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鳥獣戯画の断簡と模本

6月1日(火)より特別展「国宝 鳥獣戯画のすべて」が再開しました!
再開後は、鳥獣戯画の断簡がそろって展示され、甲・乙・丙・丁の各巻とあわせ、文字通り、「鳥獣戯画のすべて」をご覧いただけます。


断簡展示風景

断簡と模本は、会場第二章でご紹介しています。

さて、「断簡(だんかん)」、耳慣れない言葉だと思いますが、これは、もともと巻物の一部分であったものが、伝来の過程で別れてしまったものです。
巻物は一定の幅の紙や絹を継いで、一巻の長い巻物にしていくので、経年の劣化によって継ぎ目がはがれやすくなります。
本来の巻物から離れてしまった断簡は、多くの場合、保存と鑑賞に適するよう掛軸の形に改められました。
鳥獣戯画には現在、5点の断簡が確認されています(甲巻の断簡が4点、丁巻の断簡が1点)。
いずれの断簡も、「高山寺印」が捺されていないことから、江戸時代以前に分かれてしまったと考えられます。個々の断簡は、甲・乙・丙・丁の各巻とは異なる、それぞれの歴史を歩んできました。

例えば、現在MIHOミュージアムに所蔵される甲巻の断簡は、内箱の蓋裏に金字で「抱一暉眞記」の文字と、重郭楕円印「等覚院印」が朱で記されます。


鳥獣戯画断簡(MIHO MUSEUM本) 平安時代・12世紀 滋賀・MIHO MUSEUM蔵


鳥獣戯画断簡(MIHO MUSEUM本)内箱の蓋裏

江戸琳派の祖として名高い酒井抱一(1761~1828)の手元にあった可能性が高い作品です。同じ場面ではありませんが、抱一は甲巻をアレンジした作品も残しており、鳥獣戯画に関心があったことがうかがえます。
この他、「益田家旧蔵本」と呼ばれる断簡は、近代を代表する実業家、茶人、そして美術コレクターとして著名な益田鈍翁(1848~1938)の旧蔵品です。
個々の断簡の伝来は、所蔵していた人々の愛玩の歴史といえます。

このような断簡の歴史をたどる手掛かりとなるのが「模本」と呼ばれる、鳥獣戯画を写した作品です。
模本を見ると、模本が制作された時点での、鳥獣戯画の様子を知ることができます。
例えば、肥前(現在の佐賀県)平戸藩主であった松浦静山(1760~1841)の賛がある「松浦家本」には、「益田家旧蔵本」と「高松家旧蔵本」の二点の断簡が写されており、当時は福山藩主であった阿部正精(1774~1826)が所蔵していたことがわかります。


鳥獣戯画模本(松浦家本) 狩野洞益筆、松浦静山賛 江戸時代・文政2年(1819) 長崎・松浦史科博物館蔵

この他、現存する最古の模本である「長尾家旧蔵本」、江戸時代を代表するやまと絵師の家系である「住吉家」に伝来した「住吉家旧蔵本」も展示されていて、断簡の当初の位置や、今は失われてしまった場面があること、そして、甲巻はもともと二巻で成り立っていたことがわかるのです。
個人的に模本の中で興味深かったのが、江戸時代前半に活躍した御用絵師・狩野探幽(1602~1674)による、「探幽縮図」と呼ばれる絵画鑑定手控えに写された鳥獣戯画です。
冒頭部分に「かいる」「さる」「うさき」とあって、カエルは「カイル」だったことがわかります。


鳥獣戯画模本(探幽縮図) 狩野探幽筆 江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵

当時の読み方(発音)まで記されていて、模本、興味深いですね。

謎の多い「鳥獣戯画のすべて」を考えるためには、断簡と模本は大変重要な存在です。
今後、「猿と蛙の首引き」や「舟をこぐ蛙」「蛇の登場に慌てる蛙」といった、模本でしか伝わらない場面の断簡が、ひょっとしたら再発見され、往時の姿がよみガエルかもしれません。

※会期は6月20日(日)まで延長となりました。入場には日時指定券が必要です。日時指定券の購入等、詳細は展覧会公式ウェブサイトでご確認ください。

 

カテゴリ:2021年度の特別展

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posted by 古川攝一(平常展調整室) at 2021年06月03日 (木)