焼き締め茶陶―日本人の心の原風景
博物館情報課の今井です。現在本館14室にて特集「焼き締め茶陶の美―備前・信楽・伊賀・丹波―」を開催中です(12月8日まで)。
信楽の花入にはどんな花を生けようか、備前の食器にはどんな料理を盛ろうか、不思議と想像力が湧きます。
蹲花入(うずくまるはないれ) 信楽 室町時代・15世紀
反鉢(そりばち) 備前 江戸時代・17世紀
備前の水指に志野や唐津の茶碗を取り合わせると、茶席の表情がぐっと豊かになります。
耳付水指(みみつきみずさし) 備前 江戸時代・17世紀 個人蔵
10月29日の横山研究員のブログにもあるように、焼き締め陶は平安時代の末から、壺、甕(かめ)、擂鉢(すりばち)といった生活の実用品として、技術変革を経ることなく、作られ続けてきました。
前近代において、陶磁器の製作技術は、常に中国から、ときに朝鮮半島を経由してもたらされました。中国では、古い技術はしばしば新しい技術に取って代わられます。たとえば、宋時代の官窯(かんよう・宮中の御用品を焼く窯)の製品は青磁でしたが、異民族王朝の元時代をはさんで、明時代になると、景徳鎮窯(けいとくちんよう)で焼かれ、絵付けが施された白磁に替わります。
青磁輪花鉢(せいじりんかはち) 南宋官窯 南宋時代・12~13世紀 横河民輔氏寄贈(東洋館5室で展示中)
青花唐草文高足碗(せいかからくさもんこうそくわん) 景徳鎮窯 「大明宣徳年製」銘 明時代・宣徳年間(1426~35)(展示予定はありません)
これに対して、日本では新しい技術が入ってきても、在来の技術の上に次々と積み重なってゆき、あたかもミルフィーユのような様相を呈します。このため、日本の陶磁器は、世界的にみても驚くべき多様性を示しています。
侘び茶の祖、珠光の有名な「心の一紙」には、備前や信楽にむやみに飛びつく風潮をたしなめる一節があり、15世紀の末頃には和物が茶の湯の具足として流行していたさまがうかがえます。
瀬戸、常滑、信楽、丹波、備前に、新たに発見された越前が加えられて、「六古窯(ろっこよう)」の名が小山冨士夫氏によって提唱されたのは、昭和23年(1948)頃のことであり、高度経済成長期にブームとなりました。
自然釉刻文大壺 信楽 室町時代・15世紀(2020年3月10日より本館13室で展示予定)
画像は写真集『信楽大壺』(1965)を発表した写真家土門拳(1909~90)の旧蔵品で、「御所柿」の銘があります。日本陶磁史の底流に通奏低音のように流れ続ける焼き締め陶は、日本人の心の原風景なのかもしれません。
特集 焼き締め茶陶の美―備前・信楽・伊賀・丹波― 本館 14室 2019年9月18日(水)~ 2019年12月8日(日) |
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posted by 今井敦(博物館情報課長) at 2019年11月15日 (金)