このページの本文へ移動

1089ブログ

みんな大好き!酒呑童子のものがたり

ただいま本館特別1・特別2室では特集「平安武士の鬼退治―酒呑童子のものがたり―」を開催しています。

“酒呑童子のものがたり”とは、平安時代の武士・源頼光とその四天王が酒呑童子という鬼を退治する物語です。
室町時代後期から多くの美術作品に取り上げられ、時代を超えて人びとに愛されてきました。

さまざまな酒呑童子絵を紹介する本展では、この物語の広がりを紹介するために、江戸時代中期から明治時代につくられた浮世絵も展示しています。
その中から1点を紹介します。


見立大江山 喜多川歌麿筆 江戸時代・18世紀

こちらは、喜多川歌麿が描いた美人画。
手前に7人の女性たちがいて、遠くには富士山が見えます。
酒呑童子となにか関係があるの?と思われるかもしれません。

女性たちの不思議な装いは山伏を模したもので、背中に笈(おい)を背負う姿は、まさに鬼退治に向かう武士たちにそっくりです。  

見立大江山(部分)
酒呑童子絵巻(孝信本)巻上(部分) 伝狩野孝信筆


山伏姿となって酒呑童子退治の準備をする頼光たち

さらに着物の模様や紋を細かく見てみると…
 

見立大江山(部分)
 
三つ星に一文字紋の入った着物の女性は、渡辺綱。
 

見立大江山(部分)
 
鉞(まさかり)と笹模様の着物を着た女性は、坂田金時。
 

見立大江山(部分)
 
笹竜胆の模様の着物の女性は、源頼光を表していると考えられます。
つまりこの作品は、酒呑童子物語の登場人物を江戸の女性たちに置き換えた作品なのです。
 
画面奥では、柴刈りをする男性がいます。
 

見立大江山(部分)
 
元のお話では、頼光一行が酒呑童子退治へ向かう途中、険しい崖に丸太を架けて武士たちを導く八幡、住吉、熊野の神々の化身が登場します。
これは、その場面の見立でしょう。
 
 
もう一つ気になるのが、画面中央で洗濯をする女性の姿です。
 

見立大江山(部分)
 
歌麿の作品ではどこかほのぼのとした雰囲気ですが、
この場面は、酒呑童子にさらわれた女性が血の付いた衣を洗う場面になぞらえています。
 
 
そして、右上では室内に銚子と器が置かれ、扇を手に踊っているような男性たちの姿も。
ここが、酒呑童子の館なのでしょうか。
 

見立大江山(部分)
 
中ではこのような宴席が催されているのかもしれません。
 
酒呑童子絵巻(孝信本)巻中(部分) 伝狩野孝信筆
 
このような見立絵(やつし絵)は、元のお話を知っているからこそ楽しめる作品です。
酒呑童子の物語が江戸の人びとに広く愛されていたことがうかがえるでしょう。
 
本展では、絵巻や扇に描かれたさまざまな作品をとおして、酒呑童子のストーリーたっぷりとご紹介しています。
 
さらに、会場でお配りしているリーフレットでは、出品作品の魅力を8ページにわたって解説しています。
ぜひ展示室でお手に取って、酒呑童子の世界をお楽しみいただければ幸いです!
 
(注)リーフレットは枚数に限りがあります(なくなり次第配布終了)
(注)本特集ページよりPDFをダウンロードしていただけます。
 
平安武士の鬼退治―酒呑童子のものがたり―
会場:本館 特別1室・特別2室
会期:2025年9月30日(火) ~ 2025年11月9日(日)

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

| 記事URL |

posted by 村瀬可奈(調査研究課絵画・彫刻室) at 2025年11月04日 (火)

 

金工動物園に潜むあやしいやつを捜せ!

