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1089ブログ

開幕! 特別展「始皇帝と大兵馬俑」

待望の特別展「始皇帝と大兵馬俑」が、10月27日(火)に開幕しました。


お天気にも恵まれ、初日から多くのお客様にお越しいただき、幸先の良いスタートとなりました。
開幕の前日に行った開会式と内覧会も多くのお客様にご出席いただきました。


本展のみどころは、何といっても兵馬俑。
彼らに会えるのは、展覧会のクライマックス、最後の展示室です。
…と、その前に、兵馬俑の展示室に至るまでの作品にも注目です。
なぜなら、「どうして、兵馬俑のような壮大なものを作ることができたか?」のヒントがそこに隠されているから。
天下統一をした秦(しん)国はどうやって強大化していったのか、兵馬俑を作らせた秦の始皇帝(しこうてい)とはどんな政治を敷いたのか、その先に兵馬俑が登場するのです。

写真の取水口・L字形水道管・水道管は紀元前3世紀(日本は弥生時代!)のもの。
この頃から既に秦では高度なインフラが整備されていました
秦咸陽宮遺址博物館蔵


いきなり兵馬俑が作られたわけではない、ということですね。
兵馬俑登場までの秦のサクセス・ストーリーを追えることも、本展のポイントなのです。

第2会場の最初の展示室にある銅車馬(複製)も見応えたっぷり。
2両の銅車馬は、始皇帝が実際に乗ったと考えられる馬車を、2分の1スケールで再現した青銅製の模型です。
 
複製であっても、中国国外で2両の銅車馬が一緒に展示されることはめったにありません。
大変貴重な展示です!


さて、銅車馬の展示室から次の展示室に向かうスロープを上がっていくと・・・。
目の前にバーンと兵馬俑が現われます!
ここでは、敢えて写真は載せません。
少し高い位置から見渡す兵馬俑、その壮観はぜひご自身の目でお確かめください。

1974年に発見された兵馬俑が、日本で最初に公開(1976年)されたのはトーハクだということ、ご存知でしたか?
そんなご縁で結ばれた兵馬俑とトーハク、本展では選りすぐりの10体を公開しています。


  
左から将軍俑・跪射俑・歩兵俑
秦始皇帝陵博物院蔵


話には聞いていましたが、本当に1体1体、顔が違うことに感心ひとしきりです。
「こういう人いるよね」というお客様のお声もちらほら。
表情や髪の毛など、その表現の細やかさと写実性!
この造形を紀元前3世紀になし得たというのですから、ただただ「すごい」の一言に尽きます。

レプリカによる兵馬俑坑(兵馬俑の発掘現場)の再現展示にも注目です。
この兵馬俑坑をバックに、記念撮影もできちゃいます。

複製による兵馬俑坑の再現展示


※ストロボはお使いいただけません。


撮影コーナーで撮った写真は、ぜひ写真投稿アプリ「インスタグラム」で「#みんなで兵馬俑」を付けて投稿してください。
投稿された写真は公式サイトにアップされます(※すべての画像が公開されるとは限りません)。

さらに、平成館1階ではマンガ『キングダム』と本展がコラボした撮影コーナーも設置。
『キングダム』は天下統一前の秦を舞台にした人気マンガです。
作中に登場する秦国王・政(せい)とは、後の始皇帝のこと。
主人公の信や政たちと一緒に、記念の1枚はいかがですか?


早くも展覧会にお越しいただいたお客様からは「想像よりもすごかった」というコメントが聞こえてきます。
百聞は一見にしかず。
皆様のご来館をお待ちしております。

カテゴリ:news2015年度の特別展

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posted by 高桑那々美(広報室) at 2015年10月29日 (木)

 

守って踊れる! 兵馬俑

ほほーい! ぼく、トーハクくん。
この夏は古代エジプトのおねえさんたちに囲まれて楽しかったんだほー!!
だから、展覧会が終わっちゃって、さみしいんだほ・・・。
将軍寂しがることはないですぞ!
・・・?
将軍なぜなら、秋には我々がやってくるからだ!


