こんにちは、登録室の廣谷です。現在東洋館5室では、創立150年記念特集「再発見!大谷探検隊とたどる古代裂の旅」(~12月4日(日))を開催中です。「博物館でアジアの旅 アジア大発見!」にちなみ、「発見!」に関わる作品もご紹介しています。
20世紀前半、京都・西本願寺の大谷光瑞(おおたにこうずい)は、仏教が日本に伝わった道を明らかにすべく、中央アジアに調査団を派遣しました。この調査団を、「大谷探検隊」といいます。
本展でご紹介する裂の多くは、第3次大谷探検隊の橘瑞超(たちばなずいちょう)と吉川小一郎(よしかわしょういちろう)が、中国西北部や新疆で収集しました。
仏教東漸の道を遡るように、日本から海を渡り、砂漠を渡り…。かつてオアシスに栄えた都市の遺跡で、彼らが旅の途中に「発見」した裂はどのようなものだったのでしょうか。
本展では、探検隊の「発見」と当館の調査による「再発見」、探検隊の「旅」と古代裂の「旅」がリンクするように、大谷探検隊の旅路を辿りながらそれぞれの裂の魅力をご紹介しています。
第3次大谷探検隊の旅程概略(作成:廣谷)
今回は、タリム盆地北東部に位置するトルファン(現在の中国・新疆ウイグル自治区吐魯番。上記地図参照)で出土した裂に注目します。いずれも年代は6~7世紀ごろと考えられ、この頃トルファンにあった麴氏高昌国(きくしこうしょうこく)は、仏教を貴び、中国と西アジアの交易を中継して栄えていました。本展では、住民が埋葬される際に着用していた衣服や副葬品を展示しています。
まずは、こちらをご覧ください。
上:赤茶地幾何花文錦(部分) 中国・トルファン 麴氏高昌国時代・6世紀~7世紀前半 アスターナ・カラホージャ古墓群出土 大谷探検隊将来品
下:上記作品の顕微鏡撮影写真
この裂は高昌国の女性が着用していました。本来は鮮やかな紅と白であったのでしょう、大胆な花文がおしゃれです。経糸と緯糸を1本ずつ互い違いにし、数色の緯糸で文様を織り出す、「平組織緯錦(ひらそしきぬきにしき)」という技法を用いていますが、同時代の中国中央の錦にはほとんど例がなく、タリム盆地周辺でつくられた現地産の錦と考えられます。
上:赤地渦輪違文入鳥獣人物文綾(部分拡大) 中国・トルファン 麴氏高昌国時代・6世紀~7世紀前半 アスターナ・カラホージャ古墓群出土 大谷探検隊将来品
下:上記作品の、文様全体の描き起こし図(作成:沼沢)
一方こちらの裂は、中国で織られ、トルファン(高昌国)に伝わった綾です。渦の輪のなかに、中国の龍(黄色)や、西アジアの皇帝像(青色)などを織り出しており、中国南北朝時代の東西交流の影響を思わせます。この裂の調査中、表面にあじろ編みの痕がついていることが判りました。遺体を安置するござの上に敷かれていた可能性が考えられるでしょう。
赤地格子連珠花文錦 中国・トルファン 麴氏高昌国~唐西州時代・7世紀 アスターナ・カラホージャ古墓群出土 大谷探検隊将来品
重要文化財 蜀江錦帯(法隆寺献納宝物)(部分) 飛鳥時代・7世紀
※展示予定はありません
東西交流の観点でもうひとつ。この裂は副葬品の一部と考えられ、格子の中に蓮華文を小さな珠を連ねて飾っています。じつは日本の奈良・法隆寺にも、よく似た文様をもつ錦が数点伝来しています。
軽く華麗な中国の錦は当時、交易や外交を通じてユーラシア大陸に広がりました。それぞれの旅の終点として、これらの古代裂をいま日本でみることができることには数奇な巡りあわせを感じます。
展示風景(トルファン出土品)
執筆者は展示準備をしながら、これらの裂を身に着けた人物が、何に喜び、トルファンでどのような一生を過ごしたのかについて考えていました。残念ながらこれらの裂だけではわかりえませんが、錦や綾などの貴重な染織品を纏う姿からは、周囲の人々に丁重に葬られたことがうかがえます。
みなさまもぜひ、会場でじっくりとこれらの裂をご覧になり、ご想像いただければ幸いです。
来週は、沼沢研究員にバトンタッチし、敦煌莫高窟で収集された裂について深掘りします!
カテゴリ:特集・特別公開、博物館でアジアの旅、東京国立博物館創立150年
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posted by 廣谷妃夏(登録室) at 2022年10月05日 (水)