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1089ブログ

明末清初の「連綿草」の魅力

東洋館の4階、8室で開催中の、台東区立書道博物館との連携企画「董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―」は、1月31日(火)から後期展に入り、会期も残すところ1か月を切りました(東京国立博物館:~2月26日(日)、台東区立書道博物館:~3月5日(日))。
陳列替えを経た両会場では、絵画を中心に新たな作品がお目見えしております。

1089ブログでは、本展の魅力を3回にわたってお伝えします。今回は、「明末清初の絵画の楽しみ方」に続く第2回目です。
ここでは、董其昌の理念を受け継ぐと言っても過言ではない、明末清初の時期に展開した「連綿草」という書のスタイルの魅力について、ご紹介しようと思います。

連綿草と言っても、楷書や行書、草書などと違って、一般的にあまり聞き慣れない言葉かと思います。
連綿草とは、筆の勢いを切らさずに複数の文字を続け書きする「連綿」を駆使した草書のことを言います。

草書五言律詩軸 草書五言律詩軸(部分拡大)
草書五言律詩軸 傅山筆 清時代・17世紀 東京国立博物館蔵
東京国立博物館で2017年2月26日(日)まで展示
(右)部分拡大


傅山筆「草書五言律詩軸」は、本展で展示する書のなかでも、ひときわ目をひく作品です。一見して、目が回ってしまうかのような、「クネクネ」「グルグル」とした、なんとも奇怪な作品だと思われるのではないでしょうか。

上下左右に筆を振幅させながら、下へ下へと息長く書き進められた線は、あたかも変幻自在に動く縄のように、次々と多様な造形の文字を生み出していきます。
それぞれの字は整った造形ばかりではなく、左右に傾いたり、縦に伸ばされたり、あるいは、つぶれて扁平になったものまで、実に様々な表情を見せます。
太さの変化していく線が湾曲、交差して一字をつくり、そうしてつくられた大きさ・形・墨量の異なる文字がこの作品を構成することで、観る者に奥行きや立体感すら覚えさせます。

筆者の傅山(1607~84)は、明朝の滅亡後に、黄冠朱衣を身に着けて諸方に流寓し、明の遺民として清朝への抵抗の意を示した人物です。
書に対しては、すぐれた人物であれば自ずと書もまた奥深いものとなるという考えを示し、技巧がもつ作意や虚飾といったものを排して、自然にありのまま書くことを主張しました。

草書五言絶句四首四屛
草書五言絶句四首四屛 傅山筆 明〜清時代・17世紀 東京国立博物館蔵(青山杉雨氏寄贈) 
東京国立博物館で2017年2月26日(日)まで展示


草書五言絶句四首四屛(部分拡大)
部分拡大

例えば「草書五言絶句四首四屛」では、奔放自在に筆を走らせ、時にいびつさをも伴う奇異な造形を生み出しています。紙面構成や墨の使い方、そして連綿の用法などを見ても、意の赴くままに書写していることが窺えます。
巧拙を超えた、大胆極まりないこの字姿には、観る者の心に迫る、筆者の精神が表れているように思われてなりません。


傅山とともに、連綿草をよくした代表格として挙げられるのが王鐸(1592~1652)です。
王鐸は明朝滅亡に際して、清への恭順を余儀なくされ、明清両朝に仕えた弐臣として、後世に厳しく非難された人物です。書に対しては、王羲之・王献之を主として、専ら『淳化閣帖』の臨摸により研鑽を積みました。
臨書は原本に近似するものから、大胆な改変を行うものまで実に幅広く、王鐸にとっての臨書が、様々な表現の実験の場であったものと思われます。「書画合璧巻」における『淳化閣帖』の臨書は、前者に相当しますが、形似に終始しない態度が窺えます。

書画合璧巻(部分) 
書画合璧巻(部分) 王鐸筆 清時代・順治6年(1649) 大阪市立美術館蔵 ※現在は展示しておりません

書画合璧巻(部分拡大)
部分拡大

王鐸の草書の魅力として、連綿の多様さが挙げられます。例えば「草書詩巻」に見られるように、連綿がただ文字をつなぐのみに止まらず、太さや長さ、曲直の具合など多様な線を駆使して、運筆に緩急をつけ、造形や紙面構成に安定と変化をもたらしています。
この多様な連綿が臨書による成果だとすれば、王鐸は古典の文字と文字の間、即ち連綿に表れる筆者の息づかいや筆意をも学びとろうとしていたことは想像に難くありません。

草書詩巻(部分)
草書詩巻(部分) 王鐸筆 明時代・永暦元年/清時代・順治4年(1647) 台東区立書道博物館蔵
台東区立書道博物館で2017年3月5日(日)まで展示