兵馬俑(左から立射俑、歩兵俑、将軍俑、軍吏俑、跪射俑)


百戦錬磨の風格が漂う将軍俑

すべて秦時代・前3世紀 秦始皇帝陵博物院蔵
(C)陝西省文物局・陝西省文物交流中心・秦始皇帝陵博物院


しょ、将軍?!
将軍特別展「始皇帝と大兵馬俑」では、皆を率いてトーハクに参りますぞ。
おじさんばかりで、こわいんだほ・・・。おねえさんがいいんだほ(ボソッ)。
将軍何とも失敬な埴輪だな。
我々の迫力は皆の認めるところだが、決しておびえることはないぞ。ほら、これを見てみるがよい。


※写真はイメージです

将軍がおどっているんだほ!
将軍スマートフォンやタブレットがあれば、私のダンスを見ることができますぞ。
専用のアプリをインストールして、チラシの兵馬俑の写真にかざしてみるとよかろう。

 

無料アプリ「朝日コネクト」をインストールして起動。
あとは、兵馬俑の写真にかざすだけでOKだほ


ぼくも踊りにはうるさい方だけど(※)、将軍のダンスはキレキレで、なかなかのものなんだほ。
※トーハクくんのモデルは「埴輪 踊る人々」です。
将軍発売中の前売券にかざしてもダンスが見られますぞ。
始皇帝の地下宮殿を守るだけじゃなく、ダンスもできるなんて、将軍はスゴイ人なんだほ。
将軍しかも私は、ツイッターもしているのだ!
ほー! 今から2200年も前の人なのに、現代にばっちり対応しているなんて、ますますスゴイほ。
将軍我が始皇帝陛下も、貨幣や度量衡を統一したり、高度なインフラを整備したりと、先進的な政治を行ったからな。
臣たる私も、これくらいはできるのだ。・・・ときどき、失敗してしまうのだがな。
なるほー!
将軍トーハクくんよ、我々の魅力がわかったかな?
イエッサー!だほ。
将軍さらに会場では、我ら兵馬俑の魅力と迫力を皆に伝えるべく、発掘現場「兵馬俑坑」を再現しますぞ。
楽しみな展覧会だほ!
将軍10月27日(火)の開幕を、刮目して待たれよ。

カテゴリ:2015年度の特別展

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posted by トーハクくん at 2015年09月29日 (火)

 

「クレオパトラとエジプトの王妃展」スカラベを読もう!

「クレオパトラとエジプトの王妃展」は、9月23日(水・祝)までと、会期残りわずか!
そこで、今回は本展監修の近藤二郎教授に、見逃し厳禁のおすすめ作品をご紹介いただきます。



早稲田大学の近藤二郎先生
エジプト学が専門で、主にアメンヘテプ3世時代の高官や王墓の研究をされています


私のおすすめは、新王国・第18王朝時代、アメンヘテプ3世(前1388〜前1350年頃)の記念スカラベです。
スカラベとは動物の糞を球形に丸めて巣まで運ぶ俗称「フンコロガシ」と呼ばれるタマオシコガネ属の甲虫。
天空で太陽を運ぶ太陽神ケプリと同一視され、古代エジプトでは印章や装身具などのモチーフとして広く使用されました。
アメンヘテプ3世は、自分の治世に起こった重要なできごとを大型のスカラベに刻みました。これを「記念スカラベ」と呼んでいます。

これらのスカラベは、北はシリアから南はスーダンに至る非常に広い範囲の幾つかの遺跡から発見されています。
現在までに200を超える数のスカラベが知られており、世界各地の博物館や美術館に収蔵されています。
スカラベは、片麻岩や凍石に釉をかけたものなどで作られており、長さが7㎝~10㎝ほどのものが大多数を占めています。
記念スカラベには、(1)「結婚スカラベ」、(2)「野牛狩スカラベ」、(3)「ライオン狩スカラベ」、(4)「ギルケパ・スカラベ」、(5)「湖造営スカラベ」の5種類のものがあります。
今回の特別展で出品されているのは、(1)と(5)の2種類のスカラベです。
ヒエログリフを読むのにも、手ごろな教材として使うこともできます。


