特別展「キトラ古墳壁画」が4月22日(火)に開幕。
初日から約3600人ものお客様にご来場いただくという大盛況ぶりです。
極彩色壁画を持つ古墳として有名なキトラ古墳は、
7世紀末~8世紀初めに築造されたと考えられています。
今を遡ること実に1300年以上!!!
本展覧会は、そんな昔に描かれた壁画の実物をご覧いただける、大変貴重な機会です。
さらに、キトラ古墳壁画が所在地の明日香村の外で公開されるのは、今回が初めて。
ますます見逃せません。
では、キトラ古墳の壁画には何が描かれているのでしょう?
石室内には、天文図や獣頭人身の十二支が描かれていますが、
やはり注目は「四神」。
四神とは、東西南北を守る青龍(東)、白虎(西)、朱雀(南)、玄武(北)の霊獣です。
本展覧会では、四神のうち青龍を除く3点の壁画をご覧いただけます。
もちろん複製ではなく実物です!
キトラ古墳壁画:「四神」より左から玄武・白虎・朱雀
(写真:奈良文化財研究所)
一般公開の前日に行われた報道内覧会の様子。「四神」の展示が大人気でした
展示室内の演出にもぜひご注目ください。
作品をより一層お楽しみいただけます
壁画をご覧になる前に、どんな色なのか、どんな造形なのか、
ぜひ想像をふくらませてご来館ください。
そして頭で思い描いた「四神」と実際の壁画とを、ぜひ比べてみてください。
恐らくは、皆様の想像を超えた壁画をご覧いただくことになるのではないでしょうか。
今後、当ブログでは特別展「キトラ古墳壁画」の見どころを紹介していく予定です。
どうぞお楽しみに!
※混雑状況は特別展 キトラ古墳壁画公式Twitter @kitora2014 にてご確認いただけます。
カテゴリ:news、2014年度の特別展
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posted by 高桑那々美(広報室) at 2014年04月23日 (水)
トーハクでは「日本国宝展」(10月15日(水)~12月7日(日)平成館)を開催します。
4月4日(金)に報道発表会を行いました。
本展覧会担当研究員(そして広報室長!)・伊藤信二より、展覧会の見どころと各章の解説を、
調査研究課長・田良島哲より「国宝指定制度」についての解説をいたしました。
(左)伊藤研究員、(右)田良島研究員(小さくてすみません。)
おっ!ひさしぶりの「日本国宝展」かあ!と思われた方。
長年にわたりトーハクを愛してくださって有難うございます。
実は当館では、1990年と2000年にも「日本国宝展」が開催され、合計で約120万人の方々にご来場いただきました。
14年ぶりに開催がかない、研究員も力が入っています。
もちろん、展示作品はすべて国宝!テンション上がりますね!
「日本国宝展」チラシ。デザインは2パターン。4月下旬より配布開始。
展覧会のテーマは「祈り」。
チラシ(右)の国宝 勢至菩薩坐像(せいしぼさつざぞう)(平安時代・久安4年(1148) 京都・三千院蔵)も、
チラシ(左)の国宝 善財童子立像(ぜんざいどうじりゅうぞう)(鎌倉時代・建仁3年(1203) 奈良・安倍文殊院蔵)も、
合掌してお祈りしています。
このポスターを見るとなんだか癒される、と某広報室員が申しております。
人々の祈り、信じる力が、正しき、善き、美しき「かたち」を造り出しました。
その「かたち」が、長い間大切に継承され、現代になって「国のたから」としての価値を与えられました。
これらの作品から、私たちは何を感じ、何を学ぶのでしょうか。
気になる出品作品の一部をご紹介します。
国宝 合掌土偶(がっしょうどぐう)
縄文時代(後期)・前2000年~前1000年 青森県八戸市風張1遺跡出土 八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館蔵
祈りの姿そのものとも言えるこの造形から「合掌土偶」と名付けられました。
膝の上でしっかりと手を合わせて、見上げるつぶらな目。キュンときます。
腕や足には補修されたような痕が残っています。人々がこの土偶を大切にしていたという証なのだそう。
現在、国宝の土偶は5件ありますが、そのうちの4件が出品予定!
