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1089ブログ

もうひとつの図譜の魅力―特集「江戸時代の図譜文化―堀田正敦編『禽譜』とその魅力」番外編

本館15室で10月上旬まで開催していた特集「江戸時代の図譜文化―堀田正敦編『禽譜』とその魅力」(2024年10月6日(日)まで)を担当した研究員の長倉です。
本特集では、江戸時代初期における解説文中心の「譜」から、徐々に図が加わる「図譜」へと変遷していく歴史的過程と、図譜制作者が本草学者だけでなく、大名、絵師、医師などに広がっていく様子を魅力として紹介していました。
このブログでは、私自身が感じている、もう一つの魅力を紹介したいと思います。


特集「江戸時代の図譜文化―堀田正敦編『禽譜』とその魅力」の展示風景

図譜の説明文をよく読んでみると、説明文を書いている人物は、実際に対象をみているのではなく図をもとに解説していることに気づきます。

(図1)禽譜 水禽1(きんぷ すいきん)(部分)
堀田正敦編 江戸時代・18~19世紀写
図1の解説文
解説には、「未た親く見ず。松山侯の写真を謄写し後寛政五年阿魯斉主人齎来る所の図中にこの鳥あり。(後略)」とあります。

 


(図2)禽譜 水禽1(部分)
左側の解説には「仙台侯の蔵図中になり。其図を見るに常のカモより稍大。(後略)」とあります。


さらに他の図の書き込みをみると、いくつかの図を照会、比較しながら解説していることもうかがえます。


(図3)禽譜 水禽1(部分)
左側の解説には「これもサクガモ一種と見ゆ。黄水鴨の名は毛色を以名をつけしものにや」とあります。



(図4)禽譜 水禽1(部分)
こちらの解説文にも「これも薩州侯の蔵図を伝写せしもの也。(後略)」とあります。


また、解説文を読んでいると、同じ筆跡が同一の図譜の中のあちこちにあることに気づきます。

(図5)禽譜 水禽1(部分)
図5の解説文拡大図

 

(図6)禽譜 水禽1(部分)
図6の解説文拡大図

 

(図7)禽譜 水禽1(部分)
図7の解説文拡大図

 

これらはわずかな事例ながら、図譜を著した人物の考えや、図譜の編纂の過程を示すものと考えられます。
図7の文章の終わりに「栗瑞見」と名前が記載されているように、この3例は幕府奥医師であった栗本丹洲(1756~1834)による解説です。丹洲は独特の文字ゆえ、容易に気付きます。ちなみに、丹洲は多くの図譜を残していることから、他の図譜でもこの文字を追いかけることができます。

(図8)栗氏図森(りっしずしん)(部分)
栗本丹洲著、狩野惟信他画 江戸時代・18~19世紀

(図9)栗氏図森(りっしずしん)(部分)
栗本丹洲著、狩野惟信他画 江戸時代・18~19世紀

(図10)鴆説(ちんせつ)
栗本丹洲著、増島蘭園跋 江戸時代・文政2年(1819)序

図譜に書き込まれた文章は、比較的読みやすい文字で書かれています。今後も図譜をご紹介していきます。図だけでなく解説文にも注目していただき、皆さまにとっての「魅力」を発見していただければと思います。

カテゴリ:書跡特集・特別公開

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posted by 長倉絵梨子(書跡・歴史担当研究員) at 2024年10月17日 (木)

 

アジアのおしゃれファッション

東洋館では毎年恒例「博物館でアジアの旅」(2024年10月1日(火)~11月10日(日))を開催中です。
東洋館正面玄関
 
今年のテーマは「アジアのおしゃれ」!衣装やファッションアイテムなど、「おしゃれ」にまつわる作品をピックアップして、展示しています。衣装は身にまとっていた人々の個性を如実に反映しているものではないでしょうか。作品を見てみると、今の私たちとそう変わらないように、時代や地域を問わず、人々がおしゃれを楽しんでいたことが伝わってきます。
 
例えば、3階の5室、中国の染織に展示されている、こちらの作品。
坎肩(カンジェン) 紅透紋紗地花蝶文様 中国 清時代・19世紀
 
これは坎肩(カンジェン)とよばれる、女性のチョッキ型の衣装です。おそらくは清時代の身分の高い女性がまとっていたものと考えられます。
清は17世紀から20世紀初頭まで、中国本土からモンゴル高原にかけて、満州族が治めた中国の王朝でした。古くより満州族が乗馬を得意としていたことから、衣装の装飾性だけでなく、実用性も重要でした。
このようなベストは、まさにおしゃれだけでなく防寒用としても活躍したことでしょう。
 
