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1089ブログ

博物館で秋草さがし・・・

秋になると、当館の正面玄関前で、紫と白の萩の花がお客様をお迎えします。

正面玄関前に咲く萩(2023年10月5日現在)

この萩は「秋の七草」の1つです。
春の七草ほど知られていないかもしれませんが、じつは万葉歌人である山上憶良が和歌で詠った奈良時代から、日本人は秋草を愛好してきました。
春の七草は食べられますが、秋の七草は食べることはできません。その代わり、その花を楽しんできました。なんとも風流ですね。

ただ、自然に咲く花を愛でたばかりではなく、蒔絵や陶磁の器、鏡などの金工細工、着物に施された刺繡や織物などにも、平安時代の昔から江戸時代にいたる長い歴史の中で、秋草の模様が表されてきました。


秋草蝶鳥鏡(あきくさちょうとりきょう)
東京都八王子市中山 白山神社経塚出土 平安時代・12世紀
平安時代の銅鏡に装飾された模様です。「尾花」と称された薄や萩、菊、藤袴などが咲く秋の野に、蝶と鳥が飛び交っています。



秋草蒔絵見台(あきくさまきえけんだい)
安土桃山~江戸時代・16~17世紀
安土桃山時代に流行した高台寺蒔絵では、菊、萩、桔梗といった秋草模様が特に好まれました。



鼠志野秋草図額皿(ねずみしのあきくさずがくさら)
美濃 安土桃山~江戸時代・16~17世紀
志野焼の特徴である鼠色の地に、白く藤袴らしき秋草が浮かびあがります。


工芸品それぞれの表現を見くらべてみても、さまざまなデザインがあって面白いですね。
本館14室で行われている特集「日本の伝統模様「秋草」」(10月11日(水)~2023年11月19日(日))では、これら日本の工芸品に表された秋草の模様を秋の七草を中心に紹介しています。

日本の模様は、中国から影響をうけたものが多く、中国の模様は基本的に吉祥模様です。生活を彩る模様には、幸せを願い、身を守る役割がありますから、吉祥模様が多いのは当たり前ですね。
ところが、秋草模様にはほとんど、吉祥の意味はありません。それなのに、どうして日本人は秋草模様を愛好し続けたのでしょう?

その秘密を、本特集でご紹介しています。
皆さんもご存じの清少納言や兼好法師がつぶやいていますよ。
本館14室で無料配布しているパンフレット(オールカラーA4・全4ページ)を見ながら、その秘密を探ってみませんか?

また、本館14室での展示のほかにも、当館ではこの秋の時期に、さまざまな展示室で秋草模様の工芸品を展示しています。


小袖 白綾地秋草模様(こそで しろあやじあきくさもよう)
尾形光琳筆 江戸時代・18世紀
本館2階10室「浮世絵と衣装―江戸(衣装)」で展示している尾形光琳直筆の通称〈冬木小袖〉。桔梗・薄・萩・菊などが描かれています。
展示期間:2023年10月3日(火)~2023年12月3日(日)


当館のどこで秋草模様が展示されているかも、本館14室の特集「日本の伝統模様「秋草」」でご案内しています。
私たちの祖先が愛でてきた秋草、庭に咲く花とともに、博物館に咲く工芸品の秋草を探し歩いてみてはいかがでしょうか。


本館14室の展示風景

 

カテゴリ:特集・特別公開工芸

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posted by 小山 弓弦葉(工芸室室長) at 2023年10月12日 (木)

 

雲の合間にみえるもの

東洋館8室で開催中の特集展示「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」(2023年10月22日まで)に関して、今回は漆器のご紹介。
常盤山文庫のコレクションからは、薄造りの凛とした器形に、良質の漆を丁寧に塗り重ねた、宋時代のすぐれた漆芸の姿を窺うことができます。


彫漆雲文水注(ちょうしつうんもんすいちゅう )
南宋時代・12~13世紀 公益財団法人常盤山文庫蔵
[展示中、10月22日まで]

