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必見!東博が所蔵する世界の旧石器時代の石器

会期も残すところわずかとなった特別企画「ビフォー縄文 旧石器時代発見80周年」(平成館企画展示室、8月23日(日)まで)。
本展のみどころのひとつに、世界の旧石器文化の展示があります(4章 世界の旧石器文化)。

「4章 世界の旧石器文化」の展示風景
 
東京国立博物館には、世界中の旧石器・新石器時代の石器が収蔵されており、本展で展示している石器は主にH・W・シートン=カー(1859-1938)による寄贈品です。シートン=カーはインド生まれのイギリス人で、若い頃にイギリス陸軍に所属していました。退役後は探検家・冒険家として世界各地を旅行して旅行記にまとめるかたわら、先史時代の石器蒐集に情熱を注いだ好古家でした。彼は主にインドやアフリカ北部で活動していました。現在では人類発祥の地として知られるアフリカ大陸。19世紀当時はまだ人骨も石器も発見されておらず、旧石器時代は存在しないとされていました。そんな中、シートン=カーはアフリカ東部のソマリアで集めた石器をイギリスの著名な考古学者ジョン・エヴァンス(クレタ島のクノッソス遺跡を発見し、線文字を解読したアーサー・エヴァンスの父)に送りました。何度かのやり取りの末、エヴァンスは旧石器であることを認める論文を執筆します。これによって、アフリカに旧石器時代が存在することが明らかになったのです。
 
この話、岩宿遺跡を発見した相澤忠洋氏とよく似ています。学界の常識を打ち破るのは、ひとえに情熱だということをよく示すエピソードです。
 
本展では世界の旧石器文化の大きな流れをたどるうえで、うってつけの資料を展示しています。前期旧石器時代を代表する石器のハンドアックスやクリーヴァーは、動物を解体したり、骨を打ち割って骨髄を食べたりする際に用いるなど、何にでも使っていたようです。あわせてイギリスやフランスのハンドアックスも展示しています。
 
(右3点)ハンドアックス (左)クリーヴァー
インド採集 前期旧石器時代・前150万年~前20万年 H・W・シートン=カー寄贈 
 
イギリスやフランスのハンドアックス
 
中期旧石器時代は、ルヴァロア技法による石核や剥片を展示しています。「ルヴァロア」とは、フランス・パリ郊外の地名で、この石器がまとまって発見された場所にちなんでいます。大学で考古学を学ぶと授業で必ず習うルヴァロア技法ですが、実際の資料を見たことがある人は少ないと思われます。
 
(上3点)ルヴァロア石核 (下)剝片
ソマリア採集 中期旧石器時代・前20万年~前5万年 H・W・シートン=カー寄贈
 
後期旧石器時代を代表する石刃技法を示す、石核と石刃。1つの石の塊から、たくさんの石刃(細長い長方形で、形の整った石の欠片)を打ち割ることができるようになります。この石刃をそのまま刃物として用いる場合もありますし、加工して道具に仕立てる場合もあります。効率的かつ多量に石器を作ることができるようになった点が、後期旧石器時代の大きな特徴です。
 
(右)石核 (左6点)石刃
フランス、ソンム県 ベロイ・シュル・ ソンム遺跡採集 後期旧石器時代・前1万1,000年~前1万年 H・W・シートン=カー寄贈
 
ここまで紹介してきた世界の旧石器資料ですが、H・W・シートン=カーによって、当館に寄贈されたのは明治38年(1905)。実は岩宿遺跡が発見されるよりも40年以上前に収蔵されました。岩宿遺跡の報告書には、当時最新のヨーロッパの石器研究を参照したことが書かれており、本来であれば岩宿遺跡の発掘や、その後の研究を進めるうえで格好の比較資料となったはずです。しかし、残念なことに旧石器時代を専門とする研究者がいなかったこともあり当館の所蔵品は知られていなかったようです。
展示室で、岩宿遺跡の石器と世界の旧石器時代の石器を見比べができるのも本展ならではです。
 
当館は、日本やアジアの所蔵品を中心に展示していますが、本展では、フランスやイギリス、オーストラリアなどの旧石器時代の石器もご覧いただけます。
世界の旧石器文化の流れを一覧できるまたとない機会ですので、ぜひ展示室でご覧ください。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古

