「空海と密教美術」展の魅力を知り尽くした、展覧会の担当研究員に直撃インタビュー。題して、「空海と密教美術」展の楽しみ方。仏像トークはまだまだ続きます。シリーズ(3)-1 彫刻の前半インタビューにつづく、後半をご覧ください。
『現代人は草食系がお好き?』
広報(以下K):研究員から見た、「密教の仏像を楽しむポイント」を教えてください。
丸山(以下M):まず「仏像曼荼羅」については、「お像と同じ高さの目線で見られる」こと。会場ではステージの上から全体を見渡せるので、宇宙のような曼荼羅の空間を体感していただけることと思います。次に「お像を360度から見られる」こと。どの角度から見ても美しく、新たな発見があります。また展示に関しては、「お像をより近くで」ご覧いただけるように心がけました。今までは気がつかなかったような細部の模様や、きれいなお顔立ちをご堪能いただけることと思います。
K:お顔といえば、現在東博ウェブサイト「仏像曼荼羅」人気No.1は?では、やはり帝釈天が大人気で堂々第1位です。
M:えーどうしてかなあ?!他のお像ももっとよく見てくださいよ!!
K:ええ、でも好みは人それぞれですから…
M:最近の日本人はすっかり草食系イケメンに傾倒しているようですが、金剛業菩薩の表情や体つきも見てみてください。均整のとれた筋肉に端整な顔立ち。さながらハンマー投げ選手のようでとても美しい。
国宝 金剛業菩薩坐像(五菩薩のうち) 平安時代・承和6年(839) 京都・教王護国寺(東寺)蔵
K:確かにがっちりしたお体をしていらっしゃいます。投票第2位の持国天もどちらかといえばマッチョですね。
M:いやいや、まだソフトな方ですよ。ハードなのは梵天。大変良い体つきをしています。欧米の方が投票したらきっと梵天が上位に入るはずです。
国宝 梵天坐像 平安時代・承和6年(839) 京都・東寺蔵
K:確かに、国や時代によって好みは変化するかも知れません。なるほど、「仏像曼荼羅」はこういう観点で楽しんでも良いのですね…。
そういえば、個人的に気になったことがあります。東寺であれば大日如来がいらっしゃるあたり(展示室中央)にスポットが当たっているようですが、あの照明は意図されているのですか?
M:してません(あっさり返答)。あれは全体照明です。
K:そうですよね…失礼いたしました。たまたまあの光の中に入って全体を見回したとき、なんだか周りの仏像に護られているような、それでいて責任が重いような、そんな感じを抱いたので、つい…。
M:あぁ、そうかもしれませんね(再びあっさり)。
『世紀の大発見?!』
M:あとは、お像の足元にもご注目ください。邪鬼だけでなく、がちょう、象、馬、鳥など、たくさんの動物が活躍しています。私のおすすめは、醍醐寺の重要文化財 大威徳明王(五大明王像のうち 作品No.96 全期間展示)が乗っている水牛です。
K:本当にかわいいですよね!愛らしいまんまるの目に虜になった方も多いと思います。
M:足元といえば!私は今回の展示で、ある大発見をしてしまいました。新説があるので聞いてくれますか?私はこれでノーベル美術賞(注:そんな賞はありません)をとれると思っています。
K:どきどきしますね!どんなことですか?
M:国宝 兜跋毘沙門天立像(作品No.24 全期間展示)を下で支えている地天女。その両脇にいる二鬼にご注目ください。
国宝 兜跋毘沙門天立像 唐時代・8世紀 京都・東寺蔵
左側が毘藍婆(びらんば)、右側が尼藍婆(にらんば)です。
これらの邪鬼と、和歌山・金剛峯寺蔵の国宝 八大童子立像(出品作品ではありません。画像は高野山霊宝館ウェブサイトをご覧ください)を見比べてみます。すると共通点があるのが分かります。
毘藍婆
毘藍婆と恵光童子(えこうどうじ)は、髪型が酷似していると思いませんか?強いまなざし、眉毛の形、表情、輪郭など、全体の印象がそっくりです。
尼藍婆
一方尼藍婆は、その特徴である太い眉や、きゅっと噛み締めた唇から飛び出した犬歯などが、そのまま清浄比丘童子(しょうじょうびくどうじ)に備わっているような気がします。
八大童子立像は、仏師・運慶が統率して制作されました。運慶は仏像修理のため東寺を訪れていますので、その際にこれを見て影響を受けたのではと考えます。
どうですか?似ているでしょう?