4件が同時に見られるのは11月21日(金)~12月7日(日)です。メモメモ。
国宝 普賢菩薩像(ふげんぼさつぞう)(部分)
平安時代・12世紀 東京国立博物館蔵
(展示期間:10月15日(水)~11月9日(日))
虚空から花が舞い降る空間に、美しい普賢菩薩が現れる。その瞬間が描かれています。
優美な作品が多い「普賢菩薩像」のなかでも屈指の名品。きっと、時を忘れて見とれてしまうことでしょう。
透き通るような白いきれいな肌にもご注目ください。羨ましいわ…
国宝 黄色地鳳凰瑞雲霞文様紅型紋紗衣装(きいろじほうおうずいうんかすみもんようびんがたもんしゃいしょう)
(琉球国王尚家関係資料のうち)
第二尚氏時代・18~19世紀 那覇市歴史博物館蔵
(展示期間:11月11日(火)~12月7日(日))
黄色地に、鳳凰、霞、瑞雲などが、紅型特有のあざやかな色彩で染め表されています。
制作には王府の絵師が携わっていて、熟練のわざが光っています。
絵柄の筆致や、染めの技法など、紅型のなかでも名高い衣装です。
黄色は琉球国尚王家のロイヤルカラーとされています。
そして!テンションMAX必須のこの作品が出品決定!
国宝 金印(きんいん)
弥生時代・1世紀 福岡市東区志賀島出土 福岡市博物館蔵
(展示期間:11月18日(火)~11月30日(日))
かの有名な「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」が印面に刻まれています。
日本史の授業で必ずやりましたよね!テストに出ましたよね!
「金印なら福岡市博物館に行けば見られるじゃないの。」
ああ!それを言っちゃいけません!
日本の国宝のうち、約8分の1が一度に見られるというのですから!わくわくしませんか?
きっと皆様が出会ったことのない国宝にも会えるはず。楽しみにしていてくださいね。
古くは縄文時代から江戸時代の作品まで、日本全国から国宝が集まります。
このほかにも、たくさんのトピックがあるので、今後も1089ブログでご紹介してまいります。
この展覧会を見ずして「日本」は語れません!「日本国宝展」、どうぞお楽しみに!
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posted by 小島佳(広報室) at 2014年04月10日 (木)
特別展「栄西と建仁寺」(2014年3月25日(火)~5月18日(日))では、鎌倉時代から南北朝時代(13~14世紀)の禅僧の肖像彫刻を7体展示しています。すべて建仁寺の住職を務めた人です。個性的な顔はおそらく本人の風貌を写しているのでしょうが、実際のところは確かめようもありません。
ただし、同じ人物の像をまったく別々に造って、その両者がよく似ていたら、それは本人の容姿をかなり正確に写している可能性が高いと言えるでしょう。2体の像が似ていても、先行する1体を写して2体目が造られた場合と、同じものを写して造られた2体なら似ているのはあたりまえで、本人に似ているかどうかは不明です。ですから、似ている2体が別々に造られたものでなければなりません。
さて、今回の展覧会の事前調査で注目すべき発見がありました。
建仁寺境内にある西来院の蘭渓道隆坐像の像内に古い肖像彫刻の頭部が納入されていたのです。
蘭渓道隆坐像 江戸時代・延宝4年(1676) 康乗作 京都・西来院蔵(会期中展示)
蘭渓道隆(1213-78)は中国から渡来した禅僧で、鎌倉・建長寺の開山、建仁寺の11代住職を歴任しました。中国式の禅を日本に植え付けた人です。
(左)蘭渓道隆坐像像内納入品 京都・西来院蔵
(右)重要文化財 蘭渓道隆坐像(部分) 鎌倉時代・13世紀 鎌倉・建長寺蔵