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posted by 飯田茂雄(特別展チーム主任研究員) at 2026年08月18日 (火)

 

石器と蒔田鎗次郎

平成館企画展示室では現在、特別企画「ビフォー縄文 旧石器時代発見80周年」(8月23日(日)まで)を開催しています。

本展のタイトルは「ビフォー縄文」ですが、今回本ブログで取り上げる人物は「アフター縄文」(弥生時代)の研究者である蒔田鎗次郎(まいだそうじろう)です。
本展では、蒔田ゆかりの(1)ナイフ形石器や(2)模造 石鏃(せきぞく)を展示しています。
 
ナイフ形石器の展示風景
 
模造 石鏃の展示風景
 
そもそも蒔田鎗次郎とは、明治20年~30年にかけてのたった10年弱という短い期間に活躍した在野の考古学者で、「弥生式土器」(弥生土器)を初めて論文に活字化した人物としても知られています。現在の考古学的な分析方法とも重なる視点から土器を分析し、当時の弥生土器研究を飛躍的に進めました。
そんなこともあってか、現在でも彼の研究の足跡を「推し活」する弥生時代・文化研究者が後を絶ちません。
 
(1)ナイフ形石器
ナイフ形石器(蒔田の報告では「石鎗(いしやり)」)は、明治31年(1898)7月18日に蒔田によって弥生土器とともに田端西台通遺跡の「竪穴」住居の底から一緒に発見・採集されました。この成果を根拠に蒔田は弥生時代が石器と金属器の併用された金石併用時代であると提言したのです。
ただし、現在ではこの「石鎗」は形態や石材の特徴から後期旧石器時代のものと考えられ、弥生時代の竪穴住居にナイフ形石器が紛れ込んだものと考えられています。
当時の考古学者は旧石器時代の存在こそ知っていましたが、それは世界史(欧州)のなかのこと。日本史のなかにその存在があるかどうかさえ、まだまだ考えが及んでいませんでした。本格的に日本で旧石器時代の探求や議論がはじまるのは、もう少しあとのことです。
 
ナイフ形石器(表)
東京都北区 田端西台通遺跡出土 後期旧石器時代・前3万3,000年 徳川頼貞寄贈(蒔田鎗次郎旧蔵) 東京国立博物館蔵
 
ナイフ形石器(裏)
蒔田によって採集場所や採集日が丁寧に朱書きされ、考古遺物に対する彼の誠実な人柄をうかがうことができます。
 
(2)模造 石鏃
蒔田はモノクロ写真に手作業で色付けする絵付師を仕事としていました。写真の撮影や写生にも長けていたようで、『世界風俗写真帖』や『東京家禽(かきん)雑誌』には蒔田の手による写真や写生が掲載されています。
 
さて、模造石器については、蒔田自身は何も記していないため詳細は不明です。ただ模造石器を納めているブリキの標本箱は、二条基弘(にじょうもとひろ)公爵によって設立された日本最初期の私立博物館である銅駝坊陳列館(どうだぼうちんれつかん)で使用されたものと同じということが注目されます。おそらく、二条の学術的な指南役であった坪井正五郎(つぼいしょうごろう)もしくは同館の資料収集や整理を委嘱されていた野中完一(のなかかんいち)からの依頼で蒔田が作ったものと考えられます。
彼らは東京人類学会(現、日本人類学会)の研究仲間でもあったので、蒔田の観察力の高さや手先の器用さを見込んで頼み込んだのではないかと思っています。そして、同じく研究仲間であった白井光太郎(しらいみつたろう)や佐藤傳蔵(さとうでんぞう)らの知見も盛り込まれていたでしょう。
 
これらの模造は石とガラスとで作り分けられていることからも、本来は何かしらの目的があって作り分けられたはずです。
その理由は判然としませんが、黒曜石製の模造石鏃だけを見ても石材や形態、そして製作技術を踏まえ作られたことがよくわかり、当時の石器研究の一つの到達点が表れているとも言えます。
 
模造 石鏃(ガラス製)
蒔田鎗次郎製作 明治時代・19~20世紀 徳川頼貞寄贈 東京国立博物館蔵
 
模造 石鏃(石製)
蒔田鎗次郎製作 明治時代・19~20世紀 徳川頼貞寄贈 東京国立博物館蔵
産地が異なる黒曜石を使い分けて、縄文時代早期から晩期の各種の石鏃を模造していることがわかります。
 
日本における旧石器時代発見前の石器研究の様子を知ることができる貴重な資料ですので、夏休みのこの機会にぜひご覧ください。
本展のあとは、向かい側の考古展示室にも足をお運びいただき、旧石器時代から江戸時代までの日本の考古資料をお楽しみください。
 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古

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posted by 品川欣也(展示企画グループリーダー) at 2026年07月22日 (水)

 

特別企画「ビフォー縄文 旧石器時代発見80周年」開幕!