草書詩巻(部分拡大)
部分拡大


一般的に、「書は線の芸術」と言われます。連綿草の魅力は、表情豊かな文字造形もさることながら、様々な質感の線が一つの書に混在することのように思います。
本展では、王鐸や傅山をはじめ、張瑞図、黄道周、倪元璐といった、連綿草をよくした諸家の書を展示しています。彼らの書を前に、墨線を目でたどって、当時の書きぶりを追体験してみてはいかがでしょうか。

関連事業

連携講演会「董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―
日程  2017年2月4日(土)
時間  13:30~15:00 *開場は13:00を予定
会場  平成館 大講堂
講師  鍋島稲子(台東区立書道博物館)、富田淳(当館学芸研究部長)
定員  380名(先着順)
聴講料 無料(ただし当日の入館料が必要)

 

董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―

展覧会図録

董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―

編集・編集協力:台東区書道博物館、東京国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
定価:900円(税込)
ミュージアムショップにて販売中
 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 六人部克典(登録室アソシエイトフェロー) at 2017年01月31日 (火)

 

春日権現験記絵模本―写しの諸相―

特別展「春日大社 千年の至宝」の開催に合わせ、平成館一階企画展示室では「春日権現験記絵模本III―写しの諸相―」と題する特集を行なっています。

この特集は、奈良市に鎮座する春日大社に祀られる神々の利益と霊験を描く春日権現験記絵模本の魅力とともに、春日信仰の諸相を様々な角度からご紹介する3回目の試みです。一昨年は「美しき春日野の風景」、昨年は「神々の姿」をテーマとしましたが、今回は「写しの諸相」をテーマとしています。

今回展示している春日権現験記絵模本の原本=春日権現験記絵は、三の丸尚蔵館が所蔵する全20巻の絵巻です。鎌倉時代の後期、時の左大臣西園寺公衡の発願により、高階隆兼という宮廷絵所絵師によって描かれました。通常紙に描かれることの多い絵巻としては異例の絹に描かれおり、数ある絵巻作品の中でも最高峰の一つに数えられています。拝観が厳しく制限されていた春日権現験記絵は、江戸時代中期にいたっていくつかの模本が作られることになります。

本展にあたっては、摂関家筆頭、近衞家凞(このえいえひろ、1667~1736)の命により渡辺始興(わたなべしこう、1683~1755)が描いた陽明文庫(ようめいぶんこ)本、松平定信(まつだいらさだのぶ)の命で作られた春日本、阿波蜂須賀(あわはちすか)家伝来の徳川美術館本、紀州新宮(しんぐう)の丹鶴(たんかく)文庫伝来の新宮本を特別にご出陳いただくことがかないました。これらに当館所蔵の紀州(和歌山)藩主徳川治宝(とくがわはるとみ、1771~1852)の命によって冷泉為恭(れいぜいためちか、1823~64)らが描いた紀州本、大正から昭和にかけて12年がかりで写された帝室博物館本をあわせて展示しています。春日権現験記絵の模本がこれだけ一堂に並ぶのも初めてのことではないかと思います。

今回の展示では、前半に各伝本の同じ場面を陳列しています。同じ場面を描いていたとしても、「写し」の方法も大きく異なります。

帝室博物館本
春日権現験記絵(帝室博物館本)巻三  前田氏実筆  大正14年(1925)  東京国立博物館蔵
(2017年2月12日(日)まで展示、2月14日(火)からは巻十五を展示)



春日本
春日権現験記絵(春日本)巻三  江戸時代・文化4年(1807)  春日大社蔵
(2017年2月12日(日)まで展示、2月14日(火)からは巻十五を展示)


はじめに帝室博物館本。画面の剝落や損傷なども原本に忠実に写す「現状模写(剝落模写)」という方法をとります。
続いて陽明文庫本や紀州本。こちらは原本の剝落などを彩色によって補う「復元模写」という方法です。春日本は前半が剝落模写、後半が復元模写という特殊な構成をとります。いずれも原本を「写す」というよりも、新しい「鑑賞画」を作り出すといった感覚のほうが近いかもしれません。

紀州本
春日権現験記絵(紀州本) 巻三  冷泉為恭ほか筆  江戸時代・弘化2年(1845)  東京国立博物館蔵
(2017年2月12日(日)まで展示、2月14日(火)からは巻十五を展示)


春日本
春日権現験記絵(新宮本)巻三  山名行雅筆  江戸時代・19世紀  個人蔵
(2017年2月12日(日)まで展示、2月14日(火)からは巻十五を展示)


