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1089ブログ

インドネシアから始まる、インドを探る旅

彫刻担当の西木です。

「博物館でアジアの旅」、今年は「海の道 ジャランジャラン」のタイトルで、インドネシアを特集しています。
会場は東洋館の12室・13室なのですが、いつもご覧になっているお客様には「あれ? 仏像がない」と思われるかもしれません。
じつはいつも金銅仏を展示しているケースはワヤン(ブログ参照)にお譲りし、その向かいのケースにインドネシアゆかりの仏像を展示しております。


展示の様子


中央が高くなって、四方に仏像が配置されているのは偶然ではありません。
見覚えのある方もおられるでしょうか。
そう、世界遺産にも登録されている、ジャワ島のボロブドゥール寺院をイメージして展示しました。


東洋館に設置している「オアシス2 旅の案内所」より

世界の中心にあると考えられた須弥山(しゅみせん)という山岳の周囲に仏を配する発想により、壮大な寺院が建造されたのです。
そして、その頂上にいるのは、すべての仏の中心とされる大日如来です。


大日如来坐像 インドネシア 10世紀頃 [東洋館12室にて2019年5月6日まで展示中]

両手を胸の前で組み、智拳印という形を作るので、大日如来とわかります。
豪華な背もたれつきの台座に、傘蓋(さんがい)と呼ばれる傘も備わっており、いかにも高貴な人物という雰囲気を醸しています。

密教は、インドのパーラ朝時代、8世紀ごろから信仰されるようになる、仏教の考え方のひとつです。
在来のヒンドゥー教に対抗するため、顔や手足の多い異形の姿や、複雑な仏の世界観を考え出しました。
大日如来はその中心的な仏であるため、インドネシアでも当時、密教が盛んであったことが知られます。


インドの影響は仏の種類にとどまりません。
たとえば、この豪華な背もたれつきの台座ですが、モデルはインドのグプタ朝時代、5世紀ごろから見られるもので、仏の偉大さを示す調度として考案されました。


釈迦如来坐像 インド パーラ朝・9世紀 [東洋館3室にて2019年6月23日まで展示中]


釈迦如来坐像 インド・ボードガヤー パーラ朝・11~12世紀 [東洋館3室にて2019年6月23日まで展示中]

それぞれパーラ朝(8~12世紀)の仏像ですが、どちらも背もたれがついている台座に座っています。
また、衣が体にぴったりとして、肉体の美しさを誇るような表現もインドらしさです。
先に紹介したインドネシアの大日如来もそうでしたね。

じつはこうした特徴はインドネシアにとどまらず、東アジアでもインド風を示すものとして取り入れられました。


重要文化財 如来三尊仏龕(部分) 中国陝西省西安宝慶寺 唐時代・8世紀 [東洋館1室にて2019年4月7日まで展示中]


重要文化財 如来三尊仏龕(部分) 中国陝西省西安宝慶寺 唐時代・8世紀 [東洋館1室にて2019年4月7日まで展示中]

やはり台座には綺麗な布をかけたような背もたれがついていますね。
浮彫ですが、胸が盛り上がり、いかにも肉体に張りがあるようです。
2枚目の如来三尊仏龕には、怪獣のような装飾がついています。

さらに、インド風の表現はほかにもあります。
たとえば、インドネシアの仏像でも椅子に座って足を降ろした、倚像(いぞう)というスタイルの仏像が流行しましたが、これが中国にもあります。


如来倚像 インドネシア 中部ジャワ時代・8世紀頃 [東洋館12室にて2019年5月6日まで展示中]


重要文化財 如来倚像 中国山西省天龍山石窟第21窟か 唐時代・8世紀 [東洋館1室にて2019年4月7日まで展示中]

どちらも股を開いて堂々と座り、脚のラインがくっきり出るほど衣が体に密着しています。
下の像は中国・天龍山石窟からもたらされたもので、少し服装は中国化していますが、その豊満な肉体美はまさにインド風です。


もう一つだけインド風を見てみましょう。
たとえば、こんな座り方も日本では珍しいですね。いかにもくつろいだ格好です。


ジャムバラあるいはクベーラ坐像 インドネシア 中部ジャワ時代・8~9世紀 [東洋館12室にて2019年5月6日まで展示中]


菩薩坐像 インド パーラ朝・9~10世紀 [東洋館3室にて2019年6月23日まで展示中]

