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1089ブログ

特別展「青山杉雨の眼と書」 入場者3万3千人達成

特別展「青山杉雨の眼と書」は、2012年8月28日(火)午後、3万3千人目のお客様をお迎えいたしました。(あおやま「さん」う、ということで、「3」万「3」千人のお祝いです!)
これまでご来場いただいたお客様に、心より感謝申し上げます。

3万3千人目のお客様は、千葉県よりお越しの諏訪林郁子さんです。
東京国立博物館長 銭谷眞美より展覧会図録を、
青山杉雨のご長男でいらっしゃる青山慶示氏より、杉雨作品のレプリカを贈呈いたしました。

青山展 3万3千人セレモニー
右から、銭谷眞美館長、青山慶示氏、諏訪林郁子さん、島谷弘幸副館長
2012年8月28日(火) 東京国立博物館平成館にて


諏訪林さんはご自身も書道をされていらっしゃるとのこと。
「自分の作品を家の中に飾っていますが、一番良い所にこのレプリカを置きます。これから展覧会をみて、自分の作品制作に反映できたら嬉しいです」とお話いただきました。

特別展「青山杉雨の眼と書」の会期はいよいよあと2週間、9月9日(日)で閉幕となります。
昭和を代表する書家、青山杉雨の表情豊かな作品の数々をぜひご覧ください。
皆様のご来館を心よりお待ちしております。
 

カテゴリ:news2012年度の特別展

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posted by 広報室 at 2012年08月28日 (火)

 

さらに詳しく!「運慶周辺と康円の仏像」

特集陳列「運慶周辺と康円の仏像」(本館14室、9月17日(月・祝)まで)のみどころについて、前回のブログで3つのポイントを紹介しました。
みなさんに実物を見ていただきたいので、ヒントのみで解説を省いた部分があります。今回は、来館できない方のためにも、隠さずにお話しします。

まず、真如苑の大日如来坐像の後ろ姿です。

 重要文化財 大日如来坐像 平安~鎌倉時代・12世紀 東京・真如苑蔵
重要文化財 大日如来坐像 平安~鎌倉時代・12世紀 東京・真如苑蔵

背中を斜めにわたる帯を条帛(じょうはく)といいますが、一度裏返っています。腰の部分は巻きスカート(裙(くん)といいます)の上端を折り返しています。
スカートをとめているベルトは隠れて見えません。その下のまっすぐな線は腰に巻く帯です。少し厚みがあるのは、端を折り返しているからです。
 

 重要文化財 大日如来坐像 平安~鎌倉時代・12世紀 東京・真如苑蔵

頭の上に結い上げた髻(もとどり)の背面は渦巻きが4つ表わされています。
やはり運慶の作と見られている光得寺大日如来坐像ほか、快慶の作品にもあります。


重要文化財 大日如来坐像 平安~鎌倉時代・12世紀 東京・真如苑蔵

さて、一番注目していただきたいのは、スカートの少し上です。腰回りの肉が少し弛んでいるのがわかりますか?
なかなか写真ではわかりにくいのですが、実際に見ればはっきりわかります。こうした微妙な表現を見ると作者の腕前に感心します。



次に康円の文殊菩薩像の光背に表わされた迦陵頻伽(かりょうびんが)です。横笛を吹く像(左)と笙を吹く像(右)を比べてみましょう。

 
重要文化財 文殊菩薩騎獅像 康円作 鎌倉時代・文永10年(1273)の光背の迦陵頻伽の顔の部分

印象はいかがですか。左は繊細、右は少し鈍いですね。髪の毛の彫り、目の形が違います。
左の方がいきいきして今にも笛を吹きそうです。
 


左の像、口を尖らせて、頬が少しへこんでいます。笛に口を接する直前をみごとにとらえています。
耳の形も違います(笛を吹く像の右耳は下半分欠けています)。右の耳の形は鈍いですね。
左は髪束に押さえられて耳がたわんでいますが、右はそれもありません。
 