京都の建仁寺西来院で今回発見された頭部と、鎌倉の建長寺に伝わる蘭渓道隆像の顔を比べて見てください。(左)は目が大きく見えますが、本当は(右)と同じように落ち窪んでいた部分が破損して穴が広がってしまったのです。両者とも目が窪んで、頬骨が出て、頬はこけ、鼻の下が長く、顎がとがっています。左の顔は仮面のように頭部の前方部分しか残っていないので、耳の比較はできません。
側面から見てみましょう。
(左)蘭渓道隆坐像像内納入品 京都・西来院蔵
(右)重要文化財 蘭渓道隆坐像(部分) 鎌倉時代・13世紀 鎌倉・建長寺蔵
この2つの顔で特徴的なのは口です。下唇の方が前に出た受け口です。建長寺の像の方が大きく出ていますが。
(上)蘭渓道隆坐像像内納入品 京都・西来院蔵
(下)重要文化財 蘭渓道隆坐像(部分) 鎌倉時代・13世紀 鎌倉・建長寺蔵
上唇の端が少し上がっている点が特に個性的で、両者共通しています。
個性的な部分が共通するので、西来院の蘭渓道隆坐像に納入されていた顔(以下、西来院像とする)は蘭渓道隆のものと見ていいでしょう。
ではこの2つが原本と模写のような関係ではない証拠はどこにあるでしょう。
第一に、頭の形が違います。西来院像は角張っていて、建長寺像は尖っています。これはどちらかが正確に写していないということになります。
次に、技法的な差です。
蘭渓道隆坐像像内納入品 京都・西来院蔵
西来院像の目は内側を刳って、目を貫通させてレンズ状の水晶を当てていたと考えられます。
裏面を見ると、刳っている様子がわかります。これが一般的な玉眼の技法です。
重要文化財 蘭渓道隆坐像(部分) 鎌倉時代・13世紀 鎌倉・建長寺蔵
建長寺像は、瞳の部分にだけコンタクトレンズのように表から水晶を貼っています。中国の仏像が瞳にだけ黒い石やガラス玉を嵌めるのに似ています。
水晶を使うのは日本独自の手法なので、これは日本と中国の手法を折衷したものと言えるでしょう。
こうした違いは、恐らく西来院像は京都で、建長寺像は鎌倉で別々に造られたため生じたと考えることができます。蘭渓道隆の顔をかなり正確に写したから両者は似ているのでしょう。
建仁寺西来院の今回発見された頭部は、700年を超える歳月の中、戦乱や火災を潜り抜けて残ったもので、後頭部や体はいつの頃か失われてしまったのです。
像は、おそらく蘭渓道隆の没後あまり時を経ないうちに造られたと考えられます。
建仁寺には当初から建仁寺にあったことが明確な鎌倉時代の彫刻はこれまで知られていませんでした。その唯一の遺品として、今回あらたに建仁寺の宝物に加わると同時に、京都にある禅僧の肖像彫刻の最も古い作例の一つとしても注目に値します。
(注:西来院の蘭渓道隆坐像像内に納入された頭部は像から取り出せないため、展覧会では写真パネルで紹介しています。また、建長寺の蘭渓道隆坐像は出品していません。)
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posted by 浅見龍介(京都国立博物館学芸部列品管理室長) at 2014年04月09日 (水)
開山・栄西禅師 800年遠忌 特別展「栄西と建仁寺」が開幕しました! 3月24日には、 一般公開に先立って報道内覧会と開会式が行われ、 ご来賓の方々をはじめ1300人を超すお客様においでいただきました。 いよいよ開幕したこの春注目の展覧会。 せっかくの機会ですので、会場の中を少しだけご紹介しましょう。 まず展覧会入り口で、皆様をお出迎えしてくださるのは… 明庵栄西(みんなんようさい)坐像 鎌倉時代・13~14世紀 神奈川・寿福寺蔵 栄西さんの坐像です。 展覧会広報においては、"風神雷神"が大活躍していますが、本展は栄西禅師800年遠忌の展覧会。 