これは輪王坐(りんのうざ)といって、インドでは王者の座り方とされています。
とくに出家前の釈迦をモデルにした菩薩像や、神像などに採用されました。

上のインドネシア伝来の仏像は、右手にシトロンと呼ばれるレモンのような果実を持ち、左手にはマングースをモチーフにした財布を握っており、福徳の神であることがわかります。
ただ、同じような図像があり、仏教ではジャンバラ、ヒンドゥー教ではクベーラと呼んでいるため、区別するのはむずかしいです。


以上、駆け足ですが、インドネシアの仏像に見られるインド風の表現をご紹介しました。

さて、インドネシアに限らず、東アジアでもなぜこれほどインド風の表現が見られるのでしょうか。
それは、インドネシアの場合は海上交通によりインドから膨大な文物がもたらされたからです。
ワヤンで演じられる物語もインドの神話がモチーフになっていました。

また今回、中国の作品はいずれも唐時代(8世紀)のものを挙げましたが、有名な三蔵法師玄奘や、インドに派遣された使節である王玄策(おうげんさく)など、インドの文物や情報が盛んにもたらされたのがこの時代でした。
人々はそのエキゾチックな表現に魅了されたのでしょう。

もうひとつ重要なのは、インドこそ仏教のふるさとであることです。
ただそれだけの理由ですが、仏教徒にとって仏教の開祖である釈迦は永遠の憧れであり、インドこそ本来の正しい仏教が行われる土地と信じられていました。
そのため、数多の僧侶がインドへ旅し、またインドから僧侶を招いたのです。
玄奘がもてはやされたのは、インドのお経や仏像を中国に持ち帰ったからでした。
人々は競ってインド風の仏像を造り、拝んだことでしょう。

インドネシアの場合でも、ただ地理的あるいは経済的な事情だけでなく、インドスタイルで仏像を造るという背景には、そうした意味があったに違いありません。

写真で紹介したインドや東アジアの仏像はいずれも展示中で、「海の道 ジャランジャラン」のマークがついています。

さあ、インドネシアから出発して、東洋館でインドを見つける旅にまいりましょう!
 

このマークが目印です。

博物館でアジアの旅 海の道 ジャランジャラン
東洋館 2018年9月4日(火)~9月30日(日)

東南アジアの金銅像
東洋館 12室 2018年5月8日(火) ~2019年5月6日(月)

中国の仏像
東洋館 1室 2018年4月10日(火) ~2019年4月7日(日)

インド・ガンダーラの彫刻
 東洋館 3室 2018年6月26日(火) ~2019年6月23日(日)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ仏像博物館でアジアの旅

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posted by 西木政統(貸与特別観覧室研究員) at 2018年09月17日 (月)

 

階段をおりてインドネシアの「モコ」銅鼓

東洋館の地下展示室はいつも静か。
まさに穴場的展示室です。

そして今回、この穴場をメイン会場として「博物館でアジアの旅 海の道ジャランジャラン」が絶賛開催中です。


東洋館地下1階の展示室

インドネシアを核とするこの企画のなかで、今回ご紹介したいのは、モコと呼ばれるインドネシアの青銅の楽器、銅鼓です。
東洋館では階段をおりた地下の展示室で常時展示をしている作品ですが、今回の企画にあわせ、日の目を浴びる絶好の機会が巡ってきました。モコもさぞ喜んでいることでしょう。
今回はまず、この銅鼓全般のお話をしましょう。



銅鼓の形は時代や地域によってさまざま

上の写真をご覧ください。展示室の中央に、さまざまな形の銅鼓が展示されています。
銅鼓にはさまざまな形のものがあります。そのなかでも古いものには2つの特徴があります。
1つは鼓面と呼ばれる打ち鳴らすための面が、銅鼓の最大径よりも小さいことです。
もう1つの特徴は、銅鼓の形にメリハリがあるということです。上中下の3段構造がわりと明瞭なのが古く、新しくなると、そうしたメリハリが失われていくのです。
これに作り方や文様の特徴を掛け合わせることで、おおよその新旧が明らかになるのです。

この写真には写っていませんが、展示品のなかで古いのは、出光美術館様からお預かりしている銅鼓です。
これは世界で知られている銅鼓のなかでもかなり古い部類に属しますので、ぜひ展示室でご覧ください。


