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能「加茂」の面・装束

  • 『厚板 紅緑段雲矢襖鱗模様 江戸時代・19世紀』の画像

    厚板 紅緑段雲矢襖鱗模様 江戸時代・19世紀

    本館 9室
    2007年6月19日(火) ~ 2007年8月19日(日)

      能は、国土を祝福し、五穀豊穣を祈る芸能から始まったとされています。

      能「加茂」は寺社のいわれを語り、神仏に奉納する脇能のひとつで、京都・糺森にある下賀茂神社を舞台とします。

      ある初夏の日に、播磨(今の兵庫県)にある室の明神の神職が、室の明神と同一体であるという加茂に参詣します。すると、二人の里の女が、加茂川のほとりで神にお供えする水を汲んでいます。神職が加茂の社のいわれを尋ねると、里の女は次のように語ります。

    …昔、加茂の里に住んでいた秦氏の女性が朝晩加茂の神に水をお供えしていると、水上より白羽の矢が流れてき た、その矢を軒に指しておいた所、赤子をさずかり男児を生む、男児が3歳になったとき、その子に父親の名を尋ねると、母親が軒に指しておいた白羽の矢を指差した、すると矢は鳴雷となり、天に昇り別雷の神となった、またその母子も神となって、加茂の三所の神となった…。


      神職が、そのように神の由来を語るあなたはどなたですか、と尋ねると、里の女は神となって姿を消し ます。ほどなくして御祖の神が現れ、天女の舞を舞います。その後、御祖の神が袖を川の水に浸してすずんでいると、急に雨風が起こって稲妻が走り、雲居から別雷の神が現れ、国土を守護する神徳を説き、猛々しい神威を示した後、御祖の神は糺森へ、別雷の神は空へと去っていくのです。雷(神鳴り)は豊年の徴、ほろほろ、とどろと踏み轟かす神の鼓は、五穀成就の予祝であると言われています。

      能舞台では、里の女は唐織を着流しで着用し、小面という若い女性の面をつけ、御祖の神は長絹に大口を着用し、「増女」の面をつけて天冠をかぶります。別雷の神は顔面を金色に彩色し大きな目玉を見開く「大飛出」と呼ばれる荒神の面を付け、厚板と呼ばれる着物の上に華やかな金襴の狩衣をまとい、荒々しい神の姿を表しました。

主な出品作品

*所蔵の表記の無いものは、当館蔵品です。
長絹 紫地花熨斗桐模様 江戸時代・18世紀
厚板 紅緑段雲矢襖鱗模様 江戸時代・19世紀