今号のイチ推し!
◎埴輪 盛装女子(はにわ せいそうじょし) 群馬県伊勢崎市豊城町横塚出土 古墳時代・6世紀
埴輪に表された、
古代日本の衣装を紐解く
- 平成館考古展示室
- 通年展示
人びとがどんな服を着ていたか? は考古学の苦手分野のひとつです。したがって人物埴輪のような衣装を表現した造形品は貴重ですが、肝心の色が分かりません。埴輪の表現を理解するためには、飛鳥時代以降の服飾史の知識が不可欠です。そこで当館客員研究員の沢田むつ代氏にこの埴輪の衣装について聞きました。
この埴輪は島田髷(しまだまげ)を結い耳飾・首飾・腕飾で装った盛装の女子です。丸襟の上衣は袖なしで上下2ヶ所を紐で留めています。奈良時代の伎楽装束を参考にすると、彼女は無紋の筒袖(つつそで)の袍(ほう)の上に、ベストのような背子(はいし)あるいは別の裂(きれ)をつけ足して丈を長くした半臂(はんぴ)のような衣服を着ていたようです。袖口の2本の刻線は、奈良・中宮寺所蔵の天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)の人物のように色の違いを表しています。また、上着の裾(すそ)や裳(も)の裾に引かれた線も同様で、異なる色の織物で縁取っているかのようにみえます。青海波風模様が描かれていますが、太刀や腰飾り等の魚佩の鱗文や半円の幾何学文の可能性もあります。死装束とされる左前ですが、このような人物埴輪は珍しいものではないようです。
下半身には、襞(ひだ)のあるスカート(裙、または裳)をはき、褶(ひらみ)を着けています。褶とは男子の袴や女子の裳の上に着け、本作品では腰のあたりに引かれた横線で違いが表現されています。日本書紀には冠位十二階が施行された2年後の推古13年(605)に、「皇太子はじめ高官は褶を着用せよ」との命がくだされます。本作品の制作時期は6世紀後半頃と考えられ近い時期です。あたかも芸術家がデッサンするように、盛装し儀式に参列する女子の全身をリアルに写し取ったものかもしれません。
ところで、当時の日本人(倭人)を描いた作品として「職貢図(しょっこうず)」が有名です。現本は失われていますが模本には南朝梁に朝貢した外国使節が表されています。この中の倭国使の姿は頭や腰に布を巻いて裸足で合掌し、ぱっとしません。もしも、本作品のような人物埴輪がなかったら、当時のファッションのイメージは今とは大きく異なっていたはずです。傑作をつくり出した古墳時代の埴輪工人には感謝しかありません。平成館2階特別展室では、特別展「はにわ」を開催します。あわせてご覧ください。