銅鼓にはさまざまな装飾が施されます。鼓面にカエルをあしらう例も多いです。


銅鼓 15~17世紀 タイ北部出土 タイ国ダムロン親王寄贈


鼓面のカエル

なぜカエルなのでしょうか。
種類にもよりますが、カエルのオスは多くは夜に鳴きます。繁殖のためメスを惹きつけるためともいわれています。
実際、かつてベトナムでみた銅鼓では、カエルが2段3段と重なった姿であらわされていました。
これはカエル合戦とも呼ばれる繁殖期の抱接行動です。1匹のメスに、オスが次々と乗りかかっているのです。
こうしたことから、銅鼓にあらわされたカエルは、繁殖期のすがたを表していると推測されます。


抱摂行動のようすをあらわした銅鼓のカエル(ベトナム国立歴史博物館にて筆者撮影)


そうすると、鼓面中央にあらわされた光芒の意味もわかってきます。
一見するとサンサンと輝く太陽の光にも見えます。しかしこれはむしろ満月の光とすべきでしょう。
カエルの繁殖は主として夜に、それも満月の夜に集中するといわれているためで、図像の解釈としては満月としたほうがより合理的だからです。
そしてカエルの繁殖時期は田植えなどの農事暦に用いられることもありますので、銅鼓が担う祭りには、農耕にかかわる祭礼行事が含まれていたと推測されます。


鼓面中央の光芒


銅鼓の起源についてはまだよくわかっていませんが、中国西南部の雲南省から東南アジアのベトナムあたりで発生したと考えられています。
それが東南アジアの各地に拡散していくのですが、その過程で形や文様もさまざまに変化し、インドネシアではモコと呼ばれる銅鼓として定着しました。


銅鼓 初期金属器時代・6~12世紀 インドネシア東部出土
地元ではモコと呼ばれています


モコは、インドネシア東部のアロール島周辺に分布するといわれています。ほかの銅鼓と比べて細身ですが、上中下とメリハリのある姿に、古い段階の銅鼓の名残をみるようです。
モコには、その細身という形以外にも、他地域の銅鼓にはない特徴があります。それが人面文です。
銅鼓の把手と把手の間をご覧ください。同心円が4つ並んでいますが、よくみると鼻筋が表現されていますので、横並びに配された2つの顔であることがわかります。


人面文

なぜこうした人面文を表すのかはよくわかりませんが、銅鼓は楽器というだけでなく相応の価値を有するものだったようですので、たとえばこの2つの人面文は夫婦をあらわし、こうした銅鼓は婚礼の際の結納品として用いられたのかもしれません。想像が膨らみます。


ところで、最大のモコとされているものがバリ島のペジェン村、プナタランサシ寺院にあり、「ペジェンの月」というなんとも詩的な呼び名がついています。
そのいわれがどこまでさかのぼるのかははっきりとしませんが、古くは1705年に出版された博物学者ルンフィウスの『アンボン博物誌』(『アンボイナ島珍奇物産集成』ともいう)に記録があります。
1999年に出版された同書の英語版によると、それは次のような伝説でした。

…ペジェン村の人々が信じて語るのは、それはもともと月を乗せて夜空を走る車の車輪と車軸であった。
ところがあるとき車軸もろとも車体からはずれ、それは空から降ってきた。
そのまぶしさはなおも月のように際立っていた。
困ったのは泥棒。こうも明るくては仕事にならない。泥棒は小便をかけた。
するとこの車輪と車軸は輝きを失い錆びて黒くなった。
バリ島の王さまは、これをその場から動かすことも壊すこともせず、その場に安置し記憶に留めることとした…。


この銅鼓も、鼓面に光芒があります。
上記の伝説が形成されたころ、その光芒は太陽ではなく月の光の名残と認識されていたことがうかがえます。
また、ルンフィウスがこの伝説を記録した当時、村人はペジェンの月を銅鼓であると認識していなかった思しく、その頃のペジェン村では銅鼓祭祀は行われていなかったと推測されます。
銅鼓は、東アジアの青銅祭器のなかでは、唯一現在に至るまで使われ続けてきた息の長い楽器とされています。
もちろん大局的にみればその通りですが、実際には断絶することもあったのです。

興味の尽きないモコ銅鼓ですが、実態解明はまだまだこれからです。
そのためには何よりアロール島やバリ島へ足を運ばねばなりません。実物実地が考古学の大原則ですから、いつか実現させたいと考えています。
それまでしばらくは、東洋館の地下を起点に、皆さんとともに博物館でアジアの旅を満喫したいと思います。

