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1089ブログ

特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」より―コレクションのあゆみ

公益財団法人常盤山文庫学芸員の佐藤サアラです。
常盤山文庫は今年創立80周年を迎えました。作品を寄託している東京国立博物館(東博)の多大なご協力のもと、東洋館8室にて特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」を開催する運びとなりました(2023年10月22日まで)。
80年の歩みの中で築いてきたコレクションをまとめてご紹介するのは20年ぶりです。展示替えを行いながら、国宝・重文指定の墨跡や絵画に加え、20年前にはお目にかける機会の少なかった工芸作品も一緒にご覧いただきます。

特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」展示会場風景 墨跡、陶磁器が展示されている写真
特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」展示会場 墨跡、中国絵画が展示されている写真

特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」展示風景

私は三代目理事長のもと学芸員となり、蒐集の一端を垣間見たにすぎませんが、常盤山文庫の蒐集品および蒐集に貫かれたこころを、ここにご紹介したく思います。
常盤山文庫は東洋古美術のコレクションを有する財団法人ですが、その母体は大船-鎌倉-江の島を結ぶ自動車専用通路や鎌倉山住宅地の開発事業で知られる実業家、菅原通濟(すがはらみちなり、1894~1981)によって築かれました。


菅原通濟 (写真:公益財団法人常盤山文庫)

通濟の蒐集は禅僧の書である墨跡作品と中国宋・元時代の絵画および室町水墨を中心とする日本絵画に始まります。長男である二代目理事長菅原壽雄(すがはらひさお、1923~2008、在任1981~95)はその普及と拡充、とりわけ一般には難解な墨跡の理解普及に努め、現在国宝2点、重要文化財21点、重要美術品18点を含んでいます。さらに通濟の次男、三代目理事長菅原春雄(すがはらはるお、1930~2019、在任1995~2019)が中国陶磁と漆器からなる工芸コレクションを築きました。

菅原通濟の蒐集による作品

国宝 遺偈(棺割の墨跡) 清拙正澄筆 南北朝時代・暦応2年(1339) 
[展示:2023年9月26日から10月22日まで]



重要文化財 茉莉花図 伝趙昌筆 中国 南宋時代・12~13世紀 
[展示:2023年8月29日から9月24日まで]



重要文化財 帰郷省親図 伝周文筆、鄂隠慧奯等十三僧賛 室町時代・15世紀 
[展示:2023年8月29日から9月24日まで]

菅原春雄による工芸コレクション

米色青磁瓶 中国・官窯 南宋時代・12~13世紀 
[展示:2023年8月29日から10月22日まで]



彫漆雲文水注 中国 南宋時代・12~13世紀 
[展示:2023年8月29日から10月22日まで]



常盤山文庫の80年の歩みを振り返ると、蒐集と学びが一体となってきたことが大きな特徴です。
初代通濟が質の高いコレクションを築くことができたのは、学ぶことに熱心だったことにあるといえます。じつは、最初の蒐集で美術の知識もないままに百点もの掛け軸を一括購入したところ、その大半がよろしくなかったという大きな失敗をしているのですが、そこで落胆してやめてしまうのではなく、当時まだ若手研究者であった松下隆章氏(まつしたたかあき、1909~1980)の下で一から学ぶことを始めました。学ぶことに前向きになったことで作品を見る眼を体得し、質の高い蒐集が進むこととなったのです。やがて鎌倉常盤山では蒐集した作品の周りに学者、学生が集うようになり、さらに大きな学びの場が醸成されていきました。

