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特別展「出雲―聖地の至宝―」の“奇妙な”銅鐸

お蔭様で多くの方々にご覧いただいている特別展「出雲―聖地の至宝―」(2012年10月10日(水)~11月25日(日)、本館特別5室・4室)。
今回は、その2章「島根の至宝」の作品のなかから、実に奇妙な銅鐸をご紹介しましょう。
2章の入口を入ると正面に鈕(吊り手)が欠けた小さな銅鐸が展示してあります。
皆さん、展示ケースに近づいてこの銅鐸をよーくご覧ください。特に、身の上半にあけられた二つの丸い孔(あな)の間にご注目! 

何か見えませんか?

銅鐸 伝出雲出土 弥生時代中期 島根・八雲本陣記念財団蔵
島根県指定文化財 銅鐸 伝出雲出土 
弥生時代中期 現存高 22.3cm
島根・八雲本陣記念財団蔵


「よく見えないよ!」
 
「ちょっと待って! 眼のようなものが・・・。 あっ、顔だ!!」

部分拡大

その通り!

ライトに照らされて浮かび上がる妖しげな顔。
眉とともに目尻が極端に長く表現された特徴的な眼。そして大きな鼻。そこには口の表現はありません。静かに何ものかをにらみつけているかのようなその独特な眼は、悪霊や邪悪なものすべてをにらみ威嚇する「邪視(じゃし)」を表現したものとも言われています。
こうした邪視文をもつ銅鐸は、明治24年(1891)に、最初に広島県福田(木ノ宗山)で発見されたことから「福田型銅鐸」とも呼ばれています。その数はきわめて少なく、中国地方から4個の発見が知られるのみでした。しかし、昭和55年(1980)、佐賀県鳥栖市教育委員会の発掘調査で、これと同型式の銅鐸の鋳型が発見されました。これによって、これまで銅鐸分布圏外にあった九州でも銅鐸の生産が行われていたことが明らかとなってきました。そして平成10年(1998)、佐賀県吉野ヶ里遺跡から待望の銅鐸が発見。その型式は福田型であり、しかもこの伝出雲銅鐸と同じ鋳型で鋳造された同笵銅鐸であることがその後の調査で明らかとなりました。こうした一連の発見により、佐賀地域で福田型銅鐸が製作され、それが出雲まで運ばれたことが指摘されるようになってきたのです。
これらの銅鐸に表現された邪視文は、ここに見られるような写実的なものからはじまり、次にその眼のみが表現され、やがて本来きわめて重要であったはずのその眼も消え去り、その空間のみが存在するという変遷をたどります(下図参照)。

出雲銅鐸実測図
岡山市上足守出土銅鐸実測図
左:福田木ノ宗山出土銅鐸実測図、右:伯耆国出土銅鐸実測図
井上洋一 福田型銅鐸の再検討 福田型銅鐸 『古代青銅の流通と鋳造』鶴山堂1999より


神の顔とも表現されるこの邪視文は、その下に表現された水鳥とともに、銅鐸の謎を解く重要な鍵となっています。

ところで、この銅鐸は、長く木幡家に「花器」として伝えられてきました。
なんと、銅鐸が花器に使われていた!?

銅鐸の周囲には魚の鰭のように飛び出した部分があります。その左右の鰭の下方に注目すると、そこには孔が開けられた痕跡がみられます。この孔(今は埋められています)に紐や針金などを通し、銅鐸を逆さに壁や柱などに吊るし、花器として用いていたようです。このように銅鐸を花器に変身させた例は他にもありますが、その多くは、江戸時代ころに改変されたのではないか。奈良文化財研究所の難波洋三さんの見解です。
それにしても銅鐸を花器にしてしまうとは・・・。時の趣味人には脱帽ですね。

特別4室入ってすぐ正面に展示しているこちらの銅鐸をぜひご覧ください。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古2012年度の特別展

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posted by 井上洋一(学芸企画課長) at 2012年11月02日 (金)

 

特別展「中国 王朝の至宝」―仙人と仏(ほとけ)―

現在開催中の特別展「中国 王朝の至宝」(2012年10月10日(水)~12月24日(月・休)、平成館)は、中国各地の14の地域の30余りの機関から文物を借用するという、スケールの大きな内容となっています。ここには、日本の多くの方々がこれまであまり目にしたことがないような文物が多数展示されています。ご紹介したいものはたくさんありますが、ここはまず、ちょっと不思議な壺を取り上げてみましょう。


