと受け継がれました。