博物館でアジアの旅 海の道 ジャランジャラン
東洋館 2018年9月4日(火)~9月30日(日)

インド・東南アジアの考古
東洋館 12室 2018年9月4日(火)~2018年12月25日(火)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館でアジアの旅

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posted by 市元塁(東洋室主任研究員) at 2018年09月14日 (金)

 

インドネシア バティックの旅

日本で「ジャワ更紗」の名称で親しまれている「バティック」は、ジャワ島で染められている木綿のロウケツ染めです。
18世紀頃から、それぞれの地域で特色のあるバティックを製作してきました。
今回は、「海の道 ジャランジャラン」が開催中の東洋館12室、13室に展示されている作品の中から、制作地の特色を紹介しながらバティックをめぐる旅をしましょう。


インドネシアの首都、ジャカルタから車で海岸添いに3時間ほど東へ行ったところに、チルボンという町があります。
チルボン王宮のもとで制作されるようになったバティックの特徴は、

 
サロン(腰衣) 白地ウダン・リリス文様印金バティック
インドネシア・ジャワ島・チルボン 20世紀初頭 [2018年9月30日まで東洋館13室にて展示]
展示室で近寄って見て! 驚異的な細かさです


このように、細い線のみを残して周囲を蜜蝋で埋めて細密な模様を染める点です。
細い斜めの線は「ウダン・リリス(小雨・霧雨の意味)」と呼ばれていて、線と線の間にも、それぞれが異なる連続文様が染められています。
少し黄色味がかった茶色のソガ染料と、黒に近い藍の2色が特色です。
さらに文様をなぞるように金で装飾がされていて、とってもきらびやか。
インドネシアでは華やかな文様を染めた布を巻きスカートのように腰に巻いて着用していました。

 
小さなひしゃくのついたチャンティンと呼ばれる道具で、ひしゃくに熱い蜜蝋を汲みながら描いていきます

蜜蝋で文様を描くのは、女性の仕事。
少女から老人まで、得意な文様をひたすら布に描く作業が続きます。


チルボンからさらに車で東へ2時間ほど行くと、プカロガンに到着。
茜の赤色と藍色のコントラストが美しいバティックを製作しています。

 
カイン・パンジャン(腰衣) 白地唐草花禽獣文様バティック
インドネシア ジャワ島北岸 プカロガン 20世紀前半 [2018年11月4日まで東洋館12室にて展示]
さまざまな陸や海の動物の文様がかわいい! プカロガンのバティックが愛されるわけです

プカロガンのバティックはとにかく細かいロウ描きにあります。
才能を見込まれた大勢の女性たちが、フリーハンドで地文様を埋めていきます。

 

型染と染色は力仕事。
男の人の仕事です。

 


プカロガンから南へ山を越えてジョクジャカルタ、ソロなどジャワ中部へ向かいます。
ボロブドゥール寺院遺跡群やプランバナン寺院群など、世界文化遺産でも知られる、古い都のあった地域です。ここでもバティックが盛んに作られていました。
ジャワ中部のバティックの特徴は、藍と茶褐色のソガ染料によって染められたカイン・ソガと呼ばれる布です。
男性も女性も着用するバティックの巻スカートですが、「ドドット」はひときわ大きく、王族だけが着用を許されたものです。

 
ドドット 茶地ガルーダ文様バティック
インドネシア ジャワ島中部 19世紀 [2018年9月30日まで東洋館13室にて展示]
霊山、ガルーダ、生命の樹、動物といった文様を組み合わせ、ジャワの世界観を象徴した文様をスメンといいます


地域によってバラエティーあふれる色と文様のバティック。
それぞれの地域を旅しながら、展示室であなたのお気に入りを見つけてみませんか。

 

特集「岡野繁蔵コレクション―インドネシア由来の染織と陶磁器」
東洋館 12室 2018年9月4日(火)~12月25日(火)

アジアの染織 インドネシアの染織
東洋館 13室 2018年7月3日(火)~2018年9月30日(日)

博物館でアジアの旅 海の道 ジャランジャラン
東洋館 2018年9月4日(火)~9月30日(日)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館でアジアの旅

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posted by 小山弓弦葉(登録室長・貸与特別観覧室長) at 2018年09月11日 (火)

 