K:うーん…確かに、似ているところは似ていますね。
M:そうでしょう?他の研究員からは「似てないよ」と言われたのですが、絶対に世紀の大発見だと思っています!
K:仏像をいつも近くで見ている丸山さんだからこそ、この2つが繋がったのですね。それがとてもすごいと思います。世紀の大発見!かどうかは私には分かりませんが、そのような新たな説を伺うことが出来て、なんだかとても嬉しいです。もう一度、兜跋毘沙門天をきちんと見てみようと思います。
丸山さん、どうも有難うございました!
日本に真言密教を伝えた、空海の熱き思い。そして今、その息吹を感じ取ることが出来る「空海と密教美術」展。この貴重な展覧会は9月25日(日)までです。ぜひお早めにご来館ください。
専門:彫刻 所属部署:博物館教育課 教育講座室長
図録を見比べながら、「ノーベル美術賞(注:ありません)受賞の連絡、まだこないなあ…」とつぶやく。子煩悩系研究員の一人。
「空海と密教美術」展の楽しみ方シリーズはこれで終了です。どうも有難うございました。
カテゴリ:研究員のイチオシ、news、彫刻、2011年度の特別展
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posted by 小島佳(広報室) at 2011年09月03日 (土)
さて、ブログ「屏風をたのしむ(前編)」の続きです。
本館7室「屏風と襖絵」で2011年9月25日(日)まで展示中の作品は、
どんな視点から大画面を構成しているのでしょうか?
その例を順にみていきましょう。
<その1:ある一瞬の場面を大きく描く>
重要文化財「蔦の細道図屏風(つたのほそみちずびょうぶ)」 6曲1隻 深江芦舟筆 江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵
「伊勢物語」第九段の場面を描いた作品です。
都から関東地方へ下った在原業平が、駿河の宇津の山にさしかかったところ(蔦の細道)で、
偶然、顔見知りの修行者と出会います。
喜んだ業平は、その修行者に、都の愛する人に宛てた手紙を託すのでした。
画面は手紙を託された修行者が出発したところです。
「蔦の細道図屏風」部分
名残惜しそうに背中を見つめる業平の周りを、赤く染まった蔦が彩ります。
ただ、この第九段、実は旧暦5月のお話なのです。
なぜ、初夏の場面が紅葉の秋として描かれたのでしょうか? 謎が謎を呼ぶ作品です。
この屏風の場合は、6枚のパネルを繋ぎ合わせた画面をフルに使い、
ある一瞬を切り取ったような表現をしている一例といえます。
<その2:たくさんの小さな絵をたくさん貼り付ける>
「扇面散屏風(せんめんちらしびょうぶ)」 6曲1双 宗達派 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵
こちらは、大画面を活かす方法の変化球。
扇絵をたくさん貼り付けた「扇面散屏風」です。
左右合わせて60面ものさまざまな場面の扇絵が貼られています。
部分「清水寺図扇面」
部分「平家物語図扇面」
この絵の画家は、俵屋宗達とその弟子たちと考えられています。
宗達は都で扇屋を営む、扇絵制作のプロでした。
室町時代から江戸時代にかけて、扇は人々の間で頻繁にプレゼントされるいわば贈答品で、
贈答者の要望に合わせてさまざまな画題の扇が作られています。
この扇面散屏風も、よく見ると、「伊勢物語」や「源氏物語」「平家物語」のほか、
上賀茂社での競馬や清水寺、野の秋草など、
祭礼、風景、花鳥といったさまざまな扇が集められていることがわかります。
部分「賀茂競馬図扇面」
部分「菊図扇面」
そしてさらに細部をよくみると・・・扇には折り目が見えません!