6月16日(火)より平成館企画展示室にて、特別企画「ビフォー縄文 旧石器時代発見80周年」がはじまりました。

ところでみなさんは「旧石器時代」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
周りの人に聞いてみると、「マンモス?」「ヤリとか??」「きゅう…せっき?」…なんとなくクエスチョンマークつきで答えてくれました。
縄文時代といえば土偶、古墳時代といえば埴輪でおなじみですが、「旧石器時代ってどんな時代?」と聞かれてイメージできる人は実はあまりいないのです。

旧石器時代とは、ヒトが石器を使って暮らした時代。世界最古の石器はケニアで発見された約330万年前のものとされています。気の遠くなるような昔からヒトは石器をつくり、日常の道具として使ってきました。
そして、日本列島にヒトが移り住んだのは今から約4万年前。それ以降縄文時代の始まる約1万3,000年前までが日本の旧石器時代にあたります。
昭和21年(1946)に旧石器時代が発見されてから今年で80年。縄文時代より前はどんな時代だったのか?本展はそんな素朴な疑問に答える展覧会です。

本展の一番のみどころとして、まずは会場入口に展示している作品にご注目ください。


登録有形文化財 岩宿遺跡採集石器 槍先形尖頭器 
群馬県みどり市 岩宿遺跡採集(相澤忠洋資料) 後期旧石器時代・前2万3,000年 群馬・岩宿博物館蔵

「槍先形尖頭器」と呼ばれる槍の先端に装着した狩りの道具で、旧石器時代の人々がもっとも好んで使った「黒曜石」でつくられています。きらきらと光り輝く美しい石器に、つい見とれてしまいます。

今から80年前、昭和21年当時、「火山灰が降り積もった赤土(関東ローム層)には人間が住めるはずがない」ということが日本考古学の常識でした。相澤忠洋(あいざわただひろ)氏が岩宿(現群馬県みどり市)の崖から採集した石器は、まさにその赤土から発見されたもので、彼が書籍で学んだ旧石器時代の「細石器」によく似ていました。


登録有形文化財 岩宿遺跡採集石器 石刃
群馬県みどり市 岩宿遺跡採集(相澤忠洋資料) 後期旧石器時代・前3万5,000年~前1万6,000年 群馬・岩宿博物館蔵

以後、相澤氏は岩宿の崖に通うことになります。そしてついに昭和24年(1949)、槍先形尖頭器を発見するに至り、赤土の中から旧石器時代の石器が出土することを確信します。


相澤忠洋 群馬・岩宿博物館提供
行商のあいまに考古学に没頭し、岩宿遺跡を発見、その後も多くの遺跡の発見に尽力しました。


発掘当時の岩宿遺跡遠景 東京・明治大学博物館提供

「赤土の中から石器が出土する」。相澤氏が採集した石器を目にした明治大学の研究者・芹沢長介(せりざわちょうすけ)、杉原荘介(すぎはらそうすけ)は旧石器時代の存在を直観し、すぐさま岩宿の発掘を決断します。そのスピードたるや凄まじいもので、翌日には発掘の相談、その2日後には発掘調査の準備を済ませて、群馬県桐生市に乗り込んでいるということからも相当な意気込みが感じられます。そして発掘当日の昭和24年9月11日、ついに岩宿の地で赤土から石器が出土することを確認しました。