作品を軸とした学びの場という雰囲気は通濟の次男、三代目理事長菅原春雄に継承されています。中国の青磁に関心を持った春雄は通濟が松下氏のもとで学んだように、陶磁学者長谷部楽爾氏(はせべがくじ、1928~)に指導を仰ぎ、関心のある研究者が集える場、中国陶磁研究会を発足させました。この研究会の発足によって、研究と蒐集が一体をなす中国陶磁コレクションが築かれました。
研究会の研究活動は会報の発行という形でその成果を発表しましたが、さらに研究テーマを展覧会という形で公開することにもつながりました。東京国立博物館 東洋館で開催された特集展示、2014年の「日本人が愛した官窯青磁」、2019年の「初期白磁 白磁の誕生と展開」です。
ここでわかったことは、常盤山文庫の作品だけでは到底できない幅広い意味のある展示が、東博の所蔵品と合わせることで実現されるのだということでした。これをきっかけに、東博の所蔵品と組み合わせながら意味のある展示をすることにコレクションを活用したいと考えるようになり、東博への寄託が進みました。
東京国立博物館にはすでに膨大な所蔵品がありますが、そのわずかに欠けたところ、隙間をつなぐことができるようなもの、つまり東博の所蔵品を補完し常設展示に活用できるものを中心に、各担当分野の研究員と相談をしながら寄託品を決めていきました。

常盤山文庫は展示施設を持たないコレクションです。消防法の改正に伴い鎌倉常盤山の木造家屋での展示ができなくなって以来、他館に作品をお貸出しして単体の作品をお目にかける機会はあったものの、今回の特集のようにコレクション全体を展示する機会は60周年以来です。
「コレクション」ということばは「蒐集品」そして「蒐集」を指しますが、初代から三代までの常盤山文庫の80年、集められた作品とともにその蒐集のこころも含めた常盤山コレクションを、多くの皆さまにご覧いただけることを願っています。

 

カテゴリ:書跡絵画工芸「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」

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posted by 佐藤サアラ(公益財団法人常盤山文庫) at 2023年09月01日 (金)

 

特別展「東福寺」その5 やっぱり東福寺は「ラスボス」だった!

特別展「東福寺」も5月7日(日)までと残すところあとわずか。
いよいよ閉幕までのカウントダウンとなりました。本展をご紹介するリレーブログも今回で最終回。
ここでは最後に、展覧会担当者として感じたことや気づいたことなどを総括してみたいと思います。
 
重要文化財 東福寺伽藍図 了庵桂悟賛
室町時代・永正2年(1505) 京都・東福寺蔵
中世の東福寺の景観を描いた唯一の絵画資料。ラスボス感満載の壮大な伽藍が活写されています。


本展を開催して改めて実感したのは、「やっぱり東福寺はラスボスだった!」ということ。
これまでも、私が本展を紹介する際には、ことあるごとに「東福寺はラスボスだ!」と豪語してきました。
その意は、今まで数多くの禅宗寺院展が開催されてきたなかで、東福寺が「最後に残された大物」であることに基づいた発言でした。

東福寺は、知る人ぞ知る、日本最大級の「禅宗美術の宝庫」。
東福寺展を開催することは、かねてより当館の念願でもあり、また禅宗美術を専門とする私にとっても夢のひとつでした。
なにゆえにこれまで展覧会が開催される機会がなかったかというと、東福寺では、所蔵する文化財の修理事業を長年にわたって継続実施してきたからにほかなりません。
本展の開催の契機となったのは、そのなかでも超ド級の大作というべき重要文化財「五百羅漢図(ごひゃくらかんず)」の14年にわたる修理事業が、令和3年度にようやく完成したこと。
そのお披露目をかねた展覧会を開催する運びとなり、所蔵する文化財を一堂に集めた「オールアバウト東福寺」の本展が実現しました。
このように、展覧会の開催というものは、時機を得て初めて実現できるもの。私が本展を担当できたのも、そうした好機に恵まれたからだったといえます。
 
第3章「伝説の絵仏師・明兆」 重要文化財「五百羅漢図」の展示風景

すでに展示をご覧になった方には実感いただけるかと思いますが、東福寺には、破格ともいうべき膨大な数の文化財が伝来しています。
展示会場に足を運ぶと、ずらりと並んだ中世文物の質と量に圧倒されます。その様子はまさに国指定文化財のオンパレード。
重文、重文、また重文、国宝はさんでまた重文。と、思わず歌ってしまいそうなほどリズミカルに指定品が並んでいます。