翼はどうでしょうか。左が笛を吹く像の右側、右が笙を吹く像の左側の翼です。
色も違いますが、ここでは彫りを見てください。左の翼の骨部分(羽の付け根)の曲線が力強いですね。
骨に沿って鋸の歯のようなものが並び、その外に羽が二段生えています。

右の翼はどうでしょうか。比べてみてください。
全体の輪郭は左の方がゆったりと大きくカーブしています。
右側は一枚ずつの羽の重なる部分が大きく、羽の形がはっきりしません。
左側は重なっていても形は明瞭ですし、立体感もあります。
右は羽は規則的に並び単調ですが、左は羽のいくつかは少し反っていて、変化に富んでいます。
 


左が笛を吹く像、右が笙を吹く像です。
脚、指、蓮華、唐草の彫りもやわらかさ、立体感が違います。
以上、笛を吹く像が康円作、笙を吹く像は後世の補作です。(ちなみに笛を吹く像の左側の翼も後世の補作です)



次にこの文殊菩薩と侍者が中国の聖地五台山から来たことを示す表現です。
 

重要文化財 文殊菩薩騎獅像 康円作 鎌倉時代・文永10年(1273) 台座部分

中国から来るには海を越えなければなりませんね。だから獅子の乗る岩の下に海が描かれています。
この文殊菩薩一行が海上を飛んでいる絵もあります。京都の醍醐寺の絵が有名ですから、本で探してみてください(金子啓明編『文殊菩薩像』「日本の美術」314、至文堂、1992年)。
こうした絵は渡海文殊(とかいもんじゅ)と呼ばれます。
中世以前の像で像と同時に作られた台座や光背が残っていることは稀です。たとえ残っていてもほとんどは色がはがれています。ですからこの海の表現はとても貴重です。

この特集陳列は9月17日(月・祝)までです。実物をご覧になればもっと面白い発見があるかもしれません。
ぜひご来館ください。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ仏像

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posted by 浅見龍介(東洋室長) at 2012年08月27日 (月)

 

博物館の仕事って? インターンシップ始動!

博物館を「職場」として考えたことのある方はいらっしゃいますか?
博物館で働いている私も、よく「何をしているの?」「監視員をしているの?」と聞かれます。
中学生や高校生からインタビューを受けると、やはり「作品を扱う研究」「展示室の監視」以外の仕事は注目されていないように感じることもしばしば。
実際、どんな仕事があり、どんな人たちが働いているのか、想像しづらいのかもしれませんし、将来の職業を考えたときに「博物館職員」を思い浮かべたことがない、といわれてしまったことも・・・
今後は博物館の仕事のご紹介もしていけたら、と思っていますが、まずは皆さんに「インターンシップ」をご紹介します。

インターンシップとは、博物館職員を目指す学生に向けて、博物館がどんなところなのか、どんな仕事をしているのかを知り、学習意欲や職業意識を高めてもらうための就労体験プログラムです。
今年もその活動が始まりました。

では、いったいどんな活動をしているのでしょうか?
たとえば教育普及室のインターン生は・・・
実際にお客様とふれ合いながら、ワークショップの補助をします。
インターン生でなければ、ファミリーや小中高校生向けプログラムに参加する機会もありません。
なによりインターン生にとってはお客様の声を直接聞くことができる、とても貴重な機会でもあるのではないでしょうか。


アクティビティ補助のインターン生
スクールプログラムで行ったアクティビティの補助をする教育普及室インターン生

もちろんこのほかに、ワークショップで使うものの準備、アンケート集計、分析などもしながら、博物館のいま、と向き合ってもらいます。
そのうえで各自の活動最終日には「トーハクでどんな教育プログラムを行いたいか」を発表します。
博物館教育課の職員が生徒役としてワークショップ案のデモンストレーションをしたり、スクールプログラムの新たなコースの提案であったり。
いろいろなアイディアは私たちにとっても刺激となります。