一級文物 仙人仏像文盤口壺(せんにんぶつぞうもんばんこうこ)
三国(呉)時代・3世紀 江蘇省南京市雨花台区長崗村M5墓出土 南京市博物館蔵


これは、三国時代の3世紀に作られたものと考えられます。全体の形は、とくに変哲のないものですが、ここで注目していただきたいのは、表面に描かれた文様の方です。写真の中央上寄りに、少し浮き上がった部分がありますが、これは蓮華の上に座った仏像を表したものです。


仏像部分拡大

頭の周りに仏像の印である円形の光背が付いているのがおわかりいただけると思います。台座の両脇に見える獣は、どうも獅子を表しているようです。蓮華と獅子との両方が仏座に付くのは珍しいことですが、全体で仏像を表したものであることは間違いありません。

さらにびっくりするのは、この仏像のまわりには、長い棒のようなものを持って横向きに立つ人物が何体もシルエットのように描かれていることです。


描かれている仙人

これらの人物の周囲に波のように描かれているのは、雲気(うんき)と霊芝(れいし、仙界の草)です。そして、シルエット状の人物の背中やお尻にも注目ください。なんと毛のようなものが伸びていますね。じつはこれ、羽を表したものです。羽の生えた者、つまり中国古来の仙人がここに描かれているのです。ふつう仙人というと、長い髯(ひげ)を生やした老人の姿を思い浮かべますが、もともとの仙人は、「羽化登仙(うかとうせん)」すなわち羽が生えて仙界(天上界)へ登ることができるようになった者のことをいいます。仙界へ行くことを昇仙するといい、中国では不老不死の世界へ行くこととほぼ同義のことでした。ここでは仙界を象徴する仙人や雲気・霊芝などによって、天上世界の様を表現しようとしたことがわかります。

こうして見てくると、この壺には、中国古来の仙人とインドから来た仏(ほとけ)に対する信仰が共存していることになります。外来の神であった仏(ほとけ)も、その法力が認識されるようになると、ここに見るように、伝統的な仙界の図像の中に取り入れられ、仙人とともに、広大な神威の発現が望まれるようになったのでしょう。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

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posted by 松本伸之(学芸企画部長) at 2012年10月30日 (火)

 

特別展「出雲-聖地の至宝-」展に荒神谷遺跡出土の銅剣がずらり!

島根県出雲市斐川町神庭の荒神谷遺跡から出土した銅剣は全部で358本。一遺跡からの出土数は全国最多です。
1984(昭和59)年、農道の建設に先立って行われた発掘調査によって発見されました。翌年の1985(昭和60)年には、7m離れたところから、銅鐸6個、銅矛16本が一緒に出土しています。

史跡 荒神谷遺跡 (銅剣発掘調査時の状況)
史跡 荒神谷遺跡 (銅剣発掘調査時の状況)

銅剣は、埋納坑(銅剣を埋めるために掘られた穴)に四列に整然と並べられていました。各列の本数は、写真手前からA列34本、B列111本、C列120本、D列93本です。出土状況をみるかぎり、木箱などに入れられた形跡はありません。

銅剣はすべて中細形銅剣c類と呼ばれている型式で、その圧倒的な数から「出雲型銅剣」と呼ばれることもあります。
出雲で製作された可能性が高く、製作年代は紀元前2世紀末から紀元前1世紀、埋納された時期は紀元前後から紀元後の1世紀と推定されます。

全長の平均は51.65㎝。最長はC109号の53.9㎝、逆に最小はC93号の48.1㎝(どちらも推定長)です。重量はおおむね500グラム程度です。

今回の展覧会では、358本の銅剣の中から、所有者の文化庁が平成22年度から行っている再保存修理の完了した42本を展示しています。下の写真の右側2本(右からA32号、A33号)も展示しています。

国宝 銅剣
国宝 銅剣 (右からA32,A33,B62)
弥生時代・前2~前1世紀
島根県・荒神谷遺跡出土 文化庁蔵


358本の銅剣のうち一本だけ研磨を施していない銅剣もありました。写真左端のB62号です。これと研磨を加えたその他の銅剣と比較すると、形状がほとんど変わらないことがわかります。

国宝 銅剣 荒神谷C67号
国宝 銅剣 荒神谷C67号
(今回は展示していません)


銅剣を詳細に観察すると、写真のように、茎にタガネ状の工具によって打ち込まれた「×」印の刻印が発見されました。荒神谷銅剣にはすべての銅剣に「×」印の刻印をしようとした意志が読みとれます。観覧の際は、是非銅剣の茎部分を目をこらしてみてください。