アメンヘテプ3世の記念スカラベ(王妃ティイとの結婚)
新王国・第18王朝時代 アメンヘテプ3世治世(前1388~前1350年頃)
片麻岩 長さ:8.7㎝×幅:6㎝×高さ:3.4㎝
ウィーン美術史博物館
Kunsthistorisches Museum Vienna




結婚スカラベは、結婚のことを具体的に記したものではなく、アメンヘテプ3世の王名と王妃ティイの名前、ティイの両親の名前、そしてアメンヘテプ3世の支配している領域を示したものです。

特別展で展示されているスカラベは片麻岩製のもので、底面には以下のような10行のヒエログリフ(聖刻文字)が、右から左に向かって刻まれています。
1行目から4行目までは、王の5つの王名が記されています。古代エジプトの王は、(1)ホルス名、(2)二女神名(ネブティ名)、(3)黄金のホルス名、(4)即位名(上下エジプト王名)、(5)誕生名(太陽神の息子名)の名前をもっており、(4)と(5)はカルトゥーシュと呼ばれる楕円形の枠で囲まれました。
 
右:即位名(上下エジプト王名)のカルトゥーシュ
左:誕生名(太陽神の息子名)のカルトゥーシュ


4行目のアメンヘテプ3世の誕生名に続き、「偉大なる王の妻(ヘメト・ネスウト ウレト)」という称号が記されていますが、これは王の正妃(第一夫人)がもつ称号です。
そして5行目の先頭に王妃ティイの名前がカルトゥーシュに囲まれてあります。

王妃ティイのカルトゥーシュ

その後ろに、彼女の父の名前がイウイアであると記されています。
6行目の先頭には、5行目から続くイウイアの限定符(決定詞)である「座った貴人の姿」があり、続いて彼女の母の名前がチュウイアであると記されています。
最後の部分は、王妃ティイの夫であるアメンヘテプ3世の支配領域は、南はスーダンのカロイまで、北はシリア北部に位置していたミタンニ(ミッタニ)王国を表すナハリナまでと記されています。

この結婚スカラベで重要な点は、アメンヘテプ3世の正妃であるティイが、王族の出身ではなく中部エジプトのアクミームで強い勢力をもっていたイウイアと彼の妻チュウイアの娘であった事実を強調している点です。
一般に王妃ティイは、王族出身の女性ではなく庶民の出身であると強調されることがありますが、これは必ずしも正しくはなく、王族の女性よりもむしろ結婚することで王自身が有力な後ろ盾を得る可能性がある人物の娘であったと見なすことが出来ます。
また、ティイの父親の名前の「イウイア」とは、明らかにエジプト固有の名前ではなく、彼が外国に出自をもつ家系の出身者であると見られることも、興味深いことです。



アメンヘテプ3世の記念スカラベ(湖の造営)
新王国・第18王朝時代 アメンヘテプ3世治世(前1388~前1350年頃)
滑石 長さ:10.17㎝×幅:6.6㎝×高さ:4.45㎝
大英博物館蔵
(C)The Trustees of the British Museum, all rights reserved




結婚スカラベとともに、特別展に出品されているのが湖造営スカラベです。
この大型スカラベの銘文は、横書き12行のもので、結婚スカラベと同じく、ヒエログリフ(聖刻文字)が、右から左に向かって刻まれています。

結婚スカラベと異なるのは、1行目に王の治世年と月日が刻まれている点です。
「アメンヘテプ3世の治世11年のアケト季3月1日」と記されています。
古代エジプトの数字で10は、逆さにしたU字、1は縦線で記されます。
古代エジプトの暦(民衆暦)は、1年をアケト(増水)季、ペレト(播種)季、シェムウ(収穫)季という3つの季節に分け、それぞれに30日からなる月が4つずつ配されています。
つまり1年が12ヵ月で360日になります。それに、年と年との間に5日間の祭礼の日が置かれて365日としたのでした。