部分「源氏物語図扇面」
つまり、これは使っていた扇を貼り付けたのではなく、
はじめから屏風に貼り付けるために描かれた絵なのです。
もともと扇面散屏風は、使い終わった扇の絵を惜しみ、
屏風に貼り付けたのがはじまりと考えられています。
しかし、次第にその扇の取り合わせや雰囲気を楽しむようになり、
未使用の扇絵を貼り込んだ作品も制作されるようになりました。
この作品では、たくさんの扇を一度に観賞することができます。
これも、大画面を持つ屏風ならではの絵の楽しみ方の一つです。
<その3:やはり大パノラマでなくては!>
重要美術品「粟穂鶉図屏風(あわほうずらずびょうぶ)」 8曲1双 土佐光起筆 江戸時代・17世紀 個人蔵
こちらは、8枚のパネルを繋ぎ合せた高さ1メートルほどの、少し背の低い屏風です。
粟穂の揺れる岸辺で、かわいらしい鶉(うずら)たちが思い思いに過ごしています。
「粟穂鶉図屏風」部分
広々とした景色が広がる様子は、まるでパノラマ写真のようです。
屏風の前に立つと、あたかも自分が秋の野に居るかのような気分になります。
これも大画面ならではの効果です。
いかがでしたでしょうか?
屏風は季節や場所、用途に合わせて実にさまざまな種類が描かれています。
東京国立博物館では、季節がめぐるごとに、また異なる作品をご紹介いたしますので、
上野にお越しの際は、ぜひ当館の本館2階の7室まで足をお運びください。
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posted by 金井裕子(絵画・彫刻室) at 2011年09月02日 (金)
はじめまして、絵画・彫刻室で日本絵画を担当の金井と申します。
まだまだ暑い日が続いていますが、朝夕はだいぶ過ごしやすくなってまいりました。
今回は、「屏風をたのしむ、初級編」と題しまして、本館・日本ギャラリーのうち、
7室「屏風と襖絵」についてご紹介したいと思います。
展示室は一足お先に、もうすっかり秋の彩りです。
本館 日本ギャラリー 7室 展示風景
現在、7室では、以下の3つの屏風を2011年9月25日(日)まで展示しています。
・重要文化財「蔦の細道図屏風(つたのほそみちずびょうぶ)」 6曲1隻 深江芦舟筆 江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵
・「扇面散屏風(せんめんちらしびょうぶ)」 6曲1双 宗達派 江戸時代・17世紀 山本達郎氏寄贈 東京国立博物館蔵
・重要美術品「粟穂鶉図屏風(あわほうずらずびょうぶ)」 8曲1双 土佐光起筆 江戸時代・17世紀 個人蔵
重要文化財「蔦の細道図屏風」 全図
日本の伝統的な絵画には屏風のほか、絵巻(巻子)や掛け軸、画帖、冊子といった
さまざまな形状がありますが、屏風の持つ特徴は、なんといってもその画面の大きさです。
種類によって高さや横幅はまちまちですが、
最も標準的なものは、縦が約170cm、横が約360cm程度にもなります。
この大画面をどのように使うか? それがそれぞれの画家の腕の見せどころなのです。
ところで日本の伝統絵画の中で大きな画面といえば、屏風のほかに襖絵や扉絵があります。
これらと屏風の大きな違いは、「可動性」、つまり、動かせるか、動かせないか、ということです。
あたり前のようですが、実はこの違いは作品に大きな影響をもたらします。
屏風は、間仕切りや風除けのための家具(調度品)です。
これに対して襖や扉は、建物に組み込まれた建築の一部としての役割があります。
そのため、こっちの襖を、あっちの部屋で転用・・・というのは難しいのです。
そのため、襖絵のテーマ(画題)は、部屋の用途に大きく左右されます。
たとえば会社の社長室に、子供部屋のようなポップな絵は似合いませんよね?
それと同じように、誰が使うのか(天皇?将軍?家臣?)、
何に使うのか(会議室?応接間?寝室?)によって、襖絵の画題が選定されていきます。
それに比べて、屏風はテーマがとても自由です。
どこの部屋にでも持っていくことができますし、外に持ち出すことさえできます。
「来客対応用の屏風」「寝室用の屏風」「夏用の屏風」「正月用の屏風」など、
何種類も用意しておけば、一つの部屋の雰囲気をあっという間に変えることができます。
そのため、用途に応じてさまざまな屏風絵が描かれました。
では今回展示されている作品は、それぞれどんな工夫が凝らされているのでしょうか?
後編では、展示されている作品を順にみていきましょう。
(後編は近日公開します。どうぞお楽しみに!)