細部を見てみますと…
坎肩(カンジェン) 部分1
 
絹糸をたっぷりと使った、繊細な刺繡で表現された牡丹と蝶がみえます。牡丹は段ごとに色糸を変え、見事なグラデーションを表現しています。蝶も細かく刺し方を変えることで、まるで本物のような質感を生み出しています。
牡丹は、富や高い身分を示す「富貴」の花として親しまれ、さらに蝶(dié)という漢字は70歳を示す「耄耋(ぼうてつ)」の「耋(dié)」と、中国語で同じ発音をします。つまり、蝶には長寿の願いが込められているのです。
見た目に華やかなだけでなく、吉祥文様が込められているという点も、ワンランク上のおしゃれを演出していますね。
 
また、身頃の紅色の部分 について、作品前面ではほぼ見えないのが残念なのですが…
坎肩(カンジェン) 部分2
坎肩(カンジェン) 部分3
 
実はクローズアップすると、こんな風に織られています。
経糸(たていと)と緯糸(よこいと)1本ずつ交差する平織がひろがる中に、よく見ると、経糸2本がクロスするように重なり、その間に緯糸が1本はいっている箇所がみられます。
このように、経糸と緯糸が交差するような形、これを綟る(もじる)と呼びますが、この綟った隙間に緯糸1本を入れるという「紗(しゃ)」と呼ばれる組織を使うことで、一部を透けるように織り出しているのです 。使う裂(きれ)の細かな部分にまで気を配っていることが分かります。
工夫を凝らした部分が、表からあまり見えないというのは、私からするともったいない気がしますが、現代の私たちが靴下や衿元でチラ見せのおしゃれを楽しむように、「見えない部分のおしゃれ」を楽しんでいたのかもしれません。
 
次に、地下1階、13室のアジアの染織から、びっくりするような手わざで織り出された、おしゃれアイテムです。
このパトラ(経緯絣〈たてよこがすり〉)は絣(かすり)と呼ばれる技法で製作されています。4m超える長さから、おそらくサリー(インドの民族衣装)として着用されたのでしょう。
パトラ 赤紫地花文様経緯絣 インド・グジャラート 19世紀
 
パトラ 部分1
パトラ 部分2
 
小花文様が整然と展開しており、みるだけでも美しい作品です。
さて、絣(かすり)というのは織り出したい文様にあわせて、あらかじめ糸を染めます。このクローズアップ写真でわかる通り、経糸・緯糸それぞれ一列に複数の色がみえることから、1本の糸を数種類の染料を用いて染めていることが分かります。
長さ4mもある糸を複数の色に染め分けるだけでも、大変な労力を要します。これだけでも息が切れてしまいそうですが、もちろん織物にするためには、織り上げなければなりません。
染め分けた細い絹糸を何本も用意し、それらを経糸と緯糸の両方に使い、文様がかみ合うように緻密に織り上げていきます。
驚くほど巧みな技術と、想像を超える忍耐力のたまものの「おしゃれ」です。
パトラをまとった女性(イメージ)
 
サリーとして着用する際には、腰でたっぷりとひだを取ったうえで、身体に巻き付けていたのではないでしょうか。こちらはあくまでも想定図になりますが、一枚の織物がどんなふうにまとわれていたのか、展示室で想像していただけると嬉しいです。
このパトラは、音声ガイドシステムVOXX LITEの対象作品です。音声で経緯絣(たてよこがすり)の技法について、さらに詳しく説明していますので、ぜひ聞いてみてくださいね。
 
ここではご紹介しきれなかった、アジアのおしゃれアイテム、東洋館にまだまだございます。
自分だったらこれが着てみたい!このアイテム素敵!などなど、きっとお気に入りがみつかることと思います。
「博物館でアジアの旅」、みなさまもおめかしして、ぜひお楽しみください!
 

カテゴリ:博物館でアジアの旅

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posted by 沼沢ゆかり(文化財活用センター研究員) at 2024年10月09日 (水)

 

「博物館でアジアの旅」が始まりました!