なかでも、今回とくに推したいのがこちらの水注です。一見して、どんな感想を持たれるでしょうか?
時計回りにぐるぐると回る渦巻文様がびっしりと彫り込まれる様子は、日本の造形伝統から見ればいかにも異様と映るかもしれません。
よく見ると単純な渦巻ではなく、漫画のフキダシのように弧状の短い線をつなげて作られた雲の形であることがわかります。つまりは「雲文」です。


彫漆雲文水注 雲文の拡大写真

雲文であることがわかるくらいまで近づくと、はじめてこれが赤と黒の漆層からできていることが見えてきます。
彫りが深いところで色漆層の数を数えてみると、赤、黒と交互に12層を重ねています。念のため申し上げておきますと、これは12回しか塗っていないということではなく、各色の1層を作るために何回も塗り重ねる必要があるので、実際に塗った回数はその数倍となります。

この漆層を綿密に、彫り目の色がよく見えるように幅広く彫っています。せっかく12層もの色漆層をつくったのだから、これは見せたいところですね。
複雑な形状の雲文を一つ一つ深く彫り込んでいくのは相当な手間ですが、工人の気持ちになって彫りの流れを目で追っていくと、なんとなく楽しく彫っていたのではないかという気がしてきます。すべての雲文はまったく同じ形はなく、厳格に決まった型通りの意匠というよりアドリブを交えた、のびのびとした仕事です。ざわざわと迫りくるような文様の生命感は、こうした力強く奔放なひと彫りひと彫りが集まって形成されたものと言えるでしょう。

ところで、この作品は宋時代の彫漆としては例のない姿をしています。本作のような金属胎(きんぞくたい)の彫漆自体は珍しいものではありませんが、腹部の膨らんだ長頸瓶(ちょうけいへい)に円座状の高台を持たせ、把手と注口をつけたような形状の彫漆器は他に見られません。この形はどこから来たのか。
この問題に関しては、X線撮影やCT撮影によってかなりのヒントがもたらされています。

たとえば注口の根本に近い部分を見ると、花の蕊(しべ)のような装飾があります。


彫漆雲文水注 注口部の拡大写真

本体の意匠から見るとやや唐突な観のある装飾ですが、今回CT撮影を通して詳しく調べたところ、注口の基部には本来、花形座があったことがわかりました。

彫漆雲文水注注口部のCT画像(撮影:宮田将寛)

下の画像は別作品ですが、イメージとしてはこんな感じでしょうか。


銅布薩形水瓶 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵
(注)この作品は展示されておりません。


どこかの時点で注口部の修理が必要となり、この花形座は覆われることとなったようです。また把手より上の部分はすべて後補であること、高台部分は金属胎が折り畳まれたような、通常ではありえない状態であることなども明らかとなっており、これらを考慮すると、本作は伝世の過程で複数回の大規模な補修・改変が行われていることが推察されます。

それでは製作当初はどんな姿をしていたのでしょうか。
補修・改変の過程や理由を含め、全体像はまだまだ雲の中にあり、明確に判明したとは言えません。多くの謎と可能性を秘めている点もまた、本作の大きな魅力の一つなのです。

特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」会場に展示される彫漆雲文水注
展示会場の様子

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開工芸

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posted by 福島修(特別展室) at 2023年09月21日 (木)

 

蒐集家 菅原春雄氏と中国青磁

特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」(東洋館8室にて、2023年10月22日まで)では、これまでお目にかける機会の少なかった常盤山文庫コレクションの工芸作品も多くご覧いただけます。


特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」展示風景
 

私が初めて、常盤山文庫の菅原春雄(1930~2019)前理事長にお会いしたのは大学院生の時でした。

文学部の美術史学専攻では、授業は作品中心、つまりその作品はいつ誰がどこでどのような背景のもとにつくったのか、そしてそれは歴史の中にどのように位置づけることができるのかという基礎的な内容が中心でした。
そのため、世の中に美術品を蒐集(しゅうしゅう)していた、またはいま現在蒐集している人がいるということはわかっていても、大学院生になるまで蒐集家の方を直接知る機会はありませんでした。