プログラム提案発表をするインターン生
インターン生の発表風景。考古展示室でのプログラムを提案してくれました。

他の部署でも、講演会の補助や、展示関連資料の作成、展示や保存の現場の見学など様ざまな仕事を行っています。

たとえば広報室。
インターン生は広報室職員と、トーハクの顔であるユリちゃん、トーハクくんに見守られて博物館ニュースの校正、ウェブサイトの更新、チラシやポスターの管理や掲示など多岐にわたる業務に挑戦していきます。

広報室のインターン生
いろいろな仕事を見て、知って、できるだけ体験してみてください!

そして年度末、インターンシップの課程を修了した学生に対し、館長から修了証を授与します。

インターン修了式
平成館大講堂でひとりひとりに修了証が授与されます。
お疲れさま!でも送り出す私たちとしてはちょっと寂しい日でもあります。


博物館の裏側にまわり、いろいろな仕事を知り、「こんなことまで!でもいろいろな仕事があって、はじめて展示ができて、はじめてお客様をお迎えできるんですね」という感想も。
いつか博物館職員になりたい、という夢を叶えてくれることでしょう。
実際に夢を叶えたひとは何人もいます。

東京国立博物館のインターンシップは、毎年4回に分けて募集、選考し、10~30日間、受入部署の業務補助というかたちで活動しています。
今年はあと2回、選考が残っています。
我こそは!と思う学生の皆さん、ご応募をお待ちしております。(募集要項はインターンシップのページをご覧ください。)
また、インターンシップの対象ではない中学生、高校生の皆さんには職場体験スクールプログラムがありますのでどうぞご利用下さい。

博物館も職場のひとつ。
そんな目で館内を歩いていただくと、きっといつもと違う博物館の姿が見えてくると思います。
 

カテゴリ:教育普及

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posted by 川岸瀬里(教育普及室) at 2012年08月25日 (土)

 

中国山水画の20世紀ブログ 第11回-90年前の美術交流 -第二回日華聯合絵画展覧会の画家たち-

いまからちょうど90年前、1922(大正11)年4月28日、3人の中国人画家が東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)を訪れます。
その名も金城、陳師曾、呉熙曾。
同年5月2日から東京府庁内の商工奨励館で開催された第二回日華聯合絵画展覧会で訪日のさなかのことでした。


金城(左)と陳師曾(右)

日華聯合絵画展覧会は前年の1921年、北京と天津で開かれ、当代日中気鋭の画家たちの作品を集めたことで大変な好評を博しました。
その続編として、日本を開催地として企画されたのが第二回日華聯合絵画展覧会です。
2月に企画が具体化し、政界、財界の支援も得て5月には開幕という、大変タイトなスケジュールであったため、会場探しにも苦慮したようです。担当者はさぞかし大変な苦労があったことでしょう。

日本側は川合玉堂、小堀鞆音、小室翠雲など79人の画家が出品。
中国側は金城、陳師曾はもちろんのこと、呉昌碩、斉白石など70人以上の画家、総数445点にのぼる作品を展示。
斉白石がその名を知られるようになったのもこの展覧会でした(「竹内栖鳳と高剣父」参照)。

この日華聯合絵画展覧会は1929年、第五回を上海、大連、奉天で開催したのを最後に開催されることはありませんでしたが、この第二回は、中国の同時代の画家たちの作品が日本で初めて、まとまった形で展観された画期的な展覧会でした。

さて、東京帝室博物館を訪問した日の午前中、中国画家一行は東京美術学校(現・東京芸術大学)を訪問しています。案内役は「美校」教授の大村西崖。
西崖は彼らの来日の前年、1921年に念願だった中国訪問を果たし、北京の地で金城、陳師曾らと会っています。
特に陳師曾にはとてもお世話になったようです。北京での案内役をかってでた陳師曾は日本に8年も留学していたので日本語はペラペラ。北京の有名書画コレクターや現代作家の訪問ができたのも、日中両語を解する陳師曾の手助けなしには実現不可能だったことでしょう。
西崖が瑠璃廠という、東京でいえば神保町のような「北京の古書店街」で大量の古典籍類を「大人買い」することができたのも、陳師曾の尽力あってのことでした。


