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あなたは誰派?女性画家タイプ診断

あなたは晴湖タイプ
「私などの絵は、もとよりお手本にはなりませんから、本当に心底から絵を研究しようと思うなら、他に良い先生がいくらもありますから、そのような方にお願いして将来の方針をお定めなさったほうが良いでしょう」
(速水不染『閨秀画家経歴談』より、晴湖の言葉を現代語訳)
 
  枯木群鳥  

時代の証言

「女史もこの文明開化熱に侵されしや否やは分らないのですが、兎も角(明治)四年八月に男子の断髪令が出るや否や女史も早速断髪してしまった程のモーダンぶりでありました。現今のモーダンガールも或は女史が其元祖であるかと思はれます。而も其毛断ぶりたるや男子と同じ様なザンギリ頭なのですから現今でも一寸驚くでせう、其れが明治の四年に於てをやです。弟子の晴翠も先生に負けずにモーダンぶりましたが勇気が続かずに又伸ばして終った。然し女史は此時から終身断髪姿で押し通してしまはれました。」
(稲村量平『奥原晴湖』より、晴湖をよく知る知人・稲村量平の証言)
トーハクくん

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奥原晴湖筆 枯木群鳥
明治時代・明治16年(1883)
(2012年7月3日(火) ~2012年7月29日(日))

奥原晴湖(おくはらせいこ) 天保8年(1837)~大正2年(1913)

 名は節。古河藩大番頭・池田政明ときくの四女として生まれる。はじめ谷文晁門下の古河藩士・枚田水石に絵を学び、29歳で奥原帯刀の養女となって江戸に出ると、文人墨客が集まる下谷(上野摩利支天横丁)にアトリエ・墨吐烟雲楼を構えた。

 のちに清の文人画家・費晴湖に因んで晴湖と号し、木戸孝允らの後援を受けて豪放な墨画が名声を博す。55歳で愛弟子・渡辺晴嵐とともに熊谷に隠棲すると、精緻で清々しい画風へと一変した。


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