最初は、青山のご自宅で「送海東上人帰国図」(9月26日から展示)を床にかけ、その前に青磁袴腰香炉(今回未出品)を置いていただきました。

重要文化財  送海東上人帰国図軸(そうかいとうしょうにんきこくずじく)(部分) 鍾唐傑、竇従周賛 南宋時代・紹煕5年(1194)頃
東京・公益財団法人常盤山文庫蔵(9月26日から展示)


青磁袴腰香炉 中国・龍泉窯 南宋時代・13世紀 東京・公益財団法人常盤山文庫蔵
(注)本作品は展示されておりません。

 

当時は陶磁器を研究しなければという焦りで頭がいっぱいの日々でしたが、船に乗って中国を離れる友人に別れを惜しみ無事を祈る人びとが描かれたなんとも素敵な絵と、同時代の美しい青磁がいまもこのように日本で大切にされていることに感動し、なぜかふっと心が軽くなった記憶があります。
以来、博物館に着任した後も陶磁器研究会の末席に加えさせていただき、ご縁があっていろいろなご所蔵品を楽しく拝見しました。
同時に、春雄氏から古美術を蒐蔵(しゅうぞう)することの重みを教えていただいたように思います。

常盤山文庫のコレクションが当館に寄託される以前のことですが、春雄氏がご所蔵の「青磁鳳凰耳花入」(9月26日から展示)を館に持って来られたことがありました。


青磁鳳凰耳花入(せいじほうおうみみはないれ) 中国・龍泉窯 箱書 金森宗和 南宋~元時代・13世紀 東京・公益財団法人常盤山文庫蔵
(9月26日から展示)


ちょうど2000年から2010年代にかけて、中国で越窯(えつよう)や官窯(かんよう)、汝窯(じょよう)などの窯跡発掘成果が報告され、宋時代の青磁研究への関心が高まった時期でした。日本では、江戸時代以来もっとも美しいと評価されてきた「砧(きぬた)」青磁にあらためて注目が集まりました。

そのような頃、春雄氏と一緒に、自然光の入る当館の会議室で鳳凰耳花入と東博所蔵の青磁などを比較したのですが、龍泉窯最盛期の優品である常盤山文庫の鳳凰耳花入の美しさが際立って見えました。
この時の感動は春雄氏もしばらく忘れがたいものであったようです。孫くらい年の離れたひよっこの私に何度かお電話いただきました。

「あれはほんとうに良かったよねえ」
「やっぱりさ、自然光で見ないとダメなんだよな」

いまも声が聞こえるようです。

こうした青磁研究会がきっかけとなり、
2014年当館で開催した特別展「台北國立故宮博物院 神品至宝」で台北故宮収蔵の汝窯・官窯青磁が展観されるのにあわせて、常盤山文庫と当館の共同による特集「日本人が愛した官窯青磁」(東洋館5室)の展示を行ないました。

このとき、特集にご出品いただいた香取芳子様所蔵の青磁盤がのちに当館に寄贈されることになりました。
戦後まもなく国内で発見され、川端康成が所持した貴重な北宋汝窯の作例です。
当館の中国陶磁コレクションに欠かすことのできない逸品であることは言うまでもありません。

付属の箱の蓋裏には、川端康成が「康成」と珍しく自ら名前を書き付けています。
亡くなられたお母様がこの盤の入手にあたって川端に箱書きをお願いされた、という貴重なエピソードを香取様のご子息からうかがいました。
ちなみに、この汝窯盤を手にされたのは昭和43年(1968)のことだったそうです。ひとりの若い女性の慧眼にも驚かされます。


青磁盤 中国・汝窯 北宋時代・12世紀 香取國臣氏・芳子氏寄贈 東京国立博物館蔵
(東洋館5室「中国の陶磁」にて9月19日から2024年4月21日まで展示)