第1章「東福寺の創建と円爾」展示風景

本展を紹介するにあたり、チラシやポスターでは羅漢たちにさまざまなセリフを語らせていますが、そのなかに「ハンパない展示じゃ」というひと言があります。はたして、展示品の一体どんなところがハンパないのでしょうか。
ここでは、東福寺がラスボスたる所以を兼ねて、単に指定品であることに留まらない、東福寺の文化財の「ハンパないポイント」を3つ挙げてみましょう。

(1)歴史的由緒がハンパない
もともと東福寺は、鎌倉時代前期に創建された京都屈指の古刹(こさつ)ですが、東山の南麓に位置するその立地も幸いして、京都中を焼け野原にした応仁の乱(1467~1477)による大被害を免れました。
この点が、中世文物の多くを火災で失ってしまった、他の京都の禅宗寺院との大きな違いといえます。そしてさらに、それらの由緒がきちんと記録として残されているのも東福寺のハンパないところ。
例えば師古(しこ)賛の重要文化財「無準師範像(ぶじゅんしばんぞう)」は、東福寺の開山である円爾(えんに)の師・無準の姿を半身で表した作ですが、正和5年(1316)に記された重要文化財「円爾遺物具足目録(えんにいぶつぐそくもくろく)」という資料に、「同御影一幅 半身」として記載されています。
ついでに言うと、4月2日(日)まで展示されていた自賛の国宝「無準師範像」も、同目録に「仏鑑禅師頂相 一幅 自賛」と記載されています。
このように東福寺では、南宋時代や鎌倉時代に遡る文物が、きちんと記録され、由緒付けられて伝来しているのです。
 
重要文化財 無準師範像 師古賛
中国 南宋時代・宝祐2年(1254) 京都・東福寺蔵


 
重要文化財 円爾遺物具足目録 奇山円然署判
鎌倉時代・正和5年(1316) 京都・東福寺蔵
上記の2作品は右から2行目に記されています。


(2)文化的影響力がハンパない
さらに、東福寺に集積された文物は、大きな文化的影響力も持っていました。
例えば、無準師範から円爾に贈られたといわれる国宝「禅院額字并牌字(ぜんいんがくじならびにはいじ)」は、禅寺内に掲げられる扁額や牌(告知板)の基となるお手本の書。
建仁寺や円覚寺をはじめ、全国各地の禅宗寺院にこの書体が広まっていったことを考えるだけでも、東福寺が中世文化の一大拠点だったことが理解されます。
さらに南北朝・室町時代には、明兆(みんちょう)が絵仏師として活躍し、彼が描いた仏画様式がそのまま時代様式として定着していきました。東福寺の文化的発信力は、想像以上にズバ抜けていたのです。
 
第5章「巨大伽藍と仏教彫刻」 国宝「禅院額字并牌字」の展示風景

(3)スケール感がハンパない
そして何といっても、東福寺の文化財の最大の特質は、その圧倒的なスケール感にあります。
東福寺の代名詞である「伽藍面(がらんづら)」を象徴するように、とんでもない大きさの巨幅や巨像が伝来しています。残念ながら、明治14年(1881)の火災により、像高7.5メートルを誇る仏殿本尊は焼失してしまいましたが、その左手だけは救出され、本展でもその堂々とした偉容をご覧いただいています。
また、焼失した仏殿本尊の前に置かれたと考えられる前机(前卓)も、とにかくすさまじい大きさ。
その前に人が立つと、まるでガリバーの国に入り込んだかのようです。

第5章「巨大伽藍と仏教彫刻」 「仏手」の展示風景


重要文化財 朱漆塗牡丹唐草文透彫前卓 
南北朝時代・14世紀 京都・東福寺蔵
高さ171㎝、甲板は縦124.7㎝、横315㎝とこちらも特大サイズ。

というわけで、展覧会の総括を兼ねて、改めて東福寺の文化財の「ハンパないポイント」について述べてきました。
これらの文物が放つ、桁違いの迫力や巨大さは、実物の前に立ってこそ実感できるもの。
まだ展示をご覧になっていない方は、ぜひ足をお運びいただくことをお勧めいたします。
禅宗寺院最後の大物、東福寺の圧倒的なパワーとスケールを体感いただけるはずです。

最後にもう一度言いましょう。
やっぱり東福寺はラスボスだった!
 

