本館 特別2室
2007年8月21日(火) ~ 2007年9月30日(日)
天文18年(1549)8月に日本に伝えられたキリスト教は、天下統一を目指す織田信長のもとで興隆期を迎えます。しかし、天正10年(1582)に少年遣欧使節(けんおうしせつ)が長崎を出発すると、まもなく豊臣秀吉の伴天連追放令(ばてれんついほうれい)が施行され、キリシタン受難の時代がはじまります。寛永14年(1637)、15年の島原の乱を機に、江戸幕府は信者への迫害を強化し、隠れキリシタンが摘発され、多くの殉教者が出ています。宝永5年(1708)にはイタリア人宣教師シドッチが屋久島に潜入し、江戸で新井白石の取り調べをうけました。正徳元年(1711)に掲示されたキリスト教禁止の制札(せいさつ)は幕末まで維持され、明治政府もその政策を引き継ぎますが、国外から批判が寄せられ、明治6年2月、政府は法令の周知を理由に制札を撤去し、ようやく一定の信仰の自由が認められるようになりました。
今回は、日本におけるキリスト教の布教とその受容の歴史を、キリシタン関係遺品などによって紹介します。『天正遣欧使節記』は、少年遣欧使節がヨーロッ パ各地に起こした日本ブームの中で出版されました。シドッチ将来の聖母像(親指のマリア)をはじめ、ロザリオ、十字架などの遺品は、幕府によって没収されたものです。また、明治時代にも続いた弾圧のなかでの信仰を伝える紙捻りのロザリオなどもご覧ください。