付属の箱書 「康成」:川端康成筆

 

じつは香取芳子様は、現在常盤山文庫が所蔵する青磁盤(展示中。10月22日まで展示)の旧蔵者でもありました。


青磁盤 中国 南宋時代・12~13世紀 東京・公益財団法人常盤山文庫蔵
(展示中。10月22日まで展示)

付属の箱書 「康成」:川端康成筆


この作品もやはり川端康成が手にしたもので、未だ解明されていない南宋期龍泉窯、および官窯の青磁の実態を探るうえで重要な手がかりとなるであろう作品です。
香取様はこの鉢を手放された後、青磁蒐集で知られた常盤山文庫の菅原春雄氏が次に入手されたことを知り、とても喜んでおられたそうです。
これら二つの盤は、宋時代を象徴する第一級の美しさをそなえており、日本人が見いだして今日まで大切に伝えてきたという事実は私たちにとって大変心強いものです。

人と作品。このような出会いと縁を大切にしながら、未来へ文化財を伝えていく使命があると痛感する日々です。

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開工芸

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posted by 三笠景子 at 2023年09月11日 (月)

 

特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」より―コレクションのあゆみ

公益財団法人常盤山文庫学芸員の佐藤サアラです。
常盤山文庫は今年創立80周年を迎えました。作品を寄託している東京国立博物館(東博)の多大なご協力のもと、東洋館8室にて特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」を開催する運びとなりました(2023年10月22日まで)。
80年の歩みの中で築いてきたコレクションをまとめてご紹介するのは20年ぶりです。展示替えを行いながら、国宝・重文指定の墨跡や絵画に加え、20年前にはお目にかける機会の少なかった工芸作品も一緒にご覧いただきます。

特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」展示会場風景 墨跡、陶磁器が展示されている写真
特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」展示会場 墨跡、中国絵画が展示されている写真

特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」展示風景

私は三代目理事長のもと学芸員となり、蒐集の一端を垣間見たにすぎませんが、常盤山文庫の蒐集品および蒐集に貫かれたこころを、ここにご紹介したく思います。
常盤山文庫は東洋古美術のコレクションを有する財団法人ですが、その母体は大船-鎌倉-江の島を結ぶ自動車専用通路や鎌倉山住宅地の開発事業で知られる実業家、菅原通濟(すがはらみちなり、1894~1981)によって築かれました。


菅原通濟 (写真:公益財団法人常盤山文庫)

通濟の蒐集は禅僧の書である墨跡作品と中国宋・元時代の絵画および室町水墨を中心とする日本絵画に始まります。長男である二代目理事長菅原壽雄(すがはらひさお、1923~2008、在任1981~95)はその普及と拡充、とりわけ一般には難解な墨跡の理解普及に努め、現在国宝2点、重要文化財21点、重要美術品18点を含んでいます。さらに通濟の次男、三代目理事長菅原春雄(すがはらはるお、1930~2019、在任1995~2019)が中国陶磁と漆器からなる工芸コレクションを築きました。

菅原通濟の蒐集による作品

国宝 遺偈(棺割の墨跡) 清拙正澄筆 南北朝時代・暦応2年(1339) 
[展示:2023年9月26日から10月22日まで]



重要文化財 茉莉花図 伝趙昌筆 中国 南宋時代・12~13世紀 
[展示:2023年8月29日から9月24日まで]



重要文化財 帰郷省親図 伝周文筆、鄂隠慧奯等十三僧賛 室町時代・15世紀 
[展示:2023年8月29日から9月24日まで]

菅原春雄による工芸コレクション

米色青磁瓶 中国・官窯 南宋時代・12~13世紀 
[展示:2023年8月29日から10月22日まで]



彫漆雲文水注 中国 南宋時代・12~13世紀 
[展示:2023年8月29日から10月22日まで]



