本館 16室
2009年12月8日(火) ~ 2010年1月17日(日)
蜷川式胤(にながわのりたね)(1835~82)は、明治5年から文部省博物局に勤め、東京国立博物館の創立に関わった人物です。
明治4年、蜷川は江戸城を写真撮影(翌年焼失)し、「旧江戸城写真帖」(重文)をまとめました。同年、日本で初めての文化財保護に関する法令である古器 旧物保存の布告が出されると、翌明治5年、文部省・湯島聖堂博覧会を開催した後、町田久成らと京都や奈良などに社寺宝物調査に向かいます。この宝物調査は その年の干支から壬申査(じんしんけんさ)と呼ばれています。壬申検査では、正倉院宝物ほか多くの古美術品の模写や拓本、写真撮影等が行われ、「壬申検査 社寺宝物図集」、「壬申検査関係写真」(ともに重文)として当館に伝えられてきました。これらの資料は、文化財保護活動の先駆けとして評価されています。
さらに今回は、蜷川が幕末から進めていた古美術調査に関する資料も紹介します。蜷川はすでに安政年間から各地を訪れて、社寺が所蔵する人物像などを模写し、それらの模本を大量に博物館に寄贈しました。
当館に所蔵される蜷川に関わる作品の数々は、博物館の初期の活動を知るうえで重要な資料といえます。これら蜷川が収集した資料から、日本の文化財保護や博物館の原点の一端を紹介します。