 10月1日(火)から、毎年恒例「博物館でアジアの旅」が東洋館で始まりました。

博物館でアジアの旅 アジアのおしゃれ キービジュアル 
 
東洋館は昭和43年(1968)に開館した展示施設で、「東洋美術をめぐる旅」をコンセプトに、中国、朝鮮半島、東南アジア、西域、インド、エジプトなどの美術と工芸、考古遺物を展示しています。 
展示は地下1階から5階までの6フロアで、全13室。一通り見てまわるだけでも1時間はゆうにかかる広さです。展示のほかにもミュージアムシアターや占い体験など、いろいろな楽しみ方ができるのもポイントです。
東洋館外観
東洋館内観
アジアの占い 体験コーナー
ミュージアムシアター
 
さて、この東洋館で開催される「博物館でアジアの旅」では、毎年テーマを決め、それにちなんださまざまな作品を館内随所に展示します。
今年のテーマは「アジアのおしゃれ」。
流行を意識して洋服を選んだり、自分に似合うようなアクセサリーを身に着けたり…と、「おしゃれ」は誰にとっても人生の楽しみのひとつではないでしょうか。
今回はアジア各地の衣装や装飾品をはじめ、ファッショナブルな仏像や、鮮やかな色彩の副葬品、絵画作品に描かれる豪奢(ごうしゃ)な衣装の人々などをご紹介します。
時代を越えて、アジア各地の「おしゃれ」を感じとってみてください。
 
それでは、今年の「アジアの旅」を楽しむための2つのポイントをご紹介します。
 
ポイント1 必見!アジたびマップ2024
東洋館インフォメーション
 
広い東洋館のどこに「アジアのおしゃれ」関連作品が展示されているか、ひと目でわかる「アジたびマップ2024」をご用意しています。
東洋館インフォメーションで配布(なくなり次第終了)しているほか、ウェブサイトでも公開しています。ぜひこのマップをたよりに会場を自由にめぐり、作品たちのおしゃれをお楽しみください。
 
ポイント2 当館初!音声ガイドシステムを導入しています
「博物館でアジアの旅」の期間中、東洋館で音声ガイドシステムVOXX LITEを導入します。
作品解説の横に配置されたQRコード
 
作品解説の隣のQRコードを発見したら、ぜひご自身のスマートフォンで読み取ってみてください。より詳しい解説を文字と音声のいずれかでお楽しみいただけます。
アプリのダウンロードは不要。音声でご利用の際は、音量をおさえるかイヤホン等でお楽しみください。
 
マップを片手に準備ができましたら、少しだけ展示室を旅していきましょう。
(注)「アジアのおしゃれ」関連作品には目印にこの札をつけています。
 
入ってすぐの吹き抜けのフロアは、金銅仏と石仏が立ち並ぶ1室「中国の仏像」です。 
こちらの大理石製の巨大な仏像は、二重に重ねた首飾りや、ペンダント状の飾りを中心にクロスするアクセサリーが、さわやかな雰囲気を作り上げています。
重要文化財 観音菩薩立像 中国河北省 隋時代・開皇5年(585) 1室で展示
 
続く3室ではインド・ガンダーラの彫刻を展示。ドレッドヘア風の垂髪と耳飾りの飛び出すライオンがなんともおしゃれです。
菩薩立像 パキスタン、ガンダーラ クシャーン朝・2世紀 3室で展示

ライオンの耳飾り
 
同じフロアには、人類最古の文明が興った地として知られる西アジア・エジプトの美術の展示も。
こちらは金製のロゼット文様の土台に色ガラスや宝石を嵌めこんだジュエリーです。ひとつずつ綴って細長い帯とし、それを髪の上から何本も垂らして身を飾りました。
婦人頭飾断片 伝エジプト、テーベ出土 新王国時代(第18王朝)・前15世紀 3室で展示

拡大図
 
ぐるりと回るように階段を上っていくと、中国の展示が続きます。3階の4室・5室は、文明のはじまりから墳墓の出土品や青銅器・陶磁、染織のフロアです。
こちらはにっこり微笑む表情と白い花の模様があらわされたスカートが愛らしい若い女性の像です。結い上げた髻(もとどり)には金の髪飾りがつけられています。
 
