本館 16室
2008年2月19日(火) ~ 2008年3月30日(日)
草創期の東京国立博物館では、明治6年(1883)に設置された考証(こうしょう)課が中心となって、国内の古器物(こきぶつ)を調査し、展観や保存をする事業、歴史資料や美術品を通して伝統文化に親しむ普及活動、和漢書をはじめとする厖大(ぼうだい)な図書の公開などを行っていました。同9年(1876)に考証課を引き継いだ史伝(しでん)課は、古今の典籍(てんせき)、画図類、古墳などの発掘品、祭器、貨幣、武器、服飾などの歴史的遺品を対象に、「史伝上ノ疑ヲ解ク可キモノ又一日シテ了解シ難キモノノ図説」すなわち図録の作成を行うなど、芸術部とともに博物館の中核的な存在でした。
明治22年(1889)帝国博物館に改称し、その際、史伝課は図書課と合体して歴史部となります。歴史部は、「時世ノ沿革ヲ徴スヘキ古今ノ物品ヲ蒐集(しゅうしゅう)陳列保管シ及ヒ之ニ関スル編著ノ事ヲ掌ル」ものでした。これは東京国立博物館を歴史・美術博物館として位置づけようとする当時の総長・九鬼隆一(くきりゅういち)の構想にもとづいており、各部の分掌から作品の蒐集、区分、陳列の方法、図書の出版や講演などにわたる新要領が示されました。しかし昭和13年(1938)の東京帝室博物館復興本館の開館時に、歴史部は廃止され、その収蔵品は古美術の中に編入されました。当時の研究員は「資料の文化史的価値を無視した分類」と書いています。
今回は、歴史部の変遷に関わる資料を通して、それらの作品の収集、分類、展示が、どのような方針で行われていたかを考えてみたいと思います。