『賢愚経』は中国北魏(ほくぎ)の慧覚らの漢訳した、賢者・愚者に関する小話を収めた経典。本巻は「波斯匿王女金剛品(はしのくおうにょこんごうぼん)第八」「金財品(こんざいぼん)第九」「華天品(かてんぼん)第十」「宝天品(ほうてんぼん)第十一」を書写する。聖武天皇筆と伝えるが確証はない。「大聖武」とも称され王者の風格を備えている。(20140325_h012)
『賢愚経』は、仏教における賢人(けんじん)と愚人(ぐじん)、善悪の行いに対する報いを説く寓話(ぐうわ)を集めた経典です。この写経の筆者は聖武天皇と伝わり、1行12字前後の大きな文字に堂々とした書きぶりから「大聖武」と呼ばれます。もとは16巻か17巻に書写され、東大寺戒壇院(とうだいじかいだんいん)にあったと言われます。現在は東大寺などに数巻が伝わりますが、その他の多くは、断簡(だんかん)となって、書の名品を集めて折り帖(じょう)に仕立てた手鑑(てかがみ)の冒頭を飾る名筆として珍重され、各所に分かれて所蔵されています。
明治の頃まで加賀前田家が所蔵した本巻は、「波斯匿王女金剛品(はしのくおうにょ こんごうぼん)第八」の冒頭から「宝天品(ほうてんぼん)第十一」の途中までと、「摩訶令奴縁品(まかれいぬえんぼん)」の末尾を合わせた262行からなる残巻です。表面にある粒子を釈迦の遺灰に見立てた荼毘紙(だびし)という紙が用いられますが、これはマユミという植物の繊維を原料として、凝固した樹脂などが漉(す)き込まれたものであり 、奈良時代のごく短い期間にのみ漉かれた料紙(りょうし)だと考えられています。太く重厚な線で書写された揺るぎのない文字は、顔真卿(がんしんけい)(709~785)に代表される中国の唐時代8世紀頃の書風と似ており、ときおり筆を補った跡も見られます。