ベトナムのやきものと岡野繁蔵

こんにちは、平常展調整室の三笠です。

今年も「博物館でアジアの旅」の季節がやってまいりました。
台風に負けず、たくさんのお客様にご覧いただきたいと願っております。

私がお話するのは、今回の企画に合わせて開催中の特集「岡野繁蔵コレクション―インドネシア由来の染織と陶磁器」に出品されているベトナムのやきものと、岡野繁蔵(1894~1975)についてです。

突然の告白ですが、私は絵を鑑賞するのがとっても苦手です。
楽しげに絵解きをしている同僚の話を聴くたびに目から、そして耳からも(!)ウロコ。
私の脳みそには絵を観る機能が欠落しているのだと諦めております。

というわけで、日々癒してくれるのはやっぱり「やきもの」。
叩く。挽く。圧す。時には陶工が掴んだ指の跡がそのまま残っていたり。
数百年の時を超えて、力強い造形の作業を想像しながらたどるのが大好きです。

そんな私が今回オススメする一番の作品は、ベトナムの「五彩水牛図大皿」。
まるでピカソのデッサンをみるような、デフォルメされた水牛の姿。
そばにいる水牛を画工が見たままに描きつけたのでしょうか。素朴ながら丁寧な筆遣いで、水牛の優しげな眼と長い睫毛が印象的です。
そして皿を彩る下絵付けの青、赤と緑の上絵具。絵付けはこのわずか三色にもかかわらず、とても明朗で陰影豊かでしょう。
ややこしや…と身構えることなく、「ずっとみていたい。絵って素敵だな」と思わせてくれる作品なのです。


五彩水牛文大皿 ベトナム・16世紀 岡野繁蔵旧蔵 [2018年12月25日まで東洋館12室にて展示]


ベトナムの製陶は、中国に大きな影響を受けて開花しました。
それは器形や文様構成をみれば一目瞭然。
 
青花牡丹唐草文壺 中国 景徳鎮窯 元時代・14世紀 ※展示していません


青花牡丹唐草文壺 ベトナム 15~16世紀 [2018年12月25日まで東洋館12室にて展示]

しかし底をみると、夾雑物(きょうざつぶつ)の混じった灰茶色の胎(たい)であることがわかります。厚くて重さもずっしりとしており、真っ白で薄づくりの中国磁器とはだいぶ異なった粗い素地です。
また、高台内に鉄を塗るのもベトナムのやきものの特徴です。これを俗に「チョコレート・ボトム」と呼んでいます。
むしろこうした作行き(さくゆき)が見どころであり、とくにさまざまな地域のやきものに親しんできた私たち日本人の眼をも惹きつける魅力ではないでしょうか。


五彩水牛文大皿の底


青花牡丹唐草文壺の底


ところで皆さま、これらの作品をはじめとするトーハクの東南アジア陶磁コレクションの多くは、かつて岡野繁蔵という人がインドネシアで蒐集したものであることをご存じでしたでしょうか?


岡野繁蔵 (藤枝市郷土博物館・文学館提供)


岡野は、陶磁器研究の世界では重要なコレクターの一人として名が通っていますが、一般的にはほとんど知られていないかもしれません。

岡野繁蔵は、明治27年(1894)に現在の静岡県藤枝市で生まれました。苦学の後、大正4年(1915)にインドネシアのスマトラへ渡ります。その後、独立して「大信洋行」という貿易会社を興し、大きな成功を手にしました。


岡野がスラバヤに開いた百貨店「トコ・千代田」 (藤枝市郷土博物館・文学館提供)

昭和17年、戦況の悪化を前に岡野は日本へ戻りました。それに先立ち昭和15年6月、岡野は東京美術倶楽部にて、インドネシアで蒐集したコレクションの売立てを行ないます。
この時発行された『岡野繁蔵氏所蒐 蘭領東印度諸島遺存陶磁工芸品図譜』によると、売立てに出たコレクションはおよそ600点にのぼり、下記のように分けられていました。

1)中国明時代にインドネシアへ輸出された陶磁器
2)ベトナムやタイからインドネシアへ輸出された陶磁器
3)インドネシアの日用土器
4)日本から輸出された伊万里焼、九谷焼
5)ジャワ島にて蒐集した染織
6)ジャワ島にて蒐集した家具
7)ジャワ島にて蒐集した銅鑼
8)ジャワ島にて蒐集した木工品