そして徳川美術館本や新宮本。こちらも剝落模写、復元模写が混在しますが、全ての画面に彩色を施さず、色注などを付しています。美的な鑑賞のためというよりは、有職研究などのための資料的性格が強いと言えるでしょう。

展示の後半では、春日本や紀州本の制作事情や、春日本を制作させた松平定信による「模本の模本」などの作例もご紹介しています。


右から、
春日権現験記絵(春日本)別巻   田安宗武筆  江戸時代・18世紀  春日大社蔵    
春日権現験記絵(春日本)巻二十
 奥書=松平定信筆  江戸時代・文化4年(1807)  春日大社蔵
春日権現験記絵(紀州本)目録
 長沢伴雄筆  江戸時代・弘化2年(1845)  東京国立博物館蔵


松平定信の編纂による、古画類聚 宮室 十五  江戸時代・寛政7年(1795)(写真右)など



同じにように見えて、模本にも様々な性格があります。それぞれの画面見比べながら、その違いをご覧いただきたいと思います。
特別展では、三の丸尚蔵館所蔵の「春日権現験記絵」原本(巻12・20)も出陳されています。色の様子など、こちらと比較しながらあわせてご覧ください。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開2016年度の特別展

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posted by 土屋貴裕(平常展調整室主任研究員) at 2017年01月27日 (金)

 

董其昌とその時代─明末清初の絵画の楽しみ方

董其昌は、明時代も終わりに近づいた1555年、現在の上海地方に生まれました。
さほど裕福な家の出身ではありませんでしたが、勉学に励み、数え35歳で難関の科挙に合格、官僚生活をスタートします。その後は、一時的に官を退くことはありましたが、ほぼ順調にキャリアを積み上げ、南京礼部尚書の地位まで昇りつめます。
郷里では地位を活かして豪勢な生活を送り、82歳の長寿を全うしました。まずまず幸せな一生を送ったといえるのではないでしょうか。

董其昌がその名を歴史に刻んだのは、政治家としての業績よりも、書家・画家としての腕前、古今の書画に対する鑑定家・評論家としての知識・卓見によるところが大きいでしょう。
彼の遺した作品や理論は、後の書家・画家たちに広く影響を与えました。

渓山仙館図
渓山仙館図 董其昌筆 明時代・天啓3年(1623) 東京国立博物館蔵 (2017年1月29日(日)まで展示)

台東区立書道博物館との連携企画第14弾「董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―」では、東洋館8室(2017年2月26日(日)まで)と書道博物館(2017年3月5日(日)まで)の2会場で、董其昌と彼の生きた時代の書画を特集展示しています。
当ブログではこれから3回にわたって、この展覧会の魅力を紹介していきますが、第1回目の今回は、明末清初の絵画の楽しみ方についてお話しようと思います。
キーワードは、「古」と「奇」です。


東洋館8室展示風景
東洋館8室展示風景

董其昌のような知識人の制作する絵画において、なぜ「古」が大事であったか、これは、彼らにとっての文章を書く、という行為と比較するとわかりやすいかもしれません。
科挙の答案に始まり、皇帝への意見文、同僚・地元の名士との交流に必須の詩文、知人から頼まれる祝賀あるいは追悼の言葉など、知識人は日々多くの文章を書きます。
彼らに求められているのは、文章の中に彼らの教養を反映させることです。すなわち、この答案のこの部分は、孔子先生が述べられたあの言葉を踏まえている、あるいは、この詩のこの言葉は、李白のあの有名な句を踏まえている、といった具合です。
このために、彼らは2000年以上にわたる「古典」を猛勉強するわけです。

知識人の作る絵画は文章と同じく、作り手の優れた内面を伝えるものであるべきと考えられました。とすると、当然そこには「典拠」が散りばめられることが期待されます。
明末清初の絵画に「古の誰々に倣う」という題がしばしば見られるのは、このためです。

倣黄公望山水図
倣黄公望山水図 王鑑筆 明時代・崇禎11年(1638) 京都国立博物館蔵(2017年1月29日(日)まで展示)

ここで問題となるのは、明末という時代の特性です。
都市経済が空前の発展を遂げた16世紀後半、まちには様々なレベルの知識人が溢れていました。董其昌のように高級官僚になれるのはほんのひとにぎり、多くは自分の教養を売りに、詩人、戯曲家、編集者、評論家、そして書家あるいは画家として生活しなければなりませんでした。
知識人が需要過多となった社会の中で、彼らは、他に比べて自分の教養、内面こそが優れていると証明しなければならず、そこに古典解釈の正統性を競う苛烈な競争が生じました。

