書を見るのは楽しいです。
より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第17回です。
仮名消息、
仮名(平仮名)で書いた手紙のことです。
いま、本館3室に、たくさんの仮名消息が並んでいます。
(左) 仮名消息 平安時代・12世紀 塚越正明氏寄贈 (2012年7月16日(月・祝)まで本館3室「宮廷の美術」にて展示)
(右) 国宝 延喜式 巻四 紙背仮名消息 平安時代・11世紀 (2012年7月16日(月・祝)まで本館3室「宮廷の美術」にて展示)
ふたつとも、裏に文字が見えます。
左の画像は、消息の紙の裏(紙背)に、聖教(しょうぎょう)を書いています。
消息を書いた故人をしのんで供養するために、その人の手紙の裏にお経を書く習慣がありました。
右の画像は、消息の紙背に『延喜式』(律令の施行細則である式の集大成)が書かれています。
紙は貴重でしたので、手紙や文書などに使った紙背を再利用したのです。
消息(手紙)は個人的な文章ですので、捨てられてしまうことが多かったでしょうが、
紙背を再利用したものは残りました。
とくに、仮名の消息でいまに伝わるものは少なく、とても貴重です。
といっても、さらさらと書かれた仮名は、
美しいですけど、読めません…。
わりと読みやすい仮名消息をご紹介します。
書状案断簡 文覚筆 鎌倉時代・12~13世紀 (2012年7月16日(月・祝)まで本館3室「仏教の美術」にて展示)
字の上から線を引いて、訂正しています。
このまま出すのではなく、清書して手紙は出されます。
これは、手元に置かれた「書状案」です。
私は、「きみの」や「もんかく」(文覚)の字が好きなので、写してみました。
(左)文覚の書状案断簡の拡大図、(右)エンピツ写し
「きみの」は、ゆったりしたように見える字のかたちが好きです。
「き」の一画目と二画目が交わっていないため、空気の通りがよく、文字も明るく見えます。
「もんかく」は、「も」と「ん」がつながっているところがいいです。
(「も」と次の字をつなげることは、よく行われていました。)
私は最近、手紙を書くように心がけています。
電子メールのやりとりは簡単ですが、
手紙の方が喜ばれるようです。
筆をつかって、さらさらと手紙を書いてみたいですが、
それはなかなか難しい!
みなさんも、久しぶりに手紙を書いてみませんか?
| 記事URL |
posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年07月08日 (日)
書を見るのは楽しいです。
より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第16回です。
今回も、特集陳列「写された書-伝統から創造へ」(~2012年6月24日(日))から、
市河米庵(1779~1858)のふたつの「天馬賦」(てんばふ)をご紹介します。
「天馬賦」は、中国・北宋の米芾(べいふつ、米元章、1051~1107)の著作・筆跡として有名なものです。
まずは、米庵が17歳のときに写した「天馬賦」です。
天馬賦(模本) 市河米庵筆 江戸時代・寛政7年(1795) 市河三次氏寄贈
(~2012年6月24日(日)展示)
双鉤塡墨(そうこうてんぼく、字の輪郭を線でとり中を墨で埋める)で
「天馬賦」を模写しています。
上の画像ではよく見えないかもしれませんが
右側のページは、「高君」という字の輪郭線のみです(双鉤といいます)。
わかりにくいかもしれませんので、
私が、米庵の「高君」を途中まで双鉤塡墨してみました。
(もちろんコンピュータのデータ上でのことです。ご心配なく)
恵美が書き込んだ天馬賦「高君」
双鉤塡墨、ということは、
米芾の「天馬賦」を忠実に写そうとしているということです。
輪郭をとることで、筆遣いを細部まで知ることができます。
もうひとつは、
米庵80歳のときに書いた「天馬賦」です。
臨天馬賦(部分) 市河米庵筆 江戸時代・安政5年(1858) 林督氏寄贈
(~2012年6月24日(日)展示)
これは、臨書といいます。
米芾の「天馬賦」を横に置いて書いたものです。
17歳と80歳の「天馬賦」をもう一度並べてみます。
比較 17歳(左)と80歳(右)の「天馬賦」
17歳のときは忠実に写していますが、比較すると80歳では違う字になっています。