カテゴリ:仏像書跡中国の絵画・書跡絵画「東福寺」

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posted by 高橋 真作(特別展室研究員) at 2023年05月04日 (木)

 

特別展「東福寺」その1 忘れられたスーパー絵仏師・明兆の逆襲

こんにちは、現在開催中の特別展「東福寺」を担当しました研究員の高橋真作です。
この展覧会では南北朝時代から室町時代に活躍した伝説の絵仏師・吉山明兆(きっさんみんちょう・1352~1431)に焦点を当てています。
東福寺内で仏堂の荘厳などを行う殿司(でんす)を務めたことから「兆殿司(ちょうでんす)」とも通称され、巨大な伽藍に相応しい巨幅や連幅を数多く手がけました。


明兆自画像模本 住吉広行筆 
江戸時代・天明5年(1785) 京都・東福寺蔵

明兆は、同時代のみならず江戸時代に至るまで、かの雪舟(せっしゅう・1420~1506?)に勝るとも劣らぬ人気と知名度がありました。
延宝6年(1679)に狩野永納が著した『本朝画史(ほんちょうがし)』という書物には、400人近くの画人伝が収録されていますが、そのなかで突出して記述量が多いのが、雪舟と狩野元信、そして明兆の3人です。
これがそのまま近世における絵師の評価といってよいものですが、にもかかわらず、現在はすっかり明兆の名は忘れ去られています。なぜなのでしょうか?
「雪舟の影に隠れてしまった」という言い方もできるかと思いますが、今回のブログではそのあたりをもう少し掘り下げてみましょう。

明治時代以降に美術史という学問が形成されていくにつれて、それまで長らく「和と漢」で語られてきた枠組みが、「和と洋」あるいは「東洋と西洋」に大きく変換します。
そのなかで、「西洋美術」に対峙できるだけの「東洋美術」や「日本美術」の独自性と優秀性をアピールできる分野や作品を見出すことが必要となっていきました。
そこでクローズアップされたのが、東洋美術の粋たる「水墨画」であり、さらにそのなかでもとくに芸術性が評価されたのが「山水画」でした。
近代以降も雪舟が崇められ続けた理由は、おそらくここにあります。
何といっても雪舟は、国宝「秋冬山水図」(東京国立博物館蔵)や国宝「破墨山水図」(同)など、山水画を数多く手がけた画家だったのです。

 
国宝 秋冬山水図 雪舟等楊筆 
室町時代・15世紀末~16世紀初 東京国立博物館蔵
(注)特別展「東福寺」では展示されておりません。


それに対して明兆の場合、きちんとコンセンサスが取れている山水画作例は残されていません。あくまでも明兆は、仏画を専門とする「絵仏師」だったのです。
ここでさらに明兆忘却に追い打ちをかけたのが、「室町仏画の評価の低迷」です。

仏画の評価基準は、よくスポーツ選手やアスリートに例えられます。
平安時代の仏画作品が絶頂期で、鎌倉時代は一流を保つものの、南北朝時代に入ると落ち目となり、室町時代はほぼ引退、というように。
近年ではこうした見方に対して見直しが進んでいますが、このように長らく続いた評価基準が一朝一夕に修正されるわけではありません。
そんなわけで、室町仏画の停滞と歩調を合わせるように、明兆の名前が埋もれてしまったのです。

今回の特別展は、そんな明兆の名声と実力を再び世に知らしめる「復権」の場となるべく、代表的な明兆作品をずらりと展観しています。
言ってみれば、「明兆の逆襲」。もとい、有名なアニメ映画になぞらえるならば、「逆襲の明兆」とも呼ぶべき展覧会なのです。

例えば4月9日(日)までの展示でご覧いただいた、重要文化財「達磨・蝦蟇鉄拐図(だるま・がまてっかいず)」は、問答無用で「すごい!」として驚嘆してしまうほどのド迫力に満ち満ちた作品。
くるくると自由奔放にひるがえる達磨のグラフィカルな衣文線もさることながら、蝦蟇と鉄拐のうっとりするほど流麗な毛髪表現にも驚かされます。


