今回展示されている中国絵画の目玉の一つに、元代文人画があります。元時代に活躍した四人の文人画家、黄公望(こうこうぼう)(1269-1354)、倪瓚(げいさん)、呉鎮(ごちん)、王蒙(おうもう)を特に「元末四大家」と呼びますが、今回はそのうち三人もの代表作が一挙に来日しています。
皇帝の至宝といえば、絢爛豪華な作品に目がいきがちですが、皇帝たちがもっとも愛してきたのはこの元末四大家の作品でした。そこには東洋の魂がこめられているからです。
「元末四大家」は中国人なら誰でも知っている、最も重要な画家です。例えるなら、ルネサンスを代表するレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)、ミケランジェロ(1475-1564)、 ラファエッロ(1483 -1520)のルネサンス三大巨匠の代表作が、全て東博に来日しているようなものです(もっとも、ルネサンスの画家たちは元末四大家よりも150年も後に活躍した人々なのですが…)。
張雨題倪瓚像図巻(ちょううだいげいさんぞうずかん) 元時代・14世紀 台北 國立故宮博物院蔵
倪瓚は、日本で例えれば西行や松尾芭蕉のような人。元末の戦乱を避けて、家や妻子を捨てて流浪の生活を送りました。その芸術作品は、どこまでも静かで寒々とした孤高を感じさせ、見る人の心に迫ります。
紫芝山房図軸(ししさんぼうずじく) 倪瓚筆 元時代・14世紀 台北 國立故宮博物院蔵
倪瓚の山水画は、一人も描かれないのが特徴です。画家の孤独な心象風景を象徴するようです。
世界の絵画史上もとても早い14世紀に、中国では故郷や友人との交流といった、とてもプライベートな事柄が描かれるようになります。画家たちは皇帝のために豪華な肖像や神話画を描きあげる職人ではなく、個人の内面世界を表現する“文人”となり、その理念が東アジア全体に広がっていったのです。
漁父図軸 呉鎮筆 元時代・至正2年(1342) 台北 國立故宮博物院蔵
呉鎮もまた清貧の生活を送った文人です。月光のもとで、ゆったりと船に乗る高士の姿は、呉鎮の自画像かもしれません。
具区林屋図軸(ぐくりんおくずじく) 王蒙筆 元時代・14世紀 台北 國立故宮博物院蔵
見るもの誰もが「ぎょっ」となる王蒙の作品。彼もまた戦乱の世にあって悩み苦しんだ文人でした。ここでは右上に洞窟の入り口が描いてあることに注目ください。その道をぬけると、中には花咲く理想世界が広がっていた、という構図です。
想像してみてください。混乱した戦乱の世。自分の居場所はどこにもありません。しかし王蒙はこの、岩に囲まれ、隔離された小さな空間に、家族とともに暮らす理想郷を見出したのです。
湖から続く小さな洞窟を抜けると…。
戦乱を避けて、静かに読書する文人と、花を生ける女性の姿が描かれています。
ルネサンスがその後の西洋美術発展の礎となったように、元末四大家はその後の東アジア絵画の発展の基礎となりました。なぜ昔の人の絵は山や川ばっかりなのか、なぜ墨ばっかりで描いているのか、誰にもかけそうな絵がどうして国宝なの? そんな疑問の全ての答えは、この元四大家の誕生にあります。
人間の精神に関心を持つ全ての方々にごらんいただきたい、東アジア文化の結晶なのです。その後、中国は度重なる戦乱に見舞われますが、それでも現代に至るまで人々がそのよりどころとし、必ず尊重してきたのは、この元末四大家の権力に屈せず精神の自由を守ろうとする生き方だったのです。
元末四大家が活躍したのは、江蘇省と浙江省にまたがる太湖の周辺でした。東アジア文人画のふるさとと言えます。
最後に一つ、私の大好きな絵を。これは王允同(おういんどう)という人が、地元である「荊渓(けいけい)」の風景を描いてもらい、12人の友人たちにその風光をほめてもらう詩を寄せ書きしてもらった作品です。
荊渓図軸 陳汝言筆 元時代・14世紀 台北 國立故宮博物院蔵
真ん中の橋は、この地を訪れた人々ならば必ず渡ったであろう「蛟橋(こうきょう)」でしょう。街のシンボルです。上にあるのが友人たちの寄せ書き。
人は誰でも故郷があります。そしてそこで友人や家族と幸せに暮らしたいと願っています。しかしそのことは、様々な原因で適うことはないのが普通です。その時、このような、理想化された風景が描かれていきます。この絵の前にたてば誰もが(それこそ皇帝から文人、現代の私たちに至るまで)、元代文人画が描こうとした、故郷への愛や友人との交わり、内面の充足といった、普遍的な感情を共有できるでしょう。
