檜の大樹が幹をうねらせ、大枝を振りかざす豪放な形態と濃密な色彩は、当時の美意識を余すところなく体現している。天正18年(1590)に落成した八条宮(後の桂宮家)邸を飾った襖絵であったとされ、永徳の最晩年作と考えられる。
画面から突き抜けるほど大きく勢いよく描かれた檜の巨木。うねるように伸びる太い枝からも生命力が溢(あふ)れています。本作は、織田信長や豊臣秀吉といった戦国武将に寵愛(ちょうあい)された画壇の覇者、狩野永徳の手になる作品です。永徳は、力強くダイナミックな「大画(たいが)」と呼ばれた画風で多くの障壁画を制作しました。
本作は、桂宮家(かつらのみやけ)(もと八条宮家(はちじょうのみやけ))に伝来し、宮家廃絶により皇室の所蔵品となり、大正9年(1920)当館に引き継がれました。画面に襖(ふすま)の引手(ひきて)金具の跡があることなどから、もとは秀吉によって造営され、天正18年(1590)12月に落成(らくせい)した八条宮邸の襖であったと考えられています。同年9月に亡くなった永徳最晩年の画風を知るうえでも大変貴重な作品です。
色数を抑え、描くモチーフを限定しているのも特徴の一つです。その上で、濃い墨や金で荒々しく檜を描くことにより、巨木が屏風の枠を越えて見る人に迫りくるかのような、圧倒的な存在感をより強調する画面を作り出すことに成功しています。永徳が得意とした豪壮華麗な画面は、戦国武将たちが愛した当時の美意識を今に伝えています。