臨書には、
形を真似る臨書(形臨)と、筆意を汲みとっての臨書(意臨)とがあります。
80歳の「天馬賦」は、意臨なのです。
それにしても、
市河米庵が、17歳のときも写した「天馬賦」を80歳でも臨書する、
一生涯写し続ける、その姿勢が大切です。
意臨に続いて、
その雰囲気で別の文章を書く、倣書があります。
それが、さらに創作へとつながります。
いろいろと学んだことから、新たな書を創作する、
まさに、“古典から創造へ”、なのです。
| 記事URL |
posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年06月14日 (木)
書を見るのは楽しいです。
より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第15回です。
今回も、本館特別1室で開催中の、特集陳列「写された書-伝統から創造へ」(~2012年6月24日(日))からご紹介します。
写す、
ということが基本中の基本であることは、
何回も言ってきました。
その、写すことに
人生を捧げた人がいます。
田中親美(たなかしんび、1875~1975)です。
親美は15歳のときに、多田親愛(ただしんあい、1840~1905)の門に入りました。
多田親愛は、当時、帝国博物館(トーハクの前身)で働いていて、
親美に、博物館所蔵の古筆(こひつ、平安から鎌倉時代の能書の筆跡)を写させました。
また、親美の父親は、画家の田中有美(ゆうび、1840~1933)、
父親の従兄弟は、冷泉為恭(れいぜいためたか、1823~1864)です。
冷泉為恭は、幕末の動乱期にあって、自らの絵を探求するために模写を続けていました。
その為恭の影響と、多田親愛の教えがあって、
親美は若い頃から、古筆や絵巻などの模写をするようになります。
紫式部日記絵巻、源氏物語絵巻、元永本古今和歌集…今日に残る名品の数々です。
もちろん、原本があっての模本ですが、
模本にもドラマがあります。
大正9年(1920)、
厳島神社の依頼により、国宝「平家納経」の模本を作ることになります。
親美はすでに、書や絵の模写だけでなく、料紙の再現まで行っていました。
「平家納経」では、さらに、軸首や発装、題箋、紐、経箱などの工芸品の模造まで監督。
関東大震災にも遭遇しましたが、5年かかって完成した「平家納経模本」33巻は、厳島神社に納められました。
その後さらに作ったのが、今回展示の「平家納経模本」です。
平家納経(模本)厳王品 田中親美筆 大正時代・20世紀 松永安左エ門氏寄贈 (右は拡大図)
(~2012年6月24日(日)展示)
原本=国宝 厳島神社所蔵 平安時代・長寛2年(1164)
料紙や題箋などの工芸や絵は、弟子たちと協力して作りましたが、
書は、田中親美自身が全部写したそうです。
ふつう模写は、
字をそっくりに写すことに集中してしまうため、
行間や筆の動きなどが不自然になってしまいます。
でも、
田中親美の模写は、不自然さを感じさせません。
一行ごとの原寸大の写真を、左に、上に、真下において、
何度も何度も見て、目に焼き付けて、書を写していきました。
自分を捨てて、執筆した人になりきって、書を再現することに集中する。
それはとてもたいへんな作業であったと、本人も述べています。
今回の特集陳列「写された書 ―伝統から創造へ―」では、ほかにも、田中親美が模写した
「本願寺本三十六人家集模本」などを展示しています。
本願寺本三十六人家集(模本) 田中親美筆 明治40年(1907) (右は拡大図)
(~2012年6月24日(日)展示)
原本=国宝 西本願寺所蔵 平安時代・12世紀
平安時代の作品を、明治・大正時代にこれだけ再現する、
その熱意と苦労の継続を想像してみてください。
文化財の保護と伝統文化の継承という
ふたつの大きな仕事を成し遂げています。
| 記事URL |
posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年06月04日 (月)
書を見るのは楽しいです。
より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第14回です。