東京国立博物館では、この夏、期間限定で、特集「金工動物園」(本館14室、8月24日(日)まで)を開催しています(図1)。


(図1)特集「金工動物園」(本館14室)の展示風景

暑い夏に、クーラーの効いた展示室(クーラーの温度設定は文化財に合わせています)で、冷たい肌触りの金属でできた動物たちをご観覧いただき、涼んでいただければという企画で、全国の動物園で夏バテ気味の白熊くんもここでは元気にしています(図2)。


(図2)白熊置物(しろくまおきもの)
津田信夫作 昭和19年(1944) 第二復員局寄贈


今日も夏休みの家族連れや海外からのお客様で賑わうこの動物園には、「瑞獣(ずいじゅう)・霊獣」というコーナーがあって、犀(さい、図3)や麒麟(きりん)、獅子(しし)、龍などの想像上の動物が展示されています。


(図3)犀形鎮子(さいがたちんし)
江戸時代・19世紀


「自在置物」のコーナーにもいる龍を除けば、ほとんどが実在の動物ですが、その中に実在の動物をかたどりながらも霊獣的な要素をまとう、ちょっと「あやしい」動物がいます。今回はそんな動物を捜してみましょう。

まず思いっきりあやしいのは、「鯉水滴(魚跳龍門)(こいすいてき ぎょちょうりゅうもん)」(図4)です。


(図4)鯉水滴(魚跳龍門)
江戸時代・18~19世紀


鯉とかいいながら魚の顔でありません。平成のはじめに鶴岡市のお寺で目撃された人面魚の仲間でしょうか。
その正体は龍になろうとしている鯉です。鯉が瀧を登ると龍になるという故事が中国にあり、それを踏まえて作られたものです。今でもよく耳にする「登龍門(とうりゅうもん)」として知られるこの故事は、立身出世を象徴する話で、東アジアで好まれました。水滴は硯(すずり)で墨を擦(す)る際に使う水を入れる容器ですから、この水滴を使っていた人は、何か受験勉強のようなものに励んでいたのかもしれません。

次にあやしいのは同じケースの「蝦蟇水滴(がますいてき)」(図5)です。


(図5)蝦蟇水滴
江戸時代・18~19世紀 渡邊豊太郎氏・渡邊誠之氏寄贈



蝦蟇とはいいながら、体が真ん丸で不敵な目つきをしています。よく見ると後ろ足は1本だけ。いよいよあやしげです。似た蝦蟇を捜すと……

(図6)蝦蟇鉄拐図屛風(がまてっかいずびょうぶ)(左隻)
曽我蕭白筆 江戸時代・18世紀
(注)現在は展示していません。
(図7)蝦蟇鉄拐図屛風(部分)
1本足で立っている蝦蟇

 

ここにいました。曾我蕭白(そがしょうはく)筆「蝦蟇鉄拐図屛風」(図6)の中に1本足で立っている蝦蟇(図7)がいます。この蝦蟇は妖術を使う蝦蟇仙人の使いの蝦蟇です。ただならぬ気配は、妖気によるものだったのですね。

この栗のようなものを背負った牛(図8)もよく見ると変です。栗のようなものはさておいても、前後の足の付け根に炎のようなものが見えます(図9)。何でしょうか。

(図8)金銅臥牛香炉(こんどうがぎゅうこうろ)
江戸時代・17世紀
(図9)金銅臥牛香炉
足の付け根の炎のようなもの

 

背中の栗にようなものは宝珠(ほうじゅ)といい、仏教で信仰された、何でも願いを叶えてくれる力を持った不思議な玉です。この牛は体の中が空洞で、宝珠が蓋になっていて、お香が焚(た)けるようになっています。宝珠に孔(あな)が開いていて、ここから煙が出ます。牛は仏教と結びつきが深く、大威徳明王(だいいとくみょうおう)や焔摩天(えんまてん)の乗り物として登場します。角が長いのは仏教の生まれたインドにいる水牛を意識したものでしょう。炎のようなものは霊気の表現で、この牛が霊獣だということを示しています。黄色い電気のモンスターが「ピカッ」と光る稲妻のような尻尾をつけているのと似てますかね。

「宝字文南天柳瑞獣柄鏡(ほうじもんなんてんやなぎずいじゅうえかがみ)」(図10)にもちょっと不思議な動物(図11)がいます。鼻が長いのが特徴で、先程の「金銅臥牛香炉」(図8)の牛と同じく、前後の足の付け根から霊気を発しているので、霊獣とわかります。何者でしょうか。

 

(図10)宝字文南天柳瑞獣柄鏡
銘「藤原光長」 江戸時代・19世紀 徳川頼貞氏寄贈
(図11)宝字文南天柳瑞獣柄鏡にいる不思議な動物

 