荒神谷遺跡の銅剣は、基となるモデルをそのまま写し取るのではなく、銅剣のもつ特徴を理念的に描きながら、比較的短期間のうちに製作されたと思われます。


島根県立古代出雲歴史博物館の銅剣展示

島根県出雲市大社町にある、島根県立古代出雲歴史博物館では、この荒神谷遺跡の銅剣の残りを展示しています。荒神谷遺跡出土の青銅器が、いつ、誰によって、なぜ埋納されたのか、実は今もその明確な答えは出ていません。まずは、特別4室で出雲の青銅器の特色に触れていただき、さらには、ぜひ出雲で荒神谷遺跡の現地や博物館の銅剣をみながら、その謎解きに挑戦してみてはいかがでしょうか。


特別展「出雲―聖地の至宝―」(2012年10月10日(水)~11月25日(日)) 本館特別5室・4室で開催中!

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

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posted by 足立克己(島根県立古代出雲歴史博物館学芸部長) at 2012年10月26日 (金)

 

出雲展 おすすめショップグッズのご紹介

特別展「出雲―聖地の至宝―」(2012年10月10日(水)~11月25日(日)) は連日多くのお客様にお越しいただいています。
誠にありがとうございます。

今回は、特別5室を出たところにあるショップの人気&おすすめ商品をご紹介します!



今、1番の売れ筋はこちら!

 
お香 特別展 出雲-聖地の至宝-オリジナルグッズ
630円(税込)

この特別展のために作られました。とてもいい香りです!

おすすめ商品は・・・


ぽち袋 特別展 出雲-聖地の至宝-オリジナルグッズ
1枚60円(税込)

画像では3種ですが、10種類以上あります。おみやげに人気のようです。

そして、こちらは金太郎飴。かわいく鹿が描かれています。ぶどう味でおいしいです!

   
金太郎飴 特別展 出雲-聖地の至宝-オリジナルグッズ
420円(税込)

今回この特別展の主催でもある島根県古代出雲歴史博物館のグッズも人気のようです!
特に売れているのが、こちらの勾玉ストラップ。


勾玉ストラップ 特別展 出雲-聖地の至宝- 古代出雲歴史博物館グッズ
左から2,300円(税込)、1,600円(税込)、1,100円(税込)、1,000円(税込)

勾玉に使われている石は他の種類もあります。

この他詳細は、特別展「出雲-聖地の至宝-」公式ホームページのグッズページをご覧ください。

図録も販売しています。展覧会をご覧になったあと、ぜひショップにもお立ち寄りください。

*ショップのグッズは売り切れる可能性もあります。ご了承ください。
鹿のグッズのモチーフになった「重要文化財 埴輪 鹿」は京都展に出品されたものです。当館では展示していません。
 

カテゴリ:2012年度の特別展

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posted by 江原 香(広報室) at 2012年10月24日 (水)

 

「出雲―聖地の至宝―」展より、尼子氏ゆかりの甲冑と刀剣

特別展「出雲―聖地の至宝―」(2012年10月10日(水)~11月25日(日))、2章「島根の至宝」の作品のなかから、
戦国時代の出雲の大名、尼子氏ゆかりの甲冑や太刀についてご紹介いたします。

No.37の色々糸威胴丸は、16世紀の初め、出雲を拠点に中国地方11カ国に領土を拡大した尼子経久(あまごつねひさ)が
佐太神社に奉納したと伝えられています。
紅糸を中心に、青や白の糸で威した華やかな甲冑です。

色々糸威胴丸
重要文化財 色々糸威胴丸(いろいろいとおどしのどうまる)
室町時代・16世紀
島根県・佐太神社蔵


兜の前立には、中央に「天照皇大神宮」、鍬形には「八幡大菩薩」「春日大明神」の神号が切透かされて、
当時の武将の信仰の一端がうかがえます。

色々糸威胴丸


No.26の兵庫鎖太刀は、鎌倉時代に武家に好まれた拵の1つで、この太刀も鎌倉時代の作品です。

兵庫鎖太刀
重要文化財 兵庫鎖太刀(ひょうごくさりのたち)
鎌倉時代・13~14世紀
島根・須佐神蔵社(11月4日(日)まで展示)


太刀を腰に下げる帯取に、針金の輪を2つに折って繋げた兵庫鎖を用いています。

 兵庫鎖太刀

拵を納めた箱には、尼子経久の孫の晴久が、天文21年(1552)に須佐神社に奉納したことが記されています。
なお、島根県立古代出雲歴史博物館では、10月26日(金)から12月24日(月・祝)まで企画展「戦国大名 尼子氏の興亡」が開催されます。
出雲へお出かけの方は、是非ご覧ください。

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

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posted by 池田宏(上席研究員) at 2012年10月18日 (木)