重要文化財 達磨・蝦蟇鉄拐図 吉山明兆筆
室町時代・15世紀 京都・東福寺蔵
(注)すでに本作品の展示は終了しました。


また、若き明兆が描いた畢生(ひっせい)の大作・重要文化財「五百羅漢図(ごひゃくらかんず)」は本展のメインを飾る作品。
1幅に10人の羅漢を描き全50幅で完結する大部の作で、14年にわたる大規模修理により、極彩色の壮麗な画面が鮮やかに甦りました。じつは今回の展覧会も、この「五百羅漢図」の修理完成を記念して開催するもの。
これまでカラー図版さえ出回っていなかった明兆の五百羅漢図は、大げさな言い方をすれば、秘密のベールに包まれた作品でした。
本展で初めてその全貌が明らかとなるのですから、これを見逃すわけにはいきません。


重要文化財 五百羅漢図 第45号 吉山明兆筆 
南北朝時代・至徳3年(1386) 京都・東福寺蔵


さらに本展では、明兆作品のポップな要素に導かれながら、五百羅漢図の世界観を存分に味わってもらうべく、4コマ漫画解説もつけています。ぜひ会場でお楽しみください。


第45号漫画解説。展示室ではこのほかの幅の漫画解説もご覧いただけます。

そして、3メートルを優に超える重要文化財「白衣観音図(びゃくえかんのんず)」は、あたかもRPG(ロールプレイングゲーム)のラスボスを思わせるような、すさまじい存在感を放つ大作です。
岩窟のなかで瞑想する観音はほぼ等身大。この絵に立つと、まるで神秘的な観音ワールドに引きずりこまれるような、有無を言わさぬ空間支配力に圧倒されます。
これを描いたとき、おそらく明兆は70代。最晩年でありながらも、その描法は何ともダイナミックでエネルギッシュです。


重要文化財 白衣観音図 吉山明兆筆 
室町時代・15世紀 京都・東福寺蔵


そしてあまりに大きすぎて東博の展示室でも展示することが叶わなかった、縦11メートルを超える重要文化財「大涅槃図(だいねはんず)」も、5月7日(日)まで京都・東福寺で公開中です。
本展が、明兆がかつて得てきた名声を取り戻すきっかけとなることを願っています。
雪舟に負けるな、明兆!
 

カテゴリ:絵画「東福寺」

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posted by 高橋 真作(特別展室研究員) at 2023年04月21日 (金)

 

特別展「東福寺」 その魅力をチラシから紐解きます

開幕から約40日、特別展「東福寺」はいよいよ会期大詰めです。
多くの雑誌やテレビ番組でも紹介されている圧巻の展覧会。
1089ブログでは、すでに展覧会にお越しいただいた方にはうなずきながら、 まだご覧いただいていない方には身を乗り出して読んでいただけるよう、今後本展に携わった各分野の研究員たちがこの展覧会の知られざるみどころを直接お伝えします。


特別展「東福寺」(東京会場)チラシ表面 制作:ライブアートブックス

さてその前に…本展のポスター・チラシを見かけたことはありますか?
今回の展覧会で多くのご寺宝を公開くださった慧日山 東福寺(えにちさん とうふくじ)は京都を代表する禅寺のひとつ。巨大な建造物の数々を誇る歴史ある大寺院です。
「そんな大禅宗寺院の展覧会とあらば、さぞチラシのビジュアルも厳かなはず……いや、なんだこのポップなデザインは…!」そう驚いた方も多いのでは…。
コンペを通して選ばれたデザイン案をもとに関係者一同でブラッシュアップしたこのビジュアルには、実は展覧会の内容にリンクする様々な意味が込められています。
今回はその要素を紐解きながら、「予告編」として展示会場の様子を少しだけご紹介します。