正解は悪夢を食べてくれるという獏(ばく)です。体は熊、鼻は象、目は犀、足は虎、尾は牛に似るとされた中国生まれの合成獣で、龍や鳳凰(ほうおう)ほどではありませんが、日本にも伝わって造形化されました。この鏡では「難を転じる」という南天と組み合わせられて、逆鏡を救う願いが込められています。獏は東南アジアやアメリカ大陸にいるバクと似ているというので同じ名前になっていますが、元々は空想の動物なのですね。

他にもよく見ていくと、あやしげな動物が隠れています。動物と人間の距離が近く、人間がいかに動物にいろいろな思いを託してきたことか。夏の日の思い出に、普通の動物園にはいない、ちょっとミステリアスな動物を捜しに、展示室に来てみてください。

 

カテゴリ:特集・特別公開工芸

| 記事URL |

posted by 清水健(工芸室) at 2025年08月07日 (木)

 

特集「創建400年記念 寛永寺」で味わう、上野の江戸文化(後編)

本館特別1室・特別2室では現在、特集「創建400年記念 寛永寺」を開催しています。

特別1室の第1~3章について前編ブログでご紹介しましたが、今回の後編ブログでは特別2室の第4~6章を見ていきましょう。

(注)会場は撮影不可となっております

第4章展示風景
第4章展示風景
第4章「徳川家の祈祷寺・菩提寺 近世仏教の造形」
寛永寺は、建立当初は徳川幕府や天下万民の安泰を祈る祈祷寺でしたが、3代将軍家光から4代将軍家綱の時にかけて、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。また、寛永寺には6人の将軍と御台所などが葬られています。この章では、徳川将軍家ゆかりの寺院にふさわしい端正な造形を見せる仏画や仏像、仏具などをご覧いただけます。
 

文恭院殿葬送絵巻

文恭院殿葬送絵巻
文恭院殿葬送絵巻(ぶんきょういんでんそうそうえまき)
江戸時代・19世紀 東京・春性院蔵

 文恭院は天保12年(1841)閏正月(うるうしょうがつ)7日に没した11代将軍家斉の諡号(しごう)で、本作品はその葬送の様子を描いています。
 

観音菩薩立像
観音菩薩立像(かんのんぼさつりゅうぞう) 
鎌倉時代・13世紀    東京・寛永寺蔵

上野の山から不忍池に臨む清水観音堂は、京都東山の清水寺を模したお堂で、天海により建立されました。本尊の千手観音像も清水寺から迎えられました。本尊の右側に本像が安置されています。整った優美なプロポーションが大変美しいです。 
 

右は説相箱 左は戒体箱
右:説相箱(せっそうばこ) 左:戒体箱(かいたいばこ) 
ともに江戸時代・17~18世紀   東京・寛永寺蔵

寛永寺所蔵の美麗な仏具も多くご覧いただけます。

第5章「博物館とのつながり 博物館構内出土品」
当館の建っている場所には、かつて寛永寺の本坊がありました。本坊とは住職の居住する建物のことで、広い敷地の中にさまざまな用途の部屋をもった大きな建物がありました。この章では、当館の構内から発掘された焼塩壺や抹茶茶碗などを展示しており、当時の本坊での生活を垣間見ることができます。

第5章の展示風景
第5章の展示風景

焼塩壺 焼塩壺蓋
焼塩壺 焼塩壺蓋(やきしおつぼ やきしおつぼふた)
東京都台東区上野公園 東京国立博物館構内出土 江戸時代・17~18 世紀 東京国立博物館蔵

焼塩壺の中には、にがり成分を含んだ粗塩が詰められ、使用の際に壺ごと火に入れることで、苦味が抜けた焼塩をつくっていました。これらの焼塩壺が発掘された場所は、かつて寛永寺本坊の調理に関係する部屋があった場所であることが今回の展示に際しての調査でわかりました。
 

第6章「文化の集まる地 現代とのつながり」
寛永寺は、江戸幕府や朝廷とのつながりからあらゆる文物が集まり、多くの文化人が交流する場でもありました。現在は、上野公園として整備され、当館をはじめとする博物館や美術館などの文化施設が設立され、今も文化と人が集まる場所となっています。
この章では、15代将軍慶喜による油画や書、江戸の文化人たちが愛した銘石、また当時の最新技術であった一切経の刊行に使われた木活字と実際に印刷された一切経など、寛永寺と子院に集積されたさまざまな文物を展示し、今につながる様子をご紹介します。
 