インドネシアの人々から深い信頼を得ていた岡野のもとには、美術品を持ち込む地元の人々の訪問が絶えなかったと伝わっています。インドネシアにまつわるこれだけ豊かなコレクションを築いたのは、岡野の他にあり得ないでしょう。

現在、東京国立博物館には岡野旧蔵の陶磁器(寄託品含む)およそ90件、染織120件が収蔵されています。今回東洋館12室では、これまでまとまって紹介されることがなかった中国南方の輸出陶磁も展示されています。
中継貿易地として古くよりヒトとモノの往来が続いてきたインドネシアならではの、大変貴重で見どころに富んだ作品ばかりです。

この機会にぜひご堪能ください。


東洋館12室 特集展示の様子
特集「岡野繁蔵コレクション―インドネシア由来の染織と陶磁器」
東洋館 12室 2018年9月4日(火)~12月25日(火)

中国の陶磁
東洋館 5室 2018年9月4日(火)~12月25日(火)

茶の美術
本館 4室 2018年9月11日(火)~12月9日(日)

博物館でアジアの旅 海の道 ジャランジャラン
東洋館 2018年9月4日(火)~9月30日(日)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開博物館でアジアの旅

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posted by 三笠景子(平常展調整室主任研究員) at 2018年09月07日 (金)

 

ワヤン・クリ 幻影の哀(あい)戦士たち



特集「ワヤン―インドネシアの人形芝居―」が東洋館12室で開催中です(12月25日(火)まで)。「博物館でアジアの旅 海の道 ジャランジャラン」と連動した本特集ではそのタイトルの通り、インドネシアの人形芝居ワヤン・クリを紹介しています。

インドネシアの伝統的な影絵人形劇であるワヤン・クリの面白さは、ストーリーや世界観にあり、また影絵や音楽が作り出すムードにあります。
なので、異国の古典芸能の芸術性を鑑賞するというような堅苦しいものでなく、現代人が映画やアニメやミュージカル、あるいはマンガやRPGゲームなんかを興じる感じで大いに楽しめます。
その内容は非常に面白く、波長が合えば、きっとハマります。


ワヤン・クリの上演風景(ジョグジャカルタ・ソノブドヨ博物館)
ワヤン・クリは影絵人形劇なので、白布を張ったスクリーンの向こう側で人形の操作や音楽の演奏が行なわれます。そのため人形の黒い影を観ることになりますが、影は真っ黒ではなく、ほんのりと彩色が映ります。精緻な透し彫りもきちんとシルエットになって表われます。人形は操作棒によって手の関節が動きます。人形自体は上下左右に移動するばかりでなく、前後にも移動するので、影が膨らんだり縮んだり、焦点が合ったりぼやけたりします。


ダランとガムラン
人形を操るのはダランという操者。彼は一人で全ての人形を操り、声色を変えてセリフを語り、手足で拍子をとります。ダランの背後にはガムランという楽団がならびます。打楽器が中心ですが、管弦楽器もあり、歌や手拍子も入ります。ガムランの柔らかい金属音の響きが鳴りわたると、一気にムードが高まり、現実は消え去って、ファンタジーゾーンが形成されます。



ダランの語り
ダランの語りが中心となり、人形がほとんど操作されない場面もあります。ダランの腰にはクリスという短剣があります。ガムラン奏者たちは出番のないときは、食事をしたり、タバコを吸ったり、スマホを触ったり、ひそひそ話をしたり、居眠りなんかもしてますが、出番になるとサッと演奏を再開します。



ワヤン・クリの代表作には、『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』の2つがあり、いずれももとはインドでヒンドゥー教の叙事詩として成立したのですが、インドネシアに伝わると、熱帯雨林のなかで演じられるエンターテイメントの台本として翻案されました。
『ラーマーヤナ』は、魔王ラウォノが黄金の鹿を囮にして誘拐したシント姫を、恋人のロム王子が聖鳥ジャタユや白毛の聖猿アヌマンたちの協力を得ながら救い出す冒険譚です。ときどき『ロミオとジュリエット』に譬(たと)えられますが、これはぜんぜん当たっていません。


シント姫の誘拐(『ラーマーヤナ』より)
ロモ王子とシント姫の前に黄金の鹿が現われ、王子は姫のために鹿を捕まえに行きます。そのすきに魔王ラウォノが姫をさらいます。聖鳥ジャタユが現われて奮戦しますが、かなわず、姫はさらわれます。