2行目から5行目の前半までは、結婚スカラベと同様にアメンヘテプ3世のホルス名、二女神名、黄金のホルス名、即位名、誕生名の順で、5つの王名が記されています。
5行目の後半部分には、偉大な王の妻(正妃)ティイの名前が記されています。
6行目3文字目からが、この銘文の主文になります。「(3月1日に)、陛下は王妃ティイのために、湖を造ることを命じました。」そして、その湖の説明が続いています。
まず、場所です。ジャルカの町と記されています。
次に湖の大きさとして長さが3700キュービット、幅が700キュービットと刻まれています。
キュービット(古代エジプト語でメフ)は、古代エジプトの長さの単位で、伸ばした腕の指先から肘までの長さを指し、「腕尺」とも呼ばれています。
1キュービットは約52.5cmで、長さ3700キュービットは1.9425km、幅700キュービットは0.3675kmにもなります。
古代エジプトの数字で、1000は蓮、100は渦巻きで表現されています。
 
左:1000(蓮)、写真は3000を表す/右:100(渦巻き)、写真は700を表す

そして、この湖の完成を祝う式典がアケト季の3月16日と書かれており、湖の造営を命じた3月1日から、わずか15日後のことです。
約2週間で長さが2km、幅が0.4kmの巨大な人造湖を造営したことにも驚かされます。
この人造湖は、かつては王都テーベ(現在のルクソール)の西岸にあるアメンヘテプ3世のマルカタ王宮(古代名は「喜びの家」)に造られた人造湖のビルカト・ハブとされていました。
しかしながら、大きさがビルカト・ハブは長さが3km、幅が0.9kmと違っているのと、マルカタ王宮の造営がアメンヘテプ3世の治世29~30年頃であることなどから、別のものであり、現在ではジャルカも王妃ティイの出身地のアクミーム付近の地名とされています。

また、銘文の最後にある記述にも驚かされます。
湖のオープニングの式典でアメンヘテプ3世が乗った船が「輝くアテン」という名前をもつことです。
言うまでもなく、アメンヘテプ3世の息子で後継者であるアメンヘテプ4世(アクエンアテン)が、唯一神として崇拝した太陽神アテンの名前が、アメンヘテプ4世(アクエンアテン王)の治世が開始される20年以上も前に父王の船の名前として登場することはとても興味深いことです。

アテンを表すヒエログリフ

わずか12行ほどの短い銘文ですが、これを読み解くことで今から2360年も前の歴史的事実を知ることができるなんて、すごいことだと思いませんか?


今回、近藤先生にご紹介いただいた2件のスカラベは、会場では、銘文の読み方とともに展示しています。
王妃ティイとアメンヘテプ3世の事蹟を、ぜひご自身で読んでみてはいかがでしょう。
皆様のご来館をお待ちしております。

カテゴリ:2015年度の特別展

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posted by 近藤二郎(早稲田大学教授) at 2015年09月18日 (金)

 

「クレオパトラとエジプトの王妃展」研究員のおすすめ作品(4)

「クレオパトラとエジプトの王妃展」第2章「華やかな王宮の日々」では、白い壁紙の展示室で王とその家族を支えた人々の姿と華やかな装飾品を鑑賞した後、赤い壁紙で統一された部屋へと入っていきます。



ここは「グラーブのハーレム」コーナー。
グラーブとは、マディーナト・グラーブと呼ばれている遺跡のことで、新王国時代には王宮を伴う町がありました。
発掘された王宮に属する建物の大部分は、王家の女性たちが暮らした「ハーレム(後宮)」であったとされています。

このグラーブが最初に発掘されたのは、今から100年以上も前、1889年のことでした。
発掘したのは有名な考古学者、フリンダース・ペトリーです。

当時の考古学は「お宝探し」の側面が強かったのですが、ペトリーは、土器のかけらなど、美術品としての価値がほとんどない出土物であっても、記録を残し、資料として出版しました。
それらを分類して分析するなど、学問としての考古学の基礎を作った人物です。
日本で最初の考古学講座は1916年に京都大学に設置されますが、その初代教官は、ロンドンでペトリーに師事した浜田耕作でした。
ペトリーは日本における考古学の誕生と、その後の発展にも大きな影響を与えたのです。

