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1089ブログ

トーハクくんがゆく!「興福寺で運慶展の予習だほ」

ほほーい! ぼくトーハクくん!
さて、いまぼくはどこに来ているかというと…

ヒント1:シカがいっぱいいるところだほ


ヒント2:シンボルの五重塔だほ!

みんな、わかったかな?
そう、奈良にある興福寺に来ているんだほ! ここで特別展「運慶」の予習をするんだほ。

ほ? なんで興福寺で「運慶」展の予習をするかって?
ほほー、そんなことを言う人はまだ「運慶学園」に入学していないにちがいないんだほ。
「運慶」展の主役の運慶さんは、興福寺とふかーい関係のある人なんだほ。

たとえば、展覧会にお出ましになるこの2体のお像は興福寺のお像だほ。

右:国宝 無著菩薩立像(むじゃくぼさつりゅうぞう)
左:国宝 世親菩薩立像(せしんぼさつりつぞう)
運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃
奈良・興福寺蔵 写真:六田知弘

お兄さんの無著さんと弟の世親さんの像は、運慶さんを代表するお像!
背筋がピンとなる、静かな迫力があるほ。

このお像があるのが、北円堂(ほくえんどう)っていうお堂なんだほ。


春と秋の特別公開をのぞいて、ふだんは公開されていないんだけど、今回は特別に中を見せてもらえたほ。
※2017年秋の北円堂の特別公開は実施されません。

このトビラの奥に…


運慶さんの傑作が!
※中央の国宝「弥勒如来坐像」は展覧会に出陳されません。


「北円堂は興福寺のなかでも重要な施設のひとつ。興福寺を創建した藤原不比等の1周忌にその供養のために建てられました」と、教えてくれたのは興福寺の多川貫首(かんす)。

この日は、多川貫首から興福寺のことをいろいろおそわったんだほ

藤原不比等さんは、飛鳥時代~奈良時代にかけて政治の中心にいた人らしいほ。
しかも、光明皇后(←東大寺の大仏をつくった聖武天皇の皇后)のお父さんなんだって!! ほほー。
これだけスゴイ人が建てた興福寺は、きっと大事にされていたんだろうなぁ。

そんな興福寺に大事件が!
平安時代のおわりに起こった源氏と平氏の戦いのなかで、お寺は平氏の焼き討ちにあってなにもかも燃えてしまったんだほ…。
ここで登場するのが運慶さんだほ。
戦いがおわってお寺の復興をすることになったんだけど、康慶さん(←運慶さんのお父さん)や運慶さんも復興プロジェクトのメンバー入りをしたんだほ。


だから奈良時代にできたお寺なのに、鎌倉時代の仏像がたくさんあるのか! なるほー!!

「興福寺では、現在、300年ぶりとなる中金堂の再建事業を進めています。運慶展は、この中金堂再建を記念して開催するものです。
運慶らによる鎌倉時代の復興とこのたびの平成の復興を重ねあわせてお楽しみください。」(多川貫首のおはなしだほ)

これで、興福寺と運慶さんのつながりがわかったほ。
そして、特別展のタイトルに注目!

興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」

そう、興福寺は運慶展の予習をするのにぴったりの場所なんだほ!

再建中の中金堂も特別に見学させてもらったほ。

落慶は来年2018年秋の予定なんだほ

多川貫首によると、お寺がつくられたころ、つまり奈良時代の興福寺をめざしているらしいほ。
建物の大きさや柱の数、建物のつくりも天平のころの中金堂を再現しているんだって!




瓦もお寺が建てられた当時の中金堂の瓦のデザインを再現。徹底しているんだほ~

展覧会には、北円堂の無著菩薩・世親菩薩立像のほかに、重要文化財「仏頭」(運慶作)や国宝「龍燈鬼立像」(康弁作←運慶さんの息子)など、たくさんの興福寺のお像が出陳されるんだほ。


右:国宝 天燈鬼立像(てんとうきりゅうぞう)
左:国宝 龍燈鬼立像(りゅうとうきりゅうぞう)
康弁作(龍燈鬼立像) 鎌倉時代・建保3年(1215)
奈良・興福寺蔵 写真:六田知弘


もちろん、興福寺以外にも各地から運慶さんの仏像が集結するほ。
いまからわくわくがとまらないほ~。

興福寺を訪ねたことで、ユリノキちゃんを一歩リードした気分になったトーハクなのでした


一方、東京でお留守番のユリノキちゃんは…

本館1室「仏教の興隆」で展示されている鎮壇具は、興福寺中金堂から出土したものなのね(明治7年[1874] 出土)


考古展示室では、興福寺の奈良時代の瓦も展示しています

ちょっと目線をかえた「運慶」展関連展示です。仏像のあるお寺のことも知っておくと、きっともっと展覧会が楽しくなりますよ。

と、トーハクにいながら着々と展覧会の予習を進めていたのでした。

カテゴリ:2017年度の特別展

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posted by トーハクくん at 2017年06月30日 (金)