(1)ビビットな色使い、本当に禅宗美術の展覧会?
さて、このビジュアル。まず目をひくのは鮮やかな色と大きな背景効果。
従来の「禅」のイメージとは少し違うのではないでしょうか。
実はここにひとつめの要素。
東福寺の開山・円爾(えんに・1202~1280)は嘉禎元年(1235)に海を渡り、南宋禅宗界のスーパースター・無準師範(ぶじゅんしばん・1177~1249)に師事。
帰国後、時の権力者・九条道家(くじょうみちいえ・1193~1252)に招かれ東福寺を開きます。
以来、円爾とその弟子達は中国仏教界とも太いパイプを持ち、対外交流を深める中でさまざまな海外の文物が東福寺にもたらされました。
そうした今でこそ禅宗文化の基軸となった文物も、当時は大きな驚きをもって迎え入れられたはず。
今回の展覧会ではそんな「衝撃」もお伝えできればと、広報物の段階からビビットな色使い、まるで効果音が出てきそうなインパクトある背景を採用しました。


左手前:重要文化財 円爾像 自賛
鎌倉時代 弘安2年(1279) 京都・万寿寺蔵

右奥 :重要文化財 無準師範像 師古賛
中国・南宋時代 宝祐2年(1254) 京都・東福寺蔵

展覧会第1会場入り口には師弟の肖像が並びます。 

第1章「東福寺の創建と円爾」、第2章「聖一派の形成と展開」では師の無準師範から円爾、そして「聖一派(しょういちは)」と呼ばれた弟子たちを、ゆかりの禅宗美術の優品を通してご紹介。
同じく第4章「禅宗文化と海外交流」では、海外交流の一大拠点として発展した東福寺に集積された文物の数々をご覧いただけます。
禅宗をはじめとする日本仏教界、そして日本文化にも多くの影響を与えた、東福寺の驚くべき存在の大きさをご堪能ください。

(2) 多彩な衣装を身にまとう羅漢たち、伝説の絵仏師 若き日の代表作
続いて目に留まるのは何かを見上げて拝んだり、霊獣を乗りこなすお坊さんたちの姿。
このデザインの主役ともいえる、個性豊かで細部まで描きこまれた羅漢(らかん・釈迦の弟子で、仏教修行の最高段階に達したもの)たちです。
画像のもととなった重要文化財「五百羅漢図(ごひゃくらかんず)」を描いたのは、東福寺を拠点に活躍し、「画聖」とも崇められた絵仏師・吉山明兆(きっさんみんちょう・1352~1431)。
同作品は東福寺に45幅、東京・根津美術館に2幅が伝わり、14年に渡る修理事業後、本展で初めて現存全幅を公開しています。


重要文化財 五百羅漢図 吉山明兆筆 
南北朝時代・至徳3年(1386) 京都・東福寺蔵 

展示風景(現在は第31~45号幅を展示中)


今にも動き出しそうな羅漢たち、各幅に描き分けられた50もの場面はひとつひとつが物語性を帯びています。
ビジュアルではその画力と「五百羅漢」という魅力的な画題を前面に押しだして、コミカルな(担当研究員がひねり出した)コメントも挿入。
絵画から飛び出した羅漢たちが、皆様を「明兆ワールド」へといざないます。
さらに展示室ではそんな羅漢たちが語りだすような、作品の躍動感を活かした特別な解説パネルも…。

この他にも第3章では「伝説の絵仏師・明兆」の大作がところ狭しと並びます。
その魅力の真髄についてはまたじっくりと。

(3)キャッチコピーに偽りなし!「圧倒的スケール、すべてが規格外。」
この展覧会・東京会場のキャッチコピーは言葉そのまま誇張無し。
巨大伽藍にふさわしい、まさに「圧倒的」な「スケール」感の作品が一度に並びます。
絵画作品も、書跡作品も、そして彫刻作品も、「すべてが」想像を超える「規格外」の大きさと迫力。
特に第5章「巨大伽藍と仏教彫刻」では特別な空間構成で皆様をお迎えします。
キャッチコピーに負けない、大迫力の「圧倒的スケール、すべてが規格外。」を是非会場で体感してください。


仏手 東福寺旧本尊
鎌倉~南北朝時代 14世紀 京都・東福寺蔵

展覧会初出品。焼失した東福寺旧本尊の左手。その大きさはなんと2メートル以上!