源氏物語図屛風
源氏物語図屛風(げんじものがたりずびょうぶ)
安土桃山~江戸時代・16~17世紀 東京・円珠院蔵 


千葉・国立歴史民俗博物館の「醍醐花見図屛風」と一連のものであったといわれています。
 

重要文化財 天海版木活字
右:重要文化財 天海版木活字(てんかいもくかつじ) 
江戸時代・17世紀 
左:天海版一切経 大般若経巻第一、大般若経巻第六百、新刊印行目録巻第五(てんかいばんいっさいきょう) 
江戸時代・寛永14年~慶安元年(1637~48)刊 
ともに東京・寛永寺蔵
 
天下三銘石之一「黒髪山」
天下三銘石之一 「黒髪山」(てんかさんめいせきのいち くろかみやま) 
江戸時代・17世紀 東京・寛永寺蔵
 
江戸時代の文人・中村仏庵や松平定信が所有したのち、寛永寺に納められました。日光の男体山(別名:黒髪山)に見立てられ、天下第一の銘石とたたえられました。
 
黒髪山縁起絵巻
黒髪山縁起絵巻(くろかみやまえんぎえまき) 
鍬形蕙斎筆    江戸時代・文化10年(1813) 東京・寛永寺蔵


当時一流の9人の文化人が「黒髪山」を鑑賞する様子が描かれています。
 
蓮華之図
蓮華之図(れんげのず) 
徳川慶喜筆 明治時代・19世紀 東京・護国院蔵  
 

本特集は8月31日(日)まで開催しています。その期間、当館から寛永寺に一番近い西門から退出していただけるようにもしていますので、展示をご覧になったあと、寛永寺まで足を延ばしていただく際に、是非ご利用ください。

同時期に特別展「江戸☆大奥」も平成館特別展示室で開催しています。この夏は、本特集とあわせて上野で江戸文化をお楽しみください。
 
 

公式図録

本特集の公式図録をミュージアムショップで販売しています。作品のカラー図版やコラムのほか、江戸時代の寛永寺の地図上に現在の上野公園の主な施設を記載した「重ね地図」も掲載。上野ファン必携の一冊です。


特集「創建400年記念 寛永寺」

編集・発行:東京国立博物館
定価:1,210円(税込)
全36ページ(オールカラー)

ミュージアムショップのウェブサイトに移動する
特集「創建400年記念 寛永寺」公式図録表紙

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシnews彫刻書跡考古特集・特別公開工芸

| 記事URL |

posted by 沖松健次郎(列品管理課長)、長谷川悠(出版企画室) at 2025年08月05日 (火)

 

特集「創建400年記念 寛永寺」で味わう、上野の江戸文化(前編)

本館特別1室・特別2室では現在、特集「創建400年記念 寛永寺」を開催しています。
 
展示風景
展示風景
 
東京・上野の寛永寺は、天台宗の寺院です。寛永2年(1625)に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため創建されました。当館が所在する上野公園一帯は、かつては寛永寺の敷地でした。
本特集では、寛永寺とその付属の寺院(子院)に伝わる絵画や工芸品、仏像彫刻、当館所蔵の寛永寺ゆかりの作品、構内から出土した考古遺物などを通して、寛永寺の歴史や当館との関係性をご紹介しています。
 
寛永寺 根本中堂
寛永寺 根本中堂
 
本特集は6章構成で、特別1室は第1~3章、特別2室は第4~6章をご覧いただけます。
今回の前編では、特別1室の展示を見てみましょう。
 
(注)会場は撮影不可となっております
 
第1章「江戸の護り 上野の山」

寛永寺の正式名称は「東叡山寛永寺(とうえいざんかんえいじ)」。「東の比叡山」の名のとおり、京の都の鬼門(北東)を封じる役割もある天台宗の総本山、比叡山延暦寺にならい、江戸城の鬼門に位置する江戸の護りとして上野の山に建てられました。
この章では、江戸時代の地図より、寛永寺が上野の山に建立された地理的な背景をご紹介します。
 