三彩女子 中国 唐時代・8世紀 鈴木榮一氏寄贈 5室で展示
 
4階にあがり、石刻画の展示をご覧いただいた後は、8室の中国の絵画と書のフロアです。
行商人(貸郎、かろう)が子ども相手に雑貨やおもちゃ、小動物を売っています。商人も子どもたちも色とりどりの豪奢でおしゃれな衣装をまとっています。
売貨郎図軸(部分) 筆者不詳 中国 明時代・15~16世紀 石島護雄氏寄贈 8室で展示
 
続く9室は漆工や清時代の工芸の展示です。
銅製の如意に色ガラス、真珠、エナメル絵などを嵌(は)め込んでいます。柄の中央の時計およびエナメル絵はヨーロッパ製です。清時代には、広東の港を通じて、ヨーロッパの製品が中国にもたらされ、皇帝は時計を好んで集めました。
如意形時計 中国 清時代・18~19世紀 広田松繁氏寄贈 9室で展示
 
5階の10室では、朝鮮の美術をご紹介しています。
これは古墳に葬られた婦人が着用した頸飾(くびかざり)。瑪瑙製(めのうせい)の勾玉を中心に、水晶製切子玉や金製の空玉など、異なる素材と形で構成されています。
頸飾 韓国梁山夫婦塚出土 三国時代(新羅)・6世紀初頭 10室で展示
 
地下のフロアも見逃せません。12室は東南アジア・インドの展示です。
仏像の衣にご注目ください。型押しで花模様が表わされています。
ナーガ上の仏陀坐像 タイ ラタナコーシン時代・19世紀 12室で展示
胸元の花模様
 
13室はアジアの染織、インドの細密画、アジアの民族文化の展示で構成されています。
絹糸を細かく起毛させた艶やかなヴェルヴェット地に、重厚な金属のモール糸と宝石を密に留めつけ、ペイズリーや花唐草文を表しています。真珠、ルビー、エメラルドなどがふんだんに用いられた、インドのマハラジャ(藩主)にふさわしい豪華な衣装です。
コート 濃紺ヴェルヴェット地花卉文様金銀糸刺繡 インド・ジャイプール マードー・シーン2世着用 19~20世紀 13室で展示
拡大図
 
アウラングゼーブはムガル帝国第6代君主。頭には宝石で飾ったターバンを巻き、胸元には大きなネックレス、腕にはブレスレットやアームレットを着けています。
アウラングゼーブ帝立像 ビーカーネール派 インド 18世紀後半 13室で展示
 
展示室をまわりましたら、お帰りの際はミュージアムショップにもお立ち寄りください。
「アジアの旅」に関連したオリジナルグッズも多数ご用意しています。
 
舎利容器クッション 4,840円(税込)
ブローチ如意形時計 14,850円(税込)
花蝶文様ピンバッチセット 2,750円(税込)
 
お楽しみ要素盛りだくさんの今年の「アジアの旅」。
会期は11月10日(日)まで。総合文化展料金でご覧いただけますので、ぜひお立ち寄りください!
 

カテゴリ:博物館でアジアの旅

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posted by 天野史郎(広報室) at 2024年10月03日 (木)

 

はにわ熱

東京国立博物館に就職して間もない6月のある夜、一人展示準備のため収蔵庫で埴輪を探している時であった。
すわ、収蔵庫に五月人形か。いやいや、よく見ると凛々しい武者姿の埴輪ではないか。

武人埴輪模型 吉田白嶺作 大正元年(1912年)
弓取るものが左右に一対、矛取るが左右に一対、合わせて四個一組で揃いとなる。東京国立博物館所蔵品は左手に矛取るものを欠いている。
(注)特別展「はにわ」出品予定

後日、先輩に聞いたところ明治天皇の御陵(京都府京都市 伏見桃山陵)に奉献された埴輪「御陵鎮護の神将」と同じ型で作られたものという。
某研究会の連絡誌に、この埴輪にかかる記述があったことを思い出して読み返し、関連する文献などを集めた。この埴輪の制作にあたっては東京帝室博物館(現:東京国立博物館)歴史部のスタッフが監修に携わり、当館の収蔵品の修復や模造品の制作を担った彫刻家の吉田白嶺が手掛けた。
このような縁もあって当館に伝来されたものだと知ったところで、いったんこのときの熱(好奇心)は去っていった。