アノマンの戦闘シーン(『ラーマーヤナ』より)
戦闘シーンは本物の殴り合いのように激しく、一体の人形が片手で一人を首締めにして、もう片方の手でもう一人を殴りつけるような喧嘩上手な場面もあります。表と裏から見た様子を比べてみました。



宙(そら)を舞うアノマン(『ラーマーヤナ』より)
人形を投げ上げるスーパープレイ。聖猿アノマンが空中戦をしかけた瞬間です。「白い猿が勝つわ」という予言者の言葉が聞こえてきそうです。



『ラーマーヤナ』は人気のある演目で、これはこれで面白いのですが、私は断然『マハーバーラタ』派です。
『マハーバーラタ』は、アスティノ国の王位をめぐってパンダワ軍(善玉)とコラワ軍(悪玉)が対立するなかで、多くの英雄たちや貴婦人たちの運命が翻弄され、いくつもの愛憎劇が複雑にからまり、それらの伏線が最後には大戦争バラタユダのなかでことごとく回収されてゆく英雄譚です。
守るべき女のために死にゆく男たち、愛する男のために死にゆく女たち。しかも、そこで繰り広げられる全ての悲哀は、天界に暮らす神々が退屈しのぎに仕組んだシナリオに沿って進んでいるのです。


アルジュノ(『マハーバーラタ』より)
主人公アルジュノは、パンダワ五王子の三男。ウィスヌ(インドでのヴィシュヌ神にあたる)の化身です。弓術をはじめとする武芸に長けており、苦難をいとわず、挑まれた戦いには必ず勝つ勇者です。


ウルクドロ(『マハーバーラタ』より)
ウルクドロは、パンダワ
王子の次男で、別名をビモといいます。風神バユの加護を受けています。バユと同様に、額にこぶがあり、長い爪をもち、市松模様の衣装を着ます。無双の戦士であり、敵の総大将ドゥルユドノを斃(たお)します。


ドゥルユドノ(『マハーバーラタ』より)
敵の総大将ドゥルユドノは、コラワ百王子の長男。謀略をめぐらし、アスティノ国の王位継承の資格をもつパンダワ五王子たちから財産や土地を巻き上げて追放し、みずからが王であると僭称(せんしょう)します。



バヌワティ(『マハーバーラタ』より)
気高き美女バヌワティは、やや不機嫌なときの表情が一層美しいとされます。アルジュノを慕いながら、彼の宿敵ドゥルユドノの妻となっています。大戦争のさなか、ついにアルジュノと結ばれますが、その直後の敵襲によって命を散らします。



ワヤン・クリの人形には精緻な透かし彫りや鮮やかな彩色が施され、それ自体の造形が素晴らしいですが、機会があれば、影法師となった彼らが死力を尽くして活躍するところもぜひ御覧いただきたく思います。


ブトロ・グル(『マハーバーラタ』より)
天界の最高神ブトロ・グルは、インドでいうところのシヴァ神です。4本の腕をもち、三叉の鉾(ほこ)を備え、聖牛の背に乗っています。大戦争バラタユダの悲劇を仕組んだ張本人であり、登場人物たちは予言書に記された運命を演じさせられているにすぎません。



ワヤン・クリの人形製作風景


ワヤン・クリの人形製作 製作工程(左)と完成(右)
ワヤン・クリの人形は、水牛の革をなめしたものを切り取り、精緻な透かし彫りを施し、極彩色を施し、水牛の骨で関節を留めて、水牛の角でできた操作棒を取り付けたものです。


さいごに。
トーハクでは9月12日(水)と14日(金)に、このインドネシアの伝統芸能ワヤン・クリを表慶館で上演します。東洋館の特集展示とあわせ、ぜひ影絵芝居もお楽しみください。

特集「ワヤン―インドネシアの人形芝居―」
東洋館 12室 2018年9月4日(火)~12月25日(火)

博物館でアジアの旅 海の道 ジャランジャラン
東洋館 2018年9月4日(火)~9月30日(日)

インドネシアの伝統芸能「ジャワの影絵芝居ワヤン・クリ」
2018年9月12日(水) 13:00~13:40、15:00~15:40
2018年9月14日(金) 11:00~11:40、13:00~13:40
場所:表慶館 (開場は各回30分前)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開博物館でアジアの旅

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posted by 猪熊兼樹(特別展室主任研究員) at 2018年09月04日 (火)