重要文化財 陣羽織 猩々緋羅紗地違鎌模様

武士の装い―平安~江戸

背中の裏には「永」の文字が!リバーシブルだったのかもしれません マントのような広い袖や立ち襟は、南蛮人の服装の影響でしょう

重要文化財陣羽織 猩々緋羅紗地違鎌模様

伝小早川秀秋所用安土桃山時代・16世紀

背に鎌、胸に祈り、

陣羽織に込めた武将の願い

  • 本館2階
  • 4月14日(火)~6月28日(日)

 武将たちが陣中で鎧の上から羽織った防寒着のことを陣羽織と称します。陣中では、自分を誇示するために、大胆で遠目にも目立つ個性的なデザインの陣羽織が仕立てられました。陣羽織を仕立てている羅紗の猩々緋とは、中国の伝説に登場する酒好きの妖精・猩々のように鮮やかな赤のこと。その背中にくっきりと黒い鎌がクロスする大胆なデザインが目を惹きます。ビビットな色使いは、この時代にヨーロッパ産の毛織物、羅紗が南蛮貿易を通して日本にもたらされたおかげなのです。家畜を飼育する習慣を持たなかった日本では、毛織物は生産されることのない珍しいもので戦国武将たちに大人気でした。もちろん、毛織物は撥水効果や保温効果などが高く、時に風雨の厳しいなかで戦う武将たちにとっては機能性も兼ね備えていたといえるでしょう。背中の違い鎌は、この時代に特有の技法を用いて製作されています。赤い羅紗を鎌の形に繰り抜いて、そのなかに象嵌のように黒と白の羅紗を切り嵌めているのです。

 この陣羽織は小早川秀秋(こばやかわひであき 1582〜1602)が着ていたと伝えられています。違い鎌紋は諏訪明神の神紋でもあり、武芸の上達や武運を祈る意味が込められています。豊臣秀吉の近親として朝鮮出兵など多くの時を戦場で過ごした若い武将に相応しい、若々しく、覇気あふれるデザインです。着用した姿を想像してみましょう。ちょうど左右の腕の部分に鋭い鎌の刃があたるので、大きく動くたびに鎌を振り翳(かざ)すかのようにみえたことでしょう。

 背中の大胆な姿ばかりが特に注目されるのですが、実は前からみても面白い意匠が凝らされています。前身頃をあわせる部分は、菊斜文模様錦(きくしゃもんもようにしき)で鳥居形につくり、西洋の服飾にみられるような赤い小さなボタンでとめる仕組みになっています。鳥居形は、いつ命を落とすともしれない戦場で神の御利益を願ったのでしょうか。裏地はヨーロッパ調の花葉文を織り出した緞子(どんす)ですが、実際には中国で織られたものです。さらに、隠れた裏地の背中部分に青緑の絹糸で大きく、丸に「永」の文字を、渡し繡(ぬい)という安土桃山時代特有の刺繡技法で表しています。武勇伝でもしられた秀秋ですが、その一方で命が永らえることを祈っていたのかもしれません。

(小山弓弦葉)