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日本の貨幣-富本銭から大判・小判まで-

  • 『天正菱大判 安土桃山時代・天正16年(1588) 大川功氏寄贈』の画像

    天正菱大判 安土桃山時代・天正16年(1588) 大川功氏寄贈

    本館 14室
    2016年8月2日(火) ~ 2016年9月25日(日)

    日本における金属貨幣の初期の例は、教科書にも登場する「富本銭(ふほんせん)」や、文様を表さない「無文銀銭(むもんぎんせん)」(飛鳥時代7世紀)です。その後250年の間に、日本では「和同開珎(わどうかいちん)」(奈良時代8世紀)など、「皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)」とよばれる12種類の銅貨が発行されました。平安時代10世紀末には貨幣の製造は停止され、鎌倉時代や室町時代には、もっぱら中国製の銅貨(渡来銭)が流通しました。

    室町時代16世紀、いわゆる戦国時代を迎えると、各地の大名の領内で、商取引や戦功へのほうびに使用するための金銀貨が作られるようになります。その代表ともいえるのが、武田信玄(1521~73)が製造させた「甲州金(こうしゅうきん)」で、これは江戸時代の貨幣制度のもとともなりました。やがて天下統一を果たした豊臣秀吉(1537~98)が、最初の大判金である「天正大判(てんしょうおおばん)」を作らせます。江戸時代になると徳川幕府が貨幣制度を統一するとともに、渡来銭の使用を禁じ、ここに日本独自の貨幣制度が確立しました。

    本特集では、日本の古代から近世までの貨幣の歴史をたどります。教科書や時代劇で目にしたことのある貨幣の実物をご覧ください。

     

    担当研究員の一言

    日本の貨幣の歴史を当館所蔵品でたどります。/伊籐信二

 主な出品作品
*所蔵の表記の無いものは、当館蔵品です。
 主な出品作品
*所蔵の表記の無いものは、当館蔵品です。
天正菱大判 安土桃山時代・天正16年(1588) 大川功氏寄贈
和同開珎 奈良時代・8世紀 内蔵寮寄贈
蛭藻金 室町時代・16世紀 大川功氏寄贈
天正長大判 安土桃山時代・文禄4年頃~慶長5年(1595?~1600) 大川功氏寄贈
天保大判 江戸時代・天保9~12年(1838~41) 大川功氏寄贈
慶長小判 安土桃山~江戸時代・慶長6年頃~元禄8年(1601?~95) 大川功氏寄贈
元禄小判 江戸時代・元禄8年~宝永7年(1695~1710) 大川功氏寄贈