それから十数年の時が過ぎ、東京国立博物館で埴輪をテーマにした特別展を開催すると聞く。再度発熱した。
特別展の担当者を捕まえ、展示する意図や意義を説明して(いや、ワガママを言って)何とか出品作品に加えてもらった。
そして保存科学課のスタッフには、展示や輸送のための応急処理(X線CT撮影や接合)もお願いした。


応急修理前のX線CT撮影
埴輪「御陵鎮護の神将」は型作りによる頭・胴部・脚部・台座というように分割成形されている。胴部と脚部の継ぎ目で外れていたため状態を確認し、今回の展示に合わせ接合、修理した。


一人現地調査と意気込んで伏見桃山陵へも足を運んだ。
木々の間に白く伸びる参道、御陵から眺める宇治の景色、そして230段にも及ぶ大階段。
時折、本来の目的を忘れてしまうほどの御陵の清々しさに気を取られながらの調査、ただただ気持ちがよかった。そして、この陵(みささぎ)の墳丘のなかに納められた埴輪と古墳時代の墳丘に樹立された埴輪との差異に一人思いを巡らせた。


玉砂利と杉並木が美しい参道


宇治の景色


230段に及ぶ大階段


上が円形で下が方形の御陵

明治天皇の大喪にかかる記録を調べるために国立公文書館に出かけ、当時の世相を知るために当時の雑誌や新聞記事をあさり、また絵葉書などの記念品を集めるために某オークションサイトにも手を出した。この頃には、またいつもの熱病にかかったのかと同僚はきっと呆れていたに違いない。


参拝記念の人形


参拝記念の絵葉書
1918年(大正7年)以降に印刷された参拝記念の絵葉書の包みにも埴輪「御陵鎮護の神将」があしらわれている。一定期間、この「埴輪」が当時の人々に関心を持たれていたことが分かる。

私は埴輪、ましてや古墳時代を専門にしているわけではない。一考古学者としてモノがどういう目的で作られ、そのモノが当時の人々にどう受け入れられ、そして後世の人がそれをどう考えるのか、ということが気になってしかたがないのだ。本展の担当者でもない一研究員でさえ「はにわ熱」にかかれば、この始末である。ましてや担当者であったならば。

この夏の暑さを上回る熱量で担当者が準備を進めている
特別展「はにわ」(2024年10月16日(水)~12月8日(日)、平成館 特別展示室)が、間もなく開幕を迎える。
ぜひ楽しみに待っていてほしい。そして一人でも多くの方々にこの「はにわ熱」を存分に味わってほしいと願っている。

カテゴリ:考古調査・研究「はにわ」

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posted by 品川欣也(学芸企画部海外展室長) at 2024年09月27日 (金)

 

能面を写すということ、変えるということ

本館14室では特集「能面に見る写しの文化」(10月20日(日)まで)を開催しています。


本館14室の様子

作り手の学びや、普段なかなか見ることができない秘仏の霊験あらたかな姿を写し引き継ぐための手段として、美術工芸の世界ではお手本を真似てコピーを作る「写し」が行われてきました。
「写し」は能面でも行われ、名物面とされた古面の「写し」が、特に江戸時代以降多く作られました。 
能面では鑿跡(のみあと)や傷、作者を示す焼印なども写すことが多いことが知られています。
ただし、能面の調査を重ねていくと、「写し」のなかにも様々なバリエーションがあることがわかってきました。特にわかりやすいのが、精度の違いです。

では、「写し」の精度に注目して、こちらのふたつの面を見てみましょう。

 

同じ名物面をもとにした、「写し」同士を見比べる

(図1)能面 大悪尉 「丹後州/愛若大夫廿三枚之内」刻銘(朱入り)
安土桃山~江戸時代・16~17世紀 大聖寺藩前田家伝来 文化庁蔵
(図2)能面 大悪尉 「福来作」銘 江戸時代・17~18世紀 上杉家伝来

 

ふたつとも大悪尉(おおあくじょう)という面で、荒ぶる神の役などに使われます。
じつはこの2面はともに、宝生家(ほうしょうけ)に伝わる名物面である大悪尉の「写し」です。
どちらも宝生家の能面をもとにした「写し」なのに、この2面は似ていません。