岩宿遺跡発掘の様子
昭和24年(1949)9月11日撮影 東京・明治大学博物館提供


重要文化財 岩宿遺跡出土石器(岩宿Ⅰ石器文化) 
群馬県みどり市 岩宿遺跡出土 後期旧石器時代・前3万5,000年 東京・明治大学博物館蔵 


あまりの感動に、明治大学の研究室宛てに「ハックツニセイコウ タダナミダノミ」という電報が打たれたことは、考古学の中では有名な話です。芹沢・杉原ともにまだ30代の若き研究者であり、当時の常識にとらわれず目の前の石器に向き合った結果が「旧石器時代」の証明につながったといえます。

今から80年前、一人の人間が岩宿で採集した小さな石器が、考古学史上に大きな足跡を残すきっかけとなりました。岩宿遺跡の発掘のあと、日本各地で次々と旧石器時代の遺跡が発見、発掘され、現在では1万箇所以上あることがわかっています。このブログを読んでいるみなさんの住んでいる近くにも、その場所で初めて人々が暮らし始めた旧石器時代の遺跡があるはずです。

また、旧石器時代は、縄文時代にはじまり現代に続く「定住生活(イエを立てて、ムラをつくり仲間とともに暮らす生活)」とは全く異なり、食料となる動物を追いかけ人々が移動しながら暮らしていました。本展では狩猟に使用されていたさまざまな石器などをご覧いただけます。


日本の旧石器時代の石器 展示の様子

展示の後半では、当館の所蔵する世界の旧石器時代の石器をご紹介します。
人類史の99パーセントを占める旧石器時代。世界各地から採集された石器がずらりと並び、その長い歴史の全体像を一望することができます。


世界の旧石器時代の石器 展示の様子

そのほか、旧石器時代の石器を復元したレプリカや景観を復元したジオラマなども展示しています。


狩猟具レプリカ、石器作りの道具
現代 群馬・岩宿博物館蔵


本展は、当館では初めて旧石器時代をテーマとした展示になります。書きたいことは山ほどあるのですが、まずはぜひこの機会に、展示室で実物をご覧ください。「縄文時代より前の時代ってどんな時代?」「旧石器時代って聞いたことあるかも」という旧石器時代ビギナーにうってつけの内容になっています。
旧石器時代にはじまる人類の長い歴史。人々がつくり続けた石器を実際に目にしていただくことで、少しでも「旧石器時代」が身近な存在になればと願っています。
本展は、8月23日(日)まで開催しています。

【東博でもっと楽しむ旧石器時代】
平成館1階考古展示室(本展向かい側の展示室)では日本の、東洋館地下1階12室(インド・東南アジアの考古)ではアジアの旧石器時代の石器を展示しています。本展とあわせてお楽しみください。
日本の旧石器時代の基本がわかる、以下の解説動画もぜひご覧ください。

 

(注)動画内の展示作品は展示替えのため、実際と異なる場合があります。

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古特別企画

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posted by 飯田茂雄(文化財活用センター研究員) at 2026年06月25日 (木)

 

特集「創建400年記念 寛永寺」で味わう、上野の江戸文化(後編)

本館特別1室・特別2室では現在、特集「創建400年記念 寛永寺」を開催しています。

特別1室の第1~3章について前編ブログでご紹介しましたが、今回の後編ブログでは特別2室の第4~6章を見ていきましょう。

(注)会場は撮影不可となっております

第4章展示風景
第4章展示風景
第4章「徳川家の祈祷寺・菩提寺 近世仏教の造形」
寛永寺は、建立当初は徳川幕府や天下万民の安泰を祈る祈祷寺でしたが、3代将軍家光から4代将軍家綱の時にかけて、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。また、寛永寺には6人の将軍と御台所などが葬られています。この章では、徳川将軍家ゆかりの寺院にふさわしい端正な造形を見せる仏画や仏像、仏具などをご覧いただけます。
 

文恭院殿葬送絵巻

文恭院殿葬送絵巻
文恭院殿葬送絵巻(ぶんきょういんでんそうそうえまき)
江戸時代・19世紀 東京・春性院蔵

 文恭院は天保12年(1841)閏正月(うるうしょうがつ)7日に没した11代将軍家斉の諡号(しごう)で、本作品はその葬送の様子を描いています。
 

観音菩薩立像
観音菩薩立像(かんのんぼさつりゅうぞう) 
鎌倉時代・13世紀    東京・寛永寺蔵

上野の山から不忍池に臨む清水観音堂は、京都東山の清水寺を模したお堂で、天海により建立されました。本尊の千手観音像も清水寺から迎えられました。本尊の右側に本像が安置されています。整った優美なプロポーションが大変美しいです。 
 