現在の瑠璃廠

今回の特別展では、この二人の交流を示す、二冊の書物を展示しています。



1921年、大村西崖が訪中前に書き上げた『文人画の復興』(右)と、陳師曾の編になる『中国文人画之研究』(左)です。
『中国文人画之研究』には、西崖の『文人画の復興』を陳師曾が中国語訳した「文人画之復興」と、西崖に強い影響を受けて書かれた陳師曾の画論「文人画之価値」が収められています。
当時、「文人画」は、岡倉天心やフェノロサによって形成された「日本美術史」の枠組みから見捨てられた絵画主題でしたが、
その価値を再発見しようとしたのがこの二人の著述でした。
「近代化」、すなわち「西洋化」という流れの中で見捨てられていった、伝統主題としての「文人画」というキーワードが、
「東アジア」を包摂する美術用語として甦るきっかけをこの二人は担ったと言えるでしょう。
一見、ただの古い本。
ですが、この2冊の書物は、90年前の日中の美術交流を示す貴重な資料と言うことができます。

さて、記録によれば、来日画家3人はほぼ毎日宴会攻めにあっていたようです。連日の酒宴で疲労した身体を引きずりつつ、彼らは90年前の当館をどのように見ていたのでしょう?


東京国立博物館・旧本館

加えて、90年後、自らの作品が東京国立博物館に陳列されていることに、どのような想いもっていることでしょうか?


画面奥、中央が陳師曾「山水図」(No.23)。右が金城「秋山雨後図」(No.24)

1922年の第二回日華聯合絵画展覧会から90年を経た2012年の夏。
特別展「中国山水画の20世紀」は、20世紀中国絵画を見渡す、日本では空前の試みといっていいかもしれません。
近百年来の中国近現代絵画を振り返る、まさに「教科書」のような展覧会となっています。

今回作品をお借りした中国美術館でも、これだけの質と量の作品を一堂に展示する機会はなかったということです。
会期も残すところあとわずか。今週日曜、8月26日(日)でついに閉幕です。
どうぞ会場に足をお運びください。

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

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posted by 土屋貴裕(絵画・彫刻室) at 2012年08月24日 (金)

 

美術解剖学のことば 第8回「レオナルド・ダ・ヴィンチと美術解剖学」

特集陳列「美術解剖学―人のかたちの学び」は、2012年7月3日(火)-29日(日)の会期をもって、無事終了いたしました。

西洋・日本近代美術、美術解剖学・解剖学、美術教育、森鷗外関係など、多くの美術・美術解剖学ファン、研究者の方々から反響をいただきました。

トーハクにはまだまだ、江戸時代の「重訂解体新書」(キュルムス(杉田玄白訳)・大槻玄沢著)や、
モチーフとしての骸骨、しゃれこうべ、木製の骨(木骨)・・・黒田清輝のヌードデッサン、そして重要文化財「智・感・情」 など、
美術解剖学の視点で語ることのできる作品・資料がいっぱいです!
1089ブログ【美術解剖学のことば】では、より現代的な美術解剖学的視点で、所蔵品を中心に、タイムリーな情報を発信していくつもりです。
 
今回は、150万人以上が来場した「モナ・リザ」展(1974年)や、「受胎告知」が話題となった「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像」展(2007年)など、トーハクとも深い関わりがあるレオナルド・ダ・ヴィンチに敬意を表し、彼の手稿について触れたいと思います。

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 レオナルド・ダ・ヴィンチの解剖学手稿は、たいへん幸せな事に、日本でも開催された展覧会で目にする機会に恵まれ、
現在では文庫本で気軽に読むことができます。(やや古い本ではありますが、とても味わい深い内容です。)