これまでの禅宗美術の展覧会とはまた一味違った角度から、その魅力に迫る特別展「東福寺」。
チラシのオモテから辿るだけではもったいない、その壮大さを展覧会会場で味わえるのは5月7日(日)まで。
この機会に、ビジュアル背景色に採用した緑も映える、新緑の上野・東京国立博物館へお出かけください。


(注)展示作品および展示替え情報については、作品リスト(PDF)をご覧ください。
 特別展「東福寺」作品リストを開く
(注)本展は事前予約不要です。混雑時は⼊場をお待ちいただく可能性があります。
(注)チケットの販売は展覧会公式サイトよりご確認ください。


特別展「東福寺」東京会場:東京国立博物館 平成館
桜の季節は過ぎましたが、会場までの順路を鮮やかな若葉が彩ります。

カテゴリ:仏像書跡中国の絵画・書跡絵画「東福寺」

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posted by 中束 達矢(広報室) at 2023年04月20日 (木)

 

最先端の西洋建築にふさわしいのは?

東京国立博物館創立150年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」(~12/11まで)はいよいよ会期後半となりました。
今回は絵画に関わる作品を紹介いたします。

「国宝」と銘打って、所蔵の国宝がすべて展示されるということなので、どうしても国宝にばかり目が行きがちですが、第2部「東京国立博物館の150年」でも魅力ある絵画作品が展示されています。

ここでは、「赤坂離宮花鳥図画帖」をご紹介いたします。
この作品はもともと東宮御所として建てられた現在の迎賓館赤坂離宮の花鳥の間の内壁を飾る、七宝の花鳥図の下絵として描かれた作品です。
赤坂離宮に実際に嵌められている七宝は渡辺省亭(わたなべ せいてい、1851~1918)の原画に基づくものですが、下絵の段階では省亭とともに荒木寛畝(あらきかんぽ、1831~1915)も描いていました。

下絵とは言っても、両者ともそのまま本画として通用する完成度です。
今回、両者を交互に並べて展示していますが、そうして見てみると、両者の感覚の違いが見えてきます。
 


赤坂離宮花鳥図画帖

荒木寛畝の作品は、伝統的な東洋画の描法に洋画の写実味を加えた精緻な描写で鳥たちを描いています。
花鳥図といいつつも草花の描写は背景の一部としてで、あくまで鳥がメイン。
そのため、各鳥の姿がもっともよく見えるようにポーズをとったような姿が多くなっています。
それが格式ばった感じを与え、緻密な描写と相俟って、ややもすると硬さや重さを感じる画面となっているように思われます。
楕円形の画面ですが、それぞれが一幅の掛軸となっても違和感ありません。むしろ、掛軸作品としての意識のまま描いているようにも見えます。


赤坂離宮花鳥図画帖 雁(かり) 
荒木寛畝筆 明治39年(1906)頃 昭和13年(1938)宮内省より引継 東京国立博物館蔵
展示:2022年11月15日~12月11日


一方、渡辺省亭の作品は、鳥をメインにしたものもありますが、その多くは小型の鳥たちが草花や樹木の中で戯れ、憩う姿を描いたものです。
あたかも自然の中で鳥が枝先に止まった一瞬をカメラでとらえたかのような構図です。
省亭も写実的な描写をしていますが、鳥の描写は一見精緻に見えながら、寛畝のように羽を一枚一枚しっかりとした線で描く描写ではなく、スピード感のある筆触や絵具の濃淡を活かした色面を巧みに用いて立体感や羽毛の質感表現がなされ、そこにペン画のような軽やかなタッチで必要最小限の線描を載せる描写です。
植物の描写も軽やかな線描と暈しを効果的に用いて花や葉、茎を描き、樹木の枝や幹といった、存在感のあるものは輪郭線を用いず、色の濃淡、暈しのみで表現することで、画面全体に軽やかさが生まれているように思われます。