常盤山文庫の80年の歩みを振り返ると、蒐集と学びが一体となってきたことが大きな特徴です。
初代通濟が質の高いコレクションを築くことができたのは、学ぶことに熱心だったことにあるといえます。じつは、最初の蒐集で美術の知識もないままに百点もの掛け軸を一括購入したところ、その大半がよろしくなかったという大きな失敗をしているのですが、そこで落胆してやめてしまうのではなく、当時まだ若手研究者であった松下隆章氏(まつしたたかあき、1909~1980)の下で一から学ぶことを始めました。学ぶことに前向きになったことで作品を見る眼を体得し、質の高い蒐集が進むこととなったのです。やがて鎌倉常盤山では蒐集した作品の周りに学者、学生が集うようになり、さらに大きな学びの場が醸成されていきました。

作品を軸とした学びの場という雰囲気は通濟の次男、三代目理事長菅原春雄に継承されています。中国の青磁に関心を持った春雄は通濟が松下氏のもとで学んだように、陶磁学者長谷部楽爾氏(はせべがくじ、1928~)に指導を仰ぎ、関心のある研究者が集える場、中国陶磁研究会を発足させました。この研究会の発足によって、研究と蒐集が一体をなす中国陶磁コレクションが築かれました。
研究会の研究活動は会報の発行という形でその成果を発表しましたが、さらに研究テーマを展覧会という形で公開することにもつながりました。東京国立博物館 東洋館で開催された特集展示、2014年の「日本人が愛した官窯青磁」、2019年の「初期白磁 白磁の誕生と展開」です。
ここでわかったことは、常盤山文庫の作品だけでは到底できない幅広い意味のある展示が、東博の所蔵品と合わせることで実現されるのだということでした。これをきっかけに、東博の所蔵品と組み合わせながら意味のある展示をすることにコレクションを活用したいと考えるようになり、東博への寄託が進みました。
東京国立博物館にはすでに膨大な所蔵品がありますが、そのわずかに欠けたところ、隙間をつなぐことができるようなもの、つまり東博の所蔵品を補完し常設展示に活用できるものを中心に、各担当分野の研究員と相談をしながら寄託品を決めていきました。

常盤山文庫は展示施設を持たないコレクションです。消防法の改正に伴い鎌倉常盤山の木造家屋での展示ができなくなって以来、他館に作品をお貸出しして単体の作品をお目にかける機会はあったものの、今回の特集のようにコレクション全体を展示する機会は60周年以来です。
「コレクション」ということばは「蒐集品」そして「蒐集」を指しますが、初代から三代までの常盤山文庫の80年、集められた作品とともにその蒐集のこころも含めた常盤山コレクションを、多くの皆さまにご覧いただけることを願っています。

 

カテゴリ:書跡特集・特別公開絵画工芸

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posted by 佐藤サアラ(公益財団法人常盤山文庫) at 2023年09月01日 (金)

 

姫君婚礼につき

皇居のお濠から30分ほどぶらぶらと西へ歩くと、緑豊かな赤坂御用地が見えてきます。江戸時代、紀州徳川家の中屋敷はこの地にありました。
天明7年(1787)11月27日、この江戸城から紀州邸にいたる道のりを一人の姫君が辿りました。紀州徳川家第10代藩主・徳川治宝(はるとみ、1771~1853)に嫁いだ種姫(たねひめ、1765~94)です。
もちろんぶらぶら歩いたわけではなく、白地に蓬萊模様(ほうらいもよう)の御輿に揺られ、盛大な行列を引き連れての道行でした(注)。すなわち婚礼に伴う「御輿入れ」の行列です。
(注)1089ブログ「大名婚礼調度の役割」

江戸時代の言葉の用法では、「姫君」とは将軍家の娘に限って使用された敬称でした。種姫は田安徳川家の生まれですが、11歳の時に10代将軍家治(いえはる)の養子となっているため、これをもって「姫君」と呼ばれる身分になっています。つまり種姫の婚礼は、紀州家としては将軍家の姫君を迎え入れる、きわめて重大な行事だったわけです。

