魏・蜀・呉が覇を競った三国志の時代にも、関中(陝西省)から蜀(四川省)に入るには、 褒城県
(ほうじょう、 陝西省)にある褒河渓谷(ほうがけいこく)沿いの道がよく使われました。
ダムから褒河渓谷を望む
しかし、大きな褒河を挟んでそびえ立つ懸崖絶壁には、桟道だけでなく、時にはトンネルを穿つこともありました。
復元した現在の桟道
復元した現在のトンネル
石門の呼び名で親しまれているこのトンネルは、後漢時代の永平6年(63)に開鑿しましたが、戦乱によって一時的に断絶し、延光4年(125)に改めて開通しました。開通のたびにこれを記念した書が刻され、漢時代から南宋時代にいたる貴重な書が残る名所となっています。
1969年から1973年にかけて建設したダムによって、この地は水没してしまいましたが、13種もの原石は岸壁から切り取られ、15キロメートル南にある漢中市博物館に移設されました。
ダムの高さ88メートル、長さ254メートル
豊かな水量をたたえるダム
漢中市博物館
ここにご紹介するのはその中の一つ、曹操の書です。
「袞雪」拓本 20世紀(原本=後漢時代・3世紀) 原本=陝西省漢中市石門隧道 漢中市博物館蔵
特別展「三国志」第三章会場で展示
漢の建安20年(215)、陽平関(陝西省勉県)で張魯を破った曹操は、漢中に軍隊を駐屯させました。
そのおり、曹操は部下とともに渓谷の絶壁にある石門から、水しぶきを巻き上げながら滔々と流れる褒河を眺めていました。
渓谷には岩石が多いので、岩石に当たった褒河が、雪のような水しぶきをたちあげていたのです。
その景観に感じ入り、曹操は「袞雪(こんせつ)」の二文字を揮毫しました。
博物館に移設された原石、「袞雪」
博物館に展示される曹操の書の拓本
曹操の書に釘付けとなる来館者
周知のように、曹操・曹丕・曹植の3人は、建安の七子とともに勝れた文学者として名を馳せ、建安の三曹七子と呼ばれています。
絶景を眺めていた曹操は、壮大な光景に詩情をそそられたのでしょう。
本来ならばこの状況では、水がさかんに流れる意味の「滾(こん)」と書かねばならないのですが、曹操はあえてサンズイを欠いた「袞」と書きました。
部下がその理由を尋ねると、曹操は傍らの褒河を指さし、「これは水ではないのか」と答えたといいます。
褒河と作品とのコラボ、ウイットに富んだ曹操の微笑ましい一面が窺えます。
贅沢をいましめ、立碑を禁じた法令を公布した曹操でしたが、本作は自然の中にそびえ立つ摩崖に刻したモニュメントであり、躍動感あふれる波磔をそなえた見事な書です。
三国志の時代は、公用書体として完成した隷書が全盛期を迎え、さらに洗練された楷書へと向かう時代でした。
楷書の書体が普及し、その表現までもが完成するのは、唐時代の貞観6年(632)、欧陽詢の代表作である九成宮醴泉銘の出現を待たねばなりませんでした。
この展覧会では、漢時代の公用書体である隷書の熹平石経(No.28)や、当時の通行書体である行書の墨書紙(No.74)など、三国志の時代の書の諸相を伝える石刻や肉筆など、貴重な作例が見られます。
熹平石経 後漢時代・2世紀 河南省偃師市太学遺跡出土 上海博物館蔵
特別展「三国志」第二章会場で展示
一級文物 墨書紙 後漢時代・2世紀 1987年、甘粛省蘭州市伏龍坪墓出土 蘭州市博物館蔵
特別展「三国志」第四章会場で展示
9月16日(月・祝)が最終日となります。
この機会をお見逃しなく!
日中文化交流協定締結40周年記念
特別展「三国志」
2019年7月9日(火)~9月16日(月・祝)
平成館 特別展示室
日中文化交流協定締結40周年記念 特別展「三国志」
2019年7月9日(火)~9月16日(月・祝)
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カテゴリ:中国の絵画・書跡、2019年度の特別展
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posted by 富田淳(学芸企画部長) at 2019年09月03日 (火)