右は説相箱 左は戒体箱
右:説相箱(せっそうばこ) 左:戒体箱(かいたいばこ) 
ともに江戸時代・17~18世紀   東京・寛永寺蔵

寛永寺所蔵の美麗な仏具も多くご覧いただけます。

第5章「博物館とのつながり 博物館構内出土品」
当館の建っている場所には、かつて寛永寺の本坊がありました。本坊とは住職の居住する建物のことで、広い敷地の中にさまざまな用途の部屋をもった大きな建物がありました。この章では、当館の構内から発掘された焼塩壺や抹茶茶碗などを展示しており、当時の本坊での生活を垣間見ることができます。

第5章の展示風景
第5章の展示風景

焼塩壺 焼塩壺蓋
焼塩壺 焼塩壺蓋(やきしおつぼ やきしおつぼふた)
東京都台東区上野公園 東京国立博物館構内出土 江戸時代・17~18 世紀 東京国立博物館蔵

焼塩壺の中には、にがり成分を含んだ粗塩が詰められ、使用の際に壺ごと火に入れることで、苦味が抜けた焼塩をつくっていました。これらの焼塩壺が発掘された場所は、かつて寛永寺本坊の調理に関係する部屋があった場所であることが今回の展示に際しての調査でわかりました。
 

第6章「文化の集まる地 現代とのつながり」
寛永寺は、江戸幕府や朝廷とのつながりからあらゆる文物が集まり、多くの文化人が交流する場でもありました。現在は、上野公園として整備され、当館をはじめとする博物館や美術館などの文化施設が設立され、今も文化と人が集まる場所となっています。
この章では、15代将軍慶喜による油画や書、江戸の文化人たちが愛した銘石、また当時の最新技術であった一切経の刊行に使われた木活字と実際に印刷された一切経など、寛永寺と子院に集積されたさまざまな文物を展示し、今につながる様子をご紹介します。
 
源氏物語図屛風
源氏物語図屛風(げんじものがたりずびょうぶ)
安土桃山~江戸時代・16~17世紀 東京・円珠院蔵 


千葉・国立歴史民俗博物館の「醍醐花見図屛風」と一連のものであったといわれています。
 

重要文化財 天海版木活字
右:重要文化財 天海版木活字(てんかいもくかつじ) 
江戸時代・17世紀 
左:天海版一切経 大般若経巻第一、大般若経巻第六百、新刊印行目録巻第五(てんかいばんいっさいきょう) 
江戸時代・寛永14年~慶安元年(1637~48)刊 
ともに東京・寛永寺蔵
 
天下三銘石之一「黒髪山」
天下三銘石之一 「黒髪山」(てんかさんめいせきのいち くろかみやま) 
江戸時代・17世紀 東京・寛永寺蔵
 
江戸時代の文人・中村仏庵や松平定信が所有したのち、寛永寺に納められました。日光の男体山(別名:黒髪山)に見立てられ、天下第一の銘石とたたえられました。
 
黒髪山縁起絵巻
黒髪山縁起絵巻(くろかみやまえんぎえまき) 
鍬形蕙斎筆    江戸時代・文化10年(1813) 東京・寛永寺蔵


当時一流の9人の文化人が「黒髪山」を鑑賞する様子が描かれています。
 
蓮華之図
蓮華之図(れんげのず) 
徳川慶喜筆 明治時代・19世紀 東京・護国院蔵  
 

本特集は8月31日(日)まで開催しています。その期間、当館から寛永寺に一番近い西門から退出していただけるようにもしていますので、展示をご覧になったあと、寛永寺まで足を延ばしていただく際に、是非ご利用ください。

同時期に特別展「江戸☆大奥」も平成館特別展示室で開催しています。この夏は、本特集とあわせて上野で江戸文化をお楽しみください。
 
 

公式図録

本特集の公式図録をミュージアムショップで販売しています。作品のカラー図版やコラムのほか、江戸時代の寛永寺の地図上に現在の上野公園の主な施設を記載した「重ね地図」も掲載。上野ファン必携の一冊です。


特集「創建400年記念 寛永寺」

編集・発行:東京国立博物館
定価:1,210円(税込)
全36ページ(オールカラー)

