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北京故宮博物院200選 研究員おすすめのみどころ(第Ⅱ部の名品)

特別展「北京故宮博物院200選」(~2012年2月19日(日))をより深くお楽しみいただくための「研究員のおすすめ」シリーズのブログをお届けします。

本特別展は、2012年1月20日(金)午後、10万人目のお客様をお迎えいたしました。
これまでご来場いただいたお客様に、心から感謝申し上げます。

この特別展は第Ⅱ部にもみどころがたくさんあります。今回はおもに漢族が築いてきた中国文明を受け継ぐために満州族の清王朝が文物に仕掛けた数々の秘密に迫りたいと思います。

会場の第Ⅱ部に入ると、清朝第6代皇帝・乾隆帝の巨大な肖像画(高さ約2.5m)がお出迎え。両側には打楽器を展示しています。・・・なぜなのでしょうか?


答えは、前回の「研究員のおすすめ」シリーズブログ「絵画の名品」でも取り上げた「乾隆帝紫光閣遊宴画巻」のなかにあります。玉座でくつろぐ乾隆帝の姿が、長い画巻の最後のほうに描かれています。その両側で、赤い服を着た人たちが演奏している楽器にご注目ください。

乾隆帝紫光閣遊宴画巻(部分) 姚文瀚筆 清時代・18世紀

 
(左右ともに)上の画像(乾隆帝紫光閣遊宴画巻(部分))の白枠で囲んだ部分の拡大

左側の「ヘ」の字形のものを枠からいくつも吊り下げている楽器は編磬(へんけい)といいます。たたくと澄んだ清らかな音がします。右側の楽器は編鐘。たくさんの鐘をやはり枠から吊り下げています。磬も鐘も音の高い順に並べます。

編磬と編鐘は「万国来朝図軸」にも描かれています。玉座に対して左が編磬、右が編鐘(編鐘は半分ほど切れています)。これは新年の祝賀にきた外国使節を宮殿に迎えようとしている場面です。壮麗な音楽が演奏されたことでしょう。

万国来朝図軸(部分) 清時代・18世紀

 
(左右ともに)上の画像(万国来朝図軸(部分))の白枠で囲んだ部分の拡大

会場の第Ⅱ部冒頭で乾隆帝像の向かって左に編磬、右に編鐘を据えた理由はおわかりいただけましたでしょうか。朝廷での儀礼を再現した配置だったのです。

 

 
(左上)碧玉編磬 清時代・乾隆29年(1764)
(右上)金銅編鐘 清時代・康熙53年(1714)
(左右下)左右それぞれの上の画像の作品の拡大部分


よく見ると、展示している磬はひとつひとつ暗緑色の美しい石を磨き上げ、さらに龍の文様を金で描きこんでいます。鐘にも龍の線刻があります。宮廷の楽器にふさわしい豪華絢爛なつくりです。

ところで会場には、もうひとつ編鐘があります。

「克」という人物が登場する銘文をもつ青銅製の鐘です。同形の鐘は少なくとも5個知られており、もともと1組の編鐘だったのでしょう。その年代は前9~前8世紀。宮廷儀礼に欠くことのできない楽器・編鐘は、清時代より2500年以上も昔から使われていたのです。

克鐘 西周時代・前9~前8世紀

編鐘の歴史をたどることで、清朝が中国文明の伝統的な要素を宮廷儀礼のなかに巧みに取り込んでいたことがわかります。

中国文明の伝統に対する清朝の考え方が、よりはっきりと表わされている画があります。第Ⅱ部第2章「清朝の文化事業」の導入部に展示している「乾隆帝是一是二図軸(けんりゅうていこれいちこれにずじく)」です。

乾隆帝是一是二図軸 清時代・18 世紀

画面中央の寝台に腰をかけているのは乾隆帝。漢族の伝統的な文人の姿に扮して、商(殷)時代・前13~前11世紀の青銅器から明時代・15世紀前半の青花まで、清朝が集めた歴代王朝の粋を鑑賞しています。
110万件を超える膨大な清朝宮廷コレクションは、いまも大半が故宮博物院に伝わっています。会場では北京・故宮博物院の所蔵品によって、画中の円卓と古器物の一部を再現展示しています。
 

満州族の王朝・清にとって、中国文明の遺宝を収集して伝統を継承することは、中国を統治するうえで漢族の王朝以上に切実な課題だったといえます。
しかし、乾隆帝の取り組みは単にそれだけでは留まりませんでした。乾隆帝はしばしば器物を鑑賞して得た感慨を漢詩に詠み、その詩を直接文物に記すという離れ業をやってのけたのです。
 
(左)左:玉璧専用の木枠 清時代・乾隆36年(1771) 右:一級文物 玉璧 戦国時代・前3世紀
(右)玉璧の側面


これは半透明の淡い緑色の石を磨いて作った古代の玉器・璧。「是一是二図」の世界を再現したコーナーに展示してある作品のひとつです。
乾隆帝はこの玉璧をよほど気に入ったようで、紫檀で専用の枠を作らせたうえに自作の漢詩を金泥で記しています。
さらに、同じ詩を一字一句違わず玉璧の側面(わずか幅6㎜!)にも彫りこませているのです。

「研究員のおすすめ」シリーズブログ「書の名品」で「中国絵画史上の傑作」と紹介された「水村図巻」にも、乾隆帝が2度にわたって題跋を書き加えています。しかも画中に…。

一級文物 水村図巻(部分) 超孟頫筆 元時代・大徳6年(1302)

 
(左右ともに)水村図巻に見られる乾隆帝の題跋。左画像は上画像の青で囲んだ部分の拡大図。右画像は上画像の赤で囲んだ部分の拡大図。

もし「清明上河図」が嘉慶帝の代ではなく、その前の乾隆帝の時代に宮廷コレクションに入っていたとしたら、どこに何を書き加えていたことやら…。

文人の才能にも恵まれていた乾隆帝は、生涯5万篇以上の漢詩を残したともいわれています。
中国歴代の遺宝を鑑賞すれば、感慨を詩文に託して好んで作品に直接書き加えました。
文物は詩と一体化させられたことによって、乾隆帝の美意識と教養を伝える媒体としての役割も永久に担うことになったのです。
そこには中国文明を受け継ぐだけでなく、むしろ自分の色に染めていこうとする乾隆帝の圧倒的な野心と強烈な自尊心を見て取ることができます。

ちなみに、「是一是二図」の名称は画面右上に記された詩の第一句「是一是二(画中の朕はひとり、はたまたふたり?)」に由来しています。
画中の寝台のうしろの衝立には、やはり乾隆帝の肖像画が掛けられており、寝台に座っているもうひとりの自分を見つめています。
「是一是二図」は満州族の君主でありながら、中国文明の絶対的指導者としても君臨した乾隆帝の多様な姿を象徴しているのでしょう。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ2011年度の特別展

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posted by 川村佳男(保存修復室) at 2012年01月21日 (土)