展覧会前半では、まず栄西さんのひととなりに触れることができます。 さてこのお像、注目すべきは、大きく、四角く、てっぺんが平らという特徴的な頭。 厳しい修行の末、一度見たものは忘れない超記憶法(?)を修めていたといわれる栄西さん。 大きな頭はその象徴。きっと知恵がいっぱいに詰まっていたに違いありません。 あれこれ仕事に追い回されて、七転び八起きを繰り返す私なぞ、もう思わず拝んでしまいます。 本当に…本当に…あやかりたいものです。 そのまま第1室を進むと見えてくるのは、展示室の中に再現された建仁寺の方丈。 四頭茶会茶道具 中国 明時代・16~17世紀/江戸時代・17~18世紀 京都・建仁寺蔵 日本に喫茶法を広めた「茶祖」としても知られる栄西。 この展示は、その栄西の誕生を祝して毎年4月20日に建仁寺で行われる四頭茶会の様子を 道具や設えをそのまま使って再現した、本展の見どころのひとつです。 また、展覧会の事前調査で、像内部に納入物が見つかった「蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)坐像」も本展注目の作品。 蘭渓道隆坐像 康乗作 江戸時代・延宝4年(1676) 京都・西来院蔵 納入物の古い肖像彫刻の残欠は残念ながら取り出してみることはできませんが、パネルでの解説を行っています。 (本ブログでも、今回の新発見の内容をご紹介予定。乞うご期待!) さらに進んで、展覧会後半には今回の目玉となる、 重文 雲龍図(左4福) 海北友松(かいほうゆうしょう)筆 安土桃山時代・慶長4年(1599)京都・建仁寺蔵 国宝 風神雷神図屏風 俵屋宗達筆 江戸時代・17世紀 京都・建仁寺蔵 などなど見どころが目白押しですが、私がオススメしたいのは、この小野篁立像。 小野篁・冥官・獄卒立像 院達作 江戸時代・17世紀 京都・六道珍皇寺蔵 両側に冥官と獄卒を従えた、2mを超える堂々としたお像です。 恐る恐る顔を下から見上げると、玉眼がギラリと光った気がして、なにやら背筋がピンとなりました。 昼は朝廷に仕えながら、夜は閻魔大王の副官をしていたとの逸話も残る篁。 ふと、「さて、何か篁さんに怒られるようなことはしていなかったかな」と、 ここ数日のわが身を振り返ったところ、 ギラリと光る上司の目が思い出されて、再度、なにやら背筋がピンとなりました。 さて、今回は広報室員の個人的な感想も含めた展覧会場のご案内でしたが、 今後、当ブログでは特別展「栄西と建仁寺」の見どころについて研究員がご紹介していく予定です。 皆様におかれましてはぜひ、実際の展示とあわせてお楽しみいただければ幸いです。
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posted by 田村淳朗(広報室) at 2014年03月26日 (水)
トーハクでは来春、特別展「栄西と建仁寺」(2014年3月25日(火)~5月18日(日)、平成館)を開催します。
2013年10月28日(月)に、報道発表会を行いました。
はじめに、主催者より、当館の島谷弘幸副館長と、臨済宗建仁寺派・坂井田良宏宗務総長がご挨拶申し上げました。
臨済宗建仁寺派・坂井田良宏宗務総長
次に、本展覧会担当の田沢裕賀絵画・彫刻室長より展覧会の構成と見どころを解説いたしました。
田沢裕賀 絵画・彫刻室長
本展覧会では、日本に禅宗(臨済宗)を広め、京都最古の禅寺「建仁寺」を開創した栄西禅師(ようさいぜんじ、1141~1215)の800年遠忌にあわせ、栄西ならびに建仁寺にゆかりの宝物が一堂に会します。
「あれ?『えいさい』じゃなくて、『ようさい』なの?」
もしかして、そう思われた方、いらっしゃいますでしょうか?