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posted by 金井裕子(絵画・彫刻室) at 2011年08月31日 (水)
密教美術初心者代表・広報室員が専門の研究員に直撃取材する、『「空海と密教美術」展の楽しみ方』。
第3回目のテーマはいよいよ「彫刻」です。今回は、彫刻が専門の丸山士郎研究員にインタビューしました。
展覧会開催まで、実に7年もの歳月を費やしたという本展覧会。本当に豪華な、夢のようなラインナップとなりました。今回はその中でも、展覧会の最後を締めくくる「仏像曼荼羅」について聞いてみます。
『大切なあなた』
広報(以下K):「仏像曼荼羅」を初めて拝見したとき、そのかっこよさに思わず「わぁーっ」と歓声をあげてしまいました。展示空間が、仏像のエネルギーで満ち満ちています。興奮冷めやらぬまま会場を後にした方も多いのではないでしょうか。
さて、教王護国寺(東寺)からこれだけ多くの仏像が一気にお堂を出るのは初めてと伺いましたが、これらの8体はどのような基準で選ばれたのでしょうか?
東寺講堂の諸像8体による仏像曼荼羅(イメージ)
丸山(以下M):東寺講堂には全部で21体の仏像があります。中央に「如来」が5体、その右側に「菩薩」5体、左側に「明王」5体、そして周囲を「天部」がかためています。
本展覧会は<空海ゆかりの作品>がキーワードですので、空海の時代につくられたのではない「如来」はリストに入れませんでした。「菩薩」と「明王」に関しては、制作当時の表現が色濃く残り、かつ状態の良い2体を選びました。「明王」はさらに、姿が面白いお像という点もポイントでした。あとはこちらからの希望をお伝えし、お寺側にご承諾いただいたという経緯です。
K:そうやってこの8体が選ばれたのですね!この中で特に思い入れのある仏像はありますか?
M:やはり、持国天立像です。私の仏像人生の中で、エポックメイキング的な存在ですから。
国宝 「持国天立像(四天王のうち)」
K:それはどうしてですか?
M:学生の頃に初めて持国天立像と出会ったのですが、それまではどの仏像を見ても、迫力という意味においては西洋の彫刻に負けてしまうような気がしていました。しかし東寺の持国天立像は立体のとらえ方が素晴らしいですよね。迫力も西洋彫刻に負けていません。とても感銘を受けたわけです。
K:そんな特別なお像だったなんて!ある意味丸山さんの仏像人生を決定づけたといっても過言ではありませんね!
確かに造形的な意味でも目を引く作品ですね。正面から見たときには気付かなかったのですが、左斜め後ろ側から見たときに、衣がこちら側にたなびいているのがよく分かり、向こうから風が吹いているのだと感じました。
M:そうなんです。正面からだけでなく様々な角度から見ても、仏像に動きがあり見事ですよね。そういう発見があるのも、この展示の楽しいポイントです。
『マンダラのパワー、今も昔も』
K:御請来目録には、「密教の教えは奥深く、文章で表すことは困難である。かわりに図画を借りて悟らないものに開き示す」とあります。東寺講堂の立体曼荼羅は、そういう経緯でつくられたものだと思います。これらの仏像は本当に勢いがあり、その造形のかっこよさに心を奪われてしまったのですが、立体曼荼羅に込められた教えとはどういうものなのでしょうか?
図録では、立体曼荼羅は「金剛頂経」という経典の考えに空海の考えも加えて構成されたと考えられる、とありますが、そもそもこの「金剛頂経」とはどういうものなのですか?
M:初歩的な理解ですが、仏の智慧の世界「金剛界」を明らかにするもので、「即身成仏」へと導くためのお経です。「即身成仏」とは、真言密教の中心となる信仰で、人は誰でも現在の身のまま悟りを開くことができるという考え方です。「金剛頂経」にはそのための修法が書かれているだけで、端的に「密教の教えはこういうものです」という書き方はされていません。重要なのは、曼荼羅から何を感じ取るか、ということだと思います。
「仏像曼荼羅」を見て、どう思いましたか?