「グラーブのハーレム」コーナーに戻りましょう。
ここではペトリーが発掘したたくさんの出土物が展示されています!
エジプト考古学の黎明期を示す展示作品をいくつか、ペトリーの出版した報告書とともにご紹介しましょう。

 
左:双耳長頸壺/右:青色彩文土器
グラーブ出土
新王国・第18~19王朝時代(前1550~前1186年頃)
マンチェスター博物館蔵
(C)Manchester Museum, The University of Manchester


ペトリーは、グラーブの墓から出土したこれらの土器の実測図を作成して出版しています。
印をつけたものが上の2件の作品の実測図ですが、おわかりでしょうか?

W. M. F. Petrie, Kahun, Gurob, and Hawara, London, 1890, Pl. XXI.

次は「ハーレム」で暮らした高貴な女性たちも使ったであろう品々です。


ファンアンス容器
グラーブ出土
新王国・第20王朝時代(前1186~前1069年頃)
マンチェスター博物館蔵
(C)Manchester Museum, The University of Manchester


ロータスに水鳥というエジプトらしい絵柄が描かれたこの美しい壺は、香油の容器だったと考えられます。
「鐙壺(あぶみつぼ)」と呼ばれるミケーネ土器を模倣した容器です。
当時、高級オイルや香油はエーゲ海地域で生産され、「鐙壺」に入れられて、エジプトにも輸出されていました。

ちなみに、本場の「鐙壺」はこちら。

ミケーネ考古学博物館蔵

アーチ状の把手が、馬具の鐙のように見えるので、「鐙壺」と呼ばれます。
この把手とは別に、注ぎ口が取りつけられている点が特徴です。
人差し指と中指で把手を持ち、親指でその真ん中を抑え、中身の液体を注ぎ出しました。

特別展で展示されている作品は、エジプトで製作されたもの。
当時、「鐙壺」はおしゃれな容器として定着していました。
そこで、エジプトのファイアンス職人は、「鐙壺っぽい」ファイアンス容器を作ったのです。
「鐙壺っぽい」と書きましたが、実はこのファイアンス容器、独立した注ぎ口がなく、把手の中央部が注ぎ口になっている「似て非なるもの」。
鐙壺の機能よりも雰囲気が大事だったのでしょうか。

ペトリーの報告書ではこのように描かれています(左上の図)。

W. M. F. Petrie, Illahun, Kahun, and Gurob, London, 1891, Pl. XX.

手描きならではの味がありますね。
ちなみに左下も展示作品で、「女性スフィンクスが描かれたファイアンス容器」(No.88)です。


 
左:ガラス容器/右:ペトリーの報告書の図(Petrie 1991, pl.XVIII:19 )
グラーブ出土
新王国・第18~19王朝時代(前1550~前1886年頃)
マンチェスター博物館蔵
(C)Manchester Museum, The University of Manchester


このガラス容器も香油などを入れるためのおしゃれな容器でした。
粘土などでつくった芯に、ガラス棒を巻きつけて作られた容器です。
表面の文様も、溶けた色ガラスの棒を巻き付け、固まる前に引っ掻いて作り出されたもの。
素材となったガラス棒はこのようなものです。


色ガラス断片
エジプト出土
新王国~初期イスラム時代・前16世紀~後8世紀頃
百瀬治氏・富美子氏寄贈
東京国立博物館蔵(現在は展示されていません)


古代エジプトでは、色ガラスは宝石と同様でした。
例えばツタンカーメン王の黄金のマスクも、青色ガラスで彩られています。
このガラス容器のかたちもまた、エーゲ海やシリア・パレスチナ地域で生産され、輸出されていた壺の形を模したものです。本来は把手が2つついていたと思われます。

「グラーブのハーレム」コーナーの注目作品をもう1つご紹介します。No.78「王妃ティイの供物台」です。


王妃ティイの供物台
グラーブ出土
新王国・第18王朝時代 アメンヘテプ3世治世(前1388~前1350年頃)
マンチェスター博物館蔵
(C)Manchester Museum, The University of Manchester