赤坂離宮花鳥図画帖 鶫に黄櫨・竜胆(つぐみ はにし りんどう) 
渡辺省亭筆 明治39年(1906)頃 昭和13年(1938)宮内省より引継 東京国立博物館蔵
展示:2022年11月15日~12月11日

雁 翼の拡大図
鶫 翼の拡大図
黄櫨・竜胆の拡大図


このように比べてみると、どちらも西洋画の写実の意識を持って制作している点は共通していますが、 寛畝は伝統的な重厚感のある感覚が強く、省亭は伝統に基づきながらもより瀟洒で親近感のある感覚が強く出ているように感じます。
省亭の作品は欧米の方にも受け入れられやすい画風と言えます。その点は、図案家として輸出用の七宝工芸の図案を描き、仕事の関係でパリに滞在して現地で印象派関係の人々と交流した経験をもつ省亭の経歴が大きく活かされているのでしょう。
花鳥の間の天井画はフランス人画家によるもので、他の部屋の天井画もフランス人画家の手になるものです。それらとのバランスを考えても、当時の日本における西洋建築の先端を行く、ネオ・バロック様式による宮殿建築の装飾の原画として省亭の原画が採用されたのもわかる気がします。


創作の場としての博物館

もう1点、絵画作品ではないのですが、絵画作品に影響を与えたものとして、キリン剝製標本にも触れさせて頂きます。


キリン剝製標本 明治41年(1908) 国立科学博物館蔵

この剝製は、明治40年(1907)に、初めて生きたまま日本に来た雌雄のキリンの雄のものです。雄はファンジ、雌はグレーという名前でした。
そのころ、博物館は上野動物園も所管しており、そこで飼育、公開され人気を博したそうです。
しかし、キリンを飼育するのは初めてのことだったため、設備が十分でなく、日本の冬の寒さによって、翌年春に二頭とも死亡してしまいました。
死亡後に剝製標本にされて、博物館に収蔵され、天産部(自然史、自然科学系の部門)の資料として公開されました。


当時の展示の様子

日本における初期の剝製標本として貴重な資料であるのですが、実はこのファンジ、絵画創作のモデルともなっていたのです。
現在千葉市美術館の所蔵となっている、石井林響(いしいりんきょう、1884~1930)が描いた「王者の瑞」という2曲1双の屏風がそれです。
千葉市美術館学芸課長の松尾知子様からご教示頂きました。
 


王者の瑞 石井林響筆 大正7年(1918) 麻本着色2曲1双 千葉市美術館所蔵

石井林響は、千葉県山辺郡土気本郷町(現千葉市)出身の日本画家で橋本雅邦に師事しました。
本作は第12回文展出品作品で、唐代中期を代表する文人・韓愈の「獲麟解」(『古文観士』)の一節「麟為聖人出也。」に基づく、聖人のために麒麟が出現した場面を描いています。
通常、麒麟は、ビールの商標でご存知のような姿に描かれますが、林響は実際の動物のキリンをモデルにしました。
本作のもととなったと考えられるスケッチが林響のスケッチ帖の1冊にあり、動物園にキリンがいなかったので、博物館で特別に保管庫を開けてもらいスケッチを行ったという話が伝えられているそうです(松尾知子『生誕135年 石井林響』美術出版社、2018)。
スケッチのキリンの姿とファンジの姿を比べると、確かにファンジをモデルにしたことがわかります。

スケッチしたキリン
ファンジ


この屛風は本展には展示されていませんが、博物館の収蔵品が、新たな創作の源となっていたことを物語る興味深い事例として挙げさせて頂きました。
このほかにも、縄文土器と岡本太郎、埴輪と版画家の齋藤清など、博物館の収蔵品も見てインスパイアされ、自身の新たな境地を開いていった作家がいます。
これらの事例は、収集・保管・展示を通して、常に社会と関りを持ち続けている博物館の役割の一端を物語るものです。

今回の展覧会も、皆さんの文化財への関心や、モノの見方、創作意欲を触発するきっかけとなれば幸いです。

カテゴリ:絵画東京国立博物館創立150年

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posted by 沖松健次郎(列品管理課長) at 2022年11月24日 (木)