故宮文物はただ単に中国だけの宝ではありません。私たち東アジア共通の宝であるというのは、このような理由によるのです。じっくりとお楽しみくだされば幸いです。
カテゴリ:研究員のイチオシ、2014年度の特別展
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posted by 塚本麿充(東洋室研究員) at 2014年09月11日 (木)
故宮収蔵品の大部分は、中国歴代の皇帝が収集したコレクションを受け継いだもの。
皇帝コレクションは、4千年以上前の新石器時代から各時代・王朝を代表する文物とともに、後世それにならって作った「倣古(ほうこ)」のものから構成されています。
そこで、特別展「台北 國立故宮博物院ー神品至宝ー」の会場には、さまざまな時代の文物と倣古の作品を並べて展示した「倣古コーナー」を3箇所設けました。
(左)犠尊(ぎそん、元~明時代・13~14世紀)は、(右)犠尊(戦国時代・前4~前3世紀)の倣古
(左)青磁弦文瓶(せいじげんもんへい、清時代・18世紀)は、(右)青磁輪花鉢(せいじりんかはち、南宋時代・12~13世紀)のような南宋官窯青磁の倣古
(左)文王玉方鼎(ぶんのうぎょくほうてい、清時代・乾隆年間(1736~95))、(右)文王方鼎(明時代・15~16世紀)ともに文王方鼎の原器(西周時代・前11世紀 現存せず)の倣古
中国の伝統的な価値観では、過去、とくに殷周時代(前16-前3世紀)以前は単なる過去ではなく、徳のある王や賢人が理想的な政治をおこなった神聖な時代とみなされてきました。
倣古は先人の崇高な精神やいにしえの理想世界を少しでも体現しようとして作られたのです。
清の乾隆帝(けんりゅうてい、在位:1735~95)は、歴代皇帝のなかでも、過去の文物の蒐集のみならず、倣古の制作にもっとも心血を注いだ人物のひとりとして特筆されます。
その乾隆帝コレクションの縮図ともいえる象徴的な作品があります。
紫檀多宝格(したんたほうかく)です。
約25センチ四方の小さな紫檀製の箱に、30点もの文物が整然と収納されています。
一体どのように中身を収めているのでしょうか。
その仕掛けは圧巻。
左:紫檀多宝格 清時代・乾隆年間(1736~95)
右:各側面の窓枠をスライドさせて取り外します
左:各側面の右半分に仕込まれた棚が回転しながら出てきます
右:底の台のなかにも整然とミニチュアの文房具を収納
側面を飾る書画は、いずれも宋元を代表する作家にならって作らせたもの。
箱の中身は大部分が青銅器・玉器・陶磁器・文房具など中国のさまざまな時代・材質の文物で占められています。
乾隆帝がもともと所蔵していたものと、新規に作らせたミニチュアの倣古に分けることができます。
たとえば、ある瓶の外面底部には北宋・徽宗(きそう、在位:1100~25)の元号である「宣和(せんな)」の銘をもつものがあります。
多宝格に収納された「宣和」銘の瓶
これは北宋の磁器にならって乾隆帝が作らせた倣古です。
乾隆帝は「東洋のルネッサンス」とも評される徽宗の文化事業[過去記事「徽宗コレクションから乾隆帝コレクションへ-故宮文物に出合う喜び-」を参照]を強く意識していました。
出土品・伝世品を集め、倣古を作って補完した歴代名品のコレクションは、先人の理想的なおこないを敬慕し、その文物を受け継ごうとする中国の皇帝にふさわしいものです。
実際の文物のほかに倣古のものを加えて、皇帝コレクションの何たるかを視覚化してみせた多宝格。
冒頭に紹介した3箇所の倣古コーナーは、この多宝格につづく伏線でもあるのです。
しかし、この多宝格のなかには、中国以外の地域のものも含まれています。
たとえば、ルビーの嵌めこまれた指輪は、その代表的なものです。
多宝格に納められているルビーの指輪。ルビーは東南アジア産のものと推定されます
また、この青銅製の水差しは、西アジアから中国北方草原にかけて騎馬民族が使用した棍棒頭を上下逆さにして転用したものと考えられます。
孔にはもともと木製の柄が挿しこまれ、打撃用の武器として使われました。
左:棍棒頭から転用されたと思われる青銅製水差しと杓(手前)
右:青銅製棍棒頭(東京国立博物館所蔵 TJ-3909 径4.7、高3.1センチ 年代不詳) ※この作品は展示されていません
多宝格のなかに収められた古今東西の文物には、従来の中華世界の枠を越えて、その外側に広がる世界にも目を向けた乾隆帝の真骨頂を見てとることができます。