第1章展示風景
第1章展示風景
 
東叡山之図
東叡山之図(とうえいざんのず) 
江戸時代・17~18世紀 東京国立博物館蔵
 
上野台地の麓(ふもと)にある不忍池は、比叡山と琵琶湖の関係になぞらえられ、かつての寛永寺敷地内の建物も延暦寺内の配置にならって建てられていました。
 
第2章「江戸仏教の先導者 慈眼大師天海」
 
寛永寺を建立した慈眼大師天海(じげんだいしてんかい)は、徳川家康・秀忠・家光と、三代にわたる徳川将軍の帰依(きえ)を受け、幕府の宗教政策や朝廷との関係において影響力を持ち、信長焼き討ちで疲弊した比叡山延暦寺の復興にも尽力するなど、当時の仏教界において先導的な存在でした。
 
この章では、天海の肖像画や、彼が復興した法会に関する書、寛永寺内における天海に対する信仰を伺える仏画など、天海を理解する手がかりとなる作品をご紹介します。
 
第2章展示風景
第2章展示風景 
 
慈眼大師像(模本)
慈眼大師像(模本)(じげんだいしぞう もほん)
森田亀太郎模 大正~昭和時代・20世紀 東京国立博物館蔵 原本:江戸時代・17 世紀 埼玉・喜多院蔵
 
第3章「近世高僧伝絵の白眉 両大師縁起絵巻」
 
当館の東隣には寛永寺開山堂(両大師)があります。ここには、寛永寺を創建した慈眼大師天海と、比叡山延暦寺の中興の祖といわれる第18代天台座主(天台宗を統括する最高位の僧職)慈恵大師良源(じえだいしりょうげん)の2人がまつられています。良源は正月三日が命日であることから「元三大師(がんざんだいし)」とも呼ばれています。
 
この章では、住吉具慶(すみよしぐけい)がこの2人の生涯を描いた「元三大師縁起絵巻」と「慈眼大師縁起絵巻」を展示しています。具慶は後に徳川幕府の御用絵師となりますが、その背景にはこの絵巻の制作の功があったと考えられます。2つの絵巻はあわせて両大師縁起絵巻と呼ばれており、緻密な細部描写や活き活きとした人物描写、発色の良い質の高い絵具を用いた華やかな画面がみどころです。
 
また、元三大師縁起絵巻はもともと6巻一組で制作されましたが、現存しているのは3巻分だけです。しかし、当館では全巻分の稿本(下絵)を所蔵しており、今回の展示では、失われた巻を稿本によってご覧いただきます。寛永寺の作品と当館の稿本を一緒に展示するのは初めての機会になりますので、是非ご覧ください。
 
元三大師縁起絵巻 巻第二
 
元三大師縁起絵巻 巻第二
元三大師縁起絵巻 巻第二(がんざんだいしえんぎえまき) 
住吉具慶筆 江戸時代・延宝 7年(1679) 東京・寛永寺蔵
展示期間:8月3日(日)まで。巻第五は8月5日(火)~31日(日)で展示
 
元三大師縁起絵巻稿本のうち巻第四
元三大師縁起絵巻稿本のうち巻第四(がんざんだいしえんぎえまきこうほん)
住吉具慶筆 江戸時代・延宝7年(1679) 東京国立博物館蔵
展示期間:8月3日(日)まで。巻第六、巻第七は8月5日(火)~31日(日)で展示
 
慈眼大師縁起絵巻 巻一
 
慈眼大師縁起絵巻 巻一
慈眼大師縁起絵巻 巻第一(じげんだいしえんぎえまき) 
住吉具慶筆 江戸時代・延宝7年(1679)  東京・寛永寺蔵
展示期間:8月3日(日)まで。巻第二、巻第三は8月5日(火)~31日(日)で展示
 
特別2室の様子は、後編ブログでご紹介します。
 
本特集は8月31日(日)まで開催しています。その期間、当館から寛永寺に一番近い西門から退出していただけるようにもしていますので、展示をご覧になったあと、寛永寺まで足を延ばしていただく際に、是非ご利用ください。
 
同時期に特別展「江戸☆大奥」も平成館特別展示室で開催しています。この夏は、本特集とあわせて上野で江戸文化をお楽しみください。
 
 