この競争の中で重視されるようになったのが、「奇」という概念です。
董其昌もしばしば作画にあたっての「奇」の重要性を説きますが、これは当時にあっては、「個性」とも解釈できる言葉で、人と同じ倣古ではだめだ、自分の独創性を表現しなければならない、という主張が成されています。

今回の展示では、このような明末の熱気の中で制作された、自分オリジナルの「奇」を競う絵画が多く並びます。ここでは、1月15日までしか見られない名品2点を紹介しましょう。

渓山絶塵図   渓山絶塵図(部分)
天目喬松図 藍瑛筆 明時代・崇禎2年(1629) 個人蔵(2017年1月15日(日)まで展示)
(右) 部分拡大


藍瑛(1585-1666)は浙江・杭州出身、様々な古典を勉強して自分なりの倣古山水画様式を確立した画家です。
「天目喬松図」は浙江省にある道教・仏教の聖山、天目山を描きます。10・11世紀の華北画壇では、このような下から湧き上がる堂々とした高山の姿が好まれました。藍瑛の天目山イメージはこれへのオマージュとも解釈できるでしょう。
一方で、山肌を走る筆線は、10世紀の江南で活躍した董源に発するとされる「荷葉皴」に近く、赤や白の鮮やかな樹葉は、6世紀のやはり南の画家、張僧繇が描いたと伝わる濃彩の青緑山水を思わせます。
剛毅・峻厳な北の画風に、温厚・甘美な南のエッセンスを取り入れたところに、藍瑛の「奇」が光っています。

渓山絶塵図   渓山絶塵図(部分)
渓山絶塵図 呉彬筆 明時代・崇禎2年(1629) 個人蔵(2017年1月15日(日)まで展示)
(右) 部分拡大


呉彬(?-1567-1617-?)は福建出身、古画に取材した怪異な風貌の人物を描いた画家として有名です。
「渓山絶塵図」では、藍瑛と同様、10・11世紀の華北画風を学んで、俗人を近づけない、まさに「絶塵」の厳しさを持つ大山を描いています。
眼を引くのは、第一に、上に聳えるだけでなく、横に伸び、垂れ下がり、ねじ曲がって絡み合う山の形です。第二には、光沢のある織り方をした絖と呼ばれる素材を活かして、そこに筆墨で明暗を付け、複雑な線描を施した山の肌合いが挙げられるでしょう。
詳しくは展覧会図録に書きましたが、造形・質感におよぶ呉彬の「奇」は、当時流行していた奇石愛好趣味からインスピレーションを得たものといわれています。空洞や突起を多く備え、複雑な文様と滑らかな肌を持った珍奇な石は、人々に幻想的な大山のイメージを抱かせるものでした。それを画面に写したのが、呉彬ということになります。

この他にも、「董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―」展では、明末清初の絵画の名品が並んでいます。この機会を逃さず、トーハクと書道博物館で「古」と「奇」の世界を楽しんでいただければ幸いです。

 

董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―

展覧会図録

董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―

編集・編集協力:台東区書道博物館、東京国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
定価:900円(税込)
ミュージアムショップにて販売中
 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 植松瑞希(東洋室研究員) at 2017年01月12日 (木)

 

新しい年を祝う鳥たち

新年、明けましておめでとうございます。

当館では毎年正月にちなんだ特集展示を行っており、今年は平成29年の干支である酉にちなんで、「暁の鳥」「祝の鳥」の二つのテーマのもとに、鳥を表わす美術工芸品を展示します。
まず「暁の鳥」について。十二支は動物に例えられ、十二支の酉は鶏の姿で表現されることが通例です。鶏は鳴いて夜明けを告げる人間に身近な家禽であるとともに、赤い鶏冠や長い尾羽根の姿が美しかったためか、美術工芸品のモチーフとしても親しまれました。天子の政治を諫(いさ)める太鼓が善政のうちに不要となって鶏の遊び場となった「諌鼓鶏(かんこどり)」という太平の世を表わす主題や、鶏同士を闘わせる「闘鶏」という遊戯を主題とする作品などが制作されました。そのような鶏をモチーフとする作品、そして鶏と人との関わりを表した作品を展示します。