徽宗コレクションではじまる本展の会場は、この多宝格の周囲に実際の乾隆帝コレクションを配した空間でクライマックスを迎えます。
乾隆帝が作らせた倣古の器物や、中国の歴代王朝の文物に刻ませた詩には、中華世界の伝統文化を受け継ぐだけでなく、再編しようとする野心さえうかがえます。
左:鷹文玉圭(ようもんぎょくけい、新石器時代(前2500~前1900年))
右:同作の表面に刻まれた乾隆帝の詩
一方、タイ国王から献上された金葉と螺鈿漆器の箱などには、中華世界の外側にも関心を寄せていた乾隆帝のスケールの大きさがうかがえます。
シャム金葉表文(きんようひょうもん)は、シャム(タイ)のタークシン王(在位:1767~82)の使節が乾隆帝に上程した金の文書。奥の螺鈿漆器はその容器
会場ではこうした乾隆帝ならではのコレクションの数々を、その縮図ともいえる多宝格の周囲に配し、さらにこの展示空間をまるごと巨大な造作物で覆いました。
この造作物は周囲が四角い箱状で、中央上部に緑色の円形の装飾がついています。
これが何の形を表しているか、おわかりでしょうか。
そう、多宝格です。
左:俯瞰した多宝格再現展示(イメージ)
右:俯瞰した多宝格
多宝格に象徴される乾隆帝コレクションは、中国の歴代皇帝コレクションの集大成であると同時に、従来の皇帝コレクションの枠を超えた壮大なスケールをもつものでもあります。
その特異な歴史的意義に、多宝格の「現代版倣古」ともいえるこの展示空間で少しでも触れていただけましたら幸いです。
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posted by 川村佳男(平常展調整室 主任研究員) at 2014年09月04日 (木)
特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」30万人達成!!!
特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」(6月24日(火)~9月15日(月・祝))は、
8月27日(水)午前に30万人目のお客様をお迎えしました。
多くのお客様にご来場いただきましたこと、心より御礼申し上げます。
30万人目のお客様は、足立区よりお越しの岸理香子さんです。
理香子さんは、お母様の順子さんと一緒にご来場されました。
岸さん親子には、東京国立博物館長 銭谷眞美より、特別展図録と記念品を贈呈しました。
そして今回はなんと、特別プレゼンターとしてハロー・キティからも、特別展とコラボしたオリジナルグッズが贈られました。
特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」30万人セレモニー
左からハロー・キティと岸さん親子、館長の銭谷眞美
8月27日(水)東京国立博物館 平成館エントランスにて
お母さんの順子さんからは、
「夏休みの宿題で『博物館紹介』があり、本日は夏休み最後の思い出づくりも兼ねて見に来ました。」と、お話いただきました。
30万人目に選ばれて「びっくりした」という理香子さんも、チャイナドレス姿のハロー・キティを見て「かわいい」と話していました。
翠玉白菜の展示が終わった後も毎日多くのお客様にお越しいただいている本特別展も、会期は残り3週間をきりました。
中国の悠久の文化に触れるまたとない機会ですので、どうぞお見逃しのないよう、皆様のご来館をお待ちしております。
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posted by 田村淳朗(広報室) at 2014年08月27日 (水)
徽宗コレクションから乾隆帝コレクションへ―故宮文物に出合う喜び―
私が國立台湾大学に留学していた10年以上前のこと。先生の一人が、日本はいつ故宮展をやるのか、と聞いてきました。ちょうどドイツでの展覧会が始まろうとしていたからです。当時、日本で故宮文物が見られないのは言わば“常識”でしたから、何も知らない大学院生だった私は、「僕が生きている間には無理なんじゃないですか(笑)」と答えていました。
しかし、東博の先輩方は当時から、いやその遙か昔から、20年以上の時間をかけて、今日の日にむけての準備を、着々と進めてくださっていたのです。
そして、いま、台北 國立故宮博物院が誇る最高の文物が、東京にやってきています。故宮文物とともにあるとは、なんと素晴らしい毎日でしょう!