公式図録

本特集の公式図録をミュージアムショップで販売しています。作品のカラー図版やコラムのほか、江戸時代の寛永寺の地図上に現在の上野公園の主な施設を記載した「重ね地図」も掲載。上野ファン必携の一冊です。


特集「創建400年記念 寛永寺」

編集・発行:東京国立博物館
定価:1,210円(税込)
全36ページ(オールカラー)

ミュージアムショップのウェブサイトに移動する
特集「創建400年記念 寛永寺」公式図録表紙

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシnews特集・特別公開絵画

| 記事URL |

posted by 沖松健次郎(列品管理課長)、長谷川悠(出版企画室) at 2025年07月29日 (火)

 

おひなさまと日本の人形

東京国立博物館では、例年3月3日の桃の節句にあわせて、ひな人形や日本の伝統人形の展示を行っています。


特集「おひなさまと日本の人形」(本館14室、3月23日(日)まで)の展示風景

古代には、罪や穢れ(けがれ)を人形(ひとがた)に託して水に流すという風習がありました。また、季節を問わず、平安貴族の子どもたちが小さな人形で遊ぶ「ひいな遊び」もあり、そのような文化から、今のひな祭りへと発展したと考えられています。
例年展示している、おひなさまのルーツとも呼べる天児(あまがつ)や這子(ほうこ)など、ひな人形の歴史を辿る展示に加え、今年は古今雛(こきんびな)の名品を展示しています。
古今雛は、山車(だし)人形の制作技術を応用してつくられたひな人形です。

古今雛
末吉石舟作 江戸時代・文政10年(1827) 山本米子氏寄贈
古今雛(部分)

 

きらりと輝く瞳には、ガラスが入れられています。いきいきとしながらも、お顔立ちは非常に端正で、気品あふれる表情をしています。また、宮廷装束を模倣しつつも、町方の好みの豪華な衣裳をまとっています。

そのほかにも、鮮やかな彩色を施した紙でつくられた立雛(たちびな)、上方で好まれた丸い頭部にちょこんと目鼻をつけた古式次郎左衛門雛(こしきじろざえもんびな)、江戸時代の奢侈禁止令をうけて流行した大変小さな芥子雛(けしびな)など、一口に「おひなさま」といっても、さまざまな種類や流行があります。
ぜひ展示室で、お気に入りのひな人形を見つけてみてください。


芥子雛
七澤屋製 江戸時代・19世紀 牧野次助氏寄贈

本特集では、ひな人形に加えて、日本の伝統的な人形も展示しています。たとえば、朝廷や公家で好まれたことに由来するとされる御所人形。ふくふくとした表情・体つきが愛らしく、愛でていたくなるようなお人形ばかりです。

御所人形 立子(奴姿)(ごしょにんぎょう たちご(やっこすがた))
江戸時代・19世紀
御所人形 立子(奴姿)(部分)

 

従者の奴(やっこ)に見立てた御所人形。きりっとした表情をしていますが、丸くつくられた頭にふっくらとした体つきは、まるでごっこ遊びをしている子供のようです。ずっと見守っていたくなるようなかわいらしさがあります。

加えて、子供たちが実際に衣裳を着替えさせて遊んだ、三折(みつお)れ人形も展示しています。3か所の関節が折り曲げられるため、「三折れ」とよばれます。


三折れ人形
江戸時代・19世紀

伊予国(いよのくに)宇和島藩の伊達家に生まれ、飯野藩保科家へと嫁いだ節子姫の愛用品といわれ、「御舟様(おふねさま)」の愛称をもつお人形です。子供の成長の側に、お人形が寄り添っていたことを物語っています。

「かわいらしさ」を尊ぶ日本の人形文化を、展示室にて味わっていただければ幸いです。
もちろん、それを支えている職人の高度な技術にもご注目いただきたく、細部までじっくりとご覧いただければと思います。遠目では見えにくい部分についても、展示室入り口のモニターに、クローズアップしたスライドショーを投影しています。
ぜひ、東京国立博物館で華やかに桃の節句をお祝いしましょう。

 

カテゴリ:特集・特別公開

| 記事URL |

posted by 沼沢ゆかり(学芸研究部) at 2025年03月03日 (月)

 

1 2 3 4 5 6 7 最後