そうなのです。
本展覧会では「栄西」を『ようさい』と読んでいます。
もちろん、『えいさい』と読んでも間違いではありません。
建仁寺では、同寺を代表する学僧・東晙(とうしゅん)があらわした「興禅護国論和解(こうぜんごこくろんわげ)」にもとづいて、『ようさい』と読んでおり、
今回の展覧会ではこうした呼び方も建仁寺の文化のひとつと考え、『えいさい』ではなく『ようさい』と読んでいるのです。
興禅護国論和解 高峰東峻著 江戸時代・18世紀 京都・両足院蔵
「興禅護国論」の注釈書。中央の「栄西」に「イヤウサイ」と読みがながふられています。
本展覧会では、栄西の著作・自筆書状や栄西の人となりを示す作品を展示しながら、「禅」だけではない『ようさい』像をご紹介します。
また、建仁寺に伝えられてきた名宝の数々も大きな見どころ!
誰もが知っている、あの国宝「風神雷神図屏風」が5年ぶり(東京では6年ぶり!)にお目見えします。
国宝 風神雷神図屏風 俵屋宗達筆 江戸時代・17世紀 京都・建仁寺蔵
日本人なら誰もが知っているこの顔、この姿、この構図。
しかも、今回は東京国立博物館の本館2階「日本美術の流れ」7室で、重要文化財の尾形光琳筆「風神雷神図屏風」が本展の会期に合わせて公開されることになりました。
重文 風神雷神図屏風 尾形光琳筆 江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵
[展示期間:2014年4月8日(火)~5月18日(日)]
宗達の「風神雷神図屏風」を光琳が「模写」したもの。宗達との造形感覚の違いに注目!
琳派の美を象徴するともいえる2つの作品が同時期に公開されるのは、東京国立博物館での「大琳派展」(2008年)以来、実に6年ぶりです。
別会場とはなりますが、比べてご観覧いただける貴重な機会となります。
加えて、今回の展示作品には海北友松(かいほうゆうしょう)や伊藤若冲、長澤芦雪などの傑作もズラリ。
重文 雲龍図(部分) 海北友松筆 安土桃山時代・慶長4年(1599) 京都・建仁寺蔵
建仁寺本坊方丈を飾る障壁画(現在は軸装)。眼光ド迫力です。
トーハク所蔵の海北友松の作品も、同じく本館2階「日本美術の流れ」7室で公開されるとのこと。建仁寺は友松作品の宝庫であり、さながら本展覧会は建仁寺とトーハクを挙げておおくりする「海北友松展」。
狩野永徳、長谷川等伯とならぶ桃山画壇の巨匠の実力は、われわれを驚嘆させてくれることでしょう。
最後に、建仁寺の浅野全雄庶務部長より、本展覧会でも再現展示される建仁寺の四頭茶会(よつがしらちゃかい)についてご紹介しました。
建仁寺・浅野全雄庶務部長
四頭茶会の様子。栄西の生誕を祝し、毎年4月20日に行われています。
栄西は日本に茶の習慣を伝えたとされる「茶祖」として知られており、本展覧会では古い禅院の茶法を伝えるこの四頭茶会の空間を会場内に再現します。
今回の再現展示に使われる掛軸をはじめとするしつらえは、すべて実際に使われているものなのだそうです。
建仁寺でもなかなか体験できないこの茶会の空間を、是非トーハクでお楽しみください。
さらに!
トーハク初の試みとして、開幕1週間の3月25日(火)~30日(日)の6日間限定で、格安で観覧可能な「春爛漫!開幕1週間限定チケット」の販売も発表されました。
(※チケットの詳細は展覧会公式ホームページをご覧ください。)
期間限定、枚数限定の格安チケット。売り切れ必至です。皆様この機会をお見逃しなく。
このほかにも、魅力あふれる作品やイベント情報など、今後も1089ブログでご紹介していきます。
必見の名宝とともに、近年研究の進んでいる栄西の著述などを通して、栄西の伝えようとしたもの、そして建仁寺が日本文化の発展に果たした役割を検証する本展覧会、どうぞ来年3月の開幕をお楽しみに。
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posted by 田村淳朗(広報室) at 2013年10月30日 (水)