(左) 奇峰万木図頁(きほうばんぼくずけつ) (伝)燕文貴筆 南宋時代・12世紀 台北 國立故宮博物院蔵
(右) 坐石看雲図頁(ざせきかんうんずけつ) (伝)李唐筆 南宋時代・12世紀 台北 國立故宮博物院蔵
故宮文物は、特別なものです。
そのような多くの人々の夢のつまった歴史的な展覧会で、どのような展示をするのか、館内では長い議論が続きました。作品個々の美しさを最大限に引き出すとともに、それらが文物として多くの人々の手によって守り伝えられてきた歴史を展示したいというのが、今回のワーキンググループの願いだったからです。
そのためにとられた手法が、素材別・時代別に並べるのではなく、作品の「意味」ごとに10のゾーンに区切る展示法です。たとえば、青銅器玉器など考古遺物からはじまり、絵画は絵画、書は書、磁器は磁器というふうに、素材別の名品展が連続するのも、一つの展示の仕方です。しかし今回は、コレクションとして同じ意味を持ったものを、違った素材であっても一つのゾーンにまとめ、展示することによって、会場全体に変化をもたせ、同時に故宮文物が美術作品としてだけではなく、「文物」として伝来してきた意味を感じていただく構成といたしました。
散氏盤(さんしばん) 西周時代・前9~前8世紀 台北 國立故宮博物院蔵
展示の一点目は、故宮文物の「意味」を代表する「散氏盤」からはじまります。国家が最も重視した国境を定める故事が書かれています。
作品にたてば、今回来日している作品たちがただの美しい美術品ではなく、人々の社会と密接に結びついた「文物」であることに、気がつかれることでしょう。展示が必ず「散氏盤」から始まらなければならなかった理由も、ここにあります。
徽宗の宝物の御殿であった「宣和殿(せんなでん)」をイメージした、小さくて瀟洒な、北宋の美学を象徴する展示空間。
そこから「皇帝コレクションの淵源」を通って入ると「徽宗(きそう)コレクション」のコーナーです。
東洋のルネサンスと呼ばれる徽宗の時代、士大夫たちの精緻な古代研究と美意識が合致して、東アジア芸術史上類い希なる芸術品が生み出されました。その一つが汝窯(じょよう)であり、士大夫の書画です。
最新のLEDと有機ELで照らされた汝窯は、台北の展示場とは違った輝きを持っているのもわかります。
この時代の宮廷文物は、日本ではほとんど見ることができません。それは北宋時代と日本との交流が限られており、日本あるのはほとんどが仏教文物であったからです。足利時代から日本人が「徽宗皇帝の御殿」と憧れてきた徽宗コレクションを、眼前で見ることができるとは、なんと幸せなことでしょう!