紀州家側では、姫君の住まいとして「御守殿(ごしゅでん)」と呼ばれる御殿を用意しました。たいへんな大工事だったらしく、このときは御守殿ほか造営のため七千畳の畳を手配したとのこと(『南紀徳川史』巻168)。
その門が御守殿門で、これは丹塗りとする決まりがありました。いわゆる「赤門」です。東博には「黒門」(鳥取藩池田家江戸上屋敷の表門)がありますが、残念ながら赤門はありません。現存する御守殿門としては、東大の赤門がよく知られています。東博の正面から歩いても30分くらいですね。


御守殿門(赤門)
徳川種姫婚礼行列図(上巻)巻頭部分 山本養和筆 江戸時代・18~19世紀
(この場面は展示されておりません)


種姫以後、婚礼の儀礼は次第に縮小の方向へと進んでいきます。大規模な婚礼行列を引き連れた盛大なパフォーマンスは、財政難に苦しむ大名たちの実情から離れたものとなっていました。

さて、治宝には種姫のほかに側室があり、於さゑ(おさえ、栄恭院(えいきょういん))との間には二人の仲良し姉妹が生まれます。鍇姫(かたひめ、信恭院(しんきょういん)、1795~1827)と豊姫(とよひめ、鶴樹院(かくじゅいん)、1800~1845)です。鍇姫は文化11年(1814年)に仙台藩主伊達斉宗(なりむね、1796~1819)に嫁ぎました。一方、豊姫は文化13年(1816)に清水徳川家から婿を迎え、紀州徳川家第11代斉順(なりゆき、1801~46)の正室となりました。

現在、特集「姫君婚礼につき―蒔絵師総出の晴れ舞台」で展示中の「竹菱葵紋散蒔絵調度」一式は、妹の豊姫の婚礼調度と伝わっています。展示室のケースにずらりと並ぶ分量が残っていますが、当初の品目が完全に伝わっているわけではありません。
たとえば、婚礼調度として重要な位置を占める貝桶や三棚(黒棚、厨子棚、書棚)がありません。それどころか、本来は100件を越す多彩な道具があったことが記録から窺えるので、現在われわれが目にすることができるのは全体のほんの一部だということになります。


豊姫婚礼調度
竹菱葵紋散蒔絵調度 江戸時代・文化13年(1816)


面白いことに、まったく同じ意匠・技法の竹菱葵紋蒔絵調度が林原美術館(岡山)に所蔵されています。豊姫の調度にはない三棚を含むため、これらは東博の竹菱葵紋蒔絵調度と一具ではないか? と考えたくなりますが、歯黒箱(はぐろばこ)や眉作箱(まゆづくりばこ)など重複する器種もあったりします。
そこで想起されるのが、お姉さんの鍇姫です。林原美術館の調度は、伊達家伝来であることから、伊達家に嫁いだ鍇姫の調度ではないかとする説が有力です。婚礼調度は使い回されることも普通でしたが、結婚の時期も近いので姉妹同じ規格で作られたのかもしれません。

豊姫は婿養子を迎えた形ですので、婚礼調度はそのまま紀州家に残ったようです。そして半世紀近く経過した文久2年12月21日、最後の藩主、第14代茂承(もちつぐ、1844~1906)と倫宮(みちのみや、徳川則子(のりこ)、1850~1874)の婚礼の際には再利用された可能性が指摘されています。本特集の最初に展示されている白無垢の打掛は、この倫宮所用のものです。この打掛を着て婚礼にのぞむ倫宮の晴れの舞台を、豊姫の調度は再度かざることとなったのでしょうか。


打掛 白地浮織幸菱模様 徳川則子所用 江戸時代・19世紀

 

 

カテゴリ:特集・特別公開工芸

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posted by 福島 修(特別展室) at 2023年08月25日 (金)