竹鶏図
重要文化財 竹鶏図 蘿窓筆 中国 南宋時代・13世紀

鶏合せ 鈴木春信筆
鶏合せ 鈴木春信筆 江戸時代・18世紀

そして「祝の鳥」について。色鮮やかな羽根を広げて空を舞う鳥の姿は美しく、美術工芸品のモチーフとして親しまれました。
鷹は高く飛翔するので隆盛、鶴は仙人が乗るので長寿、鴛鴦は雌雄が寄り添うので愛情などと、鳥のモチーフにはしばしば吉祥的な意味が込められました。また人間の豊かな想像力は中国の鳳凰や東南アジアのガルーダなどの空想鳥をも生み出しました。
鳳凰は鶏に取材した聖帝の治世に出現する瑞鳥であり、ガルーダは孔雀に取材した毒蛇を退治する聖鳥とされました。そのように、実在の鳥に限らず、空想鳥を含む鳥を表した作品を展示します。

花鳥図屏風 海北友雪筆
花鳥図屏風 海北友雪筆 江戸時代・17世紀


自在鷹置物
自在鷹置物 明珍清春作 江戸時代・18~19世紀


桐鳳凰蒔絵鞍
桐鳳凰蒔絵鞍 江戸時代・18世紀(小野逑信氏寄贈)


新しい年を祝う鳥たちの世界をお楽しみください。



博物館に初もうで 新年を寿ぐ鳥たち
2017年1月2日(月) ~ 2017年1月29日(日) 本館 特別1室・特別2室


 

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館に初もうで特集・特別公開

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posted by 猪熊兼樹(出版企画室主任研究員) at 2017年01月06日 (金)

 

臨時全国宝物取調局の活動―明治中期の文化財調査―

本館15室では12月20日(火)から特集「臨時全国宝物取調局の活動―明治中期の文化財調査―」の展示が始まります。今年の8月から10月にかけて同室で特集「壬申検査―博物館草創期の文化財保護活動―」が展示されましたが、この壬申検査に続いて行なわれた日本全国の宝物を対象にした文化財の調査活動を担ったのが臨時全国宝物取調局です。
局名にあるように「臨時」の活動でしたので、組織は明治21年に発足し、10年間で廃止となりました。廃止の時点で調査はほとんど終わっていたようですが、残務を帝国博物館(当館の前身)が引き継いだため、当館に多くの記録が伝わっています。今回の展示では当時の文化財調査ではどのようなことが行なわれていたのか、調査対象になった作品と調査記録からご紹介しています。

国宝 紅白芙蓉図
国宝 紅白芙蓉図 李迪筆 南宋時代・慶元3年(1197)
展示期間:2017年1月9日(月・祝)まで


当館を代表する名品の一つであるこの紅白芙蓉図も調査の対象になりました。
作品には臨時全国宝物取調局から発行された鑑査状が附属しています。また、調査記録の中にも紅白芙蓉図の記録が確認できました。1つの作品についてこれだけの記録が作成されたのだということを示す例として関連資料と一緒に展示しています。
紅白芙蓉図は2017年1月9日(月・祝)までの展示です。東洋館での展示が多いため本館での展示はあまりないことかと思いますので、少し違う気分でこの美しい芙蓉の花をお楽しみいただければと思います。


今回の展示ではガラス乾板を展示します。宝物調査の前半期には写真師の小川一真が同行し、多くの写真を撮影しました。当館には小川の撮影した写真のガラス乾板約1400枚が納品時の木箱と共に伝わっています。1つの木箱には24枚ほどの乾板が入りますが、1枚300~500gあるのでとても重いです。調査では近隣で宝物を持ち寄ってもらう場合もありましたが、お寺ごとに巡回することが多く、頻繁に移動しての調査であったことを考えると割れ物で重い原板の管理はとても大変だったのではないかと思います。展示室では、ガラス乾板の質感や重さが少しでも伝わるように極力全体が見えるように展示しています。
 
東大寺三月堂破損仏
東大寺三月堂破損仏 小川一真撮影 明治21年(1888)
展示期間:2017年1月24日(火)~


小川一真が撮影した宝物の焼付け写真です。1月22日(日)で一度展示替えをしますが、本当にたくさん撮影している中から調査の様子がわかるものを選びました。

最後に、臨時全国宝物取調局の場所についてご紹介します。所在地は展示でも少し触れていますが現在の銀座と上野公園内の2ヶ所が記録に残っていました。そのうち銀座の方は「支局」と表現されていて発足から数年で引き払っているようなので、上野公園が本局の所在地だっただろうと考えられます。当時の所在地名から地図で該当の場所を探してみると現在の科学博物館のあたり(赤色で囲った部分)になります。博物館のすぐ近くです!
 
地図

このように博物館の近くに本部を置き、博物館と深く連携して行なわれた全国宝物調査の具体的な姿を、展示を通してご覧いただければ幸いです。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 三輪紫都香(百五十年史編纂室) at 2016年12月20日 (火)