平成館 企画展示室
2010年5月25日(火) ~ 2010年7月4日(日)
清朝末期、悠久の歴史を持ちながらも、未知なる中国の美術や考古に対する関心は、日本でも高まりを見せました。明治26年(1893)、岡倉天心(おかくらてんしん)は日本美術の源流を求めて、早崎稉吉(はや さきこうきち)を従え、5カ月もの間、中国各地を踏査しました。この調査旅行を契機に、中国に渡り調査を行った日本人は少なくありません。
明治34年(1901)には東京帝国大学の伊東忠太(いとうちゅうた)らが、紫禁城の建築や装飾の研究を目的に、写真師小川一眞(おがわかずまさ)を同 行して北京で調査を行ないました。明治36~39年(1903~06)には東京帝室博物館の嘱託を受けた早崎稉吉が、陝西、河南地方を調査、明治 39~41年(1906~08)には関野貞(せきのただし)が、陝西、河南、山東地方を踏査するため、数回にわたって訪中しました。
これらの調査では、19世紀前半にヨーロッパで誕生した写真技術が、調査記録の有効な手段として用いられました。当時の撮影は、現在とは状況が大きく異 なり、重く衝撃にもろいガラス乾板を用いましたが、その精度は現代の高精細画像にも劣らないものでした。こうした撮影技術を、当時の小川一眞らは習得して いたのです。
この特集陳列では、小川一眞が撮影した「北京城写真」を中心に、早崎稉吉と関野貞が撮影した写真資料を紹介します。およそ百年前の日本人がとらえた、今は失われた清朝末期のさまざまな光景をご高覧ください。