図1と図2を比較すると、図1が宝生家の能面により近く、本面の特徴をよくとらえています。
頬の肉付きの柔らかさや、顔の皺(しわ)の表現なども感じられるのではないでしょうか。
図1の面の面裏には「丹後州/愛若大夫廿三枚之内」と書かれていて、この面を細川家お抱えの猿楽師(さるがくしゃ)であった愛若大夫(あいわかだゆう)がかつて所持していたことがわかります。
大名家であった細川家は、この「写し」のもととなった名物面を所蔵する宝生家と関係が深かったためか、本面の実物を見る機会に恵まれたか、宝生家の名物面に関する情報を多く持っていたとも考えられます。
よって、こちらは比較的精度の高い「写し」といえます。
対して図2の面は、やはり大名であった上杉家が収集したものです。
しかし、当時の上杉家は経済難にあり、おそらく作者は名のある面打ではなく、実際に宝生家のものを見る機会にも恵まれなかったと想像されます。
よって、比較的「写し」の精度が低くなってしまったのかもしれません。
このように、同じ面の「写し」であっても似ていないことはよくあります。

 

よく似たふたつの面を見比べる

続いて、よく似たふたつの能面を見比べてみましょう。

(図3)能面 鼻瘤悪尉 「文蔵作/満昆(花押)」金字銘
室町時代・16世紀
(図4)能面 鼻瘤悪尉 「杢之助打」朱書 江戸時代・17~18世紀


どちらも鼻瘤悪尉(
はなこぶあくじょう)という種類の面で、両者の顔立ちはよく似ています。

 

図3の面裏
図4の面裏


図3の面裏には「文蔵作」と書かれています。ただしこれは、文蔵本人が書いたのではなく、世襲面打家である大野出目家(おおのでめけ)の5代洞水満昆(とうすいみつのり)によって文蔵の作であると鑑定されたという鑑定銘です。
図4の面裏には 「文蔵作正写杢之助打」つまり、文蔵作の面を杢之助が写したと記されています。 杢之助が図3の鼻瘤悪尉をもとに写したものが図4の面であると解釈できます。
ちなみに杢之助とは、世襲面打家である大野出目家の5代洞水満昆もしくは7代友水庸久(ゆうすいやすひさ)のことです。
2面とも、大野出目家にあったものかもしれません。
杢之助が文蔵作とされる鼻瘤悪尉を実際に見ながら写したからこそ「写し」の精度が高く、よく似ているのでしょう。

さて、文蔵作とされる鼻瘤悪尉をX線CT撮影したところ、かつて割れてしまい、修理されていることがわかりました。
その修理の痕が面裏に貼られたテープ状の布です。
図4の裏面にも布がはられているのは、文蔵作の鼻瘤悪尉の修理痕まで写したということでしょう。
舞台で使用する際には見えないはずの面裏の修理痕まで写すことは、その面の歴史にまで敬意を持っているということなのかもしれません。

このX線CT撮影でもうひとつ、不思議なことがわかりました。

(図5)CT画像
(図6)CT画像
(図7)

 

図5と図6のCT画像は、文蔵作とされる鼻瘤悪尉(図3)の上瞼のあたり(図7)の断面です。
木目が見える部分は木で作られています。図6の黄色くマークしたところは木ではなく、木屎漆(こくそうるし)と考えられます。
また、面裏の口の部分にも布が貼ってありました。これは下唇に別の材を矧(は)いでいるので、本来はもっと大きく口を開けていたと考えられます。
そもそも能面を作るのに大きな木材は必要ありません。
比較的小さな木材があれば形作ることができるので、多くの面は木の彫りで顔の起伏を表し、その上に絵具で彩色しています。
ところが能面のX線CT撮影を行っていると、起伏の少ないなだらかな形の仮面の表面に、木屎漆などで厚く盛り上げ、頬や眉間、眉などの顔の起伏を作る例があることが分かってきました。
文蔵作とされる鼻瘤悪尉もその一つで、もともとあった別の面に木屎漆を盛って改造した可能性があるといえそうです。
「写し」には精度の違いがあること、写す際には元になった面への敬意があると考えられます。
その敬意があったからこそ、一から新しい面を作るのではなく、改造という手間のかかる方法を選んだのかもしれません。

特集「能面に見る写しの文化」では、他にも「写し」のいくつかのバリエーションを紹介しています。
とても細かなことではありますが、ぜひ展示室で、面に対する人々の心に、思いをはせていただければと思います。

カテゴリ:特集・特別公開

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posted by 川岸 瀬里(教育普及室長) at 2024年09月26日 (木)