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5.山下門内博物館 内務省時代の博物館

博物館門額 町田久成書

博物館門額 町田久成書

博物館は、明治6年(1873)3月、博覧会事務局・書籍館等と合併して、内山下町に移転した。これ以後、上野公園に移転する明治14年まで博物館はこの地において展観業務を行なった。陳列館は古器物・動物・植物・鉱物・農業・舶来品など7棟で、ほかに動物飼養所・熊室・温室などがあった。

この博物館は移転後間もない4月15日から2ヶ月の予定で博覧会を開催する。ウィーン万国博覧会に出品した余りと博物館の収蔵品、それに諸家の所蔵品などが出品された。そのうち主なものでは銅鐸・銅鉾・金鯱・顕微鏡・西洋骨牌などがあった。この博覧会は好評で、会期も延長されて3ヶ月半におよんでいる。博覧会の終了後は毎月1と6の日に開館している。明治7年にはまた博覧会を開催し、古器物や物理・化学の実験道具、医学に関するものなどが並べられた。この年旧湯島大成殿では、新古書画の博覧会が開催されている。明治8年3月30日博覧会事務局は内務省の所管となり、博物館と改称、その後内務省第六局、再び博物館と改称をへて博物局博物館となった。

なお、博物館のあった内山下町は現在の千代田区内幸町一丁目、帝国ホテル、みずほ銀行本店、NTT東日本などがある一帯である。江戸時代には薩摩藩の装束屋敷、飯山藩・小城藩の藩邸があった。内山下という地名は、山下町と外濠をはさんでの内側、つまり山下門内に位置するところから、明治5年になってつけられたものである。明治16年に鹿鳴館が立てられ(23年華族会館となる)、20年には帝国ホテルが開館する。

山下門内博物館の表門

山下門内博物館の表門

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