 レオナルド・ダ・ヴィンチの手記表紙
「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(下) 〔全2冊〕」(筆者私物)
杉浦民平 訳 岩波書店 1958年・第1刷発行 1989年・第32刷版


彼の解剖学スケッチは、いま描かれたばかりではないか、と思えるほどなのですが、
その記述は、ヨーロッパの「中世的な科学思想、ならびに、用語をもって語っている」ので、
現代人が読む場合のコツとして、西欧・中世的な頭にスイッチする必要がありそうです。
※同書中、訳者による「解説」より

おお、このわれわれ人間機械の探求者よ、
君は他人の死によって知識を得るからといって悲しむな。
われわれの創造者がかかる優秀な道具(ストルメント)に
智慧(インテレット)を据付けて下さったことを悦びたまえ。 〔Qu. An. Ⅱ.5 v.〕


レオナルドが機械論的に身体を捉えている事がわかりますね。
彼の解剖スケッチは、身体のうち単体のパーツではなく、
必ず2つ以上のパーツの構造とそれらの関連を示すように描かれています。
たとえば骨と骨、それをつなぐ腱や筋肉、そしてそれらの構造によって
どんな動き/はたらき=機能が生み出されるのか、を描いているのです。

レオナルドはそれを機械的なしくみとして図示し、
その構造が生む「はたらき」の根源である“魂”の存在にまで言及しようとしますが・・・
どうやら「脳」の機能にまで至る記述は見当たらないようです。

魂は判断の中に座をしめているようだし、
判断はすべての感覚が集る場所にあるようだ。
それでこれは共通感覚と称せられる。
そして〔それは〕数多の人々が信じて来たように、
体じゅう到る処に偏在するのではなく、
いなむしろ一部分にその全体が存在している。(後略)  〔De. An. B 2 r.〕


学生の頃、第2外国語ではイタリア語を選択しましたが、
辞書を片手にしてもレオナルドの鏡文字による記述を解読するのは困難です。
(イタリア語を学べばダンテ「神曲」が読める!とおだてられた記憶が)

話を戻しましょう。

今回の特集陳列では、明治期の美術雑誌『美術評論』を展示しました。
この雑誌に、森鷗外・久米敬一郎が无名氏(森林太郎・久米桂一郎)の名で、
「藝用解剖學」を連載したのですが、その挿図にレオナルドの解剖図を使用しています。

  藝用解剖學
藝用解剖學 (雑誌「美術評論」連載)  无名氏(森林太郎・久米桂一郎)著 明治31~33年(1898~1900) 個人蔵

おそらく当時の日本人にとって、レオナルドの解剖スケッチは、たいへん貴重な情報源であり、
人のかたちの新しい認識方法としては大きな衝撃だったのではないでしょうか。


藝用解剖學 (雑誌「美術評論」連載) 挿図のページより
レオナルドの解剖手稿から、いくつかの挿図をコラージュして誌面を構成しています。



もともとレオナルドは「中世的な科学思想」の考えで、自らの経験そのままを書きとめたと思われますが、
鷗外・久米による「藝用解剖學」では、既に近代の科学(医学的)思想からレオナルドのスケッチを紹介しているのがわかります。

特集陳列では、レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿から転載された、
有名な図である「ヴィトルヴィウス的人体図」のページも展示しました。

当ブログ「美術解剖学のことば 第7回<コントラポスト> “人が立つかたち” と “美の基準”」を参照ください。

 
芸術解剖 ― ヒトの外形、静止、運動の記載   ポール・リッシェ著  1890年  個人蔵
Anatomie antistique.  Description des formes exterieures du corps humain au repos et dans les principaux mouvements
Paul Richer(1849-1933)

美術解剖学という「学び」において、レオナルドの解剖手稿は、
現在も最高・最良の図譜と記述を参照することができる、
原点であり、ひとつの到達点である、ということなのだと思います。

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 木下史青(デザイン室長) at 2012年08月22日 (水)