「仏像曼荼羅」会場風景
K:なんだかグッと来ました。上手く言葉に出来ませんが。
M:そうですよね、グッと来るのです。東寺講堂は、当時お坊様たちの修行の場でしたので、現在のように広く一般に開かれた場ではなく、一部の人間しか見ることは出来なかったと思われますが、やはり同じようにグッと来たはずです。ビジュアル的なアピール力がある。空海にとって曼荼羅とは『仏が森の木のように整然と並び、赤や青に輝いている』のだそうで、その世界が本当によく表れています。
K:赤や青に輝く…。そういえば仏像を良く見ると彩色がまだ残っている部分がありますね。
M:それを元に、頭の中で当時の彩色の再現をしてみると、確かに鮮やかな色に溢れ、輝いているように感じます。
(さらに盛り上がったインタビュー後半は近日公開します。どうぞお楽しみに)
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posted by 小島佳(広報室) at 2011年08月29日 (月)
旧暦9月9日(今年は10月5日にあたります)は、重陽(ちょうよう)の節供です。「重陽」とは「陽」の重なる日、という意味です。「陽」とは中国で信仰されてきた陰陽道における前向きな良い物事のことをいい、数では奇数が陽とされました。
「9」は奇数の中でも一番大きな数で「極陽」であり9月9日は「9」が重なることから重陽と呼ばれるようになりました。陽が重なるのだから吉日だと思われるでしょうが、陽が強すぎるのは返って良くない、と考えられていました。そこで、9月9日には邪気を払うために、さまざまな行事が行われてきました。節供には、季節の花がともに祀られることが多いのですが、重陽の節供の頃は丁度菊の季節にあたります。また、菊は「翁草」「千代見草」「齢草」とも称され、長寿の効能があると古代中国では信じられていました。
そのような信仰が日本にも伝わって、その日、宮中では菊の香りを移したお酒を飲んで長寿を願い、前夜に菊花に綿を被せ(これを「被綿(きせわた)」と称します)、綿に菊の露を染み込ませ、あくる朝にその露で体をぬぐうといった行事が行われました。江戸時代には「菊合わせ」といって大切に育て美しく咲かせた菊花の鑑賞会が行われたり、同じ頃に実る栗を入れたご飯を炊いたりして、庶民にまでこの節供が親しまれるようになりました。その影響もあるのか、キモノのデザインにも、節供にちなんだ模様を凝らしたものが見られます。
実は、重陽の節供は1月7日の人日(じんじつ)、3月3日の上巳(じょうし)、5月5日の端午(たんご)、7月7日の七夕(しちせき・たなばた)と共に祀られる五節供の1つなのですが、近代以降、なじみのうすい行事となってしまいました。
そのなごりは、秋に行われる菊の品評会や老舗の和菓子屋に並ぶ主菓子「菊の被綿」などにしのばれますが、もともと重陽の節供にちなんだ風物だと気づく日本人がどのくらいおられることか・・・と案じられます。
菊花をデザインした江戸時代のキモノはたくさんあって、菊が日本人に愛好されていた様子がうかがえます。
私もなぜか忘れられてしまった日本の風習を思い、重陽の節供をはさむ時期には菊模様のキモノを展示するように心がけています。
振袖 白綸子地菊雲鳥蝶模様 江戸時代末期~明治期(19世紀)
8月9日(火)から10月10日(月・祝)まで、本館10室「浮世絵と衣装―江戸(衣装)」で展示されている振袖。
紅染めの雲模様と菊花の刺繍がなんともあでやか。
今年は展示されていないのですが、当館に所蔵される「振袖 縹縬地花器菊花模様」(写真1)には、褄から裾にかけて、花瓶に生けた菊、蒔絵の花活けに刺した菊、あるいは、贈り物にしたのでしょうか、中が仕切られた 箱の中に綺麗に並べられた菊花の蒔絵手箱などが美しく繊細に刺繍されていて(写真2,3)、まさに江戸時代の菊合わせの趣向を見るようです。裾裏(「八掛 (はっかけ)」 と称します)にも、同じような菊の模様が刺繍されています(写真4)。室内ではキモノの裾は長く引きずって着用します。歩いた時に裾がはらりとめくられて 裏の模様がちらっとのぞくという、なんとも粋なデザインなのです。
(1)振袖 縹縬地花器菊花模様 江戸時代末期~明治期(19世紀)
(注)この作品は展示されていません
(2)花瓶に生けた菊 (3)蒔絵の花活けや手箱
(4)裾裏の刺繍
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posted by 小山弓弦葉(工芸室) at 2011年08月28日 (日)