本館特別1室で、特集陳列「写された書-伝統から創造へ」(~2012年6月24日(日))がはじまりました。
写す、ということで、
まずは、私がエンピツで写した画像をお見せします。
エンピツの写し
今年のはじめに当館の特別展「北京故宮博物院200選」(2012年1月2日(月)~2月19日(日))に展示されていた、
中国の黄庭堅(こうていけん、1045~1105)の書をエンピツで写したつもりですが…。
上手ではありませんが、
エンピツでも写すと、黄庭堅がどういう字だったのかは、しっかりと頭に残ります。
写す、
という作業は、書にとって、とてもとても重要です。
手を動かすことで、見ただけよりも鮮明に記憶に残ります。
写すことによって、美しい文字の造形を、眼でも手でも鑑賞できます。
こうした伝統を基盤にして、新たな創造もはじまります。
(左)臨知足下帖 西川寧筆 昭和2年(1927)日本書道作振会展出品作 昭和2年(1927) 西川杏太郎氏寄贈
(~2012年6月24日(日)展示)
(右)十七帖(王文治本) 王羲之筆 原跡:東晋時代・4世紀江川吟舟氏寄贈(展示予定未定)
左の画像は特集陳列に展示する作品で、右の画像を「臨書」したものです。
ようするに、右の画像を手本として書いています。
右の手本は、中国の書聖・王羲之(おうぎし、303?~361?)の拓本「十七帖」。
古くから、さまざまな能書が王羲之の書を学んできました。
左の作品は、西川寧(にしかわやすし、1902~1989)の25歳のときのもの。
昭和から平成初期の書壇を代表する書家です。
西川寧は、『自選集』という作品集で、この作品を一番目に紹介しています。
「つたないながら、若い日の苦悶にはちがいない」
「私なりの探求の跡が残っている」
と自身で述べています。
苦悶しながら、写し続ける。
これは、じつは楽しい作業でもあります。
音楽やスポーツと同様に、
レッスンやトレーニングをして、できるようになる。
それと似た感覚でしょうか。
そこから新しい作品が生まれる。
書は、その繰り返しなのかもしれません。
| 記事URL |
posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年05月22日 (火)
書を見るのは楽しいです。
より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第13回です。
前回のブログは「人麻呂」でしたが、今回は「仲麻呂」です。
「仲麻呂」、エンピツで写してみました。
(左)「仲麻呂」 (右)エンピツで写した「仲麻呂」
((左)は国宝 法隆寺献物帳(部分) 奈良時代・天平勝宝8年(756))
(~2012年6月3日(日) 法隆寺宝物館第6室で展示)
仲麻呂とは、藤原仲麻呂(706~64)ですが、
恵美押勝(えみのおしかつ)という名前を淳仁天皇からもらっています。
そう、私の姓と同じなのです。
私は、自己紹介すると必ず「恵美押勝と関係が?」と聞かれます。
そのたびに「いいえ、恵美押勝は乱を起こして一族が滅んでますから…」と
何百回こたえたことでしょう。
その仲麻呂の署名を初めて見たのは、
正倉院宝物を紹介する本だったと思います。
正倉院に伝わる「東大寺献物帳」に、仲麻呂の署名がありました。
クセのある字。
これがあの恵美押勝の字か、と、とても印象に残りました。
自分の名前との係わりで、歴史に残る人物の中で初めて、
その署名がしっかりと心に刻まれていました。
そしてトーハクで働き始めたある日、
法隆寺宝物館で、そのクセのある字に出会ったのです。
国宝 法隆寺献物帳(全体) 奈良時代・天平勝宝8年(756)
(~2012年6月3日(日)展示)
本で見た「仲麻呂」の字が目の前にある!
思わず、心がときめきました。
写真でなく、仲麻呂本人が書いた実物が、私の目の前に。
なんという至福の時でしょう。
心に残る書は、
上手な字ばかりではありません。
「仲麻呂」も、一見、たどたどしいです。
でも、バランスは良く、意志の強さを感じます。
やはり、「書は人なり」です。
心に残る書の引き出しを増やしていきたいです。
みなさんもぜひ、本物に会う感激を体験してください。
| 記事URL |
posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年05月07日 (月)