同じ空間は南宋時代の展示でも繰り返されています。やや淡い色の官窯と清朝の倣古青磁。研ぎ澄まされた高い精神と南宋宮廷絵画がよくマッチした空間になっているのがわかると思います。
(左)青磁輪花鉢 官窯 南宋時代・12~13世紀 台北 國立故宮博物院蔵
(右)太液荷風図頁 馮大有筆 南宋時代・13世紀 台北 國立故宮博物院蔵
龍文玉盤 北宋または遼時代・10~11世紀 台北 國立故宮博物院蔵
台北では見ることができない、透かし彫りに両面からあてられた照明の美しさもご堪能ください。
第二室に入ると、皇帝を象徴するような正面に雄大な北方山水画と龍の玉皿が皆様を出迎えます。そしてその右側には朝廷に出仕した人、左側には出仕せず隠棲した文人たちの書画が取り囲んでいます。まさに中国の世界観を示す展示空間となりました。
赤壁図巻 武元直筆 金時代・12世紀 台北 國立故宮博物院蔵
同じ古物であっても、時代によって環境によって、その意味は変化していきます。どのような展示をするかによっても、その意味は変わっていきます。そして今回の展示では、最後の多宝格の展示空間へと、徽宗から乾隆帝コレクションへと続いていく構成になっています。
故宮文物は特別な意味を持っています。そしてそれを迎える私たちも、人生で一度しかないであろう、特別な時間を過ごしていることを、喜んでいます。少なくとも、千年前からの日本人にはなかった、特別の体験をしていることは、何度も考えなくてはならないことです。
日本でしか味わえない、故宮文物の展示空間を、個々の作品の美しさとともに、お楽しみくだされば幸いです。
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posted by 塚本麿充(東洋室研究員) at 2014年08月23日 (土)
マーケットでの中国美術の高騰が騒がれて、久しくなります。当初は単に、投機目的の人々が増えて価格が上がったと思っていたのですが、そればかりではなくて、近年は世界中で中国美術の人気そのものが高まり、収集家や愛好家、研究者が増えているように感じます。
日本の歴史の中で中国の美術工芸品は、唐物とよばれて珍重され、将軍を筆頭とする有力武家や大寺院など、ごく限られた権力者や富裕層のものでした。近代以降も、青銅器や陶磁器のコレクターなど、中国工芸の愛好者と言えば、経済界で成功を収めた大実業家のイメージです。
ところが最近、若い女性達などの間で、もう少し気軽に中国の工芸が鑑賞されるようになってきたようです。特に人気なのが、清朝磁器。彩度の高い鮮やかな色調と精巧無比な造形は、まるで手わざとは思えないくらい。均質性の高いところなど、工業製品に囲まれて生活している現代の我々にとって、かえって親しみやすいのかも。
私の担当している漆工品はというと、彫漆の天目台や盆など、お茶を嗜む方々には格式の高い道具としておなじみですが、若い世代の方々の認知はまだこれからといった感じです。
ここでは、中国の漆芸装飾の主流を占めた「彫漆(ちょうしつ)」による出品作品で、その魅力をご紹介しましょう。堆朱や堆黒など、漆を塗り重ねた厚い層を彫刻して文様を表わす技法を、「彫漆」とよんでいます。
花卉堆朱長頸瓶(かきついしゅちょうけいへい) 明時代・永楽年間(1403~1424)
塗り重ねた漆の層は厚く、文様は立体的に量感豊かに彫り出されています。表面には、漆特有の滑らかな艶があります。
双龍堆朱碗(そうりゅうついしゅわん) 明時代・嘉靖(かせい)年間(1522~66)
小さな曲面に隙間無く龍涛(りゅうとう)文や瑞雲(ずいうん)文を表わし、龍の頭部や鱗、鬢髪(びんぱつ)に至るまで、精細に彫り出しています。
双龍彫彩漆長方盆(そうりゅうちょうさいしつちょうほうぼん) 明時代・万暦(ばんれき)17年(1589)
こんどは地の部分にも、ご注目下さい。このように大変細かい地文を彫り込むのは、万暦年間の彫漆の特徴です。地文にもこだわりが感じられます。
八宝文堆朱方勝形箱(はっぽうもんついしゅほうしょうがたはこ) 清時代・18世紀
台脚の足先など曲面の細い部分にまで地文を彫り込んでいて、実に精巧な作行。ここに到ってはもはや、地文の方がインパクト強いです。
年代順に見てきましたが、いかがでしょう?
彫刻がどんどん細密になって行くのが、お分かりいただけたかと。
清時代には、彫漆のみならず象牙や竹、胡桃の殻などの細工の分野でも、細密彫刻が流行しました。
これらは単に高度な彫刻技術を顕示しているのではなく、気が遠くなるほどの手間と時間の集積を、視覚的に表現しようとしたものではないかと思うのです。
日本では伝統的に、漆の質感を大事にしますので、花卉堆朱長頸瓶のような、明時代前期の作品の方が好まれてきました。私自身もこれまではそうだったのですが、今回故宮の漆器を間近に拝見して、考えを改めたところがあります。皆様にも是非、実際の作品で見比べていただけたらと思います。
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posted by 竹内奈美子(工芸室長) at 2014年08月18日 (月)