本展覧会が注目する王妃の一人であるティイが、夫アメンヘテプ3世のために用意した供物台で、刻まれた碑文からは、強い絆で結ばれていた夫への愛情を感じ取れます。
ペトリーもこの供物台の資料的価値を評価し、供物の絵柄とヒエログリフがはっきりわかるスケッチを出版しています。

Petrie 1891, Pl. XXIV

クラーブは湖と豊かな自然を満喫できるファイユーム・オアシスへの入口に位置します。
ここに王宮を建設したのはトトメス3世(治世:前1479~前1425年頃)。
グラーブの王宮は、王にとってはリラックスして過ごせる離宮でした。
王がグラーブに滞在したのは1年のうちのわずかな期間だったと推測されます。

そうすると、王が不在の間、ハーレム(後宮)の女性たちは何をしていたのでしょうか。
実は彼女たちは、機織りなどの仕事を持っていたことが知られています。
つまり、ハーレム(後宮)には王室の工房としての側面がありました。
生産されていた、薄くて白い亜麻布は、当時は貴重で高価なものでした。
出土した碑文から、「機織りの長」という称号を持つ女性がいたことがうかがえます。
クラーブでも紡錘車や糸玉など、亜麻布生産に関連する出土物が多数出土しています。


左:紡錘車/右:糸玉
グラーブ出土
新王国・第18王朝時代(前1550~前1186年頃)
マンチェスター博物館蔵


「クレオパトラとエジプトの王妃展」で展示中のグラーブ出土品の大部分は、マンチェスター博物館からお借りしています。
実はこれらの品々、マンチェスター大学が資料として保管しているもので、同大学博物館で展示されている作品ではないのです。
ということは・・・本展覧会は、「グラーブのハーレム」で発掘された出土物をまとまって鑑賞できる大変貴重な機会!
会期終了まであと1週間とちょっと。まだご覧になられていない方は、ぜひ展覧会へお急ぎください。

カテゴリ:研究員のイチオシ2015年度の特別展

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posted by 小野塚拓造(特別展室) at 2015年09月14日 (月)

 

「アート オブ ブルガリ  130年にわたるイタリアの美の至宝」開幕!

アート オブ ブルガリ  130年にわたるイタリアの美の至宝」が、いよいよ9月8日(火)に開幕しました!
開幕に先立ち、9月7日(月)には開会式・内覧会を行い、多くのお客様にご出席いただきました。


開会式の様子(左から吉見読売新聞社事業局長、ジャン-クリストフ・ババン ブルガリ グループ CEO、赤池文部科学大臣政務官、東京国立博物館銭谷館長)

本展覧会の会場は表慶館です。
明治末期の歴史ある建物とブルガリの美が見事に融合しています。


エントランスの天井を見上げると、プロジェクションマッピングにより、万華鏡のような景色が・・・

各展示室は時代ごとに分かれており、創業131年を迎えるブルガリの歴史を辿ることができます。
宝石の美しさはもちろんのこと、大胆な配色や、日本文化の影響を受けたユニークなモチーフなど、バラエティ豊かなジュエリーに驚かれることでしょう。


Room1 展示風景


Room4 展示風景

また、ブルガリをこよなく愛した名女優エリザベス・テイラーにまつわる展示も、本展の見どころです。
エリザベス・テイラーが俳優リチャード・バートンから婚約の証に贈られたブローチなど、ブルガリジュエリーが彼女の人生に寄り添ってきたことが感じられる空間となっています。


Room8 展示風景 映画「クレオパトラ」で実際に着用した衣装も飾られています


Room9 展示風景 本展チラシ掲載の「ソートワール」(プラチナ、サファイア、ダイヤモンド  1969年)

まさに「至宝」と呼ぶにふさわしいコレクションの数々。
会期は9月8日(火)~11月29日(日)です。
この秋、表慶館でブルガリの美をご堪能ください!

 

カテゴリ:2015年度の特別展

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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2015年09月10日 (木)