ミュージアムショップのウェブサイトに移動する
特集「創建400年記念 寛永寺」公式図録表紙

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシnews彫刻書跡考古特集・特別公開工芸

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posted by 沖松健次郎(列品管理課長)、長谷川悠(出版企画室) at 2025年08月05日 (火)

 

はにわ熱

東京国立博物館に就職して間もない6月のある夜、一人展示準備のため収蔵庫で埴輪を探している時であった。
すわ、収蔵庫に五月人形か。いやいや、よく見ると凛々しい武者姿の埴輪ではないか。

武人埴輪模型 吉田白嶺作 大正元年(1912年)
弓取るものが左右に一対、矛取るが左右に一対、合わせて四個一組で揃いとなる。東京国立博物館所蔵品は左手に矛取るものを欠いている。
(注)特別展「はにわ」出品予定

後日、先輩に聞いたところ明治天皇の御陵(京都府京都市 伏見桃山陵)に奉献された埴輪「御陵鎮護の神将」と同じ型で作られたものという。
某研究会の連絡誌に、この埴輪にかかる記述があったことを思い出して読み返し、関連する文献などを集めた。この埴輪の制作にあたっては東京帝室博物館(現:東京国立博物館)歴史部のスタッフが監修に携わり、当館の収蔵品の修復や模造品の制作を担った彫刻家の吉田白嶺が手掛けた。
このような縁もあって当館に伝来されたものだと知ったところで、いったんこのときの熱(好奇心)は去っていった。

それから十数年の時が過ぎ、東京国立博物館で埴輪をテーマにした特別展を開催すると聞く。再度発熱した。
特別展の担当者を捕まえ、展示する意図や意義を説明して(いや、ワガママを言って)何とか出品作品に加えてもらった。
そして保存科学課のスタッフには、展示や輸送のための応急処理(X線CT撮影や接合)もお願いした。


応急修理前のX線CT撮影
埴輪「御陵鎮護の神将」は型作りによる頭・胴部・脚部・台座というように分割成形されている。胴部と脚部の継ぎ目で外れていたため状態を確認し、今回の展示に合わせ接合、修理した。


一人現地調査と意気込んで伏見桃山陵へも足を運んだ。
木々の間に白く伸びる参道、御陵から眺める宇治の景色、そして230段にも及ぶ大階段。
時折、本来の目的を忘れてしまうほどの御陵の清々しさに気を取られながらの調査、ただただ気持ちがよかった。そして、この陵(みささぎ)の墳丘のなかに納められた埴輪と古墳時代の墳丘に樹立された埴輪との差異に一人思いを巡らせた。


玉砂利と杉並木が美しい参道


宇治の景色


230段に及ぶ大階段


上が円形で下が方形の御陵

明治天皇の大喪にかかる記録を調べるために国立公文書館に出かけ、当時の世相を知るために当時の雑誌や新聞記事をあさり、また絵葉書などの記念品を集めるために某オークションサイトにも手を出した。この頃には、またいつもの熱病にかかったのかと同僚はきっと呆れていたに違いない。


参拝記念の人形


参拝記念の絵葉書
1918年(大正7年)以降に印刷された参拝記念の絵葉書の包みにも埴輪「御陵鎮護の神将」があしらわれている。一定期間、この「埴輪」が当時の人々に関心を持たれていたことが分かる。

私は埴輪、ましてや古墳時代を専門にしているわけではない。一考古学者としてモノがどういう目的で作られ、そのモノが当時の人々にどう受け入れられ、そして後世の人がそれをどう考えるのか、ということが気になってしかたがないのだ。本展の担当者でもない一研究員でさえ「はにわ熱」にかかれば、この始末である。ましてや担当者であったならば。

この夏の暑さを上回る熱量で担当者が準備を進めている
特別展「はにわ」(2024年10月16日(水)~12月8日(日)、平成館 特別展示室)が、間もなく開幕を迎える。
ぜひ楽しみに待っていてほしい。そして一人でも多くの方々にこの「はにわ熱」を存分に味わってほしいと願っている。

カテゴリ:考古調査・研究「はにわ」

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posted by 品川欣也(学芸企画